2日目は長崎へ移動です。
2010年の大河ドラマは龍馬伝ですが、主役の龍馬は長崎出身の福山雅治が演じます。
長崎に来たらまずは坂本龍馬の関連史跡を巡ります。
龍馬通り - 1 posted by 
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亀山社中は、慶応元(1865)年土佐藩を脱藩した坂本龍馬が中心となって組織された日本初のカンパニー(貿易商社)です。海運業を中心とした商業活動を行ったほか、薩長両藩の和解(薩長同盟)に大きな役割を果たしました。
亀山社中の遺構として今に伝わる建物を長崎市は御所有者の好意により整備し長崎市亀山社中記念館として平成21(2009)年8月1日にオープンしました。
記念館は幕末期当時の間取りをほぼ復元しており、龍馬や亀山社中、海援隊ゆかりの品を展示しています。隠し部屋として利用していたとも思われる中2階の様子を階段上部から見ることもできます。
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亀山社中 - 02 posted by 
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亀山社中 - 03 posted by 
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亀山社中 - 04 posted by 
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龍馬のぶーつ像は、平成7(1995)年、坂本龍馬が慶応元(1865)年に亀山社中を創設してから130年になることを記念し、「亀山社中ば活かす会」が中心になって建立したものです。
亀山社中記念館のすぐそばにあります。
龍馬のぶーつ像 - 1 posted by 
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龍馬のぶーつ像 - 2 posted by 
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坂本龍馬之像と司馬遼太郎「竜馬がゆく」文学碑は風頭公園内の長崎市街の眺望がよい場所にあります。
坂本龍馬の像は「龍馬の銅像建つうで会」が建立し、平成元(1989)年5月21日に除幕式が行われました。長崎在住の彫刻家・山崎和國氏が制作し、台座碑文は作家の宮地佐一郎氏のものです。
坂本龍馬の銅像 posted by 
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司馬遼太郎「竜馬がゆく」文学碑は「亀山社中ば活かす会」が建立し平成10(1998)年2月1日に除幕されました。
文学碑には「船が長崎の港内に入ったとき、竜馬は胸のおどるような思いをおさえかね、「長崎はわしの希望じゃ」と、陸奥陽之助にいった。「やがては日本回天の足場になる」ともいった。(司馬遼太郎 「竜馬がゆく」より)」と刻まれています。
司馬遼太郎「竜馬がゆく」文学碑 posted by 
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亀山焼は文化元(1804)年頃、大神甚五平等により開窯されました。
当初はオランダ船に売るための水甕をつくるため開かれましたが、文化10(1813)年から大神甚五平の単独経営となり、白磁に切り替え、染め付けの上質なものを製作しました。長崎奉行等の援助もあり、安政年間には御用陶器所になりましたが、慶応元(1865)年には閉窯となりました。
伊良林平公民館敷地に石碑と説明看板などがあります。
亀山焼窯跡 - 1 posted by 
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亀山焼窯跡 - 2 posted by 
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若宮稲荷神社は、延宝元(1673)年、出来大工町の乙名・若杉喜三太が改装した神社です。「古いお宮を若宮」と親しまれており、南北朝時代の忠臣楠木正成の守護神(稲荷大神)を祀っています。
元文元(1736)年には長崎奉行細井因幡守安明が参道を開削し社殿を改築しました。
明治元(1868)年、社号を伊良林稲荷神社と改称し、明治29(1896)年、境内の大改修を行い現在の境内地を創成しました。明治維新前後、坂本龍馬など、多くの志士達が参拝したことから勤皇稲荷(または勤王神社)とも呼ばれています。
境内には坂本龍馬之像が建立されています。これは、風頭公園内の坂本龍馬之像となったもので、平成21(2009)年7月に亀山社中跡から移設されました。
若宮稲荷神社 - 1 posted by 
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若宮稲荷神社 - 2 posted by 
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亀山社中展示場は、坂本龍馬をはじめ亀山社中、海援隊士、幕末の志士、幕末・明治期の長崎に関する古写真などの貴重な資料を展示しています。
亀山社中資料展示場 - 1 posted by 
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この後は、出島へ向かいます。
 
				  Posted at 2009/09/16 23:22:12 |  | 
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