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2016年08月18日 イイね!

岡山・早島・鴨方・新見ドライブ

岡山県立美術館は、昭和63(1988)年3月18日岡山市天神山地区の県有施設跡地の再開発事業として開設された美術館です。
郷土にゆかりあるすぐれた美術品を収集・展示するとともに、内外の芸術活動を紹介する展覧会やワークショップを開催しています。常設展として所蔵している美術品は「岡山の美術展」として公開するほか、特別展として全国の美術館の巡回展などが行われています。7月15日から8月28日まで岡山県立美術館で特別展「伊達政宗と仙台藩」が開催されていましたので訪れました。国宝・慶長遣欧使節関係資料と伊達家ゆかりの名品。お気に入りの紫羅背板地五色水玉模様陣羽織も再び見ることができました。名取春仲筆の「天文図、坤輿万国全図屏風」も素晴らしい出来でした。
岡山県立美術館 (3)
岡山県立美術館 (3) posted by (C)pismo

早島戸川氏の陣屋・早島陣屋です。戸川家は家祖達安の父秀安(友林と号す)の代から宇喜多家に仕え、備前児島の常山城を預かるなど、宇喜多家の重臣としてその役を担ってきました。しかし、達安の代になって宇喜多家のお家騒動から達安は遠ざけられ、徳川家康に預けられました。その縁で関ヶ原の合戦には東軍として参戦し数々の武勲を立て、その功によって29,200石を与えられ、備中庭瀬に居城を構えました。
ここ早島は、江戸時代の初め寛永8(1631)年に達安の次男安尤(やすもと)が3,400石で封じられて以来13代安宅(やすいえ)の代まで、干拓によって開かれた豊かな土地といぐさ産業を背景に、旗本戸川家の陣屋町として発展してきました。
早島陣屋は元禄年間、2代安明の代に普請にとりかかり17年の歳月を費やして宝永6(1709)年に完成しました。
陣屋は敷地全体が堀と塀によって囲まれ、東西約65m、南北約120m、約7,800平方メートル(約2,500坪)の広さを有し、その中には役人たちが仕事をする役所や裁判を行う白洲をはじめ、道場や年貢を納める米蔵などが置かれていました。また、主だった家臣たちの住居も敷地内に定められ、陣屋の裏山には家祖の戸川達安を祭る達安大明神の社もありました。
しかし、この陣屋も明治の初めごろ取り壊され、現在ではここにある堀の一部と石橋、陣屋の飲料水として使われた井戸などを残すのみとなりましたが、旗本領の陣屋の遺構として貴重な史跡です。
(現地説明板などより)
早島陣屋 (1)
早島陣屋 (1) posted by (C)pismo

早島陣屋 (2)
早島陣屋 (2) posted by (C)pismo

この辺りは、江戸時代岡山藩の支藩鴨方藩の中心地であったところです。公園の前を東西に結ぶ「旧鴨方往来」は、当時の藩の政治、経済はもとより文化人の交流に欠かせない重要な街道でした。
かもがた町家公園は、この往来沿いに並ぶ江戸時代に築造された二棟の町家をはじめ、蔵、井戸、土塀、庭園等を修復した史跡保存ゾーンと、四季折々の植物が楽しめる伝統植物園や芝生広場、展望台等のある景観ゾーンからなる面積6,600平方メートルの歴史公園です。「日本の歴史公園100選」に選定されています。
「鴨方に過ぎたるものが三つある 拙斎、索我、宮の石橋」と昔からうたわれた里謡にあるように、近くには江戸中期の儒者西山拙斎や画家田中索我ゆかりの史跡や歴史の古い寺社、陣屋跡、鴨山城跡などがありこの公園を中心にゆっくり散策することができます。
公園にある「旧高戸家住宅」は、江戸時代鴨方藩の庄屋を世襲し、油商等を営んだ家で、藩主の宿泊所や文化人の交流の場として使われていた由緒ある町家である。建築年代は、貞享4(1687)年に修理したという棟札から築300年以上経ており、岡山県下に残る江戸時期の最古の町家であると同時に全国的にも最初期のものです。これは、奈良県橿原市今井町の今西家〔慶安3(1650)年・1650〕や豊田家〔寛文2(1662)年〕と同時期のものです。建物は南面し、平面は正面10間、側面4.5間、中2階建の店部分と平家建の座敷部分からなる今井型(大和)です。屋根は本格的な入母屋造と切妻造で本瓦葺き、外壁は塗屋仕上げです。構造は、店部分を主体構造とするが、それは方形平面の中央に一本の大型中柱を立てた特殊なもので、小屋組は束立構法と登り梁構法を併用している。この構造は全国的にも例がなく、この地方で発生した独自のものです。
座敷部分は落ち棟形式で、店部分に取り付けられています。その店部分の構造面は、「うちまど」と西厨子2階における、中柱の上部の鴨居、中置、梁、地棟等の継手、仕口の合理的な工法、東西厨子における登り梁の豪快な架構は見応えがあります。細部で注目すべきは「みせどま」における大戸口の格子戸、片折板戸の意匠と機能性、「みせのま」での、天井、建具、格子構の意匠と室環境です。これらは、江戸前期の素朴さの中に力強さを感じさせるものになっています。
旧高戸家住宅は、かもがた町家公園の中核施設として平成7(1995)年度から復元修理を行い、平成9(1997)年9月に完成しました。この建物を「伝承館」と名付け、伝統的生活文化の継承の場とともに、建物博物館として保存・活用し、市民の歴史的財産として後世に残し伝えていくことにしています。平成10(1998)年3月に岡山県指定重要文化財となっています。
(現地説明板・パンフレットなどより)
かもがた町家公園・旧高戸家住宅 (2)
かもがた町家公園・旧高戸家住宅 (2) posted by (C)pismo

かもがた町家公園・旧高戸家住宅 (3)
かもがた町家公園・旧高戸家住宅 (3) posted by (C)pismo

かもがた町家公園・旧高戸家住宅 (4)
かもがた町家公園・旧高戸家住宅 (4) posted by (C)pismo

かもがた町家公園・旧高戸家住宅 (5)
かもがた町家公園・旧高戸家住宅 (5) posted by (C)pismo

かもがた町家公園・旧高戸家住宅 (6)
かもがた町家公園・旧高戸家住宅 (6) posted by (C)pismo

かもがた町家公園・旧高戸家住宅 (7)
かもがた町家公園・旧高戸家住宅 (7) posted by (C)pismo

正伝寺は、元亀2(1571)年に建立された浄土真宗本願寺派光清寺の末寺で、明治30(1897)年に廃寺となりました。
旧境内には石垣やこの門が残っています。明治期から昭和期にかけてこの跡地に觀生女学校、後に岡山県立鴨方高等学校が建ち、この門は校門として使用されました。
山門は、いわゆる龍宮門形式で、現在も龍宮門の愛称で親しまれています。
龍宮門(旧正伝寺山門)
龍宮門(旧正伝寺山門) posted by (C)pismo

長川寺は、山号は清龍山、曹洞宗の寺院です。
寺伝によると、源三位頼政の末裔西山宗久を開基とし、応永19(1412)年、永祥寺第三世英巌章傑禅師が開山した古刹です。
天正3(1575)年、細川通董が鴨山城に拠ると当寺をその菩提寺とし堂宇を整備し、寺領120石を寄進しました。その後、水害・山崩れなどがありましたが、十二世徳雲の威神力と細川氏遺臣の末裔の協力で、元禄17(1704)年、現在の本堂・庫裏が建てられました。境内には、通董の墓や岡山藩お抱えの庭師弥兵衛が築いた文化年間の庭があります。細川通董は天正15(1587)年に豊臣秀吉の九州平定に毛利氏の旗下として従軍の際に、長門赤間関(現下関市)の船中で生涯を閉じました。
長川寺
長川寺 posted by (C)pismo

長川寺 (1)
長川寺 (1) posted by (C)pismo

鴨方藩(岡山新田藩)は、江戸時代、鴨方におかれた岡山藩の支藩です。
池田光政の次子政言(まさこと)が初代藩主で、寛文12(1672)年備中浅口・窪屋・小田3郡の地2万5000石を与えられ、新田藩として成立しました。藩主は岡山城下の鴨方藩邸に住み、領内の重要な政務、財政は本藩に依存していました。10代政保は、明治2(1869)年版籍奉還により鴨方藩知事に任じられ、明治4(1871)年の廃藩置県で東京に移り鴨方藩は200年の歴史を閉じ、藩領は鴨方県、深津県、小田県を経て明治8(1875)年岡山県に編入されました。
鴨方陣屋は、鴨方藩所領支配の現地の拠点(政務の場)であり、本来は御用場と呼びます。鴨方藩主は岡山天神山(現県総合文化センター)にある鴨方藩邸に生活し藩としては簡素なものでした。
池田家文庫の御用所之絵図には、表御門、溜長屋、御座敷、吟味場、御囲米御蔵、牢番詰所等の建物が描かれ、屋敷は東西約56.8m、南北約32.7mであることが記されています。
現在は、石垣や井戸が当時の面影を残しています。幕末には、御用場の北側に陣屋が造営されました。黒住教鴨方大教会所前に説明板が立っています。
(現地説明板などより)
鴨方陣屋
鴨方陣屋 posted by (C)pismo

鴨山城は別名、加茂山城・石井山城・清滝山城・城山ともいいます。
応永14(1407)年細川満国が浅口分郡知行主として入郡以降、細川野洲家の拠点のとして浅口郡を約190年間領知しました。城主は8代の元通まで続くが、一時期城主不在の時があったようです。
永禄2年(1559)細川通董(みちただ)は毛利氏の配下にあり、7代目鴨山城城主として、伊予国の川之江から浅口郡に入っています。
青佐山城に7年、竜王山城へ9年間居城しました。天正3(1575)年鴨山城に入った頃、城の大改造を行なっています。
その後、8代城主の元通は、慶長5(1600)年関ヶ原の戦いで敗軍側となり、長門国へ移り鴨山城は廃城となりました。
(現地説明板などより)
鴨山城 (2)
鴨山城 (2) posted by (C)pismo

鴨山城 (3)
鴨山城 (3) posted by (C)pismo

鴨山城 (4)
鴨山城 (4) posted by (C)pismo

鴨山城 (5)
鴨山城 (5) posted by (C)pismo

鴨山城 (6)
鴨山城 (6) posted by (C)pismo

鴨山城 (7)
鴨山城 (7) posted by (C)pismo

鴨山城 (8)
鴨山城 (8) posted by (C)pismo

鴨山城 (9)
鴨山城 (9) posted by (C)pismo


新見陣屋は、元禄10(1697)年に関長治によって築かれました。
新見藩は、津山藩森氏の支藩である宮川藩が前身で、津山藩第2代藩主・長継の弟の関長政が1万8700石を分知され、立藩しました。
関長治は美作国津山藩主森長継の子で宮川藩主関長政の養子となり家督を継いで2代藩主となりましたが、元禄10(1697)年、美作国津山藩森氏が改易となると備中国新見1万8千石で転封されました。
新見に入封した長治は、高梁川から程近い諏訪山と呼ばれる丘陵部に陣屋を築き、新見藩の政庁としました。以来、関氏は維新まで移封することなく新見を領しましたが、表高に比べて実収入が少なく、藩財政は常に危機的状況にありました。
このような状況から、宝暦5(1755)年に3代藩主政富が藩校を設立し、孟子の言葉から思誠館と名付け、藩士の教育を熱心に進めました。この思誠館の名は、陣屋跡地に建つ思誠小学校の名として今も受け継がれていました。
現在、陣屋の跡地は新見高校北高地と思誠小学校の敷地となっています。
新見陣屋 (3)
新見陣屋 (3) posted by (C)pismo

新見陣屋 (4)
新見陣屋 (4) posted by (C)pismo

楪城は、鎌倉末期(正応元〔1288〕年~永仁元〔1293〕年)頃に、新見氏によって築城されたと思われます。
その後、戦国時代に最後の城主新見蔵人貞経は、三村氏の侵入によって滅ぼされ行方不明となりました。
代わって永禄10(1567)年に三村元範が楪城主となり入城しました。しかし天正3(1575)年の備中兵乱で毛利方の小早川隆景を大将として総軍二万騎が押し寄せ、宍戸備前守と中島大炊介元行の攻撃で落城しました。元範は十騎ばかりで落ち延びましたが、高尾の石指で、塩山城主の多治部雅楽頭景春が五十騎ばかりで追いかけて来、戦いの末討たれました。
そして楪城は毛利方の吉川元春のものとなり、元春の家来今田上野介経高が在番となりますが、慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いで、西軍の毛利方は敗れ、楪城は廃城となりました。
楪城は、代表的な連郭式の山城で、山陽と山陰の交通の要衝にあり、南北に長く、高梁川と矢谷川に囲まれた天険の要害です。備中では松山城につぐ規模をもち、別名新見城ともいいます。
本丸・二ノ丸・三の丸からなり、本丸は標高490mの所にあり、二ノ丸の南と三の丸の北に大きな堀切があります。なお、三の丸の頂上付近には井戸も残っています。本丸は新見氏時代のもので、のち三村氏により二ノ丸・三の丸が増築されたものと思われます。この山城には名木の「楪の木」が生えていましたので、その名がつけられたといいます。
(現地説明板などより)

楪城 (2)
楪城 (2) posted by (C)pismo

楪城 (3)
楪城 (3) posted by (C)pismo

楪城 (4)
楪城 (4) posted by (C)pismo

楪城 (5)
楪城 (5) posted by (C)pismo

楪城 (6)
楪城 (6) posted by (C)pismo

楪城 (7)
楪城 (7) posted by (C)pismo

楪城 (8)
楪城 (8) posted by (C)pismo

楪城 (9)
楪城 (9) posted by (C)pismo
Posted at 2016/10/07 22:20:51 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記

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