連休初日ということで、紅葉と史跡を求めて岡山、備中を目指します。
カメラは先週購入した
PowerShot G9のデビュー戦です。一眼レフのEOS30Dは単焦点20mmをつけてサブ的に使用しようと思います。
山陽道から岡山道に入り、一つ目のインター、岡山総社インターからおりてすぐの所に、
雪舟生誕の地があります。画聖雪舟は、応永27(1420)年現在の総社市赤浜で生まれました。生誕地には雪舟生誕碑、「雪舟誕生の地」と書かれた看板などが建てられています。雪舟生誕地公園を整備する計画があるようです。
長良山城は、建武3(1336)年、世瀬川左衛門入道祐隣によって築城されたと伝えられています。子孫は禰屋氏と改姓して有力国人となり、賀陽郡服部郷を治めました。
城跡は岡山県立大学南東側の南北に長い低い丘陵です。現在南側の曲輪には石鎚神社があり、北側の曲輪には八幡神社(写真上)が建てられています。八幡神社の北西側には石垣が残っているとのことで探しましたがよくわかりませんでした。
冠山城は、南北朝時代、河津左衛門尉氏明の築城と伝えられています。
戦国時代は、宮路山城・冠山城・高松城・加茂城・ 日幡城・庭瀬城・松島城と共に備中境目七城に数えられました。
天正10(1582)年4月17日、冠山城は、羽柴秀吉の織田軍二万、宇喜多勢一万に囲まれました。一方冠山城は城主林三郎左衛門、祢屋七郎兵衛、松田左衛門尉、鳥越左兵衛、竹井将監、舟木與五郎、難波惣四郎、岩田太郎兵衛、権寂和尚、祢屋與七郎、佐野和泉守、守屋新之丞、祢屋孫一郎、庄九郎、秋山新四郎など三百騎、総勢三千六百人が守り、羽柴秀吉の旗本杉原七郎左衛門、宇喜多忠家らと戦いました。
激しい戦いが繰り広げられましたが、4月25日不幸にして城内より出火し、大混乱となり城主林三郎左衛門は自害し、落城しました。竹井将監、鳥越左兵衛、秋山新四郎、舟木與五郎、難波惣四郎、権寂和尚など将兵百三十九人は自刃或いは壮烈な戦死を遂げました。加藤清正は一番槍で、竹井将監も清正と一騎打ちで戦死したそうです。
城跡には、主郭部に「冠山合戦戦死将兵慰霊碑」が建立されています。
そして、この日のお目当ての一つ
鬼ノ城です。
鬼ノ城は吉備高原の南端に位置し、標高約400mの鬼城山に築かれています。古代吉備の中心地であった総社平野や児島半島、四国山脈も遠望できる場所です。
天智天皇2(663)年、唐・新羅連合軍に白村江の戦いに敗れた大和政権は、侵攻に備え西日本の要所に大野城をはじめとする朝鮮式山城を築城したと日本書紀に記されています。また、記録にはありませんが、朝鮮式山城と同種遺跡の古代山城(神籠石系山城)が16城あり、鬼ノ城もその一つと考えられています。ただしまだまだ未判明のことも多く、今後の調査が待たれます。
城壁は長さ2.8km、城門4箇所、水門6箇所、角楼1箇所、高石垣などにより構成されています。城壁の内外には敷石が敷かれています。
その他城内には倉庫と考えられている礎石建物跡、溜井(水くみ場)、のろし場なども発見されています。
昭和61(1986)年に国の史跡に指定されています。平成13(2001)年から総社市が史跡整備を行っており、西門や角楼、版築土塁(一部)、北門などが整備されています。
平成18(2006)年、日本100名城に選定されました。
復元された西門と総社平野です。
礎石建物跡。現在も発掘調査中であちこちにブルーシートが。
北門。
石碑が建っています。
屏風折れの石垣。
南門
学習広場からの眺め。西門など鬼ノ城全域と総社平野の眺望が素晴らしいです。
ある程度の標高まで車で登るので、山城といってもさほど歩いて登らずには済みます。結構広くて見応えがありました。もちろん見学の時間もそれなりにかかります。
近くの大内義隆が築城した経山城なども行きたかったのですが、他の予定もあるので、次へ向かいます。
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ドライブ | 日記
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2007/11/24 22:50:17