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ピズモのブログ一覧

2007年11月09日 イイね!

本能寺から東山慈照寺(銀閣寺)へ

東寺周辺から次は本能寺へ行きました。
本能寺は法華宗本門流の寺院です。応永22年(1451)、日隆が油小路に創建したのが始まりです。当初は本応寺といいました。その後、上京へ、六角へと移転をつづけ、天文年間、四条西洞院に伏見宮第5代那高親王の子日承上人が大伽藍を造営しました。寺域は広大で、織田信長は日承に帰依したこともあり上洛中の宿舎としていました。
天正10(1582)年、日本の戦国史を変えたの本能寺の変の舞台になり、堂宇を焼失しました。その10年後の天正20(1592)年、豊臣秀吉の命により現在地に移されました。
江戸時代も大寺院として栄えましたが、天明8(1788)年の大火と、元治元(1864)年の禁門の変により、堂于を焼失しました。
境内には織田信長の三男、織田信孝が建立した「信長公廟」や、森蘭丸など本能寺の変の戦死者の供養塔があります。


また、境内には、本能寺大寶殿宝物館があります。本能寺の寺宝を展示する宝物館です。
織田信長公愛用の品々、狩野派の絵画などを展示しています。特に、本能寺の変の際に鳴きだしたといわれる「三足の蛙」の香炉は必見です。
「三足の蛙」の香炉を模した文鎮のお土産も販売していました。(写真下)


本能寺の後は、慈照寺(銀閣寺)に行きました。銀閣寺は俗称で正式には東山慈照寺といい、臨済宗相国寺の境外塔頭です。
室町幕府8代将軍足利義政によって造営された山荘東山殿がそのルーツです。延徳2(1490)年に死去した義政の菩提を弔うため、東山殿を寺に改めました。
銀閣寺と呼ばれるようになったのは江戸時代で、三代将軍足利義満により造営された山荘北山殿の金閣寺に対し、銀閣寺と称せられるようになりました。
昭和27(1952)年に特別史跡及び特別名勝に指定され、平成6(1994)年に「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されています。
銀閣寺の俗称のとおり象徴とされる銀閣(観音殿)のみならず、銀閣寺垣と呼ばれる竹垣で囲まれた参道、西芳寺(苔寺)を模したと言われる庭園、東山どの造営東寺の遺構として存在する東求堂、その中の四畳半書院の同仁斎、江戸時代に建てられた方丈(本堂)など落ち着いたたたずまいが魅力の寺院です。

















まだ本格的な紅葉には少し早いですが、多くの観光客が銀閣寺を訪れていました。
人が写らないように写真を撮るのは少々困難です。波紋を砂で表現した銀沙灘もアップしたかったのですが、人が大勢写っていたのでやめました。
また、一人で来られる若い女性の姿が多かったのも印象的でした。
銀閣寺の近くの法然院も入ってみたかったのですが、ここで時間切れと言うことでこの日はここまでで切り上げました。訪問した名所は少なかったですが、一つ一つの訪問場所をゆっくり見ることができて、なかなか充実感のある一日でした。
Posted at 2007/11/15 00:20:29 | コメント(2) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2007年11月09日 イイね!

東寺と東寺の塔頭、観智院

狩野永徳展の後は、東寺を訪れました。
東寺は、延暦13(794)年桓武天皇の平安京遷都の折り、国家鎮護のために、羅城門の左右に築かれた東西両寺の一つです。弘仁14(823)年、建立の最中に空海に下賜され真言密教の根本道場とされ、寺号も「教王護国寺」と称されるようになりました。
伽藍配置は奈良時代の寺院建築形式で、南大門・金堂・講堂・食堂・北大門が一直線に並び、南大門の東に五重塔、西に潅頂院、その北に空仏像、空海の遺品など多くの文化財が保存されています。
金堂は豊臣秀頼の再建で、五重塔は徳川家光が再建したものです。五重塔は京都のシンボルとなっている塔で、高さ54.8メートルの木造塔としては日本一の高さを誇ります。
平成6(1994)年、12月「古都京都の文化財」として、「世界遺産条約」に基づく世界文化遺産に登録されました。

講堂


金堂








東寺の塔頭、観智院です。
東寺一山の勧学院で所蔵する密教聖教の量と質では我が国最高といわれています。
鎌倉時代に、後宇多法皇が徳治3(1308)年に東寺に帰依され、西院(御影堂)にこもって真言教学の研鑽に努められ、東寺興隆を発願されました。
この頃の東寺は、西院の弘法大師像を中心に新たな出発をしており、頼宝、杲宝(こうほう)、亮禅という真言界でも傑出した学僧を輩出しました。
中でも杲宝は随一といわれ、晩年観智院を創建して東寺教学の基礎を築きました。
江戸時代の宗教政策の中で、徳川家康は黒印状をもって観智院を真言一宗の勧学院と定めましたが、それはひとえにこの寺の伝統とその聖教典籍の価値が広く認められたためです。
本尊の五大虚空蔵菩薩は、晩唐期のもので重要文化財に指定されています。客殿は豊臣秀吉夫人、北政所が寄進したもので国宝です。桃山時代の書院造りで、当時の住宅建築として貴重な存在です。
床の間には二羽の鷲、襖には「竹林の図」が描かれていて、ともに宮本武蔵筆と伝えられています。客殿前の庭は、五大の庭といい、弘法大師が唐から船で帰国するときのさまを表現しています。
右側の築山が唐の長安、越州を現し、中央に遣唐船とこれを守護する竜神、神亀、鯱を表現し、左側の築山は帰国する日本を現し、無事帰還される構成です。
通常は非公開の寺ですが、毎年、春と秋に特別公開されています。

五大の庭です。








そして、少しばかり近所を散歩しました。
羅城門跡です。
羅城門が建てられていたこの地は、平安京の正面で、都の中央を貫通する「朱雀大路」(今の千本通にあたる)と、九条通との交差点でした。
門は、二層からなり瓦葺き、屋根の棟には鴟尾が金色に輝いていました。
正面十丈六尺(約32メートル)、奥行二丈六尺(約8メートル)内側、外四側とも五段の石段があり、その外側に石橋がありました。
嘉承3(1107)年正月、山陰地方に源義親を討伐した平正盛は、京中男女の盛大な歓迎の中をこの門から威風堂々と帰還していましたが、この門は、平安京の正面玄関であるとともに、凱旋門でもあったわけです。
しかし、平安時代の中後期、右京の衰え、社会の乱れとともに、この門も次第に荒廃し、盗賊のすみかとなり、数々の奇談を生みました。
その話に取材した芥川龍之介の小説による映画「羅生門」は、この門の名を世界的に有名としたが、今は礎石もなく、わずかに明治28(1895)年建立の標石を残すのみです。


そして、少しばかり近所を散歩しました。
西寺は、平安京が遷都されてからのすぐ廷暦15(796)年頃から、平安京の入口にあたる羅城門の西側に東寺(教王護国寺)と対称に造営された官寺です。
金堂、講堂(屋根には緑釉瓦が葺かれていた)を中心として南大門、中門、五重塔、僧房、食堂など主要な建物が立ち並び、国家の寺として隆盛を誇っていました。しかし、西寺は東寺に比べて早くから衰え、天福元(1233)年には塔も焼失し、以降は再興せれることなく地中に埋もれてしまいました。近年、数多くの発掘調査が実施されて、主要な建物跡が次々と確認され、一辺が22mもある市内でも最大の井戸跡が検出されています。
寺域は、東西二町(約250m)南北四町(約510m)を有し、主要伽藍跡は現在の唐橋小学校と西寺児童公園(講堂跡が公園中央に土塁として残る)の下にあり、伽藍中心部は国の史跡に指定されています。
西寺は、平安時代の寺院を研究するうえで重要なだけでなく、東寺とともに平安京を復原するうえでたいへん貴重な遺構です。
写真は西寺児童公園の土塁上に建てられた石碑です。


この後は本能寺に行くことにしました。
Posted at 2007/11/13 23:04:56 | コメント(2) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2007年11月09日 イイね!

京都国立博物館「狩野永徳展」

京都国立博物館「狩野永徳展」この日は京都国立博物館の「狩野永徳展」を訪れました。
先週の「正倉院展」の失敗に懲りて、開館30分前の9時に到着し、開館を待ちました。
やはり目的は米沢の上杉博物館所蔵の「洛中洛外図屏風」です。
NHKの「その時歴史が動いた」で、御所に参内するため上杉謙信が輿に乗っている姿が描かれているということで、必死に捜しました。なんとか見つけることができて良かったです。
その他も名品の数々が展示していました。正倉院展に負けず劣らず人は多く、日中は1時間30分ほど入場待ちが平日でもあるとのことですが、タイミングを見つけて、見たい物を絞っていくと楽しめると思います。
その他は「織田信長像」「大友宗麟像」「細川昭元夫人像(織田信長の妹お犬の方)」などが印象に残りました。
Posted at 2007/11/12 23:10:11 | コメント(2) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記

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