
この度は、東北地方太平洋沖地震で大変な被害に見舞われ、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
私たち関西の方も16年前、阪神・淡路大震災で大きな被害を受けましたが、今回の震災は、地震、津波、原発とあらゆる要因かつ広範囲で、今後の復興にはかなりの資金及び人的援助が必要になってくると思います。
社会的基盤もかつてないほど進化した現代社会は、復興にも資金的にも莫大な費用がかかりますので、日本の借金財政を考えると、国の財政がもつのかどうかが心配の種です。
現在は衣食住が充分に行き渡っていない方や原発への対応を急ぐことが急務です。
復興事業を考えていくのはまだまだ時間がかかることかも知れません。
このブログは歴史的名所を中心に更新してきましたが、震災のこともありここのところあまり更新する気力がありません。また、訪れたことのある歴史的名所の
仙台城(青葉城)、
大崎八幡宮、
仙台東照宮、
瑞鳳殿 といったところもかなりの被害のようで、残念ながら時間切れで見ることができなかった大崎市(岩出山城)の伊達家藩校の旧有備館が全壊したというのもショックです。
それはさておき、広島城で先日入手した「広島城壊滅」という本を読みました。
65年前、原子爆弾で広島の町は焼け野原となってしまいました。
国宝だった広島城の天守も崩れ落ち、人々は生活のため廃材を使って薪に利用したり、住宅にしたりしたそうです。
生きていくためには文化財どころではなかったのでしょう。
しかしながら、広島の町は徐々に蘇ってきました。
この状態からの復興は先人たちが並々ならぬ献身的な仕事をされたことと思います。
天守は昭和33(1958)年の広島復興大博覧会の際に鉄筋コンクリート造りで復元されました。
復元された天守は、広島市民にとって町の復興のシンボルになり、市民の心に明るい光を灯したそうです。
最近まで、コンクリートで復元された天守はあまり好きではありませんでした。
しかし、天守の復興がどれほど市民にとって力を与えたのかを想像すると、復元事業には大きな意味があったことと思います。
名古屋城は、間組が復元に携わりましたが、江戸時代の石垣が鉄筋コンクリート造りの天守を支えるため、かなりの困難があったそうです。
現在、戦争から復興した天守は
名古屋、大垣、和歌山、岡山、福山、広島の5つが思い浮かびます。
どこの町も空襲などで大きな被害から立ち直りました。あの戦争から65年ぶりの国難ですが、先人たちと同様、再び日本が活気づくことを祈り、これら復興天守をブログにアップさせて頂きます。
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なお、ブログ更新はすこしばかりお休みさせていただきます。
おすすめスポットはいくつかストックがありますので、マイペースでアップしていくことになると思います。
Posted at 2011/03/22 21:35:03 | |
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歴史・城 | 日記