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ピズモのブログ一覧

2013年09月14日 イイね!

五個荘近江商人屋敷

弘誓寺(ぐせいじ)は、山号は石畠山、真宗大谷派の寺院です。
寺伝では、正応3(1290)年、那須与一の嫡子愚咄賢空坊(愚咄坊)が開基したといわれています。
正応5(1292)年には現在の寺号を受け、その後神崎郡躰光寺(たいこうじ)村に移り、天正9(1581)年には現在地の金堂に移りました。
本堂の主要部は、宝暦14(1764)年に完成し、大工棟梁は八幡の高木作右衛門但馬であったことが、普請文書より分かっています。
表門は元禄5(1692)年の建立で、瓦には那須与一に由来する扇の紋が入っています。
弘誓寺 - 1
弘誓寺 - 1 posted by (C)pismo

弘誓寺 - 2
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弘誓寺 - 3
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弘誓寺 - 4
弘誓寺 - 4 posted by (C)pismo

外村繁邸は、金堂集落の中心に位置し隣地には稲荷神社、金堂陣屋跡があります。
この外村繁家は、隣家の外村宇兵衛家の分家にあたり、明治28(1895)年、四代目外村宇兵衛の妹みわに婿養子吉太郎を迎えて分家し、明治40(1907)年吉太郎が本家の勤めから独立し、東京に呉服木綿問屋を開き近江商人として活躍しました。
外村繁(本名茂)は明治35(1902)年に三男として生まれ、京都第三高等学校を経て、東京帝国大学に進み文学を志しました。父の死後一時家業を継ぎましたが、再び文学の道に入り、芥川賞候補や池谷賞、野間文芸賞等を受賞し数多くの作品を遺し、昭和36(1961)年、58歳で永眠しました。
ご遺族のご協力により近江商人屋敷作家外村繁の生家として永久に保存するものです。
この屋敷の蔵は、外村繁文学館として、繁の資料を展示しています。
(現地説明板などより)
近江商人屋敷(旧外村繁家) - 01
近江商人屋敷(旧外村繁家) - 01 posted by (C)pismo

近江商人屋敷(旧外村繁家) - 02
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近江商人屋敷(旧外村繁家) - 03
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近江商人屋敷(旧外村繁家) - 04
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近江商人屋敷(旧外村繁家) - 05
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近江商人屋敷(旧外村繁家) - 06
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近江商人屋敷(旧外村繁家) - 07
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近江商人屋敷(旧外村繁家) - 08
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近江商人屋敷(旧外村繁家) - 09
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近江商人屋敷(旧外村繁家) - 10
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近江商人屋敷(旧外村繁家) - 11
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五個荘商人を代表する外村宇兵衛家は、近江商人として活躍していた外村与左衛門浄秋(6代目)の末子嘉久が、享和2(1802)年に分家して宇兵衛家を興したものです。外村繁邸の本家にあたります。
文化10(1813)年には独立して商いを始め、努力の末に東京・横浜・京都・福井などに支店を有し呉服木綿類の販売を中心に商圏を広げました。
明治期には全国長者番付に名を連ねるなど近江を代表する豪商としての地位を築きました。
屋敷は家業の隆盛とともに数次にわたる新増築が重ねられ、主屋、書院、大蔵など10数棟にわたる建物が建てられていました。また、庭は作庭当時、神崎郡内一番の庭と評される程立派なものでした。しかし、残念ながら建物や庭の半分程が取り壊され、旧状を損なっていました。そこで旧五個荘町が、茶室、四阿の復元、主屋・庭の改修や整備を行い、明治期の姿に復元し、てんびんの里伝統家屋博物館として公開するものです。母家は万延元(1860)年の建築です。
(現地説明板などより)
近江商人屋敷(旧外村宇兵衛家) - 01
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近江商人屋敷(旧外村宇兵衛家) - 02
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近江商人屋敷(旧外村宇兵衛家) - 03
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近江商人屋敷(旧外村宇兵衛家) - 04
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近江商人屋敷(旧外村宇兵衛家) - 05
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近江商人屋敷(旧外村宇兵衛家) - 06
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近江商人屋敷(旧外村宇兵衛家) - 07
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中江準五郎邸は、昭和初期、朝鮮半島や中国で三中井百貨店を築いた中江家4兄弟の末弟の準五郎の本宅です。
中江家には三中井を創立した長男勝治郎、次男久次郎、三男富十郎、五男準五郎の4兄弟があり、この中江準五郎邸は本家中江勝治郎家から分家したものです。
明治38(1905)年、朝鮮大邱に三中井呉服店を創業し、昭和9(1934)年に株式会社三中井百貨店となりました。昭和15(1940)年には13店舗を数えるほどの一大百貨店となりました。戦前まで、本宅を金堂に置き、朝鮮半島・中国で約20店舗を経営しました。
昭和20(1945)年の終戦とともに三中井百貨店は終わりを告げました。
この屋敷は2階建て、切妻瓦葺で、蔵が2棟あり、庭は池泉回遊式で真ん中の池のまわりには石灯籠や巨石を配しています。
蔵の中には五個荘が生んだ郷土玩具・小幡人形と全国の土人形を多数展示紹介しています。
近江商人屋敷(中江準五郎邸) - 01
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近江商人屋敷(中江準五郎邸) - 02
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近江商人屋敷(中江準五郎邸) - 03
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近江商人屋敷(中江準五郎邸) - 04
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近江商人屋敷(中江準五郎邸) - 05
近江商人屋敷(中江準五郎邸) - 05 posted by (C)pismo

最後に訪れたのが、藤井彦四郎邸です。藤井彦四郎は、三代目藤井善助の次男として明治9(1876)年9月29日に当時の北五個荘村大字宮荘で生まれ、後に分家して藤井糸店を創業しました。
「鳳凰印の小町糸」の発売や「スキー毛糸」の製造を行なうなど、時代を敏感にとらえて一代で成功しました。
同家の先祖は、享保年間に宮荘の篤農家彦六を以って遠い祖とし、幼名千次郎が長じて初代善助と称したのが藤井家の始祖であり四代善助の弟が彦四郎の名を興し、本家の横に家屋を買い求め、以来昭和7(1932)年までにそこに住み同年この土地を選び、生家を忘れないため建物全部を原型のまま移築すると共に増築したものであります。
藤井家は常に質素を貴び、剛健な気風を養い日常生活も常に華美に流れない家風で、特に早起きを最も貴び「藤井が起きれば一番鶏が鳴く」とその評判も高く、翁の家庭では今日までその習慣が実践されています。
藤井彦四郎邸は敷地面積8,155.37平方メートル、建物面積710.08平方メートルにもおよび、屋敷内には、彦四郎自身の構想による琵琶湖を模した池泉回遊式の庭園をはじめ、主屋、客殿、洋館、土蔵が立ち並んでいます。
近江商人屋敷(藤井彦四郎邸) - 01
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近江商人屋敷(藤井彦四郎邸) - 02
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近江商人屋敷(藤井彦四郎邸) - 03
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近江商人屋敷(藤井彦四郎邸) - 04
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近江商人屋敷(藤井彦四郎邸) - 05
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近江商人屋敷(藤井彦四郎邸) - 06
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近江商人屋敷(藤井彦四郎邸) - 07
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近江商人屋敷(藤井彦四郎邸) - 08
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近江商人屋敷(藤井彦四郎邸) - 09
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Posted at 2013/10/23 00:25:21 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2013年09月06日 イイね!

東大寺

東大寺ミュージアムは、東大寺総合文化センター内にあります。
東大寺総合文化センターは東大寺の教学・歴史・文化の発信基地で東大寺ミュージアム、東大寺図書館、金鐘会館、東大寺史研究所、華厳学研究所がある複合文化施設です。
平成22(2010)年に竣工し、東大寺ミュージアムは平成23(2011)年10月10日にオープンしました。
法華堂のご本尊不空羂索観音立像、日光・月光菩薩立像など東大寺の国宝を含む寺宝数十点を安置・公開しています。
東大寺ミュージアム - 1
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東大寺ミュージアム - 2
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そして少しだけ散歩です。
南大門
東大寺 - 01
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東大寺 - 02
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大仏殿

東大寺 - 03
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東大寺 - 04
東大寺 - 04 posted by (C)pismo

東大寺 - 05
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手向山八幡宮
東大寺・手向山神社 - 06
東大寺・手向山神社 - 06 posted by (C)pismo

東大寺・手向山神社 - 07
東大寺・手向山神社 - 07 posted by (C)pismo

東大寺・法華堂 - 08
東大寺・法華堂 - 08 posted by (C)pismo

二月堂
東大寺・二月堂 - 09
東大寺・二月堂 - 09 posted by (C)pismo

東大寺・二月堂 - 10
東大寺・二月堂 - 10 posted by (C)pismo

東大寺・二月堂 - 11
東大寺・二月堂 - 11 posted by (C)pismo

東大寺・二月堂 - 12
東大寺・二月堂 - 12 posted by (C)pismo

東大寺・二月堂 - 13
東大寺・二月堂 - 13 posted by (C)pismo

東大寺 - 14
東大寺 - 14 posted by (C)pismo

東大寺 - 15
東大寺 - 15 posted by (C)pismo

東大寺・転害門 - 16
東大寺・転害門 - 16 posted by (C)pismo
Posted at 2013/10/08 23:38:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2013年09月06日 イイね!

平城宮

この日は、特別史跡・平城宮跡を訪れました。
平城京は、和銅3(710)年藤原京より遷都されました。
天平12(740)年、恭仁京への遷都によって平城京は一時的に放棄されましたが、天平17(745)年には、再び平城京に遷都され、その後延暦3(784)年長岡京に遷都されるまで都がおかれました。
その後、平城天皇が位を退いた後こちらに居住し、大同5(810)年には、平安京を廃し平城京へ遷都する詔を出して薬子の変が起こりました。結果は失敗し、この後平城京へ遷都されることはありませんでした。その後、農地になっていましたが、大正11(1922)年、国の史跡に指定され、昭和27(1952)年には特別史跡平城宮跡として保存され、同時に発掘調査が進んでいます。
朱雀門の復元工事は平成3(1991)年から始まり、平成9(1997)年10月17日に完成しました。
平成10(1998)年には「古都奈良の文化財」の一つ平城宮跡として世界遺産にも登録されています。
平成22(2010)年には、平城遷都1300年事業の一つとして第一次大極殿も復元されました。
朱雀門、第一次大極殿、東院庭園、遺構展示館、平城宮跡資料館、平城京歴史館など敷地内には見どころがたくさんあります。
平城宮跡資料館 -01
平城宮跡資料館 -01 posted by (C)pismo

平城宮・第一次大極殿 - 02
平城宮・第一次大極殿 - 02 posted by (C)pismo

平城宮・第一次大極殿 - 03
平城宮・第一次大極殿 - 03 posted by (C)pismo

平城宮・第一次大極殿 - 04
平城宮・第一次大極殿 - 04 posted by (C)pismo

平城宮・第一次大極殿 - 05
平城宮・第一次大極殿 - 05 posted by (C)pismo

平城宮・第一次大極殿 - 06
平城宮・第一次大極殿 - 06 posted by (C)pismo

平城宮・第二次大極殿- 07
平城宮・第二次大極殿- 07 posted by (C)pismo

平城宮・内裏 - 08
平城宮・内裏 - 08 posted by (C)pismo

平城宮・推定宮内省 - 09
平城宮・推定宮内省 - 09 posted by (C)pismo

平城宮・推定宮内省 - 10
平城宮・推定宮内省 - 10 posted by (C)pismo

平城宮・遺構展示館 - 11
平城宮・遺構展示館 - 11 posted by (C)pismo

平城宮・遺構展示館 - 12
平城宮・遺構展示館 - 12 posted by (C)pismo

平城宮・遺構展示館 - 13
平城宮・遺構展示館 - 13 posted by (C)pismo

平城宮・推定宮内省 - 14
平城宮・推定宮内省 - 14 posted by (C)pismo

平城宮・東院庭園 - 15
平城宮・東院庭園 - 15 posted by (C)pismo

平城宮・東院庭園 - 16
平城宮・東院庭園 - 16 posted by (C)pismo

平城宮・東院庭園 - 17
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平城宮・東院庭園 - 18
平城宮・東院庭園 - 18 posted by (C)pismo

平城宮・東院庭園 - 19
平城宮・東院庭園 - 19 posted by (C)pismo

平城宮・東院庭園 - 20
平城宮・東院庭園 - 20 posted by (C)pismo

平城宮・朱雀門 - 21
平城宮・朱雀門 - 21 posted by (C)pismo

平城宮・朱雀門 - 22
平城宮・朱雀門 - 22 posted by (C)pismo

平城宮・朱雀門 - 23
平城宮・朱雀門 - 23 posted by (C)pismo

平城京歴史館 - 24
平城京歴史館 - 24 posted by (C)pismo

平城京歴史館 - 25
平城京歴史館 - 25 posted by (C)pismo
Posted at 2013/10/08 23:10:11 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2013年09月01日 イイね!

武蔵・上野・下野・信濃史跡めぐり(3日目その4・松本城)

久し振りの松本城です。

以前の訪問記
信州伊那~松本紀行(1日目その5・松本城ライトアップ)
信州伊那~松本紀行(2日目その3・松本城)
甲州武田氏史跡、富士五湖、松本(3日目その4・松本城)
中山道・塩尻・松本・安曇野・北アルプス近辺(1日目その5・松本城ライトアップ)


松本城は、小笠原氏の家臣である島立右近貞永が深志城を築いたのが始まりと言われています。
天文17(1548)年小笠原長時の居城林城の他、深志城、岡田城、桐原城、山家城などを落とした武田信玄は、この地域の拠点を林城ではなく、深志城とし、馬場信春、日向是吉を城将に任じました。
武田氏滅亡後は木曽義昌のものとなりましたが、本能寺の変の後の甲信地方の混乱に乗じて小笠原長時の弟・貞種が上杉景勝の援助を得て入城しました。しかし、徳川家康の支援を受けた小笠原長時の子・貞慶が深志城を攻撃し、旧領を回復することに成功しました。
徳川氏が関東に移封となると、小笠原氏も下総古河に移り、代わりに石川数正が入城しました。天守や櫓が造営され、その子康長の時に完成を見ました。
慶長18(1613)年に石川康長が大久保長安事件に連座し改易されると、再び小笠原貞慶の子秀政が入城しましたが、大坂夏の陣で戦死。嫡子・忠脩も戦死したため、次男の忠真が跡を嗣ぎましたが、元和3(1617)年に播州明石に転封されました。
江戸時代は戸田氏、(越前)松平氏、堀田氏、水野氏が城主になり、享保から幕末にかけては再び戸田氏が城主になりました。
姫路、彦根、犬山と並び国宝4城の一つです。
松本城 - 01
松本城 - 01 posted by (C)pismo

松本城 - 02
松本城 - 02 posted by (C)pismo

松本城 - 03
松本城 - 03 posted by (C)pismo

松本城 - 04
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松本城 - 05
松本城 - 05 posted by (C)pismo

松本城 - 06
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松本城 - 07
松本城 - 07 posted by (C)pismo

松本城 - 08
松本城 - 08 posted by (C)pismo

松本市立博物館は明治39(1906)年9月21日、松本尋常高等小学校内に「明治三十七、八年戦役紀念館」として開館したのが始まりです。
その後、松本紀念館として現在地に移り、昭和23(1948)年に松本市立博物館として開館しました。
「松本の歴史・松本城ができるまで」「松本城と城下町の時代」「近代から現代へ」と時代ごとに松本城を中心とした松本の歴史を学ぶことができます。
松本市立博物館
松本市立博物館 posted by (C)pismo

日本100名城スタンプラリー 取得実績
004 弘前城     H24/7/12
005 根城      H24/7/13
006 盛岡城     H24/7/13
007 多賀城     H24/7/15
008 仙台城     H23/10/25
009 久保田城    H24/7/14
010 山形城     H24/7/15
012 会津若松城   H24/12/29
014 水戸城     H25/7/13
015 足利氏館    H25/8/31
016 箕輪城     H25/8/30
017 金山城     H25/8/30
018 鉢形城     H25/8/30
019 川越城     H25/7/15
020 佐倉城     H25/7/12
021 江戸城     H25/7/16
022 八王子城    H25/8/30
023 小田原城    H23/12/29
024 武田氏館    H23/12/30
025 甲府城     H25/6/15
026 松代城     H24/12/31
027 上田城     H25/9/1
028 小諸城     H25/9/1
029 松本城     H25/9/1
030 高遠城     H23/12/30
031 新発田城    H24/12/28
032 春日山城    H24/12/28
033 高岡城     H24/4/28
034 七尾城     H23/7/23
035 金沢城     H24/4/28
036 丸岡城     H23/6/18
037 一乗谷城    H24/4/28
038 岩村城     H24/6/23
039 岐阜城     H23/4/16
040 山中城     H23/12/29
041 駿府城     H23/12/28
042 掛川城     H23/12/28
043 犬山城     H24/6/23  
044 名古屋城    H24/3/24
045 岡崎城     H24/10/8  
046 長篠城     H24/10/8  
047 伊賀上野城   H24/4/1
048 松坂城     H24/3/8
049 小谷城     H23/12/23
050 彦根城     H24/1/14
051 安土城     H23/4/9
052 観音寺城    H24/1/14
053 二条城     H23/11/3
054 大阪城     H23/11/19
055 千早城     H23/12/10
056 竹田城     H23/11/16
057 篠山城     H23/11/26
058 明石城     H23/12/24
059 姫路城     H24/1/28
060 赤穂城     H24/1/28
061 高取城     H24/1/22
062 和歌山城    H24/2/18
063 鳥取城     H24/7/27
064 松江城     H23/6/27
065 月山富田城   H24/9/21
067 津山城     H24/4/14
068 備中松山城   H24/10/20
069 鬼ノ城     H24/10/20
070 岡山城     H24/1/7
071 福山城     H24/2/4
072 郡山城     H23/3/18
073 広島城     H23/3/17
076 徳島城     H24/5/21
077 高松城     H24/5/12
078 丸亀城     H24/5/12
079 今治城     H25/5/4
080 湯築城     H25/5/4
081 松山城     H25/5/4
082 大洲城     H25/5/4
083 宇和島城    H25/5/4
084 高知城     H25/8/10
086 大野城     H24/9/3
088 吉野ヶ里遺跡  H24/9/1
089 佐賀城     H24/9/2
090 平戸城     H24/9/1
091 島原城     H23/9/17
092 熊本城     H23/9/18
093 人吉城     H23/9/15
098 今帰仁城    H25/3/21
099 中城城     H25/3/20
100 首里城     H25/3/22
H25/9/1現在 86/100城
Posted at 2013/09/26 00:14:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2013年09月01日 イイね!

武蔵・上野・下野・信濃史跡めぐり(3日目その3・真田の郷)

上田城の次は、郊外の旧真田町です。
真田氏発祥の地です。平成18年以来の再訪です。

前回の訪問記はこちら↓
信濃国・上野国・下野国歴史紀行(1日目その4・真田の郷)


真田氏歴史館は、真田氏発祥の里である上田市真田町の御屋敷公園(真田氏居館跡)にあります。
真田氏の居館風の建物に真田氏の関係資料を展示しています。
真田氏本城の模型や大坂夏の陣図屏風などが展示してありました。
真田氏歴史館 - 1
真田氏歴史館 - 1 posted by (C)pismo

真田氏歴史館 - 2
真田氏歴史館 - 2 posted by (C)pismo

真田氏本城は、真田山城、松尾城、松尾新城、住連寺城、十林寺の城山などとも呼ばれ、真田氏館の北東に位置します。
真田氏館や原の郷(本原一帯)へと続くなだらかな南斜面には何段もの広い段郭を連ね、ほかの三方は急斜面ですが、要所に細長い段郭を配置して厳重な備えとなっています。
規模がかなり大きいことから、真田氏の本城であったと推定され、真田氏居館の詰城として機能していたと考えられています。別名は松尾城といわれます。(他にも松尾古城といわれる城もあります。)
山城ですが、車で登れますのでアクセスは楽です。
真田氏本城 - 01
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真田氏本城 - 02
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真田氏本城 - 03
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真田氏本城 - 04
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真田氏本城 - 05
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真田氏本城 - 06
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真田氏本城 - 07
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長谷寺は、山号は真田山(しんでんざん)、曹洞宗の寺院です。
当寺は、往古「種月庵」という無住の小寺に、天文16(1547)年に真田幸隆が上州安中の長源寺より晃運和尚を招いて「真田山種月院長谷寺」として創建されました。
天正16(1588)年真田昌幸の代に至り、父幸隆の菩提のために諸堂を完備しますが、慶長5(1600)年には兵火にかかり、また宝暦7(1757)年の火災や、寛保2(1742)年の大洪水では土砂に埋まるなど幾度もの災害に遭っています。
元和8(1622)年真田信之が上田より松代に移封の際には六代住職が同行し、松代に長国寺を建立しています。
明治23(1890)年1月、再三の火災で全山焼失し、貴重なもの全てが灰と化してしまいました。
現在の本堂は昭和53(1978)年に、庫裏・位牌堂は平成元(1989)年に再建され、鐘楼は平成20(2008)年に建てられ現在に至っています。
本堂裏手の墓地には、真田幸隆夫妻、昌幸の墓所があり、上田市指定文化財となっています。
(現地説明板より)
長国寺 - 01
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長国寺 - 02
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長国寺 - 03
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長国寺 - 04
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長国寺 - 05
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山家神社は、平安時代の延喜・延長年間に編纂の「延喜式 神明帳」という法典に収載されている由緒正しい神社です。
創立は不詳ですが、この地域の産土神(うぶすなかみ・守り神)であり、四阿山(あずまやさん)には山頂に奥宮が鎮座し、四阿山を源とする神川沿いに生活する人々の「水分の神」として篤く崇拝されています。
上田城の鬼門徐の神として真田幸隆の時代から上田歴代藩主より信仰され、今日まで大切に守り継がれてきました。
社伝によると養老2(718)年、加賀国から白山信仰が伝わり、以来明治まで「白山権現・白山宮・白山さま」の名称で人々に親しまれてきました。
また、境内地にはかつては神宮寺として岩井山理智院白山寺という天台宗の寺院がありました。創建年代は不明ですが、鎌倉時代以前とみられています。
明治維新以前は神仏混淆で山家神社と同一敷地内にありましたが、神仏分離令により寺は廃寺となりました。
跡地には現在真田神社が建立されています。真田幸隆、昌幸、信幸、幸村と、西南戦争〜大東亜戦争の英霊を祭神としています。
山家神社 - 01
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山家神社 - 02
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山家神社 - 03
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山家神社 - 04
山家神社 - 04 posted by (C)pismo

山家神社 - 05
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山家神社 - 06
山家神社 - 06 posted by (C)pismo

山家神社 - 07
山家神社 - 07 posted by (C)pismo

山家神社 - 08
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日向畑遺跡(ひなたばたいせき)は松尾城(松尾古城)の麓にあり、真田氏最初の居館跡と考えられます。昭和46(1971)年に発掘調査が実施され、石造宝篋印塔が6基、石造五輪塔が11基出土したそうです。
日向畑遺跡 - 1
日向畑遺跡 - 1 posted by (C)pismo

日向畑遺跡 - 2
日向畑遺跡 - 2 posted by (C)pismo

日向畑遺跡 - 3
日向畑遺跡 - 3 posted by (C)pismo

松尾城は、松尾古城とも、角間の城とも呼ばれています。
真田盆地には数多く山城がありますが、最も北側にある山城です。
真田幸隆以前の真田氏の本城とも考えられています。
「真田氏本城」も松尾城とも呼ばれることがあるので、区別して「松尾古城」と呼ばれることもあります。
岩がごろごろした急峻な山道を登っていきます。三角点のある本郭の標高は970m、東西11m、南北14mあり四囲を石垣が巡らしてあり、前方のみ11mほど口が開いています。
更に比高差160mあるところに、遠見番所があります。
松尾古城 - 01
松尾古城 - 01 posted by (C)pismo

松尾古城 - 02
松尾古城 - 02 posted by (C)pismo

松尾古城 - 03
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松尾古城 - 04
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松尾古城 - 05
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松尾古城 - 06
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松尾古城 - 07
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松尾古城 - 08
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松尾古城 - 09
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松尾古城 - 10
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松尾古城 - 11
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松尾古城 - 12
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Posted at 2013/09/25 23:41:00 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記

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