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ピズモのブログ一覧

2010年01月16日 イイね!

丹波の城下町・篠山

この日は、丹波の城下町・篠山を訪れました。
篠山城は、慶長14(1609)年、徳川家康が京都から山陰・山陽両道に通じる要衝である篠山盆地に豊臣氏の大阪城と西国諸大名を監視する布石として、藤堂高虎の縄張りで築城させました。初代藩主は家康の子と篠山では言われている松井松平氏の松平康重が八上城から入城しました。元和5(1619)年、康重は岸和田に転封され、篠山城には藤井松平氏の松平信吉が入城し、忠国の代に明石へ転封されました。代わって摂津高槻藩より形原松平氏の松平康信が5万石で入り、5代続きました。
寛延元(1748)年、青山忠朝が入城し、幕末まで青山氏の居城でした。
大書院は篠山城築城と同時に建てられましたが、昭和10(1933)年1月6日夜焼失しました。長年建物がない城でしたが、平成12(2000)年4月ついに大書院が再建されました。創建当初に天守台が築かれたが天守は建てられませんでした。
篠山城 - 01
篠山城 - 01 posted by (C)pismo

篠山城 - 02
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篠山城 - 03
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篠山城 - 04
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篠山城 - 05
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篠山城 - 06
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篠山城 - 07
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篠山城 - 08
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篠山城 - 09
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篠山城 - 10
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篠山城 - 11
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篠山城 - 12
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篠山城 - 13
篠山城 - 13 posted by (C)pismo

篠山城 - 14
篠山城 - 14 posted by (C)pismo

小林家長屋門は、茅葺入母屋造りで文化2(1805)年頃、篠山藩主青山忠裕が老女小林千衛のために改築した長屋門です。篠山城の西堀に面したところにあります。
現在もお住まいです。
小林家長屋門 - 1
小林家長屋門 - 1 posted by (C)pismo

小林家長屋門 - 2
小林家長屋門 - 2 posted by (C)pismo


篠山市立武家屋敷安間家史料館は、慶長14(1609)年の篠山城完成時の城下町の町割によりできた御徒士町の一角にあります。
安間家は篠山藩主青山家の家臣で、高12石3人扶持の標準的な徒士住宅でした。
安間氏から寄贈され平成6(1994)年10月から平成7(1995)年3月にかけて全面的な改修が行われ、史料館として活用されています。
篠山市立武家屋敷安間家史料館 - 01
篠山市立武家屋敷安間家史料館 - 01 posted by (C)pismo

篠山市立武家屋敷安間家史料館 - 02
篠山市立武家屋敷安間家史料館 - 02 posted by (C)pismo

篠山市立武家屋敷安間家史料館 - 03
篠山市立武家屋敷安間家史料館 - 03 posted by (C)pismo

篠山市立武家屋敷安間家史料館 - 04
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篠山市立武家屋敷安間家史料館 - 05
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篠山市立武家屋敷安間家史料館 - 06
篠山市立武家屋敷安間家史料館 - 06 posted by (C)pismo
御徒士町武家屋敷群は慶長14(1609)年に篠山城が完成した際に、同時に行なわれた町割で誕生しました。
篠山城の外濠に沿って南北の通りをつけ、西側に徒士を住まわせました。
このときに割り当てられた間口は、平均8間でありました。
天保元(1830)年の火災により大半が焼失しました。
復興に際し道路の西側は屋敷を約6尺(1.8m)後退させており、現存する徒士住宅の大部分のものは天保の火災の後ほどなく建てられたものです。今なお十数戸のお徒士衆の住宅が存在し、武家屋敷の面影をよく留めています。
篠山市篠山伝統的建造物群保存地区として重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
御徒士町武家屋敷群 - 1
御徒士町武家屋敷群 - 1 posted by (C)pismo

御徒士町武家屋敷群 - 2
御徒士町武家屋敷群 - 2 posted by (C)pismo

御徒士町武家屋敷群 - 3
御徒士町武家屋敷群 - 3 posted by (C)pismo

御徒士町武家屋敷群 - 4
御徒士町武家屋敷群 - 4 posted by (C)pismo

御徒士町武家屋敷群 - 5
御徒士町武家屋敷群 - 5 posted by (C)pismo



篠山市立青山歴史村は、「桂園舎」と名付けられた建物を中心にして、3棟の土蔵と旧澤井家長屋門から成っています。篠山藩の古文書、漢学書関係の版木1200余枚や篠山城石垣修理の図面など貴重な文化財を展示してあります。
昭和62(1987)年から青山歴史村として一般公開しています。平成10(1998)年に歴史村を管理していた財団法人青山会から篠山市に全資産をご寄付いただいたのを機会に市立の史料館として蔵書の保存を図っています。
篠山市立青山歴史村 - 01
篠山市立青山歴史村 - 01 posted by (C)pismo

篠山市立青山歴史村 - 02
篠山市立青山歴史村 - 02 posted by (C)pismo

篠山市立青山歴史村 - 03
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篠山市立青山歴史村 - 04
篠山市立青山歴史村 - 04 posted by (C)pismo

篠山市立青山歴史村 - 05
篠山市立青山歴史村 - 05 posted by (C)pismo

大正ロマン館は、大正12(1923)年に篠山町役場として竣工した西洋館です。平成4(1992)年に役場としての使用を終え、改修を経て翌平成5(1993)年に「大正ロマン館」という名称で観光施設になりました。
館内にはレストランや売店など、丹波篠山の特産品が充実しています。
大正ロマン館(旧篠山町役場)
大正ロマン館(旧篠山町役場) posted by (C)pismo

誓願寺は、浄土宗の寺院で、山号は清浄山です。
八上城主波多野秀治が天正年間に足利義輝の子覚山天誉(足利義高)を開山として高城山の麓に創建しました。
その後、慶長14(1609)年、篠山城が築城されると篠山城下の現在地に移されました。
本尊は、阿弥陀如来像で、三岳の福泉寺にあったもので法道上人作と伝えられています。
楼門は本堂と共に室町後期の様式を残しています。
誓願寺 - 1
誓願寺 - 1 posted by (C)pismo

誓願寺 - 2
誓願寺 - 2 posted by (C)pismo

春日神社は貞観18(876)年日置荘を領有していた藤原基経、藤原時平父子により藤原氏の氏神である奈良の春日大社より分祀し、黒岡村南部の当時は笹山と呼ばれた場所に創建したのが始まりです。笹山は慶長14(1609)年、篠山城が築城されたため、現在の地に遷されました。
境内には、文久元(1861)年篠山藩第13代藩主青山忠良に寄進された能楽殿があります。箱根より西でこのような立派な舞台はないとまで言われました。平成15(2003.)年に国の重要文化財に指定されています。
絵馬堂には22面の絵馬が展示されていて、中でも「黒神馬」「大森彦七南朝の雄魂に悩まされる図」は有名です。
春日神社 - 01
春日神社 - 01 posted by (C)pismo

春日神社 - 02
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春日神社 - 03
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春日神社 - 04
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春日神社 - 05
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春日神社 - 06
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春日神社 - 07
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春日神社 - 08
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春日神社 - 09
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春日神社 - 10
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篠山市立歴史美術館は、かつての篠山裁判所の建物を使用しています。
篠山裁判所は、明治10(1877)年に篠山藩庁の建物を使用して発足しましたが、明治24(1891)年に民事・刑事の一審のみを取り扱う地方裁判所として新しい庁舎が建築されました。これが現在の篠山市立歴史美術館です。
木造建築の裁判所としては我が国最古のもので、昭和57(1982)年に篠山町文化財として指定されました。
この裁判所を外観及び旧法廷を従来の姿で残し、その他は美術館にふさわしく内部を改築し昭和57(1982)年4月に開館しました。
篠山に伝わる武具、漆芸、絵画などの美術品をはじめ、篠山藩の御用窯として開窯した王地山焼の名品の数々のほか、古代の埋蔵文化財を収蔵・展示しています。
篠山市立歴史美術館 - 1
篠山市立歴史美術館 - 1 posted by (C)pismo

篠山市立歴史美術館 - 2
篠山市立歴史美術館 - 2 posted by (C)pismo

篠山市立歴史美術館 - 3
篠山市立歴史美術館 - 3 posted by (C)pismo

篠山市立歴史美術館 - 4
篠山市立歴史美術館 - 4 posted by (C)pismo

尊宝寺は、山号は嶺松山、浄土真宗本願寺派の寺院です。
永正3(1506)年、加竹法印重尊が八上城の外艮(東北)の方角に天台宗の尊宝院として創建し子の印清雪隆が開山となり居住しました。
永正9(1612)年、雪隆が京都本願寺の蓮如の子、九世実如上人の教えをうけ、浄土真宗に改宗しました。
その後、慶長4(1599)年、八上城下藤木村に移り、さらに慶長13(1608)年篠山城の築城に際し、現在地へ移築されました。
文化4(1807)年の大火で焼失しましたが山門は残りました。
文政2(1819)年、再建に着手し、安政5(1822)年に完成しました。
現在の庫裏と鐘楼は昭和60(1985)年の県道拡幅工事により新築されました。
尊宝寺 - 1
尊宝寺 - 1 posted by (C)pismo

尊宝寺 - 2
尊宝寺 - 2 posted by (C)pismo

河原町妻入商家群(かわらまちつまいりしょうかぐん)は、篠山市篠山伝統的建造物群保存地区の内、河原町、小川町を中心とした商家を中心とした旧街道の面影を残した町並みが残っている地域です。河原町は、篠山築城後間もなく町づくりが始められ、城下町篠山の商業の中心として大変栄えました。
家並みは、妻入商家に代表され、5〜8mほどの狭い間口、しかし奥行きは大半が40m以上と深く、表構えの大戸、千本格子や荒格子、中二階の出格子、ムシコ窓、袖壁、うだつなどが残っています。
河原町妻入商家群 - 01
河原町妻入商家群 - 01 posted by (C)pismo

河原町妻入商家群 - 02
河原町妻入商家群 - 02 posted by (C)pismo

河原町妻入商家群 - 03
河原町妻入商家群 - 03 posted by (C)pismo

河原町妻入商家群 - 04
河原町妻入商家群 - 04 posted by (C)pismo

河原町妻入商家群 - 05
河原町妻入商家群 - 05 posted by (C)pismo

河原町妻入商家群 - 06
河原町妻入商家群 - 06 posted by (C)pismo

河原町妻入商家群 - 07
河原町妻入商家群 - 07 posted by (C)pismo

河原町妻入商家群 - 08
河原町妻入商家群 - 08 posted by (C)pismo

河原町妻入商家群 - 09
河原町妻入商家群 - 09 posted by (C)pismo

河原町妻入商家群 - 10
河原町妻入商家群 - 10 posted by (C)pismo

再び篠山城に戻りました。寒空の夕方の風景は少し寂しいですが、風情があります。
篠山城 - 15
篠山城 - 15 posted by (C)pismo

篠山城 - 16
篠山城 - 16 posted by (C)pismo

篠山城 - 17
篠山城 - 17 posted by (C)pismo

篠山は何度も訪れている町ですが、今まであまり時間を掛けて回ったことがありませんでした。
今回は寒い中でしたが、ゆっくりと回ることが出来ました。
Posted at 2010/02/13 21:54:49 | コメント(4) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2010年01月09日 イイね!

神話の里出雲紀行(その4・稲佐の浜の夕陽〜出雲阿国の墓〜旧大社駅)

稲佐の浜は出雲大社のほぼ真西にあり、高天原から降った建御雷命が砂に太刀を逆さに立て、大国主神に国譲りの談判をしたといわれる浜です。また、「国引き神話」においては、島根半島と佐比売山(三瓶山)とをつなぐ綱であるとされています。
旧暦10月の神在月には、全国の神々がこの浜から上陸するといわれ、神迎えの神事が行われます。夏は海水浴客で賑わいます。日本のなぎさ100選にも選ばれています。
また、美しい夕日を見ることができます。
稲佐の浜 - 1
稲佐の浜 - 1 posted by (C)pismo

稲佐の浜 - 2
稲佐の浜 - 2 posted by (C)pismo

稲佐の浜 - 3
稲佐の浜 - 3 posted by (C)pismo

稲佐の浜 - 4
稲佐の浜 - 4 posted by (C)pismo

稲佐の浜 - 5
稲佐の浜 - 5 posted by (C)pismo

稲佐の浜 - 6
稲佐の浜 - 6 posted by (C)pismo

出雲阿国の墓は、稲佐の浜の近くにあります。
出雲阿国は、日本を代表する芸能・歌舞伎の始祖として知られていおり、大社町の鍛冶職中村三右衛門の子で出雲大社の巫女であったと伝えられています。
天正の頃、出雲大社本殿の修復勧進のため京都へ上り、世にいう歌舞伎踊りを創始しました。
豊臣秀吉や徳川家康の御前でも、この歌舞伎踊りを披露するほどに名をあげ、世に「天下一阿国」として知られました。
また、阿国と名護屋山三との熱愛ぶりも今の世に語り継がれています。

出雲阿国の墓
出雲阿国の墓 posted by (C)pismo

旧大社駅です。
大社駅は国鉄大社線が出雲市から大社まで明治45(1912)年6月に開業して以来、平成2(1990)年にJR大社線が廃線され廃駅となるまで出雲大社の表玄関口として親しまれてきました。
駅舎は、大正13(1924)年に改築されたもので、全国でも珍しい神社様式を取り入れた格調ある純日本風の木造建築です。
平成16(2004)年には国の重要文化財に指定されました。
駅舎内では、珍しい出雲大社の大祭に遣わされる皇室の勅使をもてなすための貴賓室や、駅名標、出雲大社の大鳥居がみえるホームなど当時のままに残され、「日本の建築200選」にも選ばれています。
また、構内にはD51形774号機関車が保存されています。当初は出雲大社神苑に保存されていましたが、平成13(2001)年に旧大社駅に移設展示されることになったものです。

旧国鉄大社駅 - 1
旧国鉄大社駅 - 1 posted by (C)pismo

旧国鉄大社駅 - 2
旧国鉄大社駅 - 2 posted by (C)pismo

旧国鉄大社駅 - 3
旧国鉄大社駅 - 3 posted by (C)pismo

旧国鉄大社駅 - 4
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旧国鉄大社駅 - 5
旧国鉄大社駅 - 5 posted by (C)pismo

旧国鉄大社駅 - 6
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旧国鉄大社駅 - 7
旧国鉄大社駅 - 7 posted by (C)pismo

今回のドライブはここまで。
Posted at 2010/01/30 18:49:33 | コメント(3) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2010年01月09日 イイね!

神話の里出雲紀行(その3・日御碕)

日御碕神社は島根半島の西端に位置し、神の宮に素盞嗚尊、日沈宮に天照大御神をお祀りしている神社です。
日沈宮の遠源は、神代の昔素戔嗚尊の御子神天葦根命又が、現社地にほど近い経島に天照大御神の御神託を受け祀ったと伝えられています。天暦2(948)年に、村上天皇の勅命により現在地に移りました。伊勢神宮が「日の本の昼を守る」のに対し、日御碕神社は「日の本の夜を守れ」 との「勅命」を受けた神社です。
神の宮は、素戔嗚尊が「吾が神魂はその柏葉の止まる所に住まん」と言い、投げた葉の止まったところがこの社地の背後の隠ヶ丘であったとされ、御子の天葺根命が斎き祀ったのが由来とされています。
安寧天皇13年(紀元前536年)に、安寧天皇の勅命により現在地に祀られました。
現在の社殿は、両宮とも、徳川三代将軍家光公の命で、日光東照宮建立の翌年となる寛永14(1637)年に、幕府直轄工事として建立されたものです。

日御碕神社 - 01
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日御碕神社 - 02
日御碕神社 - 02 posted by (C)pismo

日御碕神社 - 03
日御碕神社 - 03 posted by (C)pismo

日御碕神社 - 04
日御碕神社 - 04 posted by (C)pismo

日御碕神社 - 05
日御碕神社 - 05 posted by (C)pismo

出雲日御碕燈台は、島根半島のほぼ西端にある日御碕にある灯台です。
厳密には西端ではなく、少し北寄りにあります。
日御碕は「日本の自然100選」にも選ばれ、奇岩や絶壁などを楽しめます。
明治33(1900)年に着工され、明治36(1903)年4月1日に初点灯しました。
平成10(1998)年に世界燈台100選、日本の灯台50選に選ばれています。

日御碕 - 01
日御碕 - 01 posted by (C)pismo

日御碕 - 02
日御碕 - 02 posted by (C)pismo

日御碕 - 03
日御碕 - 03 posted by (C)pismo

日御碕 - 04
日御碕 - 04 posted by (C)pismo

日御碕 - 05
日御碕 - 05 posted by (C)pismo

日御碕 - 06
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日御碕 - 07
日御碕 - 07 posted by (C)pismo
Posted at 2010/01/30 12:01:15 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2010年01月09日 イイね!

神話の里出雲紀行(その2・出雲文化伝承館〜島根ワイナリー〜島根県立古代出雲歴史博物館〜出雲大社)

出雲文化伝承館は、出雲の歴史と文化に触れる憩いの場として平成3(1991)年にオープンした施設です。
中心となる出雲屋敷は出雲平野の大地主であった江角家の母屋と長屋門、庭園を移築したものです。
明治29(1896)年の建築で、広い土間や立派な欅の大国柱、重厚な黒松の梁組が屋敷の風格をあらわしています。
その他松平不昧公が愛用した茶室、独楽庵と露地、数寄屋建築の茶室松籟亭、文化財や美術館の展示施設やそば処があります。
出雲文化伝承館 - 01
出雲文化伝承館 - 01 posted by (C)pismo

出雲文化伝承館 - 02
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出雲文化伝承館 - 03
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出雲文化伝承館 - 04
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出雲文化伝承館 - 05
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出雲文化伝承館 - 06
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出雲文化伝承館 - 07
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出雲文化伝承館 - 08
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出雲文化伝承館 - 09
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出雲文化伝承館 - 10
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島根ワイナリーは、JAグループの関連会社が運営しているワインのテーマパークです。「試飲即売館バッカス」では、島根ワインの試飲を楽しみながらワインや県内特産物、お土産を買うことが出来ます。
ドライバーは、ワインでなく葡萄ジュースが試飲できます。
その他工場見学、飲食施設もあります。
島根ワイナリー
島根ワイナリー posted by (C)pismo

島根県立古代出雲歴史博物館は、出雲大社の東隣に平成19(2007)年3月10日に開館した歴史博物館です。
テーマ別展示室では、巨大神殿があった古代出雲大社の謎、荒神谷遺跡、加茂岩倉遺跡から出土した銅剣、銅矛、銅鐸などが展示されています。
総合展示室は古代から現代までの島根の人々の生活と交流の姿を紹介しています。
その他出雲大社境内から出土した宇豆柱の展示もされています。
島根県立古代出雲歴史博物館 - 01
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島根県立古代出雲歴史博物館 - 02
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島根県立古代出雲歴史博物館 - 03
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島根県立古代出雲歴史博物館 - 04
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島根県立古代出雲歴史博物館 - 05
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島根県立古代出雲歴史博物館 - 06
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出雲大社は、大国主命を祀り、縁結びの神様として知られている神社です。古代より杵築大社と呼ばれていましたが、明治4(1871)年に出雲大社と改称しました。
高さ約24mの日本最古の神社建築様式「大社造り」の国宝本殿など多くの建物があります。
かつての本殿は現在よりもさらに高く、中古には16丈(48m)、上古には32丈(約96m)であったと伝えられるが、平成12(2000)年から13(2001)年にかけて、出雲大社境内遺跡から杉の大木3本を1組にし、直径が約3mにもなる巨大な柱が3ヶ所で発見され、大きな注目を集めています。
現在、「平成の御遷宮」が行われており、平成20(2008)年御仮殿に御祭神がお遷し申し上げ、平成25(2013)年には、本殿遷座祭が行われます。
出雲大社 - 01
出雲大社 - 01 posted by (C)pismo

出雲大社 - 02
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出雲大社 - 03
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次は日御碕へ向かいます。
Posted at 2010/01/26 22:03:49 | コメント(4) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2010年01月09日 イイね!

神話の里出雲紀行(その1・熊野大社〜三刀屋城〜荒神谷遺跡)

新年初ドライブで、神話の里出雲に行きました。
初詣も遅ればせながらということ・・・
熊野大社は、伊邪那伎日真名子(いざなぎのひまなこ) 加夫呂伎熊野大神(かぶろぎくまのおおかみ) 櫛御気野命(くしみけぬのみこと)を祭神とする神社です。
御祭神が初めて鑽火(さんか)されたので火の発祥の神社として「日本火出初之社」(ひのもとひでぞめのやしろ)とも呼ばれ、出雲大社と共に出雲国一宮とされています。
創祀は斉明5年(659)とされています。
熊野大社 - 01
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熊野大社 - 02
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熊野大社 - 03
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熊野大社 - 04
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熊野大社 - 05
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熊野大社 - 06
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熊野大社 - 07
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三刀屋城は三刀屋氏の居城です。
承久3(1221)年、諏訪部扶長が三刀屋郷地頭職に任ぜられ築城したといわれています。
諏訪部氏は三刀屋氏と称し、この城を居城としました。
戦国時代、三刀屋久扶は月山富田城主・尼子氏に従いました。三刀屋城は尼子氏の支城として尼子十旗の一つとされました。
天文11(1542)年、大内義隆に攻められ大内氏に一旦従いました。その後再び尼子氏に従いましたが、尼子晴久の死後、義久の時代となった永禄5(1562)年、今度は毛利元就に従いました。しかし、天正16(1588)年に毛利輝元に領地を没収されました。
その後、毛利氏の支城でしたが、慶長5(1600)年、出雲を与えられた堀尾吉晴、堀尾忠氏父子の城となりました。当初、三刀屋城を改修し居城と考えていましたが、その後松江城を築城することになりました。
三刀屋城は元和の一国一城令で廃城となりました。
昭和61(1986)年、島根県の史跡となりました。現在は三刀屋城址公園として、桜の名所としても知られています。
三刀屋城 - 01
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三刀屋城 - 02
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三刀屋城 - 03
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三刀屋城 - 05
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三刀屋城 - 06
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三刀屋城 - 07
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三刀屋城 - 08
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荒神谷遺跡は国指定の史跡です。
昭和58(1983)年広域農道(出雲ロマン街道)建設にともなう遺跡分布調査で、調査員が田んぼのあぜ道で一片の土器を拾った事がきっかけとなり発見されました。遺跡は『出雲国風土記』記載の出雲郡の神名火山に比定されている仏経山の北東3kmに位置する斐川町神庭西谷にあります。
遺跡の南側に『三宝荒神』が祭られている事から荒神谷遺跡と命名され、翌昭和59(1984)年に谷あいの斜面を発掘調査したところ358本の銅剣が出土しました。
銅剣が埋納されていたのは、小さな谷間の標高22mの南向きの急斜面で、昭和60(1986)年には、その時点からわずか7m離れて銅鐸6個と銅矛16本が出土しました。銅剣は昭和60年に国の重要文化財に指定されています。
昭和62(1987)年には荒神谷遺跡が国の史跡となり、同じ年に銅鐸、銅矛も国の重要文化財となりました。
平成10(1998)年、銅剣・銅矛・銅鐸が一括して「島根県荒神谷遺跡出土品」として国宝に指定されました。
出土地点には、銅剣・銅矛・銅鐸が発見された様子が再現されています。
出土品は出雲市の島根県立古代出雲歴史博物館に展示されています。
荒神谷遺跡 - 01
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荒神谷遺跡 - 02
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荒神谷遺跡 - 03
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荒神谷遺跡 - 04
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荒神谷博物館は、平成17(2005)年10月6日に開館した荒神谷遺跡をテーマとした博物館です。遺跡に隣接したサイトミュージアム(遺跡博物館)として
荒神谷遺跡の発見の経緯や出土されたものについてわかりやすく学べます。
荒神谷博物館 - 1
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荒神谷博物館 - 2
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次は、出雲大社の周辺へ向かいます。
Posted at 2010/01/24 18:02:33 | コメント(2) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記

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