• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

ピズモのブログ一覧

2012年02月25日 イイね!

貝塚・岸和田(その3・連続テレビ小説「カーネーション」ゆかりの地、岸和田)

南海電車で岸和田駅へ移動しました。
岸和田駅では朝の連続テレビ小説「カーネーション」、主役の小原糸子役の尾野真千子さんが出迎えてくれます。
岸和田駅
岸和田駅 posted by (C)pismo

岸和田駅前商店街 - 1
岸和田駅前商店街 - 1 posted by (C)pismo

「和撫子〔カーネーション〕」は、岸和田カーネーション推進協議会のオフィシャルショップです。
岸和田の地元ならではのお土産や連続テレビ小説「カーネーション」にちなんだグッズやだんじりグッズなどが揃います。
ショップ名の「和撫子」は、カーネーションの和名「和欄撫子(オランダナデシコ)」からの造語です。

※平成23(2011)年9月1日〜平成24年3月末までの営業。
和撫子 カーネーション
和撫子 カーネーション posted by (C)pismo

洋裁コシノは、連続テレビ小説「カーネーション」のヒロイン小原糸子のモデルとなった「小篠綾子」さんのお店で、コシノ三姉妹の生家です。
現在は、ギャラリー、ショップとして改装され、昭和初期を再現した外観になっています。
1階は「コシノ三姉妹」グッズなどを販売しており、2階は小篠綾子さんが実際に使っていた作業場も再現されています。
洋裁コシノ - 1
洋裁コシノ - 1 posted by (C)pismo

「NHKギャラリー カーネーション」は、NHK連続テレビ小説「カーネーション」のPRのためNHK大阪放送局とタイアップした観光施設です。
番組紹介パネルやロケ風景パネルの展示やメイキング映像の放映などを行っています。

展示期間 ※平成23年11月3日~平成24年3月31日の期間限定
NHKギャラリー・カーネーション - 1
NHKギャラリー・カーネーション - 1 posted by (C)pismo

本徳寺は、山号は鳳凰山、臨済宗妙心寺派の寺院です。
明智光秀の子南国梵桂が建立したと伝えられ、元々は現在の貝塚市鳥羽にあった海雲寺でしたが、岸和田藩主岡部行隆の命で現地に移され、寺号も本徳寺と改められました。
当寺には南国が描かせた明智光秀画像が伝わり、光秀の肖像画としては唯一のものとして有名です。
ただし、観光寺院ではないようで、内部は拝観できていません。
本徳寺
本徳寺 posted by (C)pismo

市内は、レトロな建物もよく残っています。
旧四十三銀行
旧四十三銀行 posted by (C)pismo

円成寺は、山号は長泉山、真宗大谷派の寺院です。
信濃国の武士、加藤主計大允則政が藤原信継に従い戦場に赴き、数々の武功を残しましたが、信継の没後発心し、本願寺証如上人本願寺證如上人のもと剃髪得度しました。法名を釋専稱と号して諸方に伏匿し、ようやく天文5(1536)年現在の地に坊舎を建立し、同信の人々に布教を始めたのが、円成寺のはじまりです。その後、460年余の長きにわたり専修念仏の道場として現在に至っています。
(説明看板などより)
観光寺院ではないようで、中に入ることはできませんでした。
円成寺 - 1
円成寺 - 1 posted by (C)pismo

円成寺 - 2
円成寺 - 2 posted by (C)pismo

周辺は紀州街道沿いの本町で、古い町並みがよく保たれています。
本町のまちなみ - 01
本町のまちなみ - 01 posted by (C)pismo

本町のまちなみ - 02
本町のまちなみ - 02 posted by (C)pismo

紀州街道本町一里塚跡にある一里塚弁財天です。
一里塚とは、江戸幕府の命により慶長9(1604)年、江戸の日本橋を五街道の起点と定め、36町歩を一里と定め一里ごとに塚を築造し、榎、松などを植えさせたのが始まりだと言われています。
紀州街道は脇街道、紀州往還道であるため、大坂の高麗橋を起点として、和歌山城下まで一里塚が設けられていました。
由緒によれば弁財天は元々は一里塚に植えられていた松の下に小祠があったものを、天保7(1836)年8月頃に弁財天として社殿をつくり現在のところに遷座したものとされていて、現在も街道を往来する人々を見守り続けています。
(現地説明板より)
紀州街道本町一里塚跡 - 1
紀州街道本町一里塚跡 - 1 posted by (C)pismo

蛸地蔵天性寺は、山号は護持山、院号は朝光院、浄土宗の寺院で、本草は阿弥陀如来と蛸地蔵尊です。
元亀元(1570)年に建立された地蔵堂としては日本最大級の建物です。
寺に伝わる蛸地蔵縁起では、本尊の地蔵菩薩は古くから岸和田の守本尊とされましたが、戦乱を免れるため当時の領主により堀に入れられていました。後の天正年間、岸和田城が根来・雑賀衆に攻められ落城の危機になった際、数千の蛸と一人の法師が現れ城を救ったといいます。数日後、堀から矢傷や弾傷を負った地蔵菩薩が発見され、法師は地蔵菩薩の化身であったことがわかりました。地蔵菩薩は、城中の別殿に安置されましたが、民衆が参拝できるように天性寺に移されました。その伝承にちなんで蛸絵馬を奉納し、蛸を絶って願をかける人もいるそうです。
平成24年2月現在、本堂が修復工事中です。
蛸地蔵天性寺 - 1
蛸地蔵天性寺 - 1 posted by (C)pismo

蛸地蔵天性寺 - 2
蛸地蔵天性寺 - 2 posted by (C)pismo

岸和田だんじり会館は、元禄16(1703)年に始まり、およそ300年間の伝統を誇る岸和田だんじり祭の資料を豊富に展示しています。
映像や音響により祭りを再現しており、祭りそのものが体験できる資料館です。
岸和田だんじり会館 - 01
岸和田だんじり会館 - 01 posted by (C)pismo

岸和田だんじり会館 - 02
岸和田だんじり会館 - 02 posted by (C)pismo

岸和田だんじり会館 - 03
岸和田だんじり会館 - 03 posted by (C)pismo

岸和田だんじり会館 - 04
岸和田だんじり会館 - 04 posted by (C)pismo

岸和田だんじり会館 - 05
岸和田だんじり会館 - 05 posted by (C)pismo

岸和田だんじり会館 - 06
岸和田だんじり会館 - 06 posted by (C)pismo

岸和田城は楠木正成の一族和田高家が現在位置からは約700m南東の位置に築いたといわれています。室町時代に現在の位置に移りました。
天正13(1585)年、豊臣秀吉の外戚小出秀政が城主となり、城郭を整備しました。天守閣もこの時に築かれました。
小出氏は秀政・吉政・吉英と3代続き、出石に転封になった後は、松平(松井)氏の松平康重が城主となり、城下町などの整備を行いました。寛永17(1640)年に康重の子康映が播磨山崎へ転封した後は岡部宣勝が入城しました。その時伏見城の櫓と城門が移築されました。以後13代にわたって岡部氏が城主となり明治維新を迎えます。
天守閣は文政10(1827)年に落雷で焼失しました。明治を迎え、本丸・二の丸の石垣と水堀を残して破却されましたが、昭和29年(1954年)に鉄筋で天守閣を復元しました。現在の天守閣は3層3階ですが、本来は5層天守だったそうです。
天守閣の中と、本丸には資料館があり、旧藩主岡部氏の遺品や郷土史料を展示しています。
岸和田城 - 01
岸和田城 - 01 posted by (C)pismo

岸和田城 - 02
岸和田城 - 02 posted by (C)pismo

岸和田城 - 03
岸和田城 - 03 posted by (C)pismo

岸和田城 - 04
岸和田城 - 04 posted by (C)pismo

岸和田城 - 05
岸和田城 - 05 posted by (C)pismo

岸城神社(きしきじんじゃ)は、南北朝時代、京都の八坂神社を勧請し岸和田村の鎮守にしました。小出秀政が岸和田城を築城したとき、八幡大神を合祀しました。
明治維新後に社名を岸城神社と改めました。だんじり祭では14台がこの神社に宮入りします。
平成23(2011)年に御鎮座650年を迎え社殿などが整備されました。
岸城神社 - 01
岸城神社 - 01 posted by (C)pismo

岸城神社 - 02
岸城神社 - 02 posted by (C)pismo

岸城神社 - 03
岸城神社 - 03 posted by (C)pismo

岸城神社 - 04
岸城神社 - 04 posted by (C)pismo

この日の「まちあるき」はここまでです。
Posted at 2012/03/26 21:04:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旅行(ドライブ以外) | 日記
2012年02月25日 イイね!

貝塚・岸和田(その2・貝塚寺内町)

貝塚の寺内町を歩きます。
寺内町は、願泉寺を中心に発展しました。
願泉寺は、金凉山真教院と号し、浄土真宗本願寺派で、行基作と伝えられる阿弥陀如来立像を本尊とする寺です。天文14(1545)年に無住だった草案に紀州根来寺のト半斎了珍を迎えて一向宗の町造りを進め、天正5(1577)年には、石山本願寺の支城として織田信長と戦い、町と共に焦土となってしまいました。
その後、寺も町も再興され、天正11(1583)年7月から同13(1585)年8月に大坂天満に移るまでの2年間、紀州鷺ノ森より「顕如上人」を迎えて本願寺御堂となりました。
卜半(ぼくはん)氏が世襲住職ですが、土地のなまりで「ボッカン」さんといわれているそうです。
現在は西本願寺に属していますが、明治までは東西本願寺と関係を持ち、しかも寺内町である貝塚の領主でもありました。
大坂の陣の際は、紀州を攻略するため出撃した大坂勢を饗応し、進撃を遅らせたため、徳川家より僧ながら大名に準じるとうい破格の待遇を受けるようになったそうです。
平成16(2004)年から平成の大修復が行われています。
願泉寺 - 01
願泉寺 - 01 posted by (C)pismo

願泉寺 - 02
願泉寺 - 02 posted by (C)pismo

願泉寺 - 03
願泉寺 - 03 posted by (C)pismo

願泉寺 - 04
願泉寺 - 04 posted by (C)pismo

願泉寺 - 05
願泉寺 - 05 posted by (C)pismo

尊光寺は、山号を二位山、浄土真宗本願寺派の寺院です。
寺伝によると、もとは高野山の学頭・正了(せいりょう、しょうりょう)を開基とする真言宗寺院でしたが、明応2(1493)年に嘉祥寺(現泉南郡田尻町)において本願寺第8世蓮如の教化を受けて浄土真宗に改宗したといわれています。
大永4(1524)年本願寺第9世実如より開基仏として方便法身尊像を賜り、寺号を尊光寺と改号。もとは新井村にありましたが、天正16(1588)年貝塚寺内の現在の地に移転しました。
江戸時代は興正寺末の寺院で、麻生郷七ヶ村に所在した真宗道場を支配していました。
現在の本堂は享保8(1723)年の建立です。
境内のカイヅカイブキは、樹齢350〜400年と推定され、移転当時からの老樹と伝えられています。
尊光寺 - 01
尊光寺 - 01 posted by (C)pismo

尊光寺 - 02
尊光寺 - 02 posted by (C)pismo

寺内町は、古い町家がよく残されています。
貝塚寺内町 - 01
貝塚寺内町 - 01 posted by (C)pismo

貝塚寺内町 - 02
貝塚寺内町 - 02 posted by (C)pismo

感田神社の祭神は天照大神、素盞鳴尊、菅原道真で、貝塚寺内町の産土神です。
創建年代は不明ですが、海塚村(現在の貝塚市海塚)の牛頭天王社と堀村(貝塚市堀)の天神社から祭神を勧請し、陶器のほこらを造ったのが始まりだといわれています。
慶安元(1648)年に本社などが再建され、境内にあった神宮寺である天台宗寺院「宗福寺」の住職が神事にあたるようになりました。
明和5(1768)年に大明神の号を授けられ「感田瓦大明神」と公称するようになりました。
文化10(1813)年、落雷により本殿などが焼失しましたが、翌年には再建されました。
明治元(1868)年、明治政府の神仏分離政策により宗福寺は廃寺となり、新たに神職がおかれました。
明治5(1872)年には郷社となり、明治40(1907)年には貝塚町北にあった海幸神社を合祀しました。
昭和20(1945)年7月の貝塚空襲では、本殿、神饌所、神楽殿、潜戸神社が全焼、神馬舎が一部被災する被害を受けました。
表門は安永9(1780)年、大工種子島勘左衛門により建てられたものです。
神馬は宝暦8(1758)年、細工人岸上武左衛門の作です。毎年7月19日の例祭では、御輿渡御が行われ、7台の太鼓台が担ぎ出されます。
(説明看板などより)
感田神社 - 01
感田神社 - 01 posted by (C)pismo

感田神社 - 02
感田神社 - 02 posted by (C)pismo

境内には「明治三十七、八年戦役記念碑」がありました。東郷平八郎の書のようです。
感田神社 - 03
感田神社 - 03 posted by (C)pismo

次は、NHK朝の連続テレビ小説「カーネーション」で盛り上がる岸和田へ向かいます。
Posted at 2012/03/26 20:48:33 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旅行(ドライブ以外) | 日記
2012年02月25日 イイね!

貝塚・岸和田(その1・水間)

この日は、鉄道で貝塚、岸和田周辺を訪れました。
最初に南海電車、水間鉄道を使い、水間寺を訪れました。

水間観音駅は、水間鉄道水間線の終点駅です。
大正15(1926)年、開業当初からの駅で、外観は水間寺の参詣客を意識して正面中央部は卒塔婆風のものになっています。
平成11(1999)年2月17日、南海電鉄の浜寺公園駅、諏訪ノ森駅西駅舎に続き、国の登録文化財にも指定されています。
平成12(2000)年には第1回「近畿の駅百選」の認定駅にも選ばれています。
開業当初は水間駅という名称でしたが、平成21(2009)年、水間観音駅に改称されました。
水間観音駅 - 01
水間観音駅 - 01 posted by (C)pismo

水間観音駅 - 02
水間観音駅 - 02 posted by (C)pismo

水間観音駅 - 03
水間観音駅 - 03 posted by (C)pismo

水間観音駅 - 04
水間観音駅 - 04 posted by (C)pismo

水間寺は、山号を「龍谷山」といい、天台宗延暦寺末で別格本山の寺院です。
新西国三十三箇所観音霊場第4番、和泉西国三十三箇所第26番、神仏霊場巡拝の道 第53番の札所です。
寺伝によれば、天平年間に聖武天皇の勅願により行基が開基したといわれています。病床の聖武天皇の夢に現れた観音菩薩を求め、行基が2つの川が合流する「水間」にやってくると観音の化身である16人の童子に遭遇、誘われて滝に向かうと竜神が現れ聖観音像を授けられたといわれています。
創建以来、古代から中世にかけては多くの院坊と寺領を有していたようです。15世紀末に紀州根来寺の支配下となったことで、天正13(1585)年の豊臣秀吉の紀州攻めの際にはその伽藍はことごとく焼失しました。
江戸時代には岡部氏など岸和田藩主の帰依を受け、本堂以下おもな諸堂が再建されました。
しかし、天明4(1784)年の火災によって本堂や三重塔などは焼失しました。その後、本堂は文化8(1811)年、三重塔は天保年間(1830年~44年)に再建され、現在にいたります。
水間寺 - 01
水間寺 - 01 posted by (C)pismo

水間寺 - 02
水間寺 - 02 posted by (C)pismo

水間寺 - 03
水間寺 - 03 posted by (C)pismo

再び、水間観音駅から水間鉄道を使い、貝塚の寺内町へ向かいます。
水間観音駅 - 05
水間観音駅 - 05 posted by (C)pismo

水間鉄道 - 1
水間鉄道 - 1 posted by (C)pismo

水間鉄道 - 2
水間鉄道 - 2 posted by (C)pismo
Posted at 2012/03/26 20:42:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旅行(ドライブ以外) | 日記
2012年02月18日 イイね!

和歌山城とその周辺

この日はレガシィの12ヶ月点検。
電車で少しお出かけしてみました。

南海電車で和歌山へ。難波から1時間ほどかかります。

勝海舟寓居地です。
文久3(1863)年幕府の軍艦奉行だった勝海舟は、幕府より和歌山に派遣され、紀州藩海岸防衛のため加太に砲台を築く監督をしていました。その際に、橋丁の清水平右衛門宅に数日滞在しました。
坂本龍馬もこの地を訪れたそうです。
杭ノ瀬質舗のすぐ近くに石碑が建っています。
勝海舟寓居地 - 1
勝海舟寓居地 - 1 posted by (C)pismo

南方熊楠生誕地です。
南方熊楠は慶応3(1867)年、4月15日、和歌山市橋丁で誕生しました。
5年後南隣りの寄合町に移転、この周辺で少年時代を過ごしました。
青年時代にアメリカ、イギリスで独学し、帰国後は田辺に居住、在野で学問一筋の生涯を送り、昭和16(1941)年に死去しました。
彼の研究は博物学、宗教学、風俗学など多くの領域にわたりますが、生物学、特にキノコや粘菌など隠花植物の世界的な学者であり、また日本の民俗学創設において重要な役割を果たしました。
他方、環境保護に先駆的に取り組み、近代日本の独創的な思想家として高い評価を受けています。
(石碑の説明文より)
南方熊楠生誕地 - 1
南方熊楠生誕地 - 1 posted by (C)pismo

そして、日本100名城スタンプを押しに和歌山城へ。
平成19年以来の訪問です。
和歌山城~番所庭園~養翠園~根来~粉河
和歌山城 - 01
和歌山城 - 01 posted by (C)pismo

和歌山城 - 02
和歌山城 - 02 posted by (C)pismo

和歌山城 - 03
和歌山城 - 03 posted by (C)pismo

和歌山城 - 04
和歌山城 - 04 posted by (C)pismo

和歌山城 - 05
和歌山城 - 05 posted by (C)pismo

和歌山城 - 06
和歌山城 - 06 posted by (C)pismo

和歌山城 - 07
和歌山城 - 07 posted by (C)pismo

和歌山城 - 08
和歌山城 - 08 posted by (C)pismo

和歌山城 - 09
和歌山城 - 09 posted by (C)pismo

和歌山城 - 10
和歌山城 - 10 posted by (C)pismo

和歌山城 - 11
和歌山城 - 11 posted by (C)pismo

和歌山城 - 12
和歌山城 - 12 posted by (C)pismo

和歌山城 - 13
和歌山城 - 13 posted by (C)pismo

和歌山城 - 14
和歌山城 - 14 posted by (C)pismo

和歌山城 - 15
和歌山城 - 15 posted by (C)pismo

和歌山城 - 16
和歌山城 - 16 posted by (C)pismo

和歌山城 - 17
和歌山城 - 17 posted by (C)pismo

和歌山城 - 18
和歌山城 - 18 posted by (C)pismo

和歌山城 - 19
和歌山城 - 19 posted by (C)pismo

和歌山城 - 20
和歌山城 - 20 posted by (C)pismo

和歌山城 - 21
和歌山城 - 21 posted by (C)pismo

和歌山城 - 22
和歌山城 - 22 posted by (C)pismo

和歌山城 - 23
和歌山城 - 23 posted by (C)pismo

和歌山城 - 24
和歌山城 - 24 posted by (C)pismo

和歌山城 - 25
和歌山城 - 25 posted by (C)pismo

和歌山城 - 26
和歌山城 - 26 posted by (C)pismo

和歌山城 - 27
和歌山城 - 27 posted by (C)pismo

和歌山城 - 28
和歌山城 - 28 posted by (C)pismo

朝比奈惣左衛門屋敷跡です。朝比奈惣左衛門は代々藩の重臣で、禄高は三千石、幕末には大寄合を勤めました。
朝比奈屋敷は、現在の汀公園西半とその西側隣接地をほぼその敷地とし、間口23間半(約46m)奥行37間(約73m)約3420平方メートルありました。
東隣には御用人由比楠左衛門・小池十右衛門屋敷がありました。
明治5(1872)年1月、ここへ城内砂の丸から県庁が移転し、昭和13(1938)年小松原通の現在地へ移るまで県政の中心地となりました。
現在は、汀公園として整備されています。
(説明看板などより)
朝比奈惣左衛門屋敷跡
朝比奈惣左衛門屋敷跡 posted by (C)pismo

藩校跡です。
正徳3(1713)年、5代藩主・徳川吉宗によって儒学教育のため湊昌平河岸に「講釈所」(後に講堂と改称)を創設しました。
寛政3(1791)年、10代藩主治宝が再興し、藩校学習館を開校しました。
東西約35メートル、南北約50メートルの敷地を占めていました。
学習館は、藩士およびその子弟の教育に当たっていましたが、慶応2(1866)年、岡山へ移転し、この時一般庶民にも門戸を開きました。
(標柱説明板などより)
酒造会社「世界一統」の南東側に、標柱が建っています。ちなみに「世界一統」は、 南方熊楠の父南方弥右衛門が創業しました。
藩校跡 - 1
藩校跡 - 1 posted by (C)pismo

和歌山市立博物館は、昭和60(1985)年11月に和歌山城築城400年を記念して開館した博物館です。
和歌山市の原始時代から戦後復興期までの歴史や、紀州徳川家の歴史資料などを展示しています。

和歌山市立博物館 - 1
和歌山市立博物館 - 1 posted by (C)pismo

和歌山市立博物館 - 2
和歌山市立博物館 - 2 posted by (C)pismo


日本100名城スタンプラリー 取得実績
08 仙台城  H23/10/25
23 小田原城 H23/12/29
24 武田氏館 H23/12/30
30 高遠城  H23/12/30
34 七尾城  H23/7/23
36 丸岡城  H23/6/18
39 岐阜城  H23/4/16
40 山中城  H23/12/29
41 駿府城  H23/12/28
42 掛川城  H23/12/28
49 小谷城  H23/12/23
50 彦根城  H24/1/14
51 安土城  H23/4/9
52 観音寺城 H24/1/14
53 二条城  H23/11/3
54 大阪城  H23/11/19
55 千早城  H23/12/10
56 竹田城  H23/11/16
57 篠山城  H23/11/26
58 明石城  H23/12/24
59 姫路城  H24/1/28
60 赤穂城  H24/1/28
61 高取城  H24/1/22
62 和歌山城 H24/2/18
64 松江城  H23/6/27
70 岡山城  H24/1/7
71 福山城  H24/2/4
72 郡山城  H23/3/18
73 広島城  H23/3/17
91 島原城  H23/9/17
92 熊本城  H23/9/18
93 人吉城  H23/9/15

H24/2/18現在 32/100城
Posted at 2012/03/03 22:29:14 | コメント(1) | トラックバック(0) | 旅行(ドライブ以外) | 日記
2012年02月11日 イイね!

小浜

この日は、最後に若狭小浜を訪れました。

(かつて訪れたときの記事)
若狭・敦賀・湖北へのドライブ(その1・高浜・小浜)
雪を求めて~連続テレビ小説「ちりとてちん」の舞台・小浜を訪ねる


まずは、小浜城から順番に。

小浜神社は、小浜藩祖酒井忠勝を祭る神社です。
明治8(1875)年、旧藩臣らにより小浜城本丸跡に建立されました。
酒井忠勝は、徳川秀忠、家光、家綱の三代に仕え、大老にもなり徳川幕府の基礎固めに貢献しました。
寛永11(1634)年、京極忠高が出雲に移封され、忠勝が武蔵川越から移封されました。
忠勝は京極氏に引き続き小浜城の築城に取り組み、寛永19(1641)年に小浜城を完成させました。しかし、忠勝は幕閣の中心にいたため、小浜城に帰ったのは10数回、延べ九ヶ月ほどだそうです。
なお、小浜神社は、天御中主大神を合祀しています。
小浜城 ・小浜神社- 01
小浜城 ・小浜神社- 01 posted by (C)pismo

小浜城 ・小浜神社 - 02
小浜城 ・小浜神社 - 02 posted by (C)pismo

小浜城は、江戸時代に小浜藩主京極氏、酒井氏が居城とした城です。
戦国時代、若狭守護武田氏は後瀬山城を居城としていましたが、慶長5(1600)年、関ヶ原の戦いで功績があった京極高次が若狭国を拝領し、慶長6年(1601年)小浜城の築城を開始し、居城を移しました。
寛永11(1634)年、酒井忠勝が藩主となり、寛永15(1638)年三層の天守閣を築きました。
明治4(1871)年12月、この城に大阪鎮台第一分営を設置すべく改造工事中二の丸櫓の工事場から失火し、城の大部分を焼失しました。現在は、河川拡張のため旧城地がけずられて縮小され、本丸の石垣のみが民家に囲まれて残っているという寂しい状態となっています。
現在、天守閣を復元する構想があるそうです。

小浜城 - 03
小浜城 - 03 posted by (C)pismo

小浜城 - 04
小浜城 - 04 posted by (C)pismo

小浜城 - 05
小浜城 - 05 posted by (C)pismo

小浜城 - 06
小浜城 - 06 posted by (C)pismo

かつて茶屋街として華やいだ情緒ある三丁町は、「青井町(寺町)」、「柳町」、「猟師町」の三町からなっています。
狭い路地をはさみ、紅殻格子や、出格子の家が軒を連ね、今では静かな住宅街になっています。それでも夜になれば、三味の音色が漏れそうな雰囲気が漂っています。
連続テレビ小説「ちりとてちん」では、ヒロインの祖母、小梅が三丁町の芸妓で三味線がとても上手でした。また、西津の和田家から小浜第二小学校への通学路のシーンで登場しました。
(説明看板より)

三丁町 - 01
三丁町 - 01 posted by (C)pismo

三丁町 - 02
三丁町 - 02 posted by (C)pismo

三丁町 - 03
三丁町 - 03 posted by (C)pismo

三丁町 - 04
三丁町 - 04 posted by (C)pismo

三丁町 - 05
三丁町 - 05 posted by (C)pismo

八幡神社は、神護景雲3(769)年に勧請されたのが始まりと考えられています。
この地域の産土神として住民達から信仰されてきましたが、中世以降、若狭守護職武田氏が後瀬山城に居城を築き、歴代の領主からも崇敬を集めました。
境内正面にある木製の大鳥居は元禄7(1694)年に再建されたもので小浜市の文化財に指定されています。
八幡神社 - 1
八幡神社 - 1 posted by (C)pismo

八幡神社 - 2
八幡神社 - 2 posted by (C)pismo

八幡神社 - 3
八幡神社 - 3 posted by (C)pismo
Posted at 2012/02/26 22:40:28 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記

プロフィール

「[整備] #レヴォーグ レヴォーグBピラー静音化 https://minkara.carview.co.jp/userid/157690/car/1902122/8170099/note.aspx
何シテル?   04/01 22:18
ドライブで史跡巡りをやっています。 戦国時代の城・幕末がメインですが、史跡は全般的に好きです。 あとMacやデジタル製品など「新しいもの」も大好きです。
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2012/2 >>

   123 4
5678910 11
121314151617 18
192021222324 25
26272829   

リンク・クリップ

沖縄県編 
カテゴリ:お勧めスポット都道府県別リンク
2024/06/26 22:49:38
 
鹿児島県編 
カテゴリ:お勧めスポット都道府県別リンク
2021/08/26 23:05:24
 
宮崎県編 
カテゴリ:お勧めスポット都道府県別リンク
2021/08/22 08:03:34
 

愛車一覧

スバル レヴォーグ スバル レヴォーグ
H27.3レガシィBPより乗り換え
ホンダ PCX ホンダ PCX
H26.3購入しました。
スバル レガシィツーリングワゴン スバル レガシィツーリングワゴン
H18.3アコードワゴンから乗り換えました。
ホンダ スペイシー100 ホンダ スペイシー100
2ストのリード100から乗り換え。 少しパワー不足でした。
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation