松代城に引き続き、松代の城下町をすこしばかり散策しました。
以前訪れた時↓
冬の北信ドライブ(1日目その3・松代城〔海津城〕など松代の史跡めぐり)
この時よりかはあっさりと回ったのですが、修復工事中で中を見ることができなかった真田邸や、新たに公開された旧樋口家住宅などを見ることができて良かったです。
旧文武学校
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旧白井家表門
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真田勘解由家
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旧樋口家住宅
樋口家は江戸時代、真田藩士として目付役などを務め、江戸時代末期には禄高230石の上級武士の家でした。
その歴史は樋口家文書「樋口家譜略伝」(明治14(1881)年)によると、武田家の家臣であったと伝えられています。
当初住んでいた場所は不明ですが、樋口家文書から、明和2(1765)年、6代樋口角兵衛邦蕃の時に現在地へ移り、近年まで続いていたことがわかります。
主屋は、木造平屋建、寄棟造、茅葺で、文久2(1862)年に修理されたことが判明しており、少なくともそれ以前の建物であることが分かっています。桁行14.53m、梁間7.26m、延べ床面積139.91平方メートルで、土蔵は、木造二階建、切妻造、瓦葺。棟札から元治元(1864)年の建築とわかります。
長屋は、木造平屋建、寄棟造、茅葺。壁の下張に大正期の新聞が使用されていたことから、大正期以降にここに建てられたと推測されています。また、主要部材の痕跡から江戸期の部材を再度利用して建てられたことがわかります。
雑木林となっている池の南側は畑として使用されていまし。建物のみならず、庭園等によって構成される屋敷構えが一体として残されており、貴重です。
現在はNPO法人夢空間松代のまちと心を育てる会が管理運営を行い、展示会や体験型のイベントがしばしば行われています。(現地説明板などより)
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真田邸
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真田宝物館
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Posted at 2013/02/15 20:52:55 | |
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