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ピズモのブログ一覧

2016年10月08日 イイね!

「日本のいちばん長い日」に登場する下村宏(海南)の邸宅跡・海南荘跡

平成27(2015)年に上映された「日本のいちばん長い日」。昭和天皇や閣僚たちが御前会議において降伏を決定した昭和20(1945)年8月14日の正午から宮城事件、そして国民に対してラジオ(日本放送協会)の玉音放送を通じてポツダム宣言の受諾を知らせる8月15日正午までの24時間を描いていた映画です。情報局総裁として下村宏という人が登場しました。玉音放送実現に向けて尽力し、天皇の聖断が吹き込まれた玉音盤を守り抜いた人ですが、西宮市に邸宅を構えていました。苦楽園四番町公園に下村宏(海南)の碑が立っています。
下村海南は、大正から昭和前期にかけての新聞人、官僚です。
また、佐々木信綱門下の歌人、随筆家です。台湾総督府民政長官を経て、大正10(1921)年、朝日新聞社に入社しました。我が国の新聞の近代化に多大の功績を残しました。後、貴族院議員、日本放送協会会長を歴任しました。昭和20(1945)年、国務大臣兼情報局総裁として、第二次世界大戦の終結に尽力したことで知られています。昭和32(1957)年12月9日、82歳で亡くなりました。
海南は、故郷の和歌山を見晴らすこの地をこよなく愛し、大正10(1921)年、この宏大な土地に邸宅を構え、「海南荘」と称し、約15年間ここに住みました。その間、佐々木信綱や川田順、九条武子、中村憲吉、土岐善麿など多くの歌人や文化人を招いて、歌会や各種集会を催し、苦楽園に文化の華を咲かせました。
この歌碑は、海南が東京へ転居したあと海南荘を買い取った堀抜義太郎氏によって昭和12(1937)年に海南荘の庭内に建てられたものです。碑には海南自筆の歌が刻まれています。
眼ざむれば 松の下草刈る鎌の 音さやに聞ゆ 日和なるらし
海南荘はその後、昭和28(1953)年3月、大阪市交通局保険組合苦楽山荘として使われ、平成7(1995)年1月に阪神・淡路大震災により休止、平成12(2000)年3月閉鎖されました。平成17(2005)年には売却され、現在は苦楽園四番町公園の中に歌碑や説明板が立っています。
また、苦楽園四番町公園には、徳川大坂城六甲採石場の石が展示されています。ここにある石は、分銅形刻印が刻まれており、出雲松江23万5千石を領地とする堀尾家(堀尾山城守忠晴)のもので、松江城石垣にも見いだせる刻印です。
海南荘跡(苦楽園四番町公園) - 01
海南荘跡(苦楽園四番町公園) - 01 posted by (C)pismo

海南荘跡(苦楽園四番町公園) - 02
海南荘跡(苦楽園四番町公園) - 02 posted by (C)pismo

海南荘跡(苦楽園四番町公園) - 03
海南荘跡(苦楽園四番町公園) - 03 posted by (C)pismo

海南荘跡(苦楽園四番町公園) - 04
海南荘跡(苦楽園四番町公園) - 04 posted by (C)pismo
Posted at 2016/11/24 22:06:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | 歴史・城 | 日記
2014年02月22日 イイね!

大阪散歩

この日はレガシィの12ヶ月点検。車を預けて、大阪へ買い物に出かけるついでに、少しだけ歴史散歩を。

崇禅寺は山号は凌雲山、曹洞宗の寺院です。
天平年間(729~748年)に法相宗の行基によって創建されたと伝えられています。
嘉吉元(1441)年、室町幕府6代将軍足利義教は嘉吉の乱で赤松満祐に暗殺され、義教の首級を携えて播磨へ下る途中に崇禅寺森の観音堂付近にその首を埋めました。
翌年、幕府はその地に菩提を弔うため、細川持賢に崇禅寺を再興させ、曹洞宗の寺院となり細川家の菩提寺となりました。
その後、文明15(1483)年に焼失し、慶安年間に再建されました。
明治2(1869)年には摂津県の県庁が置かれました。
昭和20(1945)年6月7日、大阪大空襲により焼失し、現在の伽藍は平成元(1989)年に再建されたものです。
境内には「細川ガラシャの墓」があります。
ガラシャは細川忠興の妻で、慶長5(1600年)に家康に従って奥州の上杉攻めに参加し、その留守を見計らって石田三成が挙兵し、妻子を人質として大坂城に入城するように促しましたが、ガラシャはそれを堅く拒み、火の付いた屋敷内で37年の生涯を終えました。宣教師オルガンチノは細川屋敷跡からガラシャや殉死者の遺骨を拾い、細川家にゆかりのある崇禅寺に運びました。
ガラシヤの墓は無地の五輪塔で「秀林院細川玉子之墓」の石標が建っています。周りには6つの墓石があり、これは殉死者のものといわれています。足利義教の墓とならんでいます。その他、崇禅寺馬場の敵討で反り討ちにあった遠城兄弟の墓があります。
崇禅寺 - 1
崇禅寺 - 1 posted by (C)pismo

崇禅寺 - 2
崇禅寺 - 2 posted by (C)pismo

崇禅寺 - 3
崇禅寺 - 3 posted by (C)pismo

崇禅寺 - 4
崇禅寺 - 4 posted by (C)pismo

崇禅寺 - 5
崇禅寺 - 5 posted by (C)pismo

中島惣社は、白雉2(651)年孝徳天皇が豊崎宮に遷都された際、五穀豊穣を祈願され神領を賜わりました。
宇賀御魂神、受保大神、大市比賣神が主祭神です。
大阪の陣で片桐且元の茨木街道沿いの兵火で社殿は消失し、わずかに絵図と建武2(1335年)年に奉納された中島惣社と記した木額だけが残りました。
豊臣秀頼の崇敬厚く、「中嶋総社」の四字を記した絹地一通を寄進しています。昭和20(1945)年6月の大阪大空襲で焼失し、昭和42(1967)年に再建されました。
中島惣社 - 1
中島惣社 - 1 posted by (C)pismo

この後は、天王寺区へ行きました。
吉祥寺は山号は万松山、曹洞宗の寺院です。
寛永7(1630)年創建されました。
赤穂藩藩主浅野家の祈願所であり、藩主長矩公は江戸参勤の途中必ず立ち寄って休息したと言われています。
足軽の寺坂吉右衛門が46士の遺髪、遺爪、鎖かたびら等に銀10両を添えて義士の冥福を祈る碑を建ててくれるよう吉祥寺に依頼したため、境内には赤穂浪士の墓があります。
大正5(1916)年、失火により全焼し、大正14(1925)年に再建されましたが、昭和20(1945)年、空襲により壊滅的被害を受け、赤穂浪士の墓を残して全焼しました。
毎年12月14日に「義士祭」が行われます。山門をくぐると大石内蔵助の石像が鎮座し、境内には四十七義士の墓と、四十七義士石像があります。
壁がなんと、赤穂浪士の討ち入りの際の火事場装束のだんだら袖の模様になっているのにはびっくりしました。
吉祥寺  - 01
吉祥寺 - 01 posted by (C)pismo

吉祥寺  - 02
吉祥寺 - 02 posted by (C)pismo

吉祥寺  - 03
吉祥寺 - 03 posted by (C)pismo

吉祥寺  - 04
吉祥寺 - 04 posted by (C)pismo

吉祥寺  - 05
吉祥寺 - 05 posted by (C)pismo

吉祥寺  - 06
吉祥寺 - 06 posted by (C)pismo

吉祥寺  - 07
吉祥寺 - 07 posted by (C)pismo

吉祥寺  - 08
吉祥寺 - 08 posted by (C)pismo

あべのハルカス。この日は近鉄百貨店が全面オープンでした。
あべのハルカス
あべのハルカス posted by (C)pismo
Posted at 2014/03/06 21:58:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | 歴史・城 | 日記
2012年12月24日 イイね!

日本城郭検定 結果通知

日本城郭検定 結果通知先日受験した日本城郭検定でしたが、この日無事合格通知が届きました。
2級が92点/100点、3級が99点/100点でした。3級は少し悔しいです。まだ勉強不足の部分があるので、今後益々精進したいと思います。

Posted at 2013/01/01 22:14:28 | コメント(1) | トラックバック(0) | 歴史・城 | 日記
2012年11月11日 イイね!

日本城郭検定(日本100名城編)を受験

日本城郭検定(日本100名城編)を受験この日は、大阪市の阪神電気鉄道千船駅近くにある修成建設専門学校というところに日本城郭検定 日本100名城編を受験しに行ってきました。
検定がブームだそうですが、私はこの手の検定は初めてです。
5択問題の100問の形式。2級と3級があるので私は併願しました。
写真は受験に使用した問題集です。あまり勉強していませんが・・・
Posted at 2013/01/01 22:06:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | 歴史・城 | 日記
2012年09月29日 イイね!

六甲山ハイキング(鷹尾城、荒地山、六甲山、有馬四十八滝、落葉山城)

この日は、六甲山ハイキング。
史跡めぐりも忘れずに行程に組み込みました。
芦屋川から、鷹尾城、荒地山を通り、魚屋道から六甲最高峰へ向かいます。

鷹尾城は、永正8(1511)年、瓦林政頼により築城されました。
瓦林政頼は細川高国に仕えていた武将でした。
細川家では高国と澄元との争いが勃発していたため、阿波から細川澄元が京へと攻め上るルートを押える為に瓦林正頼がこの地に城を構えたといわれています。
永正8(1511)年7月26日、瓦林正頼は芦屋河原の合戦で勝利を収め、寄せ手の細川尚春を置塩城へ敗走せしめましたが、置塩城の赤松義村が大軍を率いて鷹尾城を取り巻いたため、政頼は敗れ伊丹城へと逃げ延びました。
その後、細川高国が澄元を再び阿波へと押しやり赤松勢を播磨へ追い返した為、鷹尾城は再び政頼の手に戻りました。その後、城の修復を行うとともに、越水城を完成させました。
越水城の完成後はこれを本城とし、鷹尾城は家臣の鈴木与次郎に守らせました。その後永禄11(1568)年に越水城が落城したと同時期に鷹尾城も廃城となったものと考えられています。
標高262.1mの城山が鷹尾城跡です。その後ろの標高271.8mの鷹尾山には城の遺構はないようです。ハイキングコースになっており、芦屋川駅から登っていきます。その背後を更に進むと、岩梯子を経由して荒地山に到達します。

鷹尾城 - 01
鷹尾城 - 01 posted by (C)pismo

鷹尾城 - 02
鷹尾城 - 02 posted by (C)pismo

鷹尾城 - 03
鷹尾城 - 03 posted by (C)pismo

鷹尾城 - 04
鷹尾城 - 04 posted by (C)pismo

鷹尾城 - 05
鷹尾城 - 05 posted by (C)pismo

鷹尾城 - 06
鷹尾城 - 06 posted by (C)pismo

鷹尾城 - 07
鷹尾城 - 07 posted by (C)pismo

鷹尾城 - 08
鷹尾城 - 08 posted by (C)pismo

鷹尾城 - 09
鷹尾城 - 09 posted by (C)pismo

鷹尾城 - 10
鷹尾城 - 10 posted by (C)pismo

鷹尾城 - 11
鷹尾城 - 11 posted by (C)pismo

岩梯子・七右衛門嵒 - 01
岩梯子・七右衛門嵒 - 01 posted by (C)pismo

岩梯子・七右衛門嵒 - 02
岩梯子・七右衛門嵒 - 02 posted by (C)pismo

岩梯子・七右衛門嵒 - 03
岩梯子・七右衛門嵒 - 03 posted by (C)pismo

岩梯子・七右衛門嵒 - 04
岩梯子・七右衛門嵒 - 04 posted by (C)pismo

荒地山 - 1
荒地山 - 1 posted by (C)pismo

荒地山 - 2
荒地山 - 2 posted by (C)pismo

六甲最高峰からは、経験者向けの白石谷から有馬四十八滝巡りです。
白石谷 - 1
白石谷 - 1 posted by (C)pismo

白石谷 - 2
白石谷 - 2 posted by (C)pismo

白竜滝 - 1
白竜滝 - 1 posted by (C)pismo

白竜滝 - 2
白竜滝 - 2 posted by (C)pismo

白竜滝 - 3
白竜滝 - 3 posted by (C)pismo

白竜滝 - 4
白竜滝 - 4 posted by (C)pismo

白石滝 - 1
白石滝 - 1 posted by (C)pismo

白石滝 - 2
白石滝 - 2 posted by (C)pismo

白石滝 - 3
白石滝 - 3 posted by (C)pismo

鼓ヶ滝 - 1
鼓ヶ滝 - 1 posted by (C)pismo

有馬温泉に到着しましたが、ここから有馬三山の一つで落葉山城があった落葉山に登りました。
落葉山城(有馬城)が築城された時期、築城者は不明です。
南朝方の湯山左衛門三郎の居城だったそうです。
天文8(1539)年、摂津から勢力を拡大してきていた落葉山城に居城していた三好政長は、丹波や播磨への進出も目論んでいました。それを聞き及んだ三木城城主別所豊後守家直は「湯山合戦」で落葉山城を攻撃し、三好氏を撤退させました。
その後は有馬民部少輔村秀の支配下となりますが、天正7(1579)年、織田信忠軍の前に開城し、廃城となりました。現在は、日蓮宗の妙見寺となっています。
妙見寺は、鎌倉時代基真言宗金杖山金剛寺を法ヶ宗(現日蓮宗)に改修されました。本尊の福徳開運北辰妙見大菩薩尊像は後小松天皇の勅願にて、三代将軍足利義満が捧持していました。
明治39(1906)年愛宕山の麗より落葉山の山頂に移されました。

落葉山城(妙見寺) - 01
落葉山城(妙見寺) - 01 posted by (C)pismo

落葉山城(妙見寺) - 02
落葉山城(妙見寺) - 02 posted by (C)pismo

落葉山城(妙見寺) - 03
落葉山城(妙見寺) - 03 posted by (C)pismo

落葉山城(妙見寺) - 04
落葉山城(妙見寺) - 04 posted by (C)pismo

落葉山城(妙見寺) - 05
落葉山城(妙見寺) - 05 posted by (C)pismo

落葉山城(妙見寺) - 06
落葉山城(妙見寺) - 06 posted by (C)pismo
Posted at 2012/10/29 22:42:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | 歴史・城 | 日記

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