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2007年06月01日

尾張紀行(その2 名古屋城)

次は名古屋城に行ってみました。西北隅櫓が公開中ということを天茶さんのページで知り、今回の名古屋行きを決定しました。関ヶ原の合戦後江戸幕府を開いた徳川家康が、慶長14(1609)年江戸幕府の東海道の要所として、また、大阪方への備えとして、清須から名古屋へ還府を決定し、加藤清正・福島正則・前田利光(利常)等北国・西国の諸大名20名に普請を命じ、天守閣や諸櫓の作事は、慶長17(1612)年にほぼ完成した代表的な平城です。その後、明治維新を迎えるまでの名古屋城は、御三家の筆頭尾張徳川家の居城として栄えました。第二次世界大戦中の昭和20(1945)年5月、名古屋空襲の際、大、小天守閣、本丸御殿はじめ建物の殆どを焼失しました。幸いにも焼失を免れた三つの櫓(西北・西南・東南)、三つの門(表二之門、旧二之丸東二之門、二之丸大手二之門)と本丸御殿障壁画の大部分は重要文化財として現在に伝えられています。写真は天守閣で昭和34(1959)年10月に再建されました。残念ながら建築基準法などの規制があるので鉄筋コンクリート造りですが、NHKのプロジェクトX第177回「名古屋城再建 金のシャチホコに託す」でも取り上げられましたが、石垣が崩れかけるなど大変な苦労があったようです。


入口付近には、名古屋能楽堂があります。平成9(1997)年に能や狂言などの伝統芸能の振興と文化交流の推進を目的としてオープンしました。
能・狂言の公演などが行なわれているほか、資料やビデオで能楽を紹介する展示室があります。展示室は無料で見ることができます。時間がなくてあまりゆっくりは見ることはできませんでしたが。


名古屋城の中には、戦災にも負けず、江戸時代の櫓や庭園などが結構残っています。西南隅櫓は、未申櫓ともいわれ、屋根二層、内部三階の櫓です。西、南両面には、軍事用の「石落とし」を張り出して屋根を付けています。明治24(1891)年の濃尾大地震で石垣と共に崩壊しましたが、宮内省によって修理復旧され、鬼瓦などに菊花紋が見られます。重要文化財に指定されています。


東南隅櫓は、辰巳櫓ともいわれ、その規模、構造は西南隅櫓と同じで、屋根二層、内部三階の櫓ですが「落狭間」の破風の形を異にしています。この櫓は創建当時の姿を伝えるもので、鬼瓦などに葵の紋が見られます。こちらも重要文化財に指定されています。


二の丸には重要な史跡もあります。
青松葉事件之遺跡は、慶応4(1868)年正月二十日、二之丸御殿向屋敷の庭前で、尾張徳川家の三重臣が斬首されるなど、多くの犠牲者を出した尾張藩内の佐幕派弾圧事件です。「青松葉事件」の名は処刑された重臣のうちの筆頭格である渡辺在綱の家が「青松葉の渡辺」といわれる渡辺半蔵守綱の子孫であるからその名があるそうです。
昭和の初めに、「青松葉事件之遺跡」碑が現在地より南約100mの処刑地跡に建立されましたが、その後所在不明となったのでここに復元されたものです。


二の丸は那古野城の跡です。大永年間(1521~1528)はじめに今川氏親が名古屋台地西北端に築き「柳の丸」といいました。
氏親は、一族の氏豊を城主として守らせていましたが、天文元(1532)年、織田信秀に奪われ、天文3(1535)年にここで織田信長が生まれたといわれています。ただし那古野城奪取の時期は諸説あり、信長は勝幡城で生まれたとも言われています。その後信秀は古渡城に移り、また信長も弘治元(1555)年信長も清洲に移り、一族の信光、重臣林秀貞(通勝)らが一時入ったが天正10(1582)年頃一時廃城になりました。その後、那古野城跡は名古屋城築城時に二の丸の一部となったようです。
現在は、名古屋城二之丸庭園入口付近に、石碑が建っていますが、石碑は那の部分は完全に残っていますが、古の半分以下が朽ちてしまって無惨な感じです。説明看板が横になければわかりませんでした。


名勝二之丸庭園は、元和年間(1615~23)二之丸御殿の造営に伴って同御殿の北側に聖堂(金声玉振閣)を中心として設けられましたが、享保(1716~36)以後たびたび改修されて枯山水回遊式庭園に改められました。
昭和28年(1953)3月31日に「名勝」の指定を受けました。


本丸御殿は天守閣の南、本丸のほぼ中央に建てられた大建築で、当初は、初代尾張藩主徳川義直の住居と藩の政庁として使用されましたが、その後は将軍が上洛する際の宿館となりました。二条城の二之丸御殿と並んで書院造の双璧でしたが、惜しくも第二次世界大戦で焼失しました。
現在復元工事を進めており、建物は平成20(2008)年の着工、平成22(2010)年には玄関部分の一部完成・公開をめざしています。全体が完成するのに15年かかると予想されているようです。


西北隅櫓は今回名古屋城で最も行きたかったところです。戌亥櫓とも清須櫓ともいわれています。清須櫓の名称は、清洲城の用材を利用して築造されたためです。外部北面、西面に千鳥破風が作られ、「落狭間」を備えています。櫓とはいえ、弘前城・宇和島城・丸亀城の三重天守閣よりも大きいかなり立派なものです。国の重要文化財に指定されています。平成19年5月19日~6月3日まで内部公開を実施していて、中を見ることができました。


コンクリート造りの天守閣が目立ちますが、古い建造物や遺構、規模など改めてみると名古屋城は見どころの多い城だと思いました。本丸御殿の復元も楽しみです。
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Posted at 2007/06/03 23:22:26

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この記事へのコメント

2007年6月3日 23:24
名古屋城・・・場内のきしめん屋が妙に記憶にあるな~。
コメントへの返答
2007年6月4日 0:05
きしめん。私も食べましたよ。名古屋に行くとどうしても食べたくなります。ひつまぶしとかも試してみたいです。
2007年6月3日 23:45
はじめまして。僕も今年の冬に名古屋城に行ってきました。よかったです。
かなりくわしく書いてあり、勉強になりました。最初のお城の写真はどこの城ですか?
コメントへの返答
2007年6月4日 0:07
はじめまして。
今回は名古屋城の遺構などをゆっくり堪能しました。最初のお城も名古屋城ですよ。加藤清正の築いた石垣の曲線美は熊本城もそうですが、本当に魅力的です。
2007年6月4日 0:06
毎年、夏の名古屋城宵まつりには
能楽堂で篝火の中、薪能が公開されますよ。
お城への入場料はとられますが、この薪能は
たしか無料で見れるはず。

一度、ぜひこの時期にあそびにきてください。
あ、できたら浴衣姿でね。

コメントへの返答
2007年6月4日 0:08
貴重な情報ありがとうございます。
能の世界は不勉強ですが、一度ゆっくりと見てみたいと思います。夏の名古屋も活気があって魅力がありそうですね。
2007年6月4日 0:27
この角度からの空の青さ。
午前中の早い時間に行かれましたね。
名古屋城はいつも思いつきなので、この方角からは撮ったことがなく、新鮮に感じます。
コメントへの返答
2007年6月4日 0:32
このたびは情報ありがとうございました。
朝早くに出発したので午前中をフルにつかって見ることができました。天気も良くて、写真を撮影するのにはもってこいでした。
西北隅櫓、行って良かったです。名古屋城では一番お気に入りの建造物です。
2007年6月4日 19:03
名古屋城を見ていただくいい機会になったみたいで、うれしいです。
ついでに名古屋市博物館の本丸御殿障壁画展もご案内した方がよかったでしょうか。
午前中相当みっちり回られたようですね^^

櫓から西を見ると水堀を隔てて城下に直結していましたが、そこに西軍を迎えて一度は戦って、名古屋城の守りの堅さというものを示して欲しかったなんてこと思ったりしませんでした?
妄想家なので、そんなことばかり考えてしまいます。

深井丸の木をもう少しなんとかしてもらえると、天守を背景に西北櫓が撮れるんですよねぇ。ちょっと残念です。
コメントへの返答
2007年6月4日 20:19
お陰様で、名古屋城を堪能できました。
実は、友人が5月のゴールデンウィークに名古屋市博物館の本丸御殿障壁画展も行ってきたので、午後は私も行くことにしました。レポはまた後ほどアップしますね。名古屋城の縄張りは軍学者には単調なものと移ったようで評判はあまりよくなかったようですが、石垣の積み方など結構見どころいっぱいのお城ですよね。
写真撮影も色々な方角から考えて撮影すると面白いですよね。名古屋城はまだ他にも撮影ポイントがあったようで、また季節を変えて行ってみたいと思います。
2007年6月4日 21:01
軍学者には評判よくなかったのですか。
ぼくも「天下の城」というわりには、防備が手薄ではないかと思っていました。
北は沼でしたからともかく、西は町家、南は商人町で、焼き払われたら丸裸になってしまうのですよね。
完成された美しさは「天下一」にいれていいとおもっているのですが、大坂に比べると甚だスケールが小さく感じてしまいます。

こんどは是非東南隅櫓もご覧になってください。
天守の美しさに感嘆しますから^^
コメントへの返答
2007年6月4日 21:09
縄張りが比較的シンプルだったから評判がよくなかったようですが、それでも埋門など随所に工夫が見られますね。石垣の美しさは確かに天下一クラスですね。
また今度は秋にも行ってみたいですね。名古屋はまだまだ見どころがたくさんありますから。
2007年6月4日 21:28
天守閣もいいですが、ぼくは復興天守よりも、むしろ豪壮な石垣が魅力的に映ります。
何段も重なったように配置する石垣こそが、天下普請の城にふさわしいのかなと。
大坂城にも江戸城にも、そして名古屋城にもそれがあるんですよね。
それを知ったときは、かなり感動しましたけど、そこは観光客が訪れない場所なのでした(笑)
コメントへの返答
2007年6月4日 22:19
石垣だけの写真撮影もいいですね。
伊賀上野城の高石垣、熊本城などもすばらしいです。やはり藤堂高虎、加藤清正をはじめ築城の名手たちの技術の粋をきわめた石垣も魅力的です。
2007年6月7日 0:45
尾張61万9千石ですね。結局は御三家筆頭でありながら、将軍を出すことはありませんでしたね・・・幕末も含め歴史の変動にあまり大きな影響を与えなかった藩と認識しています。城の構えは御三家の風情が充分ありますね。
コメントへの返答
2007年6月7日 21:24
尾張徳川家は紀州家との地位が逆転してしまった感じですよね。将軍家を出せないはずの水戸家からも慶喜がでましたが、尾張家の血筋で将軍家を嗣ぐひとは現れませんでした。
城のスケールはさすがに御三家筆頭です。

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何シテル?   04/01 22:18
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