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ピズモのブログ一覧

2012年12月31日 イイね!

越後・会津・信濃紀行(4日目その4・松代の城下町)

松代城に引き続き、松代の城下町をすこしばかり散策しました。
以前訪れた時↓
冬の北信ドライブ(1日目その3・松代城〔海津城〕など松代の史跡めぐり)

この時よりかはあっさりと回ったのですが、修復工事中で中を見ることができなかった真田邸や、新たに公開された旧樋口家住宅などを見ることができて良かったです。

旧文武学校
旧文武学校 - 01
旧文武学校 - 01 posted by (C)pismo

旧文武学校 - 02
旧文武学校 - 02 posted by (C)pismo

旧文武学校 - 03
旧文武学校 - 03 posted by (C)pismo

旧文武学校 - 04
旧文武学校 - 04 posted by (C)pismo

旧文武学校 - 05
旧文武学校 - 05 posted by (C)pismo

旧文武学校 - 06
旧文武学校 - 06 posted by (C)pismo

旧文武学校 - 07
旧文武学校 - 07 posted by (C)pismo

旧文武学校 - 08
旧文武学校 - 08 posted by (C)pismo

旧文武学校 - 09
旧文武学校 - 09 posted by (C)pismo

旧白井家表門
旧白井邸表門 - 1
旧白井邸表門 - 1 posted by (C)pismo

真田勘解由家
真田勘解由邸
真田勘解由邸 posted by (C)pismo

旧樋口家住宅
樋口家は江戸時代、真田藩士として目付役などを務め、江戸時代末期には禄高230石の上級武士の家でした。
その歴史は樋口家文書「樋口家譜略伝」(明治14(1881)年)によると、武田家の家臣であったと伝えられています。
当初住んでいた場所は不明ですが、樋口家文書から、明和2(1765)年、6代樋口角兵衛邦蕃の時に現在地へ移り、近年まで続いていたことがわかります。
主屋は、木造平屋建、寄棟造、茅葺で、文久2(1862)年に修理されたことが判明しており、少なくともそれ以前の建物であることが分かっています。桁行14.53m、梁間7.26m、延べ床面積139.91平方メートルで、土蔵は、木造二階建、切妻造、瓦葺。棟札から元治元(1864)年の建築とわかります。
長屋は、木造平屋建、寄棟造、茅葺。壁の下張に大正期の新聞が使用されていたことから、大正期以降にここに建てられたと推測されています。また、主要部材の痕跡から江戸期の部材を再度利用して建てられたことがわかります。
雑木林となっている池の南側は畑として使用されていまし。建物のみならず、庭園等によって構成される屋敷構えが一体として残されており、貴重です。
現在はNPO法人夢空間松代のまちと心を育てる会が管理運営を行い、展示会や体験型のイベントがしばしば行われています。(現地説明板などより)
旧樋口家住宅 - 01
旧樋口家住宅 - 01 posted by (C)pismo

旧樋口家住宅 - 02
旧樋口家住宅 - 02 posted by (C)pismo

旧樋口家住宅 - 03
旧樋口家住宅 - 03 posted by (C)pismo

旧樋口家住宅 - 04
旧樋口家住宅 - 04 posted by (C)pismo

真田邸
真田邸 - 01
真田邸 - 01 posted by (C)pismo

真田邸 - 02
真田邸 - 02 posted by (C)pismo

真田邸 - 03
真田邸 - 03 posted by (C)pismo

真田邸 - 04
真田邸 - 04 posted by (C)pismo

真田邸 - 05
真田邸 - 05 posted by (C)pismo

真田邸 - 06
真田邸 - 06 posted by (C)pismo

真田邸 - 07
真田邸 - 07 posted by (C)pismo

真田邸 - 08
真田邸 - 08 posted by (C)pismo

真田邸 - 09
真田邸 - 09 posted by (C)pismo

真田宝物館
真田宝物館 - 1
真田宝物館 - 1 posted by (C)pismo
Posted at 2013/02/15 20:52:55 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2012年12月31日 イイね!

越後・会津・信濃紀行(4日目その3・松代城)

いよいよ松代城です。
年末、しかも大晦日にもかかわらず、100名城スタンプを押すことができます。
以前、訪れた時の様子はこちら↓
冬の北信ドライブ(1日目その3・松代城〔海津城〕など松代の史跡めぐり)

松代城 - 01
松代城 - 01 posted by (C)pismo

松代城 - 02
松代城 - 02 posted by (C)pismo

松代城 - 03
松代城 - 03 posted by (C)pismo

松代城 - 04
松代城 - 04 posted by (C)pismo

松代城 - 05
松代城 - 05 posted by (C)pismo

松代城 - 06
松代城 - 06 posted by (C)pismo

松代城 - 07
松代城 - 07 posted by (C)pismo

松代城 - 08
松代城 - 08 posted by (C)pismo

松代城 - 09
松代城 - 09 posted by (C)pismo

松代城 - 10
松代城 - 10 posted by (C)pismo

日本100名城スタンプラリー 取得実績
04 弘前城     H24/7/12
05 根城      H24/7/13
06 盛岡城     H24/7/13
07 多賀城     H24/7/15
08 仙台城     H23/10/25
09 久保田城    H24/7/14
10 山形城     H24/7/15
12 会津若松城   H24/12/29
23 小田原城    H23/12/29
24 武田氏館    H23/12/30
26 松代城     H24/12/31
30 高遠城     H23/12/30
31 新発田城    H24/12/28
32 春日山城    H24/12/28
33 高岡城     H24/4/28
34 七尾城     H23/7/23
35 金沢城     H24/4/28
36 丸岡城     H23/6/18
37 一乗谷城    H24/4/28
38 岩村城     H24/6/23
39 岐阜城     H23/4/16
40 山中城     H23/12/29
41 駿府城     H23/12/28
42 掛川城     H23/12/28
43 犬山城     H24/6/23  
44 名古屋城    H24/3/24
45 岡崎城     H24/10/8  
46 長篠城     H24/10/8  
47 伊賀上野城   H24/4/1
48 松坂城     H24/3/8
49 小谷城     H23/12/23
50 彦根城     H24/1/14
51 安土城     H23/4/9
52 観音寺城    H24/1/14
53 二条城     H23/11/3
54 大阪城     H23/11/19
55 千早城     H23/12/10
56 竹田城     H23/11/16
57 篠山城     H23/11/26
58 明石城     H23/12/24
59 姫路城     H24/1/28
60 赤穂城     H24/1/28
61 高取城     H24/1/22
62 和歌山城    H24/2/18
63 鳥取城     H24/7/27
64 松江城     H23/6/27
65 月山富田城   H24/9/21
67 津山城     H24/4/14
68 備中松山城   H24/10/20
69 鬼ノ城     H24/10/20
70 岡山城     H24/1/7
71 福山城     H24/2/4
72 郡山城     H23/3/18
73 広島城     H23/3/17
76 徳島城     H24/5/21
77 高松城     H24/5/12
78 丸亀城     H24/5/12
86 大野城     H24/9/3
88 吉野ヶ里遺跡  H24/9/1
89 佐賀城     H24/9/2
90 平戸城     H24/9/1
91 島原城     H23/9/17
92 熊本城     H23/9/18
93 人吉城     H23/9/15

H24/12/31現在 64/100城
Posted at 2013/02/13 22:27:09 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2012年12月31日 イイね!

越後・会津・信濃紀行(4日目その1・お朝事、お数珠頂戴)

長野に宿泊したので、早朝、善光寺に出かけてみました。
善光寺全山の僧侶が出仕して行われるお朝事は、365日欠かさず行われる法要です。時間はおよそ1時間です。
お朝事の前後には、法要の導師を務める善光寺住職(男性のお貫主さま、女性のお上人さま)が本堂を往復する際、参道にひざまずく信徒の頭を数珠で撫でて功徳をお授けになる「お数珠頂戴」の儀式があります。
善光寺 - 01
善光寺 - 01 posted by (C)pismo

善光寺 - 02
善光寺 - 02 posted by (C)pismo

善光寺 - 03
善光寺 - 03 posted by (C)pismo

善光寺 - 04
善光寺 - 04 posted by (C)pismo

善光寺 - 05
善光寺 - 05 posted by (C)pismo
Posted at 2013/02/13 21:48:12 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2012年12月30日 イイね!

越後・会津・信濃紀行(3日目その3・喜多方市)

次は喜多方市です。
すこしばかり「喜多方らーめん」を食した後、観光です。
若喜商店の創業は宝暦5年(1755年)で、創業以来、醤油、味噌を造り続けています。初代が若松屋喜祖右衛門だったことから「若喜」の屋号がつきました。なお、喜祖右衛門は、隠居後に襲名する名前です。現在の当主は11代目。創業以来、醤油、味噌を造り続け、往時は大峠を越えて、山形市、福島市まで運んでいました。一時は十の蔵を持ち、(現在八棟)、蔵座敷、蔵座敷・倉庫蔵・道具蔵として残されています。昭和6(1931)年より酒類卸と小売店を設け、キリンビールの特約店になっています。
店舗は昭和6(1931)年に洋風の食料品店として造られました。
喜多方出身の本間嘉平氏(後に大成建設会長)が、東京工業大学の卒業制作として設計した建物です。戦前は店舗でモダンな食料品を販売していましたが、戦時中の統制で閉鎖となりました。戦後しばらくは富士銀行喜多方支店として使われました。現在のような店になったのは昭和30(1955)年以降のことです。2階には商工会議所がありました。
天井の漆喰が特徴的です。
奥のレンガ蔵は明治38(1905)年建築、三階建の建物は道具蔵で、二階建の建物は蔵座敷です。一階は全て縞柿という材木で作られています。
レンガ蔵は、中には入れませんがガラス越しに見学ができます。
店舗やレンガ蔵は国の登録有形文化財になっています。
若喜商店・若喜レンガ蔵 - 01
若喜商店・若喜レンガ蔵 - 01 posted by (C)pismo

若喜商店・若喜レンガ蔵 - 02
若喜商店・若喜レンガ蔵 - 02 posted by (C)pismo

若喜商店・若喜レンガ蔵 - 03
若喜商店・若喜レンガ蔵 - 03 posted by (C)pismo

若喜商店・若喜レンガ蔵 - 04
若喜商店・若喜レンガ蔵 - 04 posted by (C)pismo

会津新宮城跡は、南北朝時代から室町時代前期に会津北部から新潟県の東蒲原郡方面に勢力を持っていた有力武士、新宮氏の城館跡です。
新宮氏は平姓の武士で、鎌倉時代の初め会津に所領を与えられた関東御家人佐原義連の子孫とされます。
鎌倉時代末期に新宮荘地頭として土着し、新宮熊野神社には新宮氏一族が寄進した銅鐘が残されています。
室町時代になると同族で後に戦国大名に成長する蘆名氏との間で度々争いを起こし、城も合戦の場となりました。
応永22(1415)年に城を落とされて越後に逃れ、最後は永享5(1433)年に小河荘(現在の新潟県東蒲原郡阿賀町津川)において蘆名氏に滅ぼされました。
城跡は周囲に幅15~20mの内堀と土塁を方形(ロ字状)にめぐらした東西100~120m、南北120~130mの主郭と、その外側を天然の谷を利用した外堀で広く囲む外郭からなり、城跡全体では東西約480m、南北約440mの規模となります。この城跡のように、平坦な場所に方形に堀をめぐらす形態の城館跡は平地式方形居館と呼称されていますが、14世紀から15世紀前半、戦国時代以前の平地式方形居館としては東北地方でも有数の規模になります。
平成21(2009)年に国指定史跡に指定されています(現地説明板などより)
新宮城 - 1
新宮城 - 1 posted by (C)pismo

新宮城 - 2
新宮城 - 2 posted by (C)pismo

新宮城 - 3
新宮城 - 3 posted by (C)pismo

新宮熊野神社は、平安中期の永承6(1051)年、奧州平定を命じられた鎮守府将軍源頼義とその子義家は、紀州熊野三所に武運を祈願し、前九年の役(1051〜1062)に勝利したのを機に河沼郡熊野堂村(現在の会津若松市河東町)に熊野三邪を勧請しましたが、後三年の役(1083〜1087)の兵乱が始まった応徳2(1085)年に八幡太郎義家によって熊野堂村からこの地に移されました。
当初は本村に新宮、岩沢村に本宮、宇津野村に那智殿が別個に祀られましたが、後にこの地に三社が合祀されました。
「新宮雑葉記」によれば、盛時には三百余の末社霊堂に多くの宗徒、百余人の神職を置き、国家の安全を祈願し、奧州の熊野と称され崇敬を集めました。
文治5(1189)年、佐原義連によって寺社領悉く没収されましたが、建久3(1192)年、源頼朝より社供二百町を賜り、かつ文殊菩薩の形像を安置せられました。
また、当地の地頭新宮氏により以前の栄耀をみるに至りましたが、打ち続く戦乱と、慶長16(1611)年の大地震で多くの建物は倒壊しました。慶長19(1614)年に再建されましたが昔の面影は失われ、ただ拝殿(長床)の遺構のみが往事の壮大さを伝えています。
長床(ながとこ)は熊野神社の拝殿で九間×四間、茅葺寄棟造りの建物です。
前身建物は、平安時代末期から鎌倉時代初期のものと推定されますが、慶長16(1611)年の大地震で倒壊し、慶長19(1614)年に再建されましたが、旧材を再使用したため、柱間寸法が縮んだり組物や天井等を廃したり、軒はせがい造りに改めたりされていました。
そこで昭和46(1971)年から昭和49(1974)年にかけて解体修理が行われた時調査の結果旧規を知る箇所が数多く判明したため、できる限り当初の姿に復元しました。
平成12(2000)年には宝物殿が完成しました。
国指定重要文化財2点、県指定重要文化財7点があり、歴史の古さを物語っています。(現地説明板などより)
新宮熊野神社 - 01
新宮熊野神社 - 01 posted by (C)pismo

新宮熊野神社 - 02
新宮熊野神社 - 02 posted by (C)pismo

新宮熊野神社 - 03
新宮熊野神社 - 03 posted by (C)pismo

新宮熊野神社 - 04
新宮熊野神社 - 04 posted by (C)pismo

新宮熊野神社 - 05
新宮熊野神社 - 05 posted by (C)pismo

新宮熊野神社 - 06
新宮熊野神社 - 06 posted by (C)pismo

新宮熊野神社 - 07
新宮熊野神社 - 07 posted by (C)pismo

新宮熊野神社 - 08
新宮熊野神社 - 08 posted by (C)pismo

新宮熊野神社 - 09
新宮熊野神社 - 09 posted by (C)pismo

新宮熊野神社 - 10
新宮熊野神社 - 10 posted by (C)pismo

新宮熊野神社 - 11
新宮熊野神社 - 11 posted by (C)pismo

新宮熊野神社 - 12
新宮熊野神社 - 12 posted by (C)pismo

新宮熊野神社 - 13
新宮熊野神社 - 13 posted by (C)pismo

新宮熊野神社 - 14
新宮熊野神社 - 14 posted by (C)pismo

新宮熊野神社 - 15
新宮熊野神社 - 15 posted by (C)pismo

新宮熊野神社 - 16
新宮熊野神社 - 16 posted by (C)pismo

新宮熊野神社 - 17
新宮熊野神社 - 17 posted by (C)pismo

新宮熊野神社 - 18
新宮熊野神社 - 18 posted by (C)pismo

新宮熊野神社 - 19
新宮熊野神社 - 19 posted by (C)pismo
Posted at 2013/02/12 23:19:07 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記

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何シテル?   04/01 22:18
ドライブで史跡巡りをやっています。 戦国時代の城・幕末がメインですが、史跡は全般的に好きです。 あとMacやデジタル製品など「新しいもの」も大好きです。
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