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ピズモのブログ一覧

2010年04月21日 イイね!

国立国際美術館のルノワール展

国立国際美術館のルノワール展この日は、国立国際美術館で開催中のルノワール展に行ってみました。
国立国際美術館、建物が面白いと聞いていましたが入口が屋上にある以外はほとんど地下にある不思議な建物。



ルノワール展は色々な場所でよく開催されていますが、何度訪れても気分が明るくなるような絵が多いです。
テーマ別に分かれている展示方法、平日とあってゆっくりと楽しめました。
Posted at 2010/06/13 17:13:24 | コメント(1) | トラックバック(0) | 芸術 | 日記
2010年04月17日 イイね!

南信州〜遠州ドライブ(その2・二俣城、浜松城とうなぎ)

飯田の後は、天竜川を南下し、県道1号飯田富山佐久間線を通るルートを使用しました。
しかし、これが大失敗。愛知県北設楽郡豊根村(旧富山村)で崖崩れのため通行止め。
これなら、信玄上洛ルートの青崩峠や、兵越峠を通れば良かった・・・結構な悪路のようですが。
おかげで浜松市に入るともう夕方に。

とりあえず、二俣城へ。
二俣城は天竜川沿いの難攻不落の城で、武田、徳川の攻防の舞台としても知られています。
元亀3年(1572)10月、武田信玄は大軍を率い、信濃を経て遠江に進入し二俣城を攻撃しました。武田軍は力攻めの方法をとらず、城の水の手を断つ作戦を選びました。徳川軍の城兵が崖に櫓を建て、釣瓶で天竜川から水を汲み上げているのを知り、上流から筏を流して井戸櫓の釣瓶を破壊したため、2ヶ月ほどで二俣城は落城しました。
天正3(1575)年5月、長篠の戦いで勝利を得た徳川軍は、遠江から武田勢を一掃すべく二俣城の攻撃に着手しました。鳥羽山に本陣を置き、毘沙門堂、蜷原、渡ヶ島に砦を築き二俣城を包囲しました。武田軍は7ヶ月で兵糧が底をつき城を明渡しました。徳川家の支配下になったため二俣城には家康の重臣大久保忠世が入城し、徳川が関八州へ移封する天正18年(1590)まで在城しました。
この間大規模な修築がなされ天守台を始めとする諸施設を構築したと考えられています。
大久保忠世が在城中の天正7(1579)年9月15日、家康の嫡子信康の自刃事件が二俣城で起きました。信康とその母築山御前が武田と通じていたことを理由に、織田信長が信康を切腹させるよう家康に命じた事件です。
家康の移封後は堀尾吉晴が浜松城に入り、二俣城はその支城となりましたが、慶長5(1600)年に堀尾氏が出雲に転封すると廃城となりました。
二俣城 - 1
二俣城 - 1 posted by (C)pismo

二俣城 - 2
二俣城 - 2 posted by (C)pismo

二俣城 - 3
二俣城 - 3 posted by (C)pismo

二俣城 - 4
二俣城 - 4 posted by (C)pismo

二俣城近くの清瀧寺です。
清瀧寺は、京都知恩院の末寺で、本尊は阿弥陀如来、浄土宗の寺院です。
天正7(1579)年9月15日、岡崎次郎三郎信康が二俣城で自害した際、遺骸をこの寺に葬りました。法名を騰雲院殿三州達岩善通大禅定門といいます。
天正9(1581)年、徳川家康はこの寺に来臨し、清水の湧き出るのを見て寺名を清瀧寺と名付け、信康に清瀧寺殿と諡をしました。
境内には、信康の他に殉死した吉良於初、当時の二俣城主大久保忠世、三方ヶ原で討死した中根平左衛門正照、青木又四郎吉継らの墓もあります。
境内には二俣城の井戸櫓が復元されています。
清瀧寺 - 01
清瀧寺 - 01 posted by (C)pismo

清瀧寺 - 02
清瀧寺 - 02 posted by (C)pismo

清瀧寺 - 03
清瀧寺 - 03 posted by (C)pismo

清瀧寺 - 04
清瀧寺 - 04 posted by (C)pismo

清瀧寺 - 05
清瀧寺 - 05 posted by (C)pismo

清瀧寺 - 06
清瀧寺 - 06 posted by (C)pismo

清瀧寺 - 07
清瀧寺 - 07 posted by (C)pismo

そして、浜松城
浜松城はかつては、今川の臣飯尾氏の居城で「曳馬城」と呼ばれていました。
永禄11(1568)年徳川家康が攻略し、自らの居城としました。
元亀元(1570)年に家康は本拠地を岡崎城から移し、浜松城と城の名前を改めました。
元亀3(1573)年、武田信玄が浜松城を素通りし、西上しようとしたところ、徳川家康は浜松城から打って出て、三方ヶ原で激突しました。しかし、徳川軍は武田軍に敗北を喫してしまいます。
その後、浜松城は武田軍へ備える必要もあり、拡張・改修を加えました。しかし、武田家滅亡後、駿河、甲斐、信濃へ領土を広げた家康は、天正14(1586)年、浜松城から駿府城に本拠を移しました。
天正18(1590)年の徳川家康の関東移封後は、堀尾吉晴、堀尾忠氏が在城しました。
江戸時代は譜代大名達の居城となり、水野忠邦他幕府閣僚への登竜門となった城で「出世城」と呼ばれました。

浜松城 - 01
浜松城 - 01 posted by (C)pismo

浜松城 - 02
浜松城 - 02 posted by (C)pismo

浜松城 - 03
浜松城 - 03 posted by (C)pismo

浜松城 - 04
浜松城 - 04 posted by (C)pismo

と遠州は少し消化不良気味。三方ヶ原古戦場、曳馬城などまだ宿題があるのですが、もう暗くなってしまいました。ということでうなぎを食べて帰ろうと言うことで食べログで人気かんたろうへ。
かんたろう
かんたろう posted by (C)pismo

と、すこしいつもに比べれば回る数も訪れる施設も地味な感じですが、雪、桜、史跡と楽しめました。
Posted at 2010/05/04 20:43:14 | コメント(3) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2010年04月17日 イイね!

南信州〜遠州ドライブ(その1・阿智村〜飯田市)

この日は友人と南信州へ。
本当は岐阜県の淡墨桜を見に行きたかったのですが、今年度はもう散りかけということで、信州ならまだ桜が残っているだろうと適当に回ってみることにしました。
しかし、この日は異常低温で、恵那トンネルを越えると銀世界。4月も半ばを過ぎようとしているのに・・・
阿智村の桜名所からスタートです。
阿智村智里付近
阿智村智里付近 posted by (C)pismo

信濃比叡の桜 - 01
信濃比叡の桜 - 01 posted by (C)pismo

信濃比叡の桜 - 02
信濃比叡の桜 - 02 posted by (C)pismo

月見堂は、伝教大師最澄が建てた広拯院の跡地といわれています。
伝教大師は、東国への布教を計画し弘仁8(817)年、東山道を下りました。
美濃の坂本から神坂峠を越えて阿智駅までの道程は予想以上の困難なものであることを体験し、しかも道中の長いのに難渋し、峠の両側に広済、広拯の二つの院(布施屋)を設けて旅人の便に供しました。
月見堂は通称で、本来は薬師堂であり薬師如来を祀っています。眺望が良く、かつて文人等がここで中秋の名月を賞したことからこの名があります。
園原周辺は、比叡山とゆかりの強い地であることから平成12(2000)年6月、信濃比叡の呼称が許されました。
広拯院月見堂 - 1
広拯院月見堂 - 1 posted by (C)pismo

信濃比叡の桜 - 03
信濃比叡の桜 - 03 posted by (C)pismo

信濃比叡の桜 - 04
信濃比叡の桜 - 04 posted by (C)pismo

駒つなぎの桜は「義経駒繋ぎの桜」ともいわれ、吉次に導かれ源義経が奧州に下向するとき、この木に馬を繋いだといわれています。
エドヒガン桜で目通り4m、高さ約20mあるそうです。
老木は朽ち果て、現在のはひこばえであるともいわれています。まだ、満開には時間がかかりそうでした。
駒つなぎの桜 - 01
駒つなぎの桜 - 01 posted by (C)pismo

駒つなぎの桜 - 02
駒つなぎの桜 - 02 posted by (C)pismo

駒つなぎの桜 - 03
駒つなぎの桜 - 03 posted by (C)pismo

信濃比叡の桜 - 05
信濃比叡の桜 - 05 posted by (C)pismo

信濃比叡の桜 - 06
信濃比叡の桜 - 06 posted by (C)pismo

信濃比叡の桜 - 07
信濃比叡の桜 - 07 posted by (C)pismo

信濃比叡の桜 - 08
信濃比叡の桜 - 08 posted by (C)pismo

信濃比叡の桜 - 09
信濃比叡の桜 - 09 posted by (C)pismo

信濃比叡の桜 - 10
信濃比叡の桜 - 10 posted by (C)pismo

黒船桜は、ペリーが来航した嘉永6(1853)年に植えられたとされる古木です。
清内路小学校の対岸にあります。
黒船桜 - 01
黒船桜 - 01 posted by (C)pismo

黒船桜 - 02
黒船桜 - 02 posted by (C)pismo

黒船桜 - 03
黒船桜 - 03 posted by (C)pismo

黒船桜 - 04
黒船桜 - 04 posted by (C)pismo

黒船桜 - 05
黒船桜 - 05 posted by (C)pismo

清中ざくらは、平成22(2010)年3月17日、清内路中学校が閉校し、阿智中学校へ統合された時の記念として命名されました。
樹齢100年以上あり、清内路中学校南側の高台から中学校を見つめてきた桜です。黒船桜と感じが似ています。
清中ざくら - 1
清中ざくら - 1 posted by (C)pismo

武田信玄公を火葬にした寺、長岳寺にも立ち寄りました。ここは、平成18年にも立ち寄っています。
長岳寺 - 1
長岳寺 - 1 posted by (C)pismo

長岳寺 - 2
長岳寺 - 2 posted by (C)pismo

長岳寺 - 3
長岳寺 - 3 posted by (C)pismo

長岳寺 - 4
長岳寺 - 4 posted by (C)pismo

ここからは、飯田市です。
杵原学校(旧山本中学校杵原校舎)は、昭和24(1949)年に新制山本中学校として建築された建物です。
新制中学校校舎として全国で初めての国登録有形文化財になりました。吉永小百合主演の映画「母べえ」のロケ地にもなりました。
校舎の前の大きなしだれ桜は有名ですが、訪れた時には散ってしまっていました。
杵原学校 - 1
杵原学校 - 1 posted by (C)pismo

杵原学校 - 2
杵原学校 - 2 posted by (C)pismo

飯田城にも立ち寄りました。ここも、平成18年に立ち寄っています。
飯田城 - 1
飯田城 - 1 posted by (C)pismo

飯田市川本喜八郎記念美術館は、NHK人形劇「三国志」などで知られる人形美術家の川本喜八郎氏の作品などを展示している美術館です。
平成2(1990)年、飯田市で毎年夏に開催されている人形劇カーニバル飯田(現在はいいだ人形劇フェスタ)で行われた人形劇三国志公演にあわせて川本氏は飯田市を訪れたのが縁で作品を寄贈し、平成19(2007)年、人形劇文化の拠点施設として飯田市川本喜八郎記念美術館がオープンしました。
館内は、三国志や平家物語の人形などが展示してありました。
飯田市川本喜八郎人形美術館 - 1
飯田市川本喜八郎人形美術館 - 1 posted by (C)pismo

飯田市川本喜八郎人形美術館 - 2
飯田市川本喜八郎人形美術館 - 2 posted by (C)pismo

ここからは、天竜川沿いをドライブして、一路浜松を目指します。
Posted at 2010/04/29 23:29:01 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2010年04月14日 イイね!

常照皇寺の桜

仁和寺の後は、京都市内ではありますがかなり郊外でかつての京北町にある常照皇寺を訪れました。

常照皇寺は、臨済宗天龍寺派の寺院で山号は大雄名山万寿(だいおうめいざんまんじゅ)です。「九重桜」と「御車返しの桜」が名高いお寺です。
北朝の初代天皇であった光厳天皇が貞治元(1362)年、政争を避けてこの寺を創建しました。
山里へと身を移した光厳天皇の厳しい暮らしを慰めるため、光明天皇が都から持参し、共に手植えしたのが「九重桜」で、後水尾天皇が牛車を返して、ご覧になったのが「御車返しの桜」です。ただし、現在の「御車返しの桜」は2代目で、枯れた初代が幹だけ隣にあります。
昔は、「桜を見に来ました」というと住職さんに怒られ、「お参りさせてくださいといいなさい」とたしなめられたというエピソードも聞きますが、今は桜や紅葉シーズンには観光バスで来るようなお寺になっています。
紅葉のシーズンも見事。京都の町中も良いですが、都の喧噪がないこの地の落ち着いた雰囲気もなかなか良いです。ただし桜のシーズンはそれなりに混雑します。
何度もここには行っていますが、満開の時期には縁がありません。
以前訪れた時には「仁和寺の満開時期が目安になります」と聞いていたので期待していたのですが、今年の異常気象で桜の開花もすこしずれが生じているのでしょうか。
今回は九重桜は、もう落花盛んで、御車返しの桜はまだ咲き始めの状態でした。
常照皇寺 - 01
常照皇寺 - 01 posted by (C)pismo

常照皇寺 - 02
常照皇寺 - 02 posted by (C)pismo

常照皇寺 - 03
常照皇寺 - 03 posted by (C)pismo

常照皇寺 - 04
常照皇寺 - 04 posted by (C)pismo

常照皇寺 - 05
常照皇寺 - 05 posted by (C)pismo

常照皇寺 - 06
常照皇寺 - 06 posted by (C)pismo

常照皇寺 - 07
常照皇寺 - 07 posted by (C)pismo

常照皇寺 - 08
常照皇寺 - 08 posted by (C)pismo

常照皇寺 - 09
常照皇寺 - 09 posted by (C)pismo

常照皇寺 - 10
常照皇寺 - 10 posted by (C)pismo

常照皇寺 - 11
常照皇寺 - 11 posted by (C)pismo

常照皇寺 - 12
常照皇寺 - 12 posted by (C)pismo

常照皇寺 - 13
常照皇寺 - 13 posted by (C)pismo

常照皇寺 - 14
常照皇寺 - 14 posted by (C)pismo

常照皇寺 - 15
常照皇寺 - 15 posted by (C)pismo

常照皇寺 - 16
常照皇寺 - 16 posted by (C)pismo

常照皇寺 - 17
常照皇寺 - 17 posted by (C)pismo

常照皇寺 - 18
常照皇寺 - 18 posted by (C)pismo

常照皇寺 - 19
常照皇寺 - 19 posted by (C)pismo

山門を出た駐車場の入口付近にあるこの紅シダレザクラが一番見頃のようでした。
常照皇寺 - 20
常照皇寺 - 20 posted by (C)pismo

常照皇寺 - 21
常照皇寺 - 21 posted by (C)pismo

常照皇寺 - 22
常照皇寺 - 22 posted by (C)pismo

近くの黒田百年桜はまだ咲いていません。ここの桜もお気に入りなのですが。
黒田百年桜 - 1
黒田百年桜 - 1 posted by (C)pismo

この日の桜めぐりはここまで。
Posted at 2010/04/25 20:14:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2010年04月14日 イイね!

仁和寺の御室桜

龍安寺の次は、御室桜で有名な仁和寺を訪れました。
背の低い、遅咲きの桜。仁和寺の桜が終わると、京都は春から夏へ向かっていく感じがしますが、ここのところの低温はそんな感じがしませんね。
仁和寺は、真言宗御室派の総本山です。仁和2(886)年、光孝天皇の勅願により創建され、仁和4(888)年に完成し年号を寺名としました。
宇多天皇が落髪入寺し寺内に御室(御座所)を設け、御室御所と呼ばれました。
以後、明治まで代々法親王が門跡となり門跡寺院の筆頭でした。
旧御室御所御殿の御所風たたずまい、豪華な障壁画が見事です。平成6(1994)年12月「古都京都の文化財」として、世界文化遺産に登録されました。
仁和寺 - 01
仁和寺 - 01 posted by (C)pismo

仁和寺 - 02
仁和寺 - 02 posted by (C)pismo

仁和寺 - 03
仁和寺 - 03 posted by (C)pismo

仁和寺 - 04
仁和寺 - 04 posted by (C)pismo

仁和寺 - 05
仁和寺 - 05 posted by (C)pismo

仁和寺 - 06
仁和寺 - 06 posted by (C)pismo

仁和寺 - 07
仁和寺 - 07 posted by (C)pismo

仁和寺 - 08
仁和寺 - 08 posted by (C)pismo

仁和寺 - 09
仁和寺 - 09 posted by (C)pismo

仁和寺 - 10
仁和寺 - 10 posted by (C)pismo

仁和寺 - 11
仁和寺 - 11 posted by (C)pismo

仁和寺 - 12
仁和寺 - 12 posted by (C)pismo

仁和寺 - 13
仁和寺 - 13 posted by (C)pismo

仁和寺 - 14
仁和寺 - 14 posted by (C)pismo

仁和寺 - 15
仁和寺 - 15 posted by (C)pismo

この後は、常照皇寺へ向かいます。
Posted at 2010/04/25 11:14:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記

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