引き続き松本周辺の城めぐりです。
松本市街地に戻ると
犬甘城があります。小笠原氏の家老犬甘氏の城です。天保14(1843)年、松本藩主戸田光庸のときに遊園の地として領民に開放され、現在も城山公園として整備されています。
しかしながら、犬甘城を示す案内看板などはありません。こちらからは松本城や北アルプスがよく見えます。ただ、当日は北アルプス側は少し霞んでいてよく見えませんでした。
次は国道19号を北上し、
平瀬城です。なかなかの山城です。小笠原氏と武田氏で激しい攻防戦が繰り広げられた城です。
国道19号沿いには入口を示す看板があります。
この看板南側の南行き車線側に、飲食店が並ぶ「P」マークのある駐車スペースがあるのでここに車を駐めました。
登山道入口には平瀬城の説明看板が。
南側の山も平瀬城の支城だそうです。
登城道はなかなか山側には行かず、沢を登っています。
結構遠回りのような気がします・・・
沢とはこのあたりで離れ、登城開始です。
登城開始。落ち葉だらけなので足を滑らせないように気をつけます。
主郭部と思わしき場所に到着。雑木が生い茂ります。
雑木をかき分けていくと、北アルプスの美しい風景が。
雑木だらけで平瀬城を示すものはないか探すと、竹藪の裏側に標柱と供養塔がありました。
結構この城で体力を消耗しました。降りも落ち葉で尻餅を付きそうになりましたが、ストックを持っていたので助かりました。
次は松本市を更に北上し、現在は安曇野市になっている、旧豊科町、旧穂高町と車を走らせます。
穂高温泉の南側にある
小岩嶽城に行ってみました。
この城は確か、新田次郎氏の小説「武田信玄」の第1巻の最後に出てきます。確か同書では武田信玄に攻略されたときの城主は「小岩嶽図書」とでていましたが、城の説明看板では「古厩氏」となっています。ここの攻防戦は「討ち取る頸500余人、足弱(婦女子・老人のこと)取ルコトヲ知ラズ」とあり、かなり悲惨だったようです。城跡は城址公園として整備されており、門や櫓を模した展望台が復元されています。主郭部には「小岩嶽城戦没者各々霊位供養塔」が建立されています。
信濃の人にとって、武田氏は侵略した側と言うことで、現在も複雑な感情があると思います。
この後は、松本市街に戻り、再び松本城へ行ってみます。
Posted at 2007/01/03 17:18:05 | |
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