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ピズモのブログ一覧

2010年05月01日 イイね!

H22越後上杉紀行(1日目その2・弥彦山周辺)

次は、越後で著名な山、弥彦山周辺です。
昨年、与板に行った際に、登山靴と杖という姿で与板城に登った際、地元の方に「山がお好きなら是非に」と勧められた山です。
ただ、今回は時間の都合上、弥彦山には弥彦山スカイラインで車で登ってしまう計画になってしまいました。
まず訪れたのが彌彦神社
彌彦神社(いやひこじんじゃ、やひこじんじゃ)は、弥彦山を神域とし、越後国開拓の祖神・伊夜彦神を祭る越後国一宮の神社です。
永禄7(1564)年には、上杉輝虎(謙信)がおさめた自分の戦いの「義」を明らかにした願文が今も彌彦神社に残されています。
現在の社殿は大正5(1916)年の再建です。
新潟県道29号吉田弥彦線にある大鳥居は、昭和57(1982)年に上越新幹線開通を記念して建てられた、高さ30mの大鳥居です。
弥彦神社 - 01
弥彦神社 - 01 posted by (C)pismo

弥彦神社 - 02
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弥彦神社 - 03
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弥彦神社 - 04
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弥彦神社 - 05
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弥彦神社 - 06
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弥彦神社 - 07
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弥彦神社 - 08
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弥彦神社 - 09
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弥彦神社 - 10
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弥彦神社 - 11
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弥彦神社 - 12
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弥彦神社 - 13
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弥彦神社 - 14
弥彦神社 - 14 posted by (C)pismo

弥彦神社 - 15
弥彦神社 - 15 posted by (C)pismo

弥彦神社 - 16
弥彦神社 - 16 posted by (C)pismo

黒滝城の築城時期は定かではありませんが、鎌倉時代末期小国氏一族が在城していたそうです。
天文14(1545)年、黒田和泉守秀忠が出雲崎の新山城とこの城で長尾晴景に反抗し、天文15(1546)年晴景の弟長尾景虎(上杉謙信)に討ち取られました。
謙信は、後任に上杉家の重臣山岸出雲守光祐を城主としました。
後に山岸秀能、村山慶綱らが城主となりました。謙信が没した後の後継者争いの「御館の乱」では、山岸氏はは景勝方に味方しました。御館の乱後、直江兼続は「深沢弥七郎(後の山岸尚家)」を当城の山岸家に入れ城主としました。
景勝の会津移封で山岸尚家も同行し廃城となりました。
現在は黒滝城址森林公園として整備されており、主郭近くまで道は狭いですが車で登ることが出来ます。
黒滝城 - 01
黒滝城 - 01 posted by (C)pismo

黒滝城 - 02
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黒滝城 - 03
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黒滝城 - 04
黒滝城 - 04 posted by (C)pismo

黒滝城 - 05
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黒滝城 - 06
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黒滝城 - 07
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黒滝城 - 08
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黒滝城 - 09
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黒滝城 - 10
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黒滝城 - 11
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黒滝城 - 12
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黒滝城 - 13
黒滝城 - 13 posted by (C)pismo

弥彦山スカイラインを走り、弥彦山頂上付近に到着しました。
眺望も良く、なかなか良い雰囲気です。
弥彦山 - 01
弥彦山 - 01 posted by (C)pismo

弥彦山 - 02
弥彦山 - 02 posted by (C)pismo

弥彦山 - 03
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弥彦山 - 04
弥彦山 - 04 posted by (C)pismo

越後平野を一望する霊峰、弥彦山(標高638m)の山頂にある御神廟は、山頂に祭られる彌彦神社の御祭神の御廟(奥宮)のことです。
御祭神である天香山命は、国土を平定された神武天皇より、越後地方の開拓の勅命を受け、越の国の野積浜(現在の長岡市寺泊町野積地区)に上陸されました。
そこで早速漁民たちに海水を焚いて塩を作ることや、網や釣針を用いて魚を捕る術を教えられ、さらに弥彦に宮居を定められてから越後を平定し、さらに住民に稲作をはじめ諸産業のご指導をされたと伝えられています。
千年以上も昔から、弥彦神社は越後一宮として「おやひこさま」の敬称で親しまれています。
弥彦山 - 05
弥彦山 - 05 posted by (C)pismo

弥彦山 - 06
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弥彦山 - 07
弥彦山 - 07 posted by (C)pismo

弥彦山 - 08
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弥彦山 - 09
弥彦山 - 09 posted by (C)pismo

天神山城(てんじんざんじょう)は小国氏(大国氏)の居城です。
仁平3(1153)年、源頼政の弟小国頼行が天神山に城を築き嫡子宗頼を住まわせたのが始まりといわれています。
その後、安元2(1176)年、小国頼継(頼連)の代から天神山城を居城としました。
戦国時代、小国氏は上杉謙信に仕え、小国頼村は天文23(1554)年の川中島の戦いに参陣、永禄3(1560)年、小国重頼は北条氏康との戦いで武功を上げました。
御館の乱の後の天正10(1582)年、上杉景勝の命により直江兼続の弟樋口与七が養子として小国氏を継ぎ、小国実頼となりました。天正15(1587)年には、景勝の使いとして上京し秀吉と謁見し、その際小国から大国に改め大国但馬守実頼と改めました。
慶長3(1598)年、上杉家の会津移封により大国実頼も会津に移り、445年続いた天神山城も廃城となりました。
岩室温泉丸小山公園、岩室神社付近から登城できます。
城跡は空堀、土塁、石塁などよく残っています。
王子製紙元会長で大国実頼の末裔にあたる大國昌彦氏の揮毫による石碑が本丸に建てられています。
平成21(2009)年の大河ドラマ天地人・第27回「与六と与七」の天地人紀行で「兼続の弟・大国実頼(新潟県新潟市)」として紹介されました。
天神山城 - 01
天神山城 - 01 posted by (C)pismo

天神山城 - 02
天神山城 - 02 posted by (C)pismo

天神山城 - 03
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天神山城 - 04
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天神山城 - 05
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天神山城 - 06
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天神山城 - 07
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天神山城 - 08
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天神山城 - 09
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松ヶ岳城 (松岳山城、松嵩山城)は、岩室神社の裏にそびえる標高174mの松ヶ岳(松岳山)にある山城です。
詳しい実態や来歴は不明ですが、恐らく小国氏(大国氏)の居城天神山城の支城として機能していたと考えられています。
岩室神社からと天神山城からハイキングルートが通じています。
松ヶ岳城 - 01
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松ヶ岳城 - 02
松ヶ岳城 - 02 posted by (C)pismo

松ヶ岳城 - 03
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松ヶ岳城 - 04
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岩室神社は、弘化2(1854)年、神明社、十二神社、諏訪社、稲荷神社の5社を神明社の地(現在の岩室神社)に合祀して建立されました。
松岳山城の登城口にあります。
岩室神社 - 1
岩室神社 - 1 posted by (C)pismo

岩室神社 - 2
岩室神社 - 2 posted by (C)pismo
次は、新潟市郊外の城めぐりです。
Posted at 2010/05/08 21:14:28 | コメント(2) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2010年05月01日 イイね!

H22越後上杉紀行(1日目その1・柏崎市)

今年の越後上杉紀行は、柏崎市からです。
上条城は、上条上杉氏の居城です。読み方は「じょうじょうじょう」です。
上条上杉氏は、越後守護、上杉房方の次男、上杉清方が初代です。
上条定憲は、越後守護上杉定実(上条上杉氏出身)と長尾為景の戦いでは定実方に味方し、為景方の安田景元、北条光広らと戦いました。
その後、定憲は晴景、景虎に従属しますが、実子なく断絶しました。元亀2(1571)年、上杉謙信は養子としていた畠山義隆の次男畠山義春に上条氏の名跡を継がせ、上条弥五郎政繁(義春の父が政繁という説もあり)と改名させました。
政繁は天正6(1578)年の御館の乱では景勝に味方しますが、天正14(1586)年に上杉家を出奔しました。上条城は、村山安芸守が入城しましたが、慶長3(1598)年に上杉氏が会津に転封されると廃城となりました。
上条城 - 1
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上条城 - 2
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上条城 - 3
上条城 - 3 posted by (C)pismo

上条城 - 4
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安田城は、越後毛利氏の系統を受け継ぐ安田憲朝が築いた城です。
安田氏は、大江広元の子孫の越後毛利氏より分家した家柄で、揚北衆の安田氏とは別系統です。
上杉謙信、景勝に仕えた武将としては、安田景元、顕元、能元などが著名です。
景元は、謙信の父長尾為景、兄晴景の代から仕え、天文23(1554)年、近くの同族北条城主北条高広の叛意を伝えました。顕元は景元の嫡子で、飯山城主になるなど謙信麾下として活躍し、御館の乱では景勝側として景虎側の国人を調略するなど活躍しましたが、恩賞が上田衆寄りになったことから国人衆の反発を買い自害しました。
能元は、顕元の弟で顕元死後家督を継ぎ、武勇に優れ新発田重家の乱、関ヶ原の戦い、大坂冬の陣に活躍すると共に内政手腕にも優れた武将でした。
安田城は、顕元が慶長3(1598)年の上杉景勝の会津移封に従い廃城となりました。
現在は、安田の城之組集落内の安田城跡公園にあり、東屋や石碑が整備されています
本丸は、二の丸などの郭跡、空堀など遺構もよく残っています。
安田城 - 01
安田城 - 01 posted by (C)pismo

安田城 - 02
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安田城 - 03
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安田城 - 04
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安田城 - 05
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安田城 - 06
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北条城(きたじょうじょう)は、築城時期は不明ですが北条毛利氏が居城とした城です。
謙信の時代は北条高広が居城としていました。
天文23(1554)年、北条高広は武田信玄の調略に応じ、上杉謙信に背いて挙兵したが、謙信の軍に城を包囲され、翌弘治元(1555)年降伏しました。
高広は許され、永禄6(1563)年、謙信の関東出陣の際、上州厩橋城の城代を命ぜられました。
しかし、永禄10(1567)年、北条氏康に通じましたが、上杉氏と北条氏が和睦し後、高広は謙信に再度帰参しました。
天正6(1578)年、謙信の死後勃発した御館の乱で、高広の子・北条丹後守景広が上杉三郎景虎に与し景虎方の主力として活躍しましたが、景広は天正7(1579)年戦死し、北条城も上杉景勝方に攻められ落城しました。
高広は北条城落城後に武田勝頼を頼り、武田氏が滅亡後は滝川一益に仕えたとも伝えられていますが、詳しい消息は不明です。
城跡は、専称寺から歩いて登る方法、専称寺の西側から林道を走り、主郭部下から歩く方法があります。土塁、空堀、郭など遺構がよく残っています。
北条城 - 01
北条城 - 01 posted by (C)pismo

北条城 - 02
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北条城 - 03
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北条城 - 04
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北条城 - 05
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北条城 - 06
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北条城 - 07
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北条城 - 08
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北条城 - 09
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北条城 - 10
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北条城 - 11
北条城 - 11 posted by (C)pismo

専称寺は永仁元(1293)年、一遍上人の高弟真教が開山したと伝えられています。
中世は北条(毛利)氏の菩提寺となり応長元(1311)年に北条時元が寺領を寄進時宗道場としています。
御館の乱で北条景広は上杉景虎側に付いて討死し専称寺も衰退しますが、享保2(1717)年に説賢和尚によって再興されました。
山門は北条城時代の大手門と伝えられています。
また、境内には初代北条城主毛利丹後守時元の墓があります。
専称寺 - 01
専称寺 - 01 posted by (C)pismo

専称寺 - 02
専称寺 - 02 posted by (C)pismo

専称寺 - 03
専称寺 - 03 posted by (C)pismo

この後は、弥彦山方面へ向かいます。
Posted at 2010/05/06 22:37:25 | コメント(2) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2010年05月01日 イイね!

越後上杉紀行を前に・・・昨年の天地人を振り返ると・・・

越後上杉紀行を前に・・・昨年の天地人を振り返ると・・・振り返ると昨年のGW、大河ドラマ天地人が放映していたこともあり「天地人紀行」と銘打って富山県から新潟県を旅行しました。







天地人紀行(1日目その1・魚津城、松倉城、天神山城など)
天地人紀行(1日目その2・秀吉、景勝会見の地「勝山城」から「御館」周辺の史跡めぐり)
天地人紀行(1日目その3・春日山城周辺の史跡めぐり)
天地人紀行(1日目その4・高田城~箕冠城~鮫ヶ尾城)
天地人紀行(2日目その1・直峰城から坂戸城周辺の南魚沼市〔六日町エリア〕の史跡探訪)
天地人紀行(2日目その2・南魚沼市〔旧塩沢町エリア〕~湯沢町)
天地人紀行(2日目その3・天地人紀行番外編、北越戦争紀行・小千谷市)
天地人紀行(3日目その1・天地人紀行・長岡市の北越戦争史跡など)
天地人紀行(3日目その2・栖吉城~栃尾城~河井継之助記念館)
天地人紀行(3日目その3・直江氏の本拠だった与板、そして最後に琵琶島城へ)


新潟県はなかなか史跡も豊富で、人情も温かい感じで非常に楽しいドライブでしたが、一方のドラマ「天地人」については少し不満が残りました。
なぜなら「揚北衆(阿賀北衆)」がほとんどドラマに登場しなかったことです。
阿賀北衆は阿賀野川より北部の越後国にいる豪族のことで、小泉荘の本庄氏、色部氏、奥山荘の中条氏、黒川氏、加地荘の加地氏、竹俣氏、新発田氏、五十公野氏、白河荘の水原氏、安田氏などのことをいいます。
越後は守護の上杉氏、守護代の長尾氏が統治していましたが、揚北衆は、独立性が強く、容易に従わなかったことでも知られています。武田信玄と通じて謙信に対して挙兵した本庄繁長や御館の乱の論功行賞のもつれなどから上杉景勝に長年抵抗した新発田重家などが有名です。
天地人ではあまりにも景勝の出身である上田長尾氏の上田衆に重点を置きすぎ、揚北衆の上杉家臣団がほとんど登場しませんでした。
一番不満だったのが「新発田重家の乱」がまったくといっていいほど取り上げられなかったこと。
これは以前「新発田重家が結局登場しなかった天地人」というテーマでブログにアップしました。

ということで今年のGWは、揚北衆の史跡をメインに、昨年行けなかった柏崎の上条氏、安田氏、北条氏の史跡も加えてドライブすることにします。
Posted at 2010/05/06 22:14:56 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記

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何シテル?   04/01 22:18
ドライブで史跡巡りをやっています。 戦国時代の城・幕末がメインですが、史跡は全般的に好きです。 あとMacやデジタル製品など「新しいもの」も大好きです。
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