この日は、生駒山を縦走ハイキング。
宝山寺までケーブルで登り、そこから生駒山上へ。そして、生駒山を縦走と言うことで高安山から信貴山に至り、そこから下山するコースです。
宝山寺は、山号は生駒山、真言律宗大本山の寺院です。
「生駒の聖天さん」として親しまれています。
奈良時代、古くは都史陀山大聖無動寺(としだざんだいしょうむどうじ)といわれ、役行者が般若窟を行場にしたと伝えられています。
現在の宝山寺は、延宝6(1678)年、僧宝山湛海の開山です。
本尊は不動明王で、秘仏大聖歓喜自在天(だいしょうかんきじざいてん)は「聖天さん」と呼ばれています。
宝山寺 - 01 posted by
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生駒山上遊園地 - 1 posted by
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生駒山テレビ・FM送信所 - 1 posted by
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生駒山テレビ・FM送信所 - 2 posted by
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なるかわ園地 - 1 posted by
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鳴川峠 posted by
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鐘の鳴る展望台 - 1 posted by
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生駒十三峠の十三塚は、大和国と河内国の国境、奈良県生駒郡平群町と大阪府八尾市神立にまたがって所在しています。
河内より大和竜田・法隆寺へ抜ける十三街道のすぐ北側に南北に十三の塚が並んでいます。すでに江戸中期に広く知られた代表的な十三塚で、庶民信仰の様相を示すものとして重要であり、完存する十三塚として昭和61(1986)年3月31日国の重要有形民俗文化財の指定を受けました。
塚列は計画的に築かれており、標高438mの最高所に親塚を築き、南北90mの範囲に6基ずつの小塚を配しています。
十三塚 - 1 posted by
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十三塚 - 2 posted by
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十三峠 - 3 posted by
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高安城は、667年、天智天皇が対馬国金田城、讃岐国屋島城とともに築造された古代の山城です。白村江の戦いの後、百済領に進出した唐の勢力の侵攻に備えて築かれました。
当時畿内の田の税である籾と塩を倉庫に貯蔵しました。
高安城は、672年の壬申の乱で倉庫は炎上、その後天武・持統天皇の時代に修築され、文武天皇の701年に廃城となったと「日本書紀」や「続日本紀」に記されています。
戦国時代には、松永久秀が築いた信貴山城の出城として再度築城されました。
城域は高安山から信貴山にかけての山地に広がっています。大阪府側の急な崖は、自然の防塁、高安山頂は高安烽跡、奈良県側の緩傾斜地には「高安城を探る会」によって昭和53(1978)年4月倉庫跡の礎石群が発見されています。
2号棟は、橿原考古学研究所が昭和57(1982)年3月に発掘しました。この時、礎石の下から平城京跡で発見されているものと同じ暗文入りの盤(大皿)や杯が多数出土しました。
この土器の年代から、これらの礎石は奈良時代前期、720~730年代のものと判明しました。3号棟も昭和58(1983)年3月に発掘され、同時期と判明しました。ただ、ここでは礎石を取り巻く形に掘立柱列がめぐっているのが発見されました。
(説明看板などより)
八尾市側の主郭部と、平群町側の倉庫群を両方見学することをお勧めします。
高安城 - 01 posted by
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Posted at 2013/06/12 23:48:46 | |
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