• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

ピズモのブログ一覧

2009年04月25日 イイね!

石山寺・長命寺・八幡城秀次館

この日は京都国立博物館で開催されていた「妙心寺展」を見に行った後、石山寺を訪れました。石山寺は天平勝宝元(749)年、良辨僧正により建立されました。西国巡礼十三番の札所です。現在の本堂は、永長元(1096)年に再建された滋賀県下で最古の木造建築です。
境内には奇岩があり、石山の名の起こりといわれており、国の天然記念物に指定されています。
紫式部が「源氏物語」を執筆したことでも知られています。
あいにくの雨でしたが「花の寺」として有名なだけに、藤や牡丹などがきれいに咲いていました。
石山寺 - 01
石山寺 - 01 posted by (C)pismo

石山寺 - 02
石山寺 - 02 posted by (C)pismo

石山寺 - 03
石山寺 - 03 posted by (C)pismo

石山寺 - 04
石山寺 - 04 posted by (C)pismo

石山寺 - 05
石山寺 - 05 posted by (C)pismo

石山寺 - 06
石山寺 - 06 posted by (C)pismo

石山寺 - 07
石山寺 - 07 posted by (C)pismo

石山寺 - 08
石山寺 - 08 posted by (C)pismo

石山寺 - 09
石山寺 - 09 posted by (C)pismo

石山寺 - 10
石山寺 - 10 posted by (C)pismo

石山寺 - 11
石山寺 - 11 posted by (C)pismo

石山寺 - 12
石山寺 - 12 posted by (C)pismo

石山寺 - 13
石山寺 - 13 posted by (C)pismo

石山寺 - 14
石山寺 - 14 posted by (C)pismo

石山寺 - 15
石山寺 - 15 posted by (C)pismo

石山寺 - 16
石山寺 - 16 posted by (C)pismo

石山寺 - 17
石山寺 - 17 posted by (C)pismo
石山寺の後は、以前から行ってみたかった近江八幡市の長命寺を訪れました。
長命寺は、長命寺山(333m)の標高約250mの山腹にある寺院で山号は姨綺耶山(いきやさん)、西国三十三カ所第31番札所です。
伝承では、3世紀後半から4世紀初頭の景行天皇の時代、武内宿禰がこの山で長寿を祈ったといわれ、宿禰は300歳の長命を保ったと言われています。
開基は聖徳太子といわれており、この地に十一面観音を安置したと言われています。
本堂、参道、鐘楼など重要文化財に指定されている建物が多いのが特徴です。
本堂は大永4(1424)年、三重塔は慶長2(1597)年の建築です。
808段の石段を登っていくことで知られていますが、現在は林道で駐車場まで登っていくことが出来ます。
長命寺 - 01
長命寺 - 01 posted by (C)pismo

長命寺 - 02
長命寺 - 02 posted by (C)pismo

長命寺 - 03
長命寺 - 03 posted by (C)pismo

長命寺 - 04
長命寺 - 04 posted by (C)pismo

長命寺 - 05
長命寺 - 05 posted by (C)pismo

最後に八幡山城秀次館を訪れました。八幡山城は以前訪れたことはありますが、秀次館は初めての見学です。
天正13(1585)年豊臣秀吉の甥で養子の豊臣秀次が近江43万石を与えられ、琵琶湖に臨む標高271.9mの八幡山に築城しました。
平成12(2000)年度から八幡山の南西山麓で豊臣秀次の館跡で発掘調査が進められ秀次の馬印である沢瀉紋の金箔平瓦などが発見されたそうです。
場所は近江八幡市立図書館の裏山、八幡公園の北西側にあります。石垣などの遺構が残っています。
豊臣秀次館 - 1
豊臣秀次館 - 1 posted by (C)pismo

豊臣秀次館 - 2
豊臣秀次館 - 2 posted by (C)pismo
Posted at 2009/05/09 21:17:19 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2009年04月18日 イイね!

富田林寺内町

この日は、富田林の寺内町を訪れました。
最近、大阪府の橋元知事も訪れ「飛騨高山に劣らぬ」と絶賛したそうです。あまり観光地化されていないのも魅力です。
富田林寺内町は戦国時代の永禄初年(1558~1561)年に成立しました。京都興正寺の証秀上人が訪れ、荒芝地を銭百貫文で購入し、近隣4ヶ村から八人の有力者を集めて興正寺別院を建立し、8人衆の合議制で御坊を中心とした町造りが行われました。
江戸時代は天領で商業の町として発展し、酒造業が盛んだったそうです。

現在もお住まいの所が多く、殆どが内部は非公開です。富田林市が公開している住宅として旧杉山家住宅があります。杉山家は寺内町創立以来の旧家で、代々「杉山長左衛門」を名乗り、江戸時代を通じて8人衆の一人として町の運営に携わってきました。旧来の家業は明らかではありませんが、貞享2(1685)年に酒造株を取得した後は造り酒屋として成功し、当初30石であった酒造石高は元禄10(1697)年104石、天明5(1785)年には1003石と著しい発展を遂げました。
江戸時代の屋敷図によると、杉山家の屋敷地は町割の一画を占める広大なもので、その中に主屋を始め酒蔵、釜屋、土蔵など十数棟が軒を接して建てられており、その繁栄をうかがうことができます。
現存する主屋は17世紀と最も古く、その後に座敷や2階部分を増築し、延享4(1747)年頃現在の形に整ったものと考えられています。
明治の終わり堺の与謝野晶子らと活躍した明星派歌人石上露子(本名杉山孝)は、明治15(1882)年当家で生まれたことでも知られています。
昭和58(1983)年12月26日、国の重要文化財に指定されています。
旧杉山家住宅 - 01
旧杉山家住宅 - 01 posted by (C)pismo

旧杉山家住宅 - 02
旧杉山家住宅 - 02 posted by (C)pismo

旧杉山家住宅 - 03
旧杉山家住宅 - 03 posted by (C)pismo

旧杉山家住宅 - 04
旧杉山家住宅 - 04 posted by (C)pismo

旧杉山家住宅 - 05
旧杉山家住宅 - 05 posted by (C)pismo

旧杉山家住宅 - 06
旧杉山家住宅 - 06 posted by (C)pismo

旧杉山家住宅 - 07
旧杉山家住宅 - 07 posted by (C)pismo

旧杉山家住宅 - 08
旧杉山家住宅 - 08 posted by (C)pismo

旧杉山家住宅 - 09
旧杉山家住宅 - 09 posted by (C)pismo

杉山家住宅の前には寺内町センターがあり、富田林の寺内町の歴史が簡単に学べます。


仲村家は屋号を「佐渡屋」といい、酒造業を営んでいました。代々徳兵衛を名乗り、寺内町八人衆をつとめたと伝えられています。
正徳5(1715)年に酒造株を取得してからは、造り酒屋として著しい発展を遂げ、天明5(1785)年の酒造米高は、河内国で最高の2135石に達しました。寛政4(1792)年には江戸市場を対象とした酒造業の理事長にあたる「河内一国江戸積大行司」となりました。
主屋は寺内町でも珍しい表屋造で天明3(1783)年の建築です。
仲村家には文人墨客が数多く訪れ、長州藩士吉田松陰もその内の一人といわれてます。
内部は非公開です。

仲村家住宅 - 1
仲村家住宅 - 1 posted by (C)pismo

仲村家住宅 - 2
仲村家住宅 - 2 posted by (C)pismo

仲村家の他にも古い街並みがたくさん残っています。
木口家住宅 - 1
木口家住宅 - 1 posted by (C)pismo

木口家住宅 - 2
木口家住宅 - 2 posted by (C)pismo

橋本家住宅 - 1
橋本家住宅 - 1 posted by (C)pismo

興正寺別院 - 01
興正寺別院 - 01 posted by (C)pismo

杉田家住宅 - 1
杉田家住宅 - 1 posted by (C)pismo

佐藤家住宅 - 1
佐藤家住宅 - 1 posted by (C)pismo

越井家住宅 - 1
越井家住宅 - 1 posted by (C)pismo

(北)越井家住宅
(北)越井家住宅 posted by (C)pismo

奥谷家住宅 - 1
奥谷家住宅 - 1 posted by (C)pismo

奥谷家住宅 - 2
奥谷家住宅 - 2 posted by (C)pismo

じないまち交流館
じないまち交流館 posted by (C)pismo

Posted at 2009/05/06 18:51:41 | コメント(4) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2009年04月11日 イイね!

吹屋ふるさと村

次は吹屋のベンガラで彩られた古い街並みを見に行きました。以前に訪れた時は大雨でしたので、ゆっくりと写真を撮影する余裕がありませんでした。

最初に広兼邸を訪れました。

享和、文化の頃(1800年頃)小泉銅山とローハ(硫酸鉄)の製造を営み、巨大な富を築いた大野呂の庄屋・広兼家二代目の元治が建てた邸宅です。
楼門づくりで城郭にも劣らない堂々たる石垣が見事です。
広兼邸 - 1
広兼邸 - 1 posted by (C)pismo

広兼邸 - 2
広兼邸 - 2 posted by (C)pismo

広兼邸 - 3
広兼邸 - 3 posted by (C)pismo

広兼邸 - 4
広兼邸 - 4 posted by (C)pismo

広兼邸 - 5
広兼邸 - 5 posted by (C)pismo

広兼邸 - 6
広兼邸 - 6 posted by (C)pismo
次はふるさと村の中心部へ。ベンガラ色に統一された古い街並みが見事に保存されています。

吹屋ふるさと村 - 01
吹屋ふるさと村 - 01 posted by (C)pismo

吹屋ふるさと村 - 02
吹屋ふるさと村 - 02 posted by (C)pismo

吹屋ふるさと村 - 03
吹屋ふるさと村 - 03 posted by (C)pismo

吹屋ふるさと村 - 04
吹屋ふるさと村 - 04 posted by (C)pismo

吹屋ふるさと村 - 05
吹屋ふるさと村 - 05 posted by (C)pismo

吹屋ふるさと村 - 06
吹屋ふるさと村 - 06 posted by (C)pismo

吹屋ふるさと村 - 07
吹屋ふるさと村 - 07 posted by (C)pismo

吹屋小学校
吹屋小学校
吹屋小学校 posted by (C)pismo

最後に久世トンネル桜を見に行きました。真庭市の旧久世町(くせちょう)は江戸時代は天領として栄えた町です。
久世の市街地中心をを流れる旭川の南岸にはソメイヨシノが堤防道路を覆い尽くすように枝を広げ、約760mにわたる桜のトンネルとなっています。久世代官として善政を布いたことで知られる早川八郎左衛門正紀公が桜を植樹したのがその始まりと伝えられています。
シーズンには天領くせ桜まつりが開催されて多くの人出賑わいます。夜には160基のぼんぼりがほのかな灯りでライトアップします。
天領くせ桜まつり - 01
天領くせ桜まつり - 01 posted by (C)pismo

天領くせ桜まつり - 02
天領くせ桜まつり - 02 posted by (C)pismo

天領くせ桜まつり - 03
天領くせ桜まつり - 03 posted by (C)pismo

Posted at 2009/05/05 18:44:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2009年04月11日 イイね!

春の高梁城下町の風景

大佐の次は、高梁市を訪れました。何度か訪れているところですが、春の風景を見るのは初めてです。

備中松山城です。

備中松山城 - 01
備中松山城 - 01 posted by (C)pismo

備中松山城 - 02
備中松山城 - 02 posted by (C)pismo

備中松山城 - 03
備中松山城 - 03 posted by (C)pismo

備中松山城 - 04
備中松山城 - 04 posted by (C)pismo

備中松山城 - 05
備中松山城 - 05 posted by (C)pismo

紺屋川美観地区です。散り始めですが、城下町の風景と桜がきれいです。

紺屋川美観地区 - 01
紺屋川美観地区 - 01 posted by (C)pismo

紺屋川美観地区 - 02
紺屋川美観地区 - 02 posted by (C)pismo

紺屋川美観地区 - 11
紺屋川美観地区 - 11 posted by (C)pismo

頼久寺は臨済宗永源寺派の寺院です。。
正確には天柱山安国頼久寺といい足利尊氏が各地に建てた安国寺の一つです。
備中松山城主、上野頼久公にちなんでこの名があります。
小堀遠州作の蓬莱式枯山水庭園が見事な寺です。慶長5(1600)年、関ヶ原の戦いで東軍に味方した小堀正次が備中松山城主となりましたが、その後政一(遠州)が跡を継ぎました。備中松山城がこの時代荒廃していたため、頼久寺を居館としていたそうです。庭園はこの時期に遠州が整備しました。
境内には上野頼久、三村家親、元親の墓があります。
頼久寺 - 01
頼久寺 - 01 posted by (C)pismo

頼久寺 - 02
頼久寺 - 02 posted by (C)pismo

頼久寺 - 03
頼久寺 - 03 posted by (C)pismo

頼久寺 - 04
頼久寺 - 04 posted by (C)pismo

頼久寺 - 05
頼久寺 - 05 posted by (C)pismo

頼久寺 - 06
頼久寺 - 06 posted by (C)pismo

石火矢町ふるさと村・武家屋敷街です。

石火矢町ふるさと村・武家屋敷街 - 01
石火矢町ふるさと村・武家屋敷街 - 01 posted by (C)pismo

石火矢町ふるさと村・武家屋敷街 - 02
石火矢町ふるさと村・武家屋敷街 - 02 posted by (C)pismo

商人町だった本町の風景です。
高梁 本町地区 - 1
高梁 本町地区 - 1 posted by (C)pismo

高梁 本町地区 - 2
高梁 本町地区 - 2 posted by (C)pismo


Posted at 2009/05/05 16:58:53 | コメント(2) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2009年04月11日 イイね!

新見市(旧大佐町)に残る山田方谷の史跡

醍醐桜など桜を満喫した後は、大佐町、現在は合併して新見市になっていますが、幕末の老中板倉勝静に仕えた有名な儒学者山田方谷ゆかりの史跡を訪れてみました。
山田方谷に関心を持ったのは越後長岡藩家老河井継之助を描いた司馬遼太郎の小説「峠」で山田方谷についてかなり詳しく取り上げていたので興味を持ちました。

方谷庵は幕末の政治家、学者教育者で備中聖人と呼ばれた山田方谷(1805~1877)が明治5(1872)年に外祖父母の霊を弔うため、母の生家西谷家の菩提寺である金剛寺境内に建立したものです。
外祖父母の位牌を祀る仏間(三畳)と炉のある床の間(三畳)を中心とした平屋建、切妻造、桟瓦葺(もと柿葺)の簡素な茶室風の建物で正しくは継志祠堂と呼ばれています。
山田方谷は、文化2(1805)年に阿賀群西方村(現高梁市)に生まれ新見の儒者丸川松隠に学んだのち、備中松山藩に召出され、藩校有終館の会頭・学頭として子弟の教育に当たりました。
嘉永2 (1849)年藩主板倉勝静の信任を得て藩政改革を進め藩財政の立直しに貢献し、また勝静が幕府老中首座のときそれを援けて活躍しました。
明治維新後は小阪部に隠棲し、小阪部塾を開いて子弟の教育に当たるとともに、しばしば当庵を訪れ、祖先の霊を弔って晩年を過しました。
方谷庵
方谷庵 posted by (C)pismo

山田方谷記念館は、幕末の儒学者の山田方谷の母の出身地で、方谷自身が晩年を過ごした大佐小阪部の地に偉業を伝える資料館として平成16(2004)年にオープンしました。方谷山田先生遺蹟碑拓本複製や、大政奉還上奏文の草案、書などの展示やビデオコーナーなどがあります。 
山田方谷記念館 - 1
山田方谷記念館 - 1 posted by (C)pismo

山田方谷記念館 - 2
山田方谷記念館 - 2 posted by (C)pismo

方谷園は、幕末備中松山藩に仕えた儒学者山田方谷が、明治3(1870)年、水谷氏の小阪部陣屋に私塾を開いた場所です。
園内にある「方谷山田先生遺蹟碑」は勝安房(勝海舟)による題字、三島中洲の撰文、筆は金井之恭によるもので、石碑は明治29(1896)年12月、小阪部塾で方谷が息を引き取った時、枕のあった地点に建てられたもので、大正12(1923)年、方谷園として開園式が行われました。
方谷園(小阪部陣屋) - 1
方谷園(小阪部陣屋) - 1 posted by (C)pismo

方谷園(小阪部陣屋) - 2
方谷園(小阪部陣屋) - 2 posted by (C)pismo

小阪部知行所〔小阪部陣屋〕は、寛文4(1664)年7月、水谷新右衛門勝能は、2千石で分家し、知行所を構えました。
勝能は備中松山藩主水谷勝隆の次男で、勝隆の死後水谷勝宗が跡を継ぎましたが、勝隆の遺領の中から小阪部村、永富村、千谷村及び小南村を与えられました。後には長男勝阜(かつおか)に千7百石、次男勝睦(かつちか)に小南村3百石を分与しましたが、両家とも幕末まで続きました。
藩主は江戸住まいで、代官を派遣して統治していたそうです。
敷地は方谷園の付近で、方谷園の中に石碑と説明看板が建っています。
方谷園(小阪部陣屋) - 3
方谷園(小阪部陣屋) - 3 posted by (C)pismo

次は高梁市へ向かいます。
Posted at 2009/04/30 21:50:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記

プロフィール

「[整備] #レヴォーグ レヴォーグBピラー静音化 https://minkara.carview.co.jp/userid/157690/car/1902122/8170099/note.aspx
何シテル?   04/01 22:18
ドライブで史跡巡りをやっています。 戦国時代の城・幕末がメインですが、史跡は全般的に好きです。 あとMacやデジタル製品など「新しいもの」も大好きです。
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2009/4 >>

   1234
5678910 11
121314151617 18
192021222324 25
2627282930  

リンク・クリップ

沖縄県編 
カテゴリ:お勧めスポット都道府県別リンク
2024/06/26 22:49:38
 
鹿児島県編 
カテゴリ:お勧めスポット都道府県別リンク
2021/08/26 23:05:24
 
宮崎県編 
カテゴリ:お勧めスポット都道府県別リンク
2021/08/22 08:03:34
 

愛車一覧

スバル レヴォーグ スバル レヴォーグ
H27.3レガシィBPより乗り換え
ホンダ PCX ホンダ PCX
H26.3購入しました。
スバル レガシィツーリングワゴン スバル レガシィツーリングワゴン
H18.3アコードワゴンから乗り換えました。
ホンダ スペイシー100 ホンダ スペイシー100
2ストのリード100から乗り換え。 少しパワー不足でした。
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation