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ピズモのブログ一覧

2009年04月11日 イイね!

吹屋ふるさと村

次は吹屋のベンガラで彩られた古い街並みを見に行きました。以前に訪れた時は大雨でしたので、ゆっくりと写真を撮影する余裕がありませんでした。

最初に広兼邸を訪れました。

享和、文化の頃(1800年頃)小泉銅山とローハ(硫酸鉄)の製造を営み、巨大な富を築いた大野呂の庄屋・広兼家二代目の元治が建てた邸宅です。
楼門づくりで城郭にも劣らない堂々たる石垣が見事です。
広兼邸 - 1
広兼邸 - 1 posted by (C)pismo

広兼邸 - 2
広兼邸 - 2 posted by (C)pismo

広兼邸 - 3
広兼邸 - 3 posted by (C)pismo

広兼邸 - 4
広兼邸 - 4 posted by (C)pismo

広兼邸 - 5
広兼邸 - 5 posted by (C)pismo

広兼邸 - 6
広兼邸 - 6 posted by (C)pismo
次はふるさと村の中心部へ。ベンガラ色に統一された古い街並みが見事に保存されています。

吹屋ふるさと村 - 01
吹屋ふるさと村 - 01 posted by (C)pismo

吹屋ふるさと村 - 02
吹屋ふるさと村 - 02 posted by (C)pismo

吹屋ふるさと村 - 03
吹屋ふるさと村 - 03 posted by (C)pismo

吹屋ふるさと村 - 04
吹屋ふるさと村 - 04 posted by (C)pismo

吹屋ふるさと村 - 05
吹屋ふるさと村 - 05 posted by (C)pismo

吹屋ふるさと村 - 06
吹屋ふるさと村 - 06 posted by (C)pismo

吹屋ふるさと村 - 07
吹屋ふるさと村 - 07 posted by (C)pismo

吹屋小学校
吹屋小学校
吹屋小学校 posted by (C)pismo

最後に久世トンネル桜を見に行きました。真庭市の旧久世町(くせちょう)は江戸時代は天領として栄えた町です。
久世の市街地中心をを流れる旭川の南岸にはソメイヨシノが堤防道路を覆い尽くすように枝を広げ、約760mにわたる桜のトンネルとなっています。久世代官として善政を布いたことで知られる早川八郎左衛門正紀公が桜を植樹したのがその始まりと伝えられています。
シーズンには天領くせ桜まつりが開催されて多くの人出賑わいます。夜には160基のぼんぼりがほのかな灯りでライトアップします。
天領くせ桜まつり - 01
天領くせ桜まつり - 01 posted by (C)pismo

天領くせ桜まつり - 02
天領くせ桜まつり - 02 posted by (C)pismo

天領くせ桜まつり - 03
天領くせ桜まつり - 03 posted by (C)pismo

Posted at 2009/05/05 18:44:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2009年04月11日 イイね!

春の高梁城下町の風景

大佐の次は、高梁市を訪れました。何度か訪れているところですが、春の風景を見るのは初めてです。

備中松山城です。

備中松山城 - 01
備中松山城 - 01 posted by (C)pismo

備中松山城 - 02
備中松山城 - 02 posted by (C)pismo

備中松山城 - 03
備中松山城 - 03 posted by (C)pismo

備中松山城 - 04
備中松山城 - 04 posted by (C)pismo

備中松山城 - 05
備中松山城 - 05 posted by (C)pismo

紺屋川美観地区です。散り始めですが、城下町の風景と桜がきれいです。

紺屋川美観地区 - 01
紺屋川美観地区 - 01 posted by (C)pismo

紺屋川美観地区 - 02
紺屋川美観地区 - 02 posted by (C)pismo

紺屋川美観地区 - 11
紺屋川美観地区 - 11 posted by (C)pismo

頼久寺は臨済宗永源寺派の寺院です。。
正確には天柱山安国頼久寺といい足利尊氏が各地に建てた安国寺の一つです。
備中松山城主、上野頼久公にちなんでこの名があります。
小堀遠州作の蓬莱式枯山水庭園が見事な寺です。慶長5(1600)年、関ヶ原の戦いで東軍に味方した小堀正次が備中松山城主となりましたが、その後政一(遠州)が跡を継ぎました。備中松山城がこの時代荒廃していたため、頼久寺を居館としていたそうです。庭園はこの時期に遠州が整備しました。
境内には上野頼久、三村家親、元親の墓があります。
頼久寺 - 01
頼久寺 - 01 posted by (C)pismo

頼久寺 - 02
頼久寺 - 02 posted by (C)pismo

頼久寺 - 03
頼久寺 - 03 posted by (C)pismo

頼久寺 - 04
頼久寺 - 04 posted by (C)pismo

頼久寺 - 05
頼久寺 - 05 posted by (C)pismo

頼久寺 - 06
頼久寺 - 06 posted by (C)pismo

石火矢町ふるさと村・武家屋敷街です。

石火矢町ふるさと村・武家屋敷街 - 01
石火矢町ふるさと村・武家屋敷街 - 01 posted by (C)pismo

石火矢町ふるさと村・武家屋敷街 - 02
石火矢町ふるさと村・武家屋敷街 - 02 posted by (C)pismo

商人町だった本町の風景です。
高梁 本町地区 - 1
高梁 本町地区 - 1 posted by (C)pismo

高梁 本町地区 - 2
高梁 本町地区 - 2 posted by (C)pismo


Posted at 2009/05/05 16:58:53 | コメント(2) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2009年04月11日 イイね!

新見市(旧大佐町)に残る山田方谷の史跡

醍醐桜など桜を満喫した後は、大佐町、現在は合併して新見市になっていますが、幕末の老中板倉勝静に仕えた有名な儒学者山田方谷ゆかりの史跡を訪れてみました。
山田方谷に関心を持ったのは越後長岡藩家老河井継之助を描いた司馬遼太郎の小説「峠」で山田方谷についてかなり詳しく取り上げていたので興味を持ちました。

方谷庵は幕末の政治家、学者教育者で備中聖人と呼ばれた山田方谷(1805~1877)が明治5(1872)年に外祖父母の霊を弔うため、母の生家西谷家の菩提寺である金剛寺境内に建立したものです。
外祖父母の位牌を祀る仏間(三畳)と炉のある床の間(三畳)を中心とした平屋建、切妻造、桟瓦葺(もと柿葺)の簡素な茶室風の建物で正しくは継志祠堂と呼ばれています。
山田方谷は、文化2(1805)年に阿賀群西方村(現高梁市)に生まれ新見の儒者丸川松隠に学んだのち、備中松山藩に召出され、藩校有終館の会頭・学頭として子弟の教育に当たりました。
嘉永2 (1849)年藩主板倉勝静の信任を得て藩政改革を進め藩財政の立直しに貢献し、また勝静が幕府老中首座のときそれを援けて活躍しました。
明治維新後は小阪部に隠棲し、小阪部塾を開いて子弟の教育に当たるとともに、しばしば当庵を訪れ、祖先の霊を弔って晩年を過しました。
方谷庵
方谷庵 posted by (C)pismo

山田方谷記念館は、幕末の儒学者の山田方谷の母の出身地で、方谷自身が晩年を過ごした大佐小阪部の地に偉業を伝える資料館として平成16(2004)年にオープンしました。方谷山田先生遺蹟碑拓本複製や、大政奉還上奏文の草案、書などの展示やビデオコーナーなどがあります。 
山田方谷記念館 - 1
山田方谷記念館 - 1 posted by (C)pismo

山田方谷記念館 - 2
山田方谷記念館 - 2 posted by (C)pismo

方谷園は、幕末備中松山藩に仕えた儒学者山田方谷が、明治3(1870)年、水谷氏の小阪部陣屋に私塾を開いた場所です。
園内にある「方谷山田先生遺蹟碑」は勝安房(勝海舟)による題字、三島中洲の撰文、筆は金井之恭によるもので、石碑は明治29(1896)年12月、小阪部塾で方谷が息を引き取った時、枕のあった地点に建てられたもので、大正12(1923)年、方谷園として開園式が行われました。
方谷園(小阪部陣屋) - 1
方谷園(小阪部陣屋) - 1 posted by (C)pismo

方谷園(小阪部陣屋) - 2
方谷園(小阪部陣屋) - 2 posted by (C)pismo

小阪部知行所〔小阪部陣屋〕は、寛文4(1664)年7月、水谷新右衛門勝能は、2千石で分家し、知行所を構えました。
勝能は備中松山藩主水谷勝隆の次男で、勝隆の死後水谷勝宗が跡を継ぎましたが、勝隆の遺領の中から小阪部村、永富村、千谷村及び小南村を与えられました。後には長男勝阜(かつおか)に千7百石、次男勝睦(かつちか)に小南村3百石を分与しましたが、両家とも幕末まで続きました。
藩主は江戸住まいで、代官を派遣して統治していたそうです。
敷地は方谷園の付近で、方谷園の中に石碑と説明看板が建っています。
方谷園(小阪部陣屋) - 3
方谷園(小阪部陣屋) - 3 posted by (C)pismo

次は高梁市へ向かいます。
Posted at 2009/04/30 21:50:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2009年04月11日 イイね!

醍醐桜と岩井畝の大桜など

この日は、4年前に訪れた醍醐桜を再訪しました。
前回は、開花に早く蕾の状態でしたので、開花した状態を見るための再訪です。
朝早く到着したにもかかわらず、醍醐桜の周辺は渋滞していました。道が狭く、路上駐車していた車が原因の渋滞のようです。
到着すると満開の状態でした。来てみて良かったです。
醍醐桜の種類はヒガンザクラの一種アズマヒガンで、元弘2(1332)年、後醍醐天皇が隠岐配流の際、この桜を見て賞賛したといわれこの名がつきました。
樹齢について文献では700年が多いですが、地元の説では1000年とされています。
毎年、4月上旬から中旬頃に、見事な華を咲かせ、大勢の観光客が訪れます。
平成15(2003)年の大河ドラマ「武蔵MUSASHI」では岡山県内最初のロケ地になりました。
醍醐桜 - 01
醍醐桜 - 01 posted by (C)pismo

醍醐桜 - 02
醍醐桜 - 02 posted by (C)pismo

醍醐桜 - 03
醍醐桜 - 03 posted by (C)pismo

醍醐桜 - 04
醍醐桜 - 04 posted by (C)pismo

醍醐桜 - 05
醍醐桜 - 05 posted by (C)pismo

醍醐桜 - 06
醍醐桜 - 06 posted by (C)pismo

醍醐桜 - 07
醍醐桜 - 07 posted by (C)pismo

醍醐桜 - 08
醍醐桜 - 08 posted by (C)pismo
醍醐桜から少し離れたところには、岩井畝の大桜があります。こちらも見事な桜です。岩井畝の大桜は、真庭市岩井畝にある「アズマヒガン」の老樹です。伝説では、平家の落武者、辻権守正信が京より持参した3本の苗木の中の1本といわれています。県下第二の大桜だそうです。
岩井畝の大桜 - 01
岩井畝の大桜 - 01 posted by (C)pismo

岩井畝の大桜 - 02
岩井畝の大桜 - 02 posted by (C)pismo

岩井畝の大桜 - 03
岩井畝の大桜 - 03 posted by (C)pismo

岩井畝の大桜 - 04
岩井畝の大桜 - 04 posted by (C)pismo

この二つの有名な桜の他も、桜がきれいなスポットがたくさんありました。
真庭市岩井谷付近の桜 - 01
真庭市岩井谷付近の桜 - 01 posted by (C)pismo

真庭市岩井谷付近の桜 - 05
真庭市岩井谷付近の桜 - 05 posted by (C)pismo

真庭市岩井谷付近の桜 - 08
真庭市岩井谷付近の桜 - 08 posted by (C)pismo

真庭市岩井谷付近の桜 - 09
真庭市岩井谷付近の桜 - 09 posted by (C)pismo



写真を撮影していると、地元の人によく声をかけられます。この地方の人々は穏やかな口調で、にこやかに話しかけてこられるので、こちらもすがすがしい気持ちになります。
Posted at 2009/04/28 22:50:56 | コメント(2) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記

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何シテル?   04/01 22:18
ドライブで史跡巡りをやっています。 戦国時代の城・幕末がメインですが、史跡は全般的に好きです。 あとMacやデジタル製品など「新しいもの」も大好きです。
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