この日は、丹波の城下町・篠山を訪れました。
篠山城は、慶長14(1609)年、徳川家康が京都から山陰・山陽両道に通じる要衝である篠山盆地に豊臣氏の大阪城と西国諸大名を監視する布石として、藤堂高虎の縄張りで築城させました。初代藩主は家康の子と篠山では言われている松井松平氏の松平康重が八上城から入城しました。元和5(1619)年、康重は岸和田に転封され、篠山城には藤井松平氏の松平信吉が入城し、忠国の代に明石へ転封されました。代わって摂津高槻藩より形原松平氏の松平康信が5万石で入り、5代続きました。
寛延元(1748)年、青山忠朝が入城し、幕末まで青山氏の居城でした。
大書院は篠山城築城と同時に建てられましたが、昭和10(1933)年1月6日夜焼失しました。長年建物がない城でしたが、平成12(2000)年4月ついに大書院が再建されました。創建当初に天守台が築かれたが天守は建てられませんでした。
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小林家長屋門は、茅葺入母屋造りで文化2(1805)年頃、篠山藩主青山忠裕が老女小林千衛のために改築した長屋門です。篠山城の西堀に面したところにあります。
現在もお住まいです。
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篠山市立武家屋敷安間家史料館は、慶長14(1609)年の篠山城完成時の城下町の町割によりできた御徒士町の一角にあります。
安間家は篠山藩主青山家の家臣で、高12石3人扶持の標準的な徒士住宅でした。
安間氏から寄贈され平成6(1994)年10月から平成7(1995)年3月にかけて全面的な改修が行われ、史料館として活用されています。
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御徒士町武家屋敷群は慶長14(1609)年に篠山城が完成した際に、同時に行なわれた町割で誕生しました。
篠山城の外濠に沿って南北の通りをつけ、西側に徒士を住まわせました。
このときに割り当てられた間口は、平均8間でありました。
天保元(1830)年の火災により大半が焼失しました。
復興に際し道路の西側は屋敷を約6尺(1.8m)後退させており、現存する徒士住宅の大部分のものは天保の火災の後ほどなく建てられたものです。今なお十数戸のお徒士衆の住宅が存在し、武家屋敷の面影をよく留めています。
篠山市篠山伝統的建造物群保存地区として重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
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篠山市立青山歴史村は、「桂園舎」と名付けられた建物を中心にして、3棟の土蔵と旧澤井家長屋門から成っています。篠山藩の古文書、漢学書関係の版木1200余枚や篠山城石垣修理の図面など貴重な文化財を展示してあります。
昭和62(1987)年から青山歴史村として一般公開しています。平成10(1998)年に歴史村を管理していた財団法人青山会から篠山市に全資産をご寄付いただいたのを機会に市立の史料館として蔵書の保存を図っています。
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大正ロマン館は、大正12(1923)年に篠山町役場として竣工した西洋館です。平成4(1992)年に役場としての使用を終え、改修を経て翌平成5(1993)年に「大正ロマン館」という名称で観光施設になりました。
館内にはレストランや売店など、丹波篠山の特産品が充実しています。
大正ロマン館(旧篠山町役場) posted by
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誓願寺は、浄土宗の寺院で、山号は清浄山です。
八上城主波多野秀治が天正年間に足利義輝の子覚山天誉(足利義高)を開山として高城山の麓に創建しました。
その後、慶長14(1609)年、篠山城が築城されると篠山城下の現在地に移されました。
本尊は、阿弥陀如来像で、三岳の福泉寺にあったもので法道上人作と伝えられています。
楼門は本堂と共に室町後期の様式を残しています。
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春日神社は貞観18(876)年日置荘を領有していた藤原基経、藤原時平父子により藤原氏の氏神である奈良の春日大社より分祀し、黒岡村南部の当時は笹山と呼ばれた場所に創建したのが始まりです。笹山は慶長14(1609)年、篠山城が築城されたため、現在の地に遷されました。
境内には、文久元(1861)年篠山藩第13代藩主青山忠良に寄進された能楽殿があります。箱根より西でこのような立派な舞台はないとまで言われました。平成15(2003.)年に国の重要文化財に指定されています。
絵馬堂には22面の絵馬が展示されていて、中でも「黒神馬」「大森彦七南朝の雄魂に悩まされる図」は有名です。
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篠山市立歴史美術館は、かつての篠山裁判所の建物を使用しています。
篠山裁判所は、明治10(1877)年に篠山藩庁の建物を使用して発足しましたが、明治24(1891)年に民事・刑事の一審のみを取り扱う地方裁判所として新しい庁舎が建築されました。これが現在の篠山市立歴史美術館です。
木造建築の裁判所としては我が国最古のもので、昭和57(1982)年に篠山町文化財として指定されました。
この裁判所を外観及び旧法廷を従来の姿で残し、その他は美術館にふさわしく内部を改築し昭和57(1982)年4月に開館しました。
篠山に伝わる武具、漆芸、絵画などの美術品をはじめ、篠山藩の御用窯として開窯した王地山焼の名品の数々のほか、古代の埋蔵文化財を収蔵・展示しています。
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尊宝寺は、山号は嶺松山、浄土真宗本願寺派の寺院です。
永正3(1506)年、加竹法印重尊が八上城の外艮(東北)の方角に天台宗の尊宝院として創建し子の印清雪隆が開山となり居住しました。
永正9(1612)年、雪隆が京都本願寺の蓮如の子、九世実如上人の教えをうけ、浄土真宗に改宗しました。
その後、慶長4(1599)年、八上城下藤木村に移り、さらに慶長13(1608)年篠山城の築城に際し、現在地へ移築されました。
文化4(1807)年の大火で焼失しましたが山門は残りました。
文政2(1819)年、再建に着手し、安政5(1822)年に完成しました。
現在の庫裏と鐘楼は昭和60(1985)年の県道拡幅工事により新築されました。
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河原町妻入商家群(かわらまちつまいりしょうかぐん)は、篠山市篠山伝統的建造物群保存地区の内、河原町、小川町を中心とした商家を中心とした旧街道の面影を残した町並みが残っている地域です。河原町は、篠山築城後間もなく町づくりが始められ、城下町篠山の商業の中心として大変栄えました。
家並みは、妻入商家に代表され、5〜8mほどの狭い間口、しかし奥行きは大半が40m以上と深く、表構えの大戸、千本格子や荒格子、中二階の出格子、ムシコ窓、袖壁、うだつなどが残っています。
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再び篠山城に戻りました。寒空の夕方の風景は少し寂しいですが、風情があります。
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篠山は何度も訪れている町ですが、今まであまり時間を掛けて回ったことがありませんでした。
今回は寒い中でしたが、ゆっくりと回ることが出来ました。
Posted at 2010/02/13 21:54:49 | |
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