• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

ピズモのブログ一覧

2010年05月03日 イイね!

H22越後上杉紀行(3日目その4・平林城)

村上市の旧神林村にある平林城を訪れました。
平林城は、色部氏の居城です。麓の館城と加護山に築かれた山城から成り立っています。
麓の館城は建久の昔(1190年頃)この地の豪族平林内蔵助代々の居城でしたが、南北朝動乱の際、平林氏は色部氏の意向に反して新田義貞勢に属したため、色部氏に攻められ、領地とともに没収されました。
山頂までの古城跡は、磐船小泉荘平林加護山城と呼ばれ、嘉禄の昔(1226年頃)入部した色部氏累代の居城でした。
戦国時代、色部家では、勝長、顕長、長真と名将が相次いで出現し、上杉謙信の元で活躍しました。
慶長3(1589)年色部氏は米沢金山城へ移ったため、平林城は廃城となりました。
昭和53(1978)年、国の史跡に指定されています。
平林城〔平林館城〕 - 01
平林城〔平林館城〕 - 01 posted by (C)pismo

平林城〔平林館城〕 - 02
平林城〔平林館城〕 - 02 posted by (C)pismo

平林城〔平林館城〕 - 03
平林城〔平林館城〕 - 03 posted by (C)pismo

平林城〔平林館城〕 - 04
平林城〔平林館城〕 - 04 posted by (C)pismo

平林城〔平林館城〕 - 05
平林城〔平林館城〕 - 05 posted by (C)pismo

平林城〔平林館城〕 - 06
平林城〔平林館城〕 - 06 posted by (C)pismo

平林城〔平林館城〕 - 07
平林城〔平林館城〕 - 07 posted by (C)pismo

平林城〔平林館城〕 - 08
平林城〔平林館城〕 - 08 posted by (C)pismo

平林城〔平林館城〕 - 09
平林城〔平林館城〕 - 09 posted by (C)pismo

平林城〔平林館城〕 - 10
平林城〔平林館城〕 - 10 posted by (C)pismo

平林城〔平林館城〕 - 11
平林城〔平林館城〕 - 11 posted by (C)pismo

平林城〔平林館城〕 - 12
平林城〔平林館城〕 - 12 posted by (C)pismo

加護山城は、麓の館城の詰城として使用されました。標高281mあり要害山ともいわれていますが、名の由来は籠に似ていることから文才に優れた色部氏が籠山といったともいわれていますが、領国の「加納荘」を護る山との意味から加護山と読んだそうです。
永正5(1508)年、色部昌長は、越後守護上杉房能を助けて守護代長尾為景に対して兵を挙げました。これに対して長尾方は中条藤資、築地修理亮忠基らの連合軍により平林城を攻撃しました。昌長は要害の地を利用して抗戦しましたが長尾方はひそかに間者を加護山城内に侵入させ、火を放って焼き払ったため、昌長は長尾方に降伏しました。
麓の館城からは40分程度かかります。遺構はよく残っています。
平林城〔加護山城〕・城戸門跡 - 01
平林城〔加護山城〕・城戸門跡 - 01 posted by (C)pismo

平林城〔加護山城〕 ・長辺田の馬洗場- 02
平林城〔加護山城〕 ・長辺田の馬洗場- 02 posted by (C)pismo

平林城〔加護山城〕・首切り清水 - 03
平林城〔加護山城〕・首切り清水 - 03 posted by (C)pismo

平林城〔加護山城〕 - 04
平林城〔加護山城〕 - 04 posted by (C)pismo

平林城〔加護山城〕 - 05
平林城〔加護山城〕 - 05 posted by (C)pismo

平林城〔加護山城〕 - 06
平林城〔加護山城〕 - 06 posted by (C)pismo

平林城〔加護山城〕 - 07
平林城〔加護山城〕 - 07 posted by (C)pismo

平林城〔加護山城〕 - 08
平林城〔加護山城〕 - 08 posted by (C)pismo

平林城〔加護山城〕 - 09
平林城〔加護山城〕 - 09 posted by (C)pismo

平林城〔加護山城〕 - 10
平林城〔加護山城〕 - 10 posted by (C)pismo

平林城〔加護山城〕 - 11
平林城〔加護山城〕 - 11 posted by (C)pismo

平林城〔加護山城〕 - 12
平林城〔加護山城〕 - 12 posted by (C)pismo

平林城〔加護山城〕 - 13
平林城〔加護山城〕 - 13 posted by (C)pismo

次は、村上城(本庄城)へ向かいます。
Posted at 2010/06/07 22:52:52 | コメント(2) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2010年05月03日 イイね!

H22越後上杉紀行(3日目その3・胎内市の奥山荘史跡めぐり)

新発田から北上し、胎内市に来ました。
ここは平安〜鎌倉時代の城氏、揚北衆として知られる和田氏の系統の中条氏、黒川氏関連の史跡が充実しています。

奥山荘歴史館は、「奥山荘歴史の広場」として江上館のある場所に整備された場所にある資料館です。
奥山荘は中世の荘園で、現在も城館遺跡などがこの地方に確認されています。
奥山荘歴史館は、奥山荘の歴史や、江上館の出土遺物を紹介しています。
職員の方が丁寧に説明してくださいます。
奥山荘歴史館
奥山荘歴史館 posted by (C)pismo

江上館は、木曽義仲追討の恩賞として、鎌倉幕府から奥山荘地頭職を与えられた和田義茂の子孫の中条氏の居館です。
江上館は越後三浦和田氏の惣領家・中条氏の15世紀の居館といわれています。
中条氏は戦国時代には庶流の羽黒氏の居館を接収し、鳥坂城に本拠地を移しました。
奥山荘城館遺跡として国の史跡に指定されており、現在は奥山荘歴史の広場として整備され、平成14(2002)年5月10日オープンしました。
江上館 - 01
江上館 - 01 posted by (C)pismo

江上館 - 02
江上館 - 02 posted by (C)pismo

江上館 - 03
江上館 - 03 posted by (C)pismo

江上館 - 04
江上館 - 04 posted by (C)pismo

江上館 - 05
江上館 - 05 posted by (C)pismo

江上館 - 06
江上館 - 06 posted by (C)pismo

江上館 - 07
江上館 - 07 posted by (C)pismo

江上館 - 08
江上館 - 08 posted by (C)pismo

江上館 - 09
江上館 - 09 posted by (C)pismo

江上館 - 10
江上館 - 10 posted by (C)pismo

坊城館は、木曽義仲追討の恩賞として、鎌倉幕府から奥山荘地頭職を与えられた和田氏の初期の館です。
鎌倉時代、この地を本拠地として使用していたようです。
室町時代にはすぐ北側の江上館を築き移転したようです。
平成18(2006)年1月26日には、奥山荘城館遺跡として国の史跡に「古舘館跡」(古舘)とともに追加指定されました。
発掘調査を終え、現在史跡公園として整備中です。
坊城館 - 1
坊城館 - 1 posted by (C)pismo

坊城館 - 2
坊城館 - 2 posted by (C)pismo

胎内市役所から鳥坂城を望む板額御前の像です。板額御前は、鎌倉時代の勇婦で、建仁元(1201)年、甥の資盛と共に平氏再興を企て、越後国鳥坂城で兵を挙げました。
源頼家は佐々木盛綱を遣わし攻撃しましたが、板額御前は奮戦し束髪に腹巻を着け、楼上から矢を射て敵を悩ませました。
しかし、信濃の藤沢清親が背後の高みから狙い撃った矢が板額御前の腿を射貫いたため倒れ捕らわれました。
そして、鎌倉の頼家の元に送られ、後に弓の名手浅利与一義成に請われ妻となり、甲斐国に同伴しその地で亡くなりました。
中条町(現在の胎内市)では、板額御前奮戦800年を記念して広く町民等から浄財を募り、平成13(2001)年10月14日に中条町庁舎(現在の胎内市役所)前に銅像を建立しました。
鳥坂山をのぞむ角度に配置されています。
板額御前の銅像 - 1
板額御前の銅像 - 1 posted by (C)pismo

板額御前の銅像 - 2
板額御前の銅像 - 2 posted by (C)pismo

鳥坂城は、築城時期は不明ですが、伝承によると治承4(1180)年、越後守に任ぜられた城資永が有事の際の要害として取り立てたとたといわれています。
建仁元(1201)年、城資永の子資盛が鎌倉幕府に反旗を翻し、叔母の板額御前と共に奮戦しましたが落城しました。
その後和田義盛の弟義茂に越後奥山庄の地頭職となり、子孫は中条氏、黒川氏、関沢氏、築地氏、金山氏など多くの庶流を生み出しました。
中条氏は、江上館を平時の居館とし、また鳥坂城を有事の際の砦として取り立てたと考えられています。
室町期以降、中条氏は江上館から鳥坂城をに本拠を移しました。
その後中条氏は同族黒川氏との領地争いが頻発し、天正6(1578)年の「御館の乱」では景勝方に与した中条景泰と三郎景虎方に与した黒川清実が対立し、鳥坂城は黒川勢の攻撃を受けて一時落城しています。
しかし、一族の築地氏が黒川城を攻めたり攻防を繰り広げられましたが、結局御館の乱は景勝方の勝利に終わりました。
天正10(1582)年、「魚津城の戦い」で景泰が討死にすると嫡子一黒丸(後の三盛)が中条家の家督を継承しましたが、慶長3(1598)年 三盛は上杉景勝の会津転封に同道して鮎貝城に移ったため、鳥坂城は廃城となりました。
現在、宮の入コース入口付近(南側)の山麓居館跡と頂上の山城跡に遺構が残ります。
白鳥コースから登ってみましたが、沢伝いでのルートのため、かなり歩きにくかったです。
帰りに通った宮の入コースの方が歩きやすかったです。
鳥坂城 - 01
鳥坂城 - 01 posted by (C)pismo

鳥坂城 - 02
鳥坂城 - 02 posted by (C)pismo

鳥坂城 - 03
鳥坂城 - 03 posted by (C)pismo

鳥坂城 - 04
鳥坂城 - 04 posted by (C)pismo

鳥坂城 - 05
鳥坂城 - 05 posted by (C)pismo

鳥坂城 - 06
鳥坂城 - 06 posted by (C)pismo

鳥坂城 - 07
鳥坂城 - 07 posted by (C)pismo

鳥坂城 - 08
鳥坂城 - 08 posted by (C)pismo

鳥坂城 - 09
鳥坂城 - 09 posted by (C)pismo

黒川陣屋は、黒川藩柳沢氏の陣屋です。黒川藩は、享保9(1724)年に柳沢吉保の四男柳沢経隆が1万石で入封し黒川藩を立藩しました。
柳沢家は定府大名のため、黒川陣屋で政務を行うことは基本的にはありませんでしたが、文久3(1863)年に7代藩主柳沢光昭は藩校を開校させました。
明治元(1868)年の戊辰戦争では奥羽越列藩同盟に参加しましたが、新発田藩が新政府側につくと隣接する三日市藩とともに新政府に恭順しました。
明治4(1871)年、廃藩置県となり黒川県となった後新潟県に編入されました。
陣屋跡は現在胎内市立黒川小学校となっており、遺構は残っていません。石碑や説明看板もないのは寂しい限りです。
黒川陣屋 - 1
黒川陣屋 - 1 posted by (C)pismo

黒川陣屋 - 2
黒川陣屋 - 2 posted by (C)pismo

黒川陣屋 - 3
黒川陣屋 - 3 posted by (C)pismo

次は、更に北上し村上へ向かいます。
Posted at 2010/06/06 22:35:29 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2010年05月03日 イイね!

H22越後上杉紀行(3日目その2・新発田の清水園)

この次は、いよいよ新発田市内最後、清水園を訪れました。
清水園は11年前に訪れましたが、その美しい庭園が印象に残っています。夕方と言うことで閉館間近であまりゆっくり見ることができなかったのが心残りでしたが、今回は久々の訪問で堪能しました。

清水園の駐車場横には、旧石黒家住宅があります。
旧石黒家住宅は、新発田城三の丸を取り囲む帯状の町、旧八軒町にあり、石黒門三郎70石の居宅でした。
諸般の事情により現地での保存が不可能になったため、この地に移築復元したものです。
江戸時代後期の中級武士の標準的な居宅を今に伝えています。
旧新発田藩武家屋敷石黒家住宅 - 01
旧新発田藩武家屋敷石黒家住宅 - 01 posted by (C)pismo

旧新発田藩武家屋敷石黒家住宅 - 02
旧新発田藩武家屋敷石黒家住宅 - 02 posted by (C)pismo

旧新発田藩武家屋敷石黒家住宅 - 03
旧新発田藩武家屋敷石黒家住宅 - 03 posted by (C)pismo

旧新発田藩武家屋敷石黒家住宅 - 04
旧新発田藩武家屋敷石黒家住宅 - 04 posted by (C)pismo

旧新発田藩武家屋敷石黒家住宅 - 05
旧新発田藩武家屋敷石黒家住宅 - 05 posted by (C)pismo

旧新発田藩武家屋敷石黒家住宅 - 06
旧新発田藩武家屋敷石黒家住宅 - 06 posted by (C)pismo

そして、清水園・清水谷御殿旧新発田藩溝口家下屋敷です。万治元(1658)年、新発田藩三代藩主溝口宣直の時、曹洞宗の高徳寺を近郊に移し、この地を御用地にして下屋敷を造営しました。
寛文6(1666)年、御殿が建立され、四代重雄の時、幕府の茶道方であった縣宗知を招いて庭園の築造が行われました。その完成を見たのは元禄年間で、このあたり一帯が清水谷と呼ばれていたので下屋敷は「清水谷御殿」と称しました。
戊辰戦争の際には、数千に及ぶ領民が藩主直正はやむなく清水谷御殿に駕を留め新発田藩は兵火を免れたという歴史的な舞台にもなりました。
昭和21(1946)年、北方文化博物館の管理することとなり「清水園」と名付けられました。
資料館は新発田市郊外の五十公野にあった酒蔵を明治中期になりここへ移築し、米蔵として使用した建物で、新発田藩関係の資料などを展示しています。
平成15(2003)年8月27日、「旧新発田藩下屋敷(清水谷御殿)庭園及び五十公野御茶屋庭園」として国指定名勝となっています。
ここは大名庭園としてはピカ一でしょう。近江八景をイメージした庭園で、素晴らしいの一言です。資料館も充実していますし、茶室等建物もバラエティに富んでいます。
清水園 - 01
清水園 - 01 posted by (C)pismo

清水園 - 02
清水園 - 02 posted by (C)pismo

清水園 - 03
清水園 - 03 posted by (C)pismo

清水園 - 04
清水園 - 04 posted by (C)pismo

清水園 - 05
清水園 - 05 posted by (C)pismo

清水園 - 06
清水園 - 06 posted by (C)pismo

清水園 - 07
清水園 - 07 posted by (C)pismo

清水園 - 08
清水園 - 08 posted by (C)pismo

清水園 - 09
清水園 - 09 posted by (C)pismo

清水園 - 10
清水園 - 10 posted by (C)pismo

清水園 - 11
清水園 - 11 posted by (C)pismo

清水園 - 12
清水園 - 12 posted by (C)pismo

清水園 - 13
清水園 - 13 posted by (C)pismo

清水園 - 14
清水園 - 14 posted by (C)pismo

清水園 - 15
清水園 - 15 posted by (C)pismo

清水園 - 16
清水園 - 16 posted by (C)pismo

清水園 - 17
清水園 - 17 posted by (C)pismo

清水園 - 18
清水園 - 18 posted by (C)pismo

清水園 - 19
清水園 - 19 posted by (C)pismo

清水園 - 20
清水園 - 20 posted by (C)pismo

足軽長屋は、清水園にそって流れる新発田川沿いにあります。
藩政時代に足軽が居住した茅葺平屋建の八軒長屋です。
天保13(1842)年に藩の普請奉行が建てた棟札がみられます。往事は「北長屋三軒割八住居」と称されました。
昭和44(1969)年まで住居として使用されました。同年12月18日、国の重要文化財に指定されています。
昭和46(1971)年に解体修理に着手、翌47(1972)年6月に完成させたものです。
旧新発田藩足軽長屋 - 01
旧新発田藩足軽長屋 - 01 posted by (C)pismo

旧新発田藩足軽長屋 - 02
旧新発田藩足軽長屋 - 02 posted by (C)pismo

旧新発田藩足軽長屋 - 03
旧新発田藩足軽長屋 - 03 posted by (C)pismo

旧新発田藩足軽長屋 - 04
旧新発田藩足軽長屋 - 04 posted by (C)pismo

旧新発田藩足軽長屋 - 05
旧新発田藩足軽長屋 - 05 posted by (C)pismo

これで新発田市内観光に終わりを告げ、次は更に北上、胎内市へ向かいます。
Posted at 2010/05/31 23:27:46 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2010年05月03日 イイね!

H22越後上杉紀行(3日目その1・朝の新発田市街地と新発田城)

昨日は新発田城に入ることが出来なかったので、再び朝から新発田城を訪れます。
ただし、9時開門と言うことなので、逸る気持ちを抑えて少しばかり新発田市街地をうろうろしてみます。

県立新発田病院前にある大倉喜八郎像です。大倉喜八郎は、大倉財閥の創始者で、天保8(1837)年、新発田に生まれました。
渋沢栄一と共に日本を代表する実業家となりました。大倉製糸新発田工場を建てるなど故郷にも貢献し、昭和3(1928)年、92歳で亡くなりました。
大正5(1916)年、内外有志により東公園に大倉喜八郎の像が建立されましたが、昭和18(1943)年に国の金属回収令で供出され、昭和31(1956)年に市民有志により再建されました。
平成18(2006)年11月、旧大倉製糸工場跡地に新潟県立新発田病院が新築され、その周辺を新発田駅前公園として整備することになり、大倉喜八郎の胸像を大倉製糸工場ゆかりのこの地に移設しました。
大倉喜八郎像
大倉喜八郎像 posted by (C)pismo

瑞雲寺は新発田藩主溝口氏ゆかりの寺院です。

新発田藩初代溝口秀勝の正室の墓所があります。宿老溝口伊織家の初代國景の墓もあります。朝倉義景の家系だとのことです。
瑞雲寺 - 1
瑞雲寺 - 1 posted by (C)pismo

瑞雲寺 - 2
瑞雲寺 - 2 posted by (C)pismo

瑞雲寺 - 3
瑞雲寺 - 3 posted by (C)pismo

新発田カトリック教会は、アントニン・レーモンド設計の建物で、昭和40(1965)年に竣工しました。窓部分のステンドグラスには和紙を切り抜いて貼り付けてあるそうです。
朝早かったので、内部は見学していません。
カトリック新発田教会
カトリック新発田教会 posted by (C)pismo

そしていよいよ新発田城です。開門まで少し時間がありましたので、外部を撮影していると8時45分くらいに開門して入れてくれました。臨機応変な対応に感謝です。
新発田城・三階櫓 - 01
新発田城・三階櫓 - 01 posted by (C)pismo

新発田城・三階櫓 - 02
新発田城・三階櫓 - 02 posted by (C)pismo

新発田城・旧二の丸隅櫓 - 03
新発田城・旧二の丸隅櫓 - 03 posted by (C)pismo

新発田城・旧二の丸隅櫓 - 04
新発田城・旧二の丸隅櫓 - 04 posted by (C)pismo

新発田城・旧二の丸隅櫓 - 05
新発田城・旧二の丸隅櫓 - 05 posted by (C)pismo

新発田城・表門 - 06
新発田城・表門 - 06 posted by (C)pismo

新発田城・辰巳櫓 - 07
新発田城・辰巳櫓 - 07 posted by (C)pismo

新発田城・辰巳櫓 - 08
新発田城・辰巳櫓 - 08 posted by (C)pismo

新発田城 ・表門- 09
新発田城 ・表門- 09 posted by (C)pismo

新発田城・溝口秀勝の銅像 - 10
新発田城・溝口秀勝の銅像 - 10 posted by (C)pismo

新発田城 - 11
新発田城 - 11 posted by (C)pismo

新発田城 - 12
新発田城 - 12 posted by (C)pismo

新発田城 - 13
新発田城 - 13 posted by (C)pismo

新発田城・表門内部 - 14
新発田城・表門内部 - 14 posted by (C)pismo

新発田城・旧二の丸隅櫓内部 - 15
新発田城・旧二の丸隅櫓内部 - 15 posted by (C)pismo

新発田城 ・旧二の丸隅櫓内部- 16
新発田城 ・旧二の丸隅櫓内部- 16 posted by (C)pismo

次は清水園に向かいます。
Posted at 2010/05/30 20:34:20 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2010年05月02日 イイね!

H22越後上杉紀行(2日目その5・新発田城ライトアップ)

2日目の最後は、新発田城のライトアップです。



新発田城ライトアップ - 01
新発田城ライトアップ - 01 posted by (C)pismo

新発田城ライトアップ - 02
新発田城ライトアップ - 02 posted by (C)pismo

新発田城ライトアップ - 03
新発田城ライトアップ - 03 posted by (C)pismo

新発田城ライトアップ - 04
新発田城ライトアップ - 04 posted by (C)pismo

新発田城ライトアップ - 05
新発田城ライトアップ - 05 posted by (C)pismo

新発田城ライトアップ - 06
新発田城ライトアップ - 06 posted by (C)pismo

新発田城ライトアップ - 07
新発田城ライトアップ - 07 posted by (C)pismo

新発田城ライトアップ - 08
新発田城ライトアップ - 08 posted by (C)pismo

新発田城ライトアップ - 09
新発田城ライトアップ - 09 posted by (C)pismo

新発田城ライトアップ - 10
新発田城ライトアップ - 10 posted by (C)pismo


昼間とは違った雰囲気を楽しめました。とくにお堀に浮かぶ櫓の姿が印象的でした。
次の日も、開門を待って新発田城を訪れます。
Posted at 2010/05/23 17:29:28 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記

プロフィール

「[整備] #レヴォーグ レヴォーグBピラー静音化 https://minkara.carview.co.jp/userid/157690/car/1902122/8170099/note.aspx
何シテル?   04/01 22:18
ドライブで史跡巡りをやっています。 戦国時代の城・幕末がメインですが、史跡は全般的に好きです。 あとMacやデジタル製品など「新しいもの」も大好きです。
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2010/5 >>

       1
2 345678
9101112131415
16171819202122
23 2425262728 29
3031     

リンク・クリップ

沖縄県編 
カテゴリ:お勧めスポット都道府県別リンク
2024/06/26 22:49:38
 
鹿児島県編 
カテゴリ:お勧めスポット都道府県別リンク
2021/08/26 23:05:24
 
宮崎県編 
カテゴリ:お勧めスポット都道府県別リンク
2021/08/22 08:03:34
 

愛車一覧

スバル レヴォーグ スバル レヴォーグ
H27.3レガシィBPより乗り換え
ホンダ PCX ホンダ PCX
H26.3購入しました。
スバル レガシィツーリングワゴン スバル レガシィツーリングワゴン
H18.3アコードワゴンから乗り換えました。
ホンダ スペイシー100 ホンダ スペイシー100
2ストのリード100から乗り換え。 少しパワー不足でした。
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation