次は
名古屋城に行ってみました。西北隅櫓が公開中ということを
天茶さんのページで知り、今回の名古屋行きを決定しました。関ヶ原の合戦後江戸幕府を開いた徳川家康が、慶長14(1609)年江戸幕府の東海道の要所として、また、大阪方への備えとして、清須から名古屋へ還府を決定し、加藤清正・福島正則・前田利光(利常)等北国・西国の諸大名20名に普請を命じ、天守閣や諸櫓の作事は、慶長17(1612)年にほぼ完成した代表的な平城です。その後、明治維新を迎えるまでの名古屋城は、御三家の筆頭尾張徳川家の居城として栄えました。第二次世界大戦中の昭和20(1945)年5月、名古屋空襲の際、大、小天守閣、本丸御殿はじめ建物の殆どを焼失しました。幸いにも焼失を免れた三つの櫓(西北・西南・東南)、三つの門(表二之門、旧二之丸東二之門、二之丸大手二之門)と本丸御殿障壁画の大部分は重要文化財として現在に伝えられています。写真は天守閣で昭和34(1959)年10月に再建されました。残念ながら建築基準法などの規制があるので鉄筋コンクリート造りですが、NHKのプロジェクトX第177回「名古屋城再建 金のシャチホコに託す」でも取り上げられましたが、石垣が崩れかけるなど大変な苦労があったようです。
入口付近には、
名古屋能楽堂があります。平成9(1997)年に能や狂言などの伝統芸能の振興と文化交流の推進を目的としてオープンしました。
能・狂言の公演などが行なわれているほか、資料やビデオで能楽を紹介する展示室があります。展示室は無料で見ることができます。時間がなくてあまりゆっくりは見ることはできませんでしたが。
名古屋城の中には、戦災にも負けず、江戸時代の櫓や庭園などが結構残っています。
西南隅櫓は、未申櫓ともいわれ、屋根二層、内部三階の櫓です。西、南両面には、軍事用の「石落とし」を張り出して屋根を付けています。明治24(1891)年の濃尾大地震で石垣と共に崩壊しましたが、宮内省によって修理復旧され、鬼瓦などに菊花紋が見られます。重要文化財に指定されています。
東南隅櫓は、辰巳櫓ともいわれ、その規模、構造は西南隅櫓と同じで、屋根二層、内部三階の櫓ですが「落狭間」の破風の形を異にしています。この櫓は創建当時の姿を伝えるもので、鬼瓦などに葵の紋が見られます。こちらも重要文化財に指定されています。
二の丸には重要な史跡もあります。
青松葉事件之遺跡は、慶応4(1868)年正月二十日、二之丸御殿向屋敷の庭前で、尾張徳川家の三重臣が斬首されるなど、多くの犠牲者を出した尾張藩内の佐幕派弾圧事件です。「青松葉事件」の名は処刑された重臣のうちの筆頭格である渡辺在綱の家が「青松葉の渡辺」といわれる渡辺半蔵守綱の子孫であるからその名があるそうです。
昭和の初めに、「青松葉事件之遺跡」碑が現在地より南約100mの処刑地跡に建立されましたが、その後所在不明となったのでここに復元されたものです。
二の丸は
那古野城の跡です。大永年間(1521~1528)はじめに今川氏親が名古屋台地西北端に築き「柳の丸」といいました。
氏親は、一族の氏豊を城主として守らせていましたが、天文元(1532)年、織田信秀に奪われ、天文3(1535)年にここで織田信長が生まれたといわれています。ただし那古野城奪取の時期は諸説あり、信長は勝幡城で生まれたとも言われています。その後信秀は古渡城に移り、また信長も弘治元(1555)年信長も清洲に移り、一族の信光、重臣林秀貞(通勝)らが一時入ったが天正10(1582)年頃一時廃城になりました。その後、那古野城跡は名古屋城築城時に二の丸の一部となったようです。
現在は、名古屋城二之丸庭園入口付近に、石碑が建っていますが、石碑は那の部分は完全に残っていますが、古の半分以下が朽ちてしまって無惨な感じです。説明看板が横になければわかりませんでした。
名勝二之丸庭園は、元和年間(1615~23)二之丸御殿の造営に伴って同御殿の北側に聖堂(金声玉振閣)を中心として設けられましたが、享保(1716~36)以後たびたび改修されて枯山水回遊式庭園に改められました。
昭和28年(1953)3月31日に「名勝」の指定を受けました。
本丸御殿は天守閣の南、本丸のほぼ中央に建てられた大建築で、当初は、初代尾張藩主徳川義直の住居と藩の政庁として使用されましたが、その後は将軍が上洛する際の宿館となりました。二条城の二之丸御殿と並んで書院造の双璧でしたが、惜しくも第二次世界大戦で焼失しました。
現在復元工事を進めており、建物は平成20(2008)年の着工、平成22(2010)年には玄関部分の一部完成・公開をめざしています。全体が完成するのに15年かかると予想されているようです。
西北隅櫓は今回名古屋城で最も行きたかったところです。戌亥櫓とも清須櫓ともいわれています。清須櫓の名称は、清洲城の用材を利用して築造されたためです。外部北面、西面に千鳥破風が作られ、「落狭間」を備えています。櫓とはいえ、弘前城・宇和島城・丸亀城の三重天守閣よりも大きいかなり立派なものです。国の重要文化財に指定されています。平成19年5月19日~6月3日まで内部公開を実施していて、中を見ることができました。
コンクリート造りの天守閣が目立ちますが、古い建造物や遺構、規模など改めてみると名古屋城は見どころの多い城だと思いました。本丸御殿の復元も楽しみです。
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ドライブ | 日記
Posted at
2007/06/03 23:22:26