この日は、以前から訪れてみたかった「酷道」308号・暗峠奈良街道をハイキングしてみました。
暗峠は、奈良県生駒市と東大阪市東豊浦町との境にある峠で、現在は国道308号、重複して大阪府道・奈良県道702号大阪枚岡奈良線に指定されています。
国道とはいえ急勾配の道路で、また峠の頂上付近の幅員はかなり狭いため「酷道」とも揶揄され自家用車での走行はかなり困難です。
河内平野を横切り、生駒山地を越えて大阪と奈良側をむすぶ街道としては、北から中垣内(古堤街道)、暗越(奈良街道)、十三峠越(十三街道)、亀ノ瀬越(北八尾街道)などがあり、これらとは別に枝道としていく本もの山越えの道が古くからありました。
このなかで、生駒山頂の南側の鞍部である暗峠(標高455m)を越える暗越奈良街道は、大坂と奈良間を最短距離でつなぐ八里八町(約34km)の道です。
暗峠の名は、最初、鞍のような嶺ということで、鞍ヶ嶺峠と呼ばれていましたが、松や杉が繁り峠付近を暗くしていましたので、いつの間にか「暗峠」と呼ばれるようになりました。又、辺りの山を小椋山と称し、椋ヶ嶺が訛って「くらがり」になったとも伝えられています。
日下の直越の道とともに奈良時代以前から利用されてきた古道の一つですが、江戸時代に入って本街道ではなく脇往還としてさかんに利用され、旅客・貨物の重要な交通路となりました。
この街道の難所である「暗峠」には石畳が敷かれ、「河内名所図会」〔享和元(1801)年刊〕に描かれているように、「河内屋」「油屋」など20軒近くの茶店や旅籠があり、伊勢参りの人々でにぎわいをみせました。
石畳は大和郡山藩柳沢家の本陣がここにあり「行列がぬからないように敷かれた」とされています。
芭蕉は元禄7(1694)年9月9日に奈良から大坂に来るとき、暗峠を越えた際「菊の香に くらがり登る 節句かな」と詠みました。そして、10月12日に大坂で「旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る」の句を残し亡くなりました。
峠付近は石畳と石仏・道しるべ・石燈籠などがのこり、説明板の横にも「和州矢田山出迎地蔵尊」と刻む万延元(1860)年の道しるべ、磨滅した文政10年代(1827〜1830)の「おかげ燈籠」があります。(現地説明板などより)
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左の「狭いコンクリートの道」が酷道308号です。
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Posted at 2013/03/24 23:24:48 | |
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