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2007年10月07日

MTBで和歌山市内巡り

9月の萩旅行でMTBを使用しましたが、、その便利さを再発見しました。しかし、しばらく使用していなかったのでパンクに見舞われ、少しばかりオーバーホールをしました。
タイヤ、チューブを交換し、ブレーキワイヤも交換。あとは少し様子見です。
試運転ということでこの日は和歌山へドライブし、市内観光はMTBを使用しました。
和歌山城に車を駐め、スタートです。
雑賀御坊[本願寺鷺森別院]です。
文明8(1476)年、蓮如上人の弟子、喜六大夫が法名を了賢と名のり、現在の海南市の飯盛山に一宇の道場を建立しました。これが冷水道場(現在の了賢寺)です。その後、黒江(海南市、現在の浄国寺)、弥勒寺山(和歌山市の雑賀崎)に本願寺の拠点は変わり、永禄6(1563)年に鷺森の地に移転し、雑賀御坊となりました。
天正8(1580)年、織田信長との11年にわたる戦争を正親町天皇の和議により石山本願寺を退去した本願寺顕如は、天正11(1583)年に貝塚御坊に移るまで、ここが本山とし滞在しました。
江戸時代の建物が明治後も残っていましたが、昭和20(1945)年の太平洋戦争による空襲で焼失しました。現在の建物は平成6(1994)年に完成した建物です。


太田城です。太田城は現在の来迎寺付近が本丸跡と伝えられています。
城の範囲は、現在の来迎寺、玄通寺を中心に東西250m、南北200mで周囲に深い堀をめぐらし、東に大門をもっていたとされています。
天正13(1585)年、豊臣秀吉の紀州攻めに際し、太田党は太田左近宗正を大将として、約五千人が太田城に立てこもり、十万余人の秀吉軍に対して強く抵抗したため、秀吉軍は城を取り囲む総延長5~6kmにも及ぶ堤を築き、水攻めを行いました。攻防一ヶ月、ついに左近ら中心人物50余人の首を差し出すことを条件に他の者が助命されたとされています。この水攻めは岡山県高松城、埼玉県忍城とともに日本三大水攻めのひとつに数えられています。
来迎寺には戦いより亡くなった者を葬った小山塚などがあります。北東250mには太田城の大門があった場所とされる大門橋、北東約700mには水攻めの際に秀吉軍が築いた堤跡が残っています。なお、西約1kmの市内橋向丁にある大立寺山門は、この太田城の大門を移したものと言われています。



日前神宮・国懸神宮〔日前宮〕です。
日前神宮・国懸神宮(ひのくまじんぐう・くにかかすじんぐう)は、紀伊国一宮で同一境内に座す二社の大社です。日前神宮は日像鏡(ひがたのかがみ)を御神体として日前大神を奉祀し、國懸神宮は日矛鏡(ひぼこのかがみ)を御神体として國懸大神を奉祀しています。
両神宮の総称を「日前宮」とし、親しみをもって呼ばれています。
戦国時代においては、豊臣秀吉の天正の兵乱により境内荒廃、社領没収の憂き目に逢いましたが、徳川の時代に入り紀州藩初代藩主、徳川頼宣により社殿を再興されました。



陸奥宗光の銅像です。
和歌山城の南側にある岡公園駐車場の南端に陸奥宗光之像があります。
陸奥宗光は弘化元(1844)年に藩の勘定奉行をしていた伊達宗広、母政子の第六子として生まれました。
15歳の時、江戸に出て尊王攘夷運動に参加し、勝海舟の海軍塾に入塾、慶応3(1867)年には、坂本龍馬の海援隊に入り活躍しました。龍馬暗殺後には、暗殺の黒幕を紀州藩士三浦休太郎と思い、海援隊等の同志総勢16人で、三浦休太郎が滞在していた天満屋を襲撃しました。
明治時代には、農商務大臣を務めた後、伊藤博文内閣で外務大臣となり、治外法権の撤廃や日清戦争の講和条約(下関条約)を結ぶなどの業績を残しました。この功績により伯爵を特受、旭日大綬章を授けられました。
明治30(1897)年に54歳で亡くなりました。日本外交の一代難局を乗り越えた才腕は「剃刀大臣」と言われ今も語り継がれています。


刺田比古神社です。
刺田比古神社(さすたひこじんじゃ)は通称岡の宮とも呼ばれ、地元岡の里の氏神で、1000年以上の歴史があります。
天正年中豊臣秀吉が和歌山城を築いた時、鎮護の神社とし大伴後裔岡本左介を社司とし、文禄3(1594)年神社を聖武天皇の岡の離宮の跡である現在の地に移しました。
その後、浅野幸長、長晟、徳川頼宣と城主が変わりましたが、城の守り神として崇敬されました。
徳川吉宗が誕生したときは、この神社の神主岡本周防守長諄が仮親となっています。吉宗が将軍となったときには開運出世の神として崇敬されました。
昭和20(1945)年の戦災により社殿などが焼失しましたが戦後に建て直されました。


岡山の時鐘堂です。
岡山の時鐘堂は江戸時代中頃の正徳2(1712)年に紀州藩によって設置されました。時の藩主は第五代徳川吉宗でした。
約6メートル四方二階建ての鐘楼で、二階の大梁に梵鐘がつりさげられています。この鐘は藩士の登城時や時のを城下に知らせたもので、二人の番人によって管理され、刻限毎につき鳴らされたと伝えられています。
当時は、現在の本町五丁目付近にも時鐘屋敷と呼ばれた鐘つき施設があり、ここでも時の鐘がつき鳴らされたが、この時鐘屋敷は、大正年間に取り壊されました。
鐘堂の梵鐘は、元和元(1615)年のいわゆる大阪夏の陣で豊臣方が使用した青銅製の大筒(大砲)を徳川方が捕獲し、紀州藩が保管していましたが、それを後に粉河の鋳造工人に命じて梵鐘に鋳なおさせたものと伝えられています。


隣の奥山稲荷社です。
奥山稲荷社は紀州藩祖徳川頼宣が駿河国から国入りの際、和歌山城の守り神として勧請しました。
御祭神は、稲蒼魂命、照川大明神、葛葉大明神、幾田大明神、吉田大明神の五柱を合わせ祀られています。


和歌山市の県庁前交差点の和歌山県立近代美術館、和歌山県立博物館前に徳川吉宗公之像が建っています。
この銅像は平成6(1994)年に建てられたものです。享保年間に吉宗が西洋より馬を輸入した史実などを元に造られたそうです。


徳川吉宗生誕の地には「徳川吉宗公誕生地」の石碑と説明看板が建っています。
徳川吉宗は貞享元(1684)年10月、城下吹上邸で生まれたとされています。
父は紀州徳川家2代藩主の徳川光貞で、母はその側室お由利です。
元禄10(1697)年4月、葛野藩(福井県越前町〔旧朝日町〕)3万石の大名に取り立てられ、宝永2(1705)年2人の兄の相次ぐ死によって紀州藩5代藩主となりました。
その後享保元(1716)年8代将軍に襲職し、享保の改革を進めました。
幕府支配体制の強化を図り、「徳川中興の英主」といわれています。


国道42号沿い、小松原通5丁目交差点の北東角にある陸奥宗光生誕地には、石碑が建っています。この辺りは、紀州藩士の武家屋敷が並んでいたようです。


弥勒寺山城のある場所には、天文19(1550)年黒江から本願寺紀州御坊がこの地に移転しました(弥勒寺)。永禄6(1563)年に鷺森に移転するまで本願寺布教の中心地でした。天正5(1577)年、織田信長の第一次紀州征伐の際、鈴木孫一を中心とした雑賀衆が弥勒寺山城に本陣を置きました。
雑賀衆の抵抗は激しく、善戦しましたが紀州中野城が陥落したため、信長と雑賀衆は和議を結びました。
現在、城跡は秋葉山公園として整備されています。


雑賀城は妙見山城ともいい、鈴木佐大夫が築いた城です。築城時期、廃城時期は不明ですが、雑賀党の居城でした。この居城を中心に、織田信長、豊臣秀吉等の紀州征伐に対抗しました。
城跡の山麓に承応3(1654)年、紀伊徳川家の初代藩主頼宣が母養珠院の菩提を弔うため養珠寺を建立しました。寺域の一部は現在津屋公園になっています。山上は城跡山公園になっていて、万治3(1659)年、境内南西の山上に妙見菩薩を祀る妙見堂が建立されています。
山上には養珠寺の南側の津屋公園に登城口があります。
城跡の遺構などは特に残っていないようです。
写真上は山上の妙見堂、写真下は津屋公園の池(堀の復元?)です。


紀三井寺は、正式には、紀三井山金剛宝寺護国院といいます。
宝亀元(770)年唐僧・為光上人によって開基されたと伝えられています。
その後、歴代天皇の御幸があり、また後白河法皇が当山を勅願所と定められて以後隆盛を極め、鎌倉時代には止住する僧侶も五百人を越えたと伝えられています。江戸時代に入ると、紀州徳川家歴代藩主が頻繁に来山され、「紀州祈祷大道場」として栄えました。
紀三井寺の通称は紀州にある、三つの井戸が有るお寺ということで名付けられたといわれ、今も境内には、清浄水(しょうじょうすい)、楊柳水(ようりゅうすい)、吉祥水(きっしょうすい)の三井より清水が湧き出しています。紀三井寺の三井水は昭和60(1985)年3月日本名水百選に選ばれています。
以前、真言宗山階派の寺院でしたが、昭和26(1951)年に独立し救世観音宗の総本山となっています。境内は桜の名所として知られ、231段の急な石段を登れば和歌浦の眺望も素晴らしいです。



観海閣は、古くから天橋立、三保の松原と供に、天下の景勝地として知られた和歌浦に建つ楼閣建築物です。
江戸時代初期の慶安年間、紀州徳川家初代徳川頼宣は、この地を非常に愛し、妹背山東方の海に臨んでこの観海閣を建立したといわれています。
頼宣は、母の霊を養珠寺多宝塔に拝んだのち、この楼閣から遠く紀三井寺を遙拝したとも伝えられています。
現在でも入江に浮かぶ海苔船や、名草山の端にかかる月を眺める絶好の場所として親しまれています。
 昭和26(1951)年6月、日本観光地百選にちなんで観海閣を意匠した観光絵葉書として広く世に紹介されましたが、昭和36(1961)年9月16日の第二室戸台風により倒壊し、昭和38(1963)年に鉄筋コンクリ-ト製で再建され、現在の建物となりました。


不老橋は、片男波松原にあった東照宮御旅所の移築に際して紀州徳川家10代藩主であった徳川治宝の命(当時は第13代藩主徳川慶福〔後の家茂〕が藩主で治宝は隠居していた。)により、嘉永3年(1850)に着工し、翌4(1851)年に完成したアーチ型の石橋です。
この橋は、徳川家康を祀る東照宮の祭礼である和歌祭の時に、徳川家や東照宮関係の人々が御旅所に向かうために通行した「お成り道」に架けられたものです。
橋台のアーチ部分については、肥後熊本の石工集団の施工であり、勾欄部分については、湯浅の石工石屋忠兵衛の製作と推定されています。勾欄部分には、雲を文様化したレリーフが見られます。
江戸時代のアーチ型石橋は、九州地方以外では大変珍しく、特に勾欄部分の彫刻が優れています。


紀州東照宮は元和7(1621)年に徳川頼宣が南海道の総鎮護として創建しました。関西の日光と呼ばれ、権現造りになっています。
社殿の彫刻は日光東照宮などの彫刻でも知られる左甚五郎が作ったものが多く、狩野、土佐両派の絵なども見どころの一つです。
また、社殿に続く階段は108段あり、煩悩の数を表しています。
和歌祭といわれる神輿渡御祭が有名で、毎年5月に行われます。


ここから和歌山城にMTBで戻りましたが、足がかなり疲労しました。MTBは、ギアチェンジのフィーリングがいまいちでしたが、まずまず復活してきました。ただ、身体の方のオーバーホールが必要なようです。
ブログ一覧 | ドライブ | 日記
Posted at 2007/10/27 22:41:43

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この記事へのコメント

2007年10月27日 23:03
おっ、まさにあの銅像は「暴れん坊将軍」そのもの(笑)

城下町なんかは近い距離に多くの史跡が分散していることが多いので自転車一台あると確かに便利ですね。
さすがにウチの車には積めませんが・・・。

紀州東照宮は権現造りといいながら、どこか南国っぽいおおらかさがありますね。

身体の方のOH、頑張ってください!
コメントへの返答
2007年10月27日 23:10
吉宗の銅像は現在の「暴れん坊将軍」のイメージに近い物がありますね。
城下町は、車が駐めにくいところが多いので、自転車は重宝します。折りたたみ自転車も検討しましたが・・・学生時代から愛着のあるMTBのオーバーホールを行いました。
和歌山は町は比較的平坦ですが、紀三井寺や紀州東照宮は高台にあります。和歌浦の風景の眺望が良く、天気もまずまずだったのでなかなか楽しめました。
身体の方は・・・MTBと異なりパーツを交換するわけにはいかないので、少しずつやっていこうかと思います。(苦笑)

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