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ピズモのブログ一覧

2017年01月21日 イイね!

立雲峡

立雲峡は、海抜757mの朝来山中腹にあり、無数の奇石、巨石が点在する中、樹齢300年以上といわれる老桜が自然美の妙をきわめて群生しています。開花期間が長いのも特徴の一つで、前面の竹田城跡と眼下の町並みと併せて桜の名所として楽しめます。
公園として整備され、一年中四季折々の美しい景色の中、竹田城跡を見ることができます。
展望台は三か所あり、いずれの展望台も竹田城跡を望むことができ、竹田城と雲海の撮影スポットとして人気です。
立雲峡 (2)
立雲峡 (2) posted by (C)pismo

立雲峡 (3)
立雲峡 (3) posted by (C)pismo

立雲峡 (4)
立雲峡 (4) posted by (C)pismo
Posted at 2017/02/19 10:13:06 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2017年01月15日 イイね!

雪の京都

この日は積雪ということで、雪の京都を見に行きました。
京都で雪の中「全国女子駅伝」が開催されていました。
金閣寺に行こうとしましたが、外国人観光客で大渋滞。おまけにお寺に入るのにもかなりの時間がかかりそうということもあり、銀閣寺を訪れました。

銀閣寺は正式には東山慈照寺といい、臨済宗相国寺の境外塔頭です。
室町幕府8代将軍足利義政によって造営された山荘東山殿がそのルーツです。延徳2(1490)年に死去した義政の菩提を弔うため、東山殿を寺に改めました。
銀閣寺と呼ばれるようになったのは江戸時代で、三代将軍足利義満により造営された山荘北山殿の金閣寺に対し、銀閣寺と称せられるようになりました。
昭和27(1952)年に特別史跡及び特別名勝に指定され、平成6(1994)年に「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されています。
銀閣寺の俗称のとおり象徴とされる銀閣(観音殿)のみならず、銀閣寺垣と呼ばれる竹垣で囲まれた参道、西芳寺(苔寺)を模したと言われる庭園、東山どの造営東寺の遺構として存在する東求堂、その中の四畳半書院の同仁斎、江戸時代に建てられた方丈(本堂)など落ち着いたたたずまいが魅力の寺院です。
銀閣寺
銀閣寺 posted by (C)pismo

銀閣寺 (1)
銀閣寺 (1) posted by (C)pismo

銀閣寺 (2)
銀閣寺 (2) posted by (C)pismo

銀閣寺 (3)
銀閣寺 (3) posted by (C)pismo

銀閣寺 (4)
銀閣寺 (4) posted by (C)pismo

銀閣寺 (5)
銀閣寺 (5) posted by (C)pismo

銀閣寺 (6)
銀閣寺 (6) posted by (C)pismo

銀閣寺 (7)
銀閣寺 (7) posted by (C)pismo

白沙村荘(はくさそんそう)は日本画家・橋本関雪が造営した「白沙村荘」と同画伯の作品およびコレクションを公開している美術館があります。
邸宅部分は橋本関雪が自身の制作を行うアトリエとして造営したもので、10000平方メートルの敷地内には大正〜昭和初期に建築された居宅、日本画の制作を行っていた3つの画室、茶室、持仏堂などの建造物が散在しています。
池泉回遊式庭園は大文字山を借景として大小の池の周囲に平安・鎌倉期の石灯籠、石仏等の石造美術など約180点が配置されています。
庭園そして建造物の設計も橋本関雪の手によるもので、彼の美意識が随所に反映された庭屋の調和した景観そのものが白沙村荘の大きな見どころです。
平成26(2014)年9月に開館した美術館では、関雪の作品とあわせてスケッチや下絵の他、関雪が収集したギリシャ陶器、中国、日本の文人画などの古美術もあわせて展示しています。
平成15(2003)年、日本画家が自らの美意識をもって設計された庭であるとして国の名勝に指定されました。
白沙村荘 橋本関雪記念館 (1)
白沙村荘 橋本関雪記念館 (1) posted by (C)pismo

白沙村荘 橋本関雪記念館
白沙村荘 橋本関雪記念館 posted by (C)pismo

白沙村荘 橋本関雪記念館 (2)
白沙村荘 橋本関雪記念館 (2) posted by (C)pismo

白沙村荘 橋本関雪記念館 (3)
白沙村荘 橋本関雪記念館 (3) posted by (C)pismo

白沙村荘 橋本関雪記念館 (4)
白沙村荘 橋本関雪記念館 (4) posted by (C)pismo


そして次は大原へ。
しょっちゅう訪れている宝泉院もこのとおり積雪でした。
宝泉院 (1)
宝泉院 (1) posted by (C)pismo

宝泉院 (2)
宝泉院 (2) posted by (C)pismo

宝泉院 (3)
宝泉院 (3) posted by (C)pismo

宝泉院
宝泉院 posted by (C)pismo

宝泉院 (4)
宝泉院 (4) posted by (C)pismo

宝泉院 (5)
宝泉院 (5) posted by (C)pismo

宝泉院 (6)
宝泉院 (6) posted by (C)pismo

そして三千院
三千院 (1)
三千院 (1) posted by (C)pismo

三千院 (2)
三千院 (2) posted by (C)pismo

三千院 (3)
三千院 (3) posted by (C)pismo

三千院 (4)
三千院 (4) posted by (C)pismo

三千院
三千院 posted by (C)pismo

雪の京都を見ることはなかなかチャンスがなくて今まであまりゆっくり見ることはありませんでしたが、今回は満喫できました。
Posted at 2017/02/16 22:23:07 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2017年01月07日 イイね!

津田城(国見山)〜交野山

惟喬親王(844年~897年)は文徳天皇の第1皇子でしたが、藤原良房の孫で第4皇子の惟仁親王が皇太子に立てられました。のちの清和天皇です。失意の惟喬親王はたびたび交野の別荘渚院を訪れ、藤原業平らと歌を詠み遊猟して心を慰めました。
ここの影見池は、いつも清水を湛えていたので、惟喬親王遊猟のとき、見失った愛鷹が池面に写る姿から発見されたという伝説を残しています。
田を養ってきたこの池も宅地化の波にのまれその役割を終えましたが、枯れることなく湧く水が惟喬親王の秘話を今に伝えています。
(現地説明板などより)
影見池
影見池 posted by (C)pismo

明治16(1883)年の夏の大旱魃が続き、貯水量の少ないため池しかなかった津田南部はとても大きな被害を受けました。
津田の人々は、今後このような大旱魃がおこっても農業ができるように、その当時あったため池を改修し多くの水を貯めることができるように計画しました。
それが現在ある地蔵池の堤体です。
その当時、池の改修にはたくさんのお金がかかるため多くの寄付をつのって行われ、明治18(1885)年に完成しました。
この池底を掘っている間に、池中から太古の埋木が多くでてきました。このことは今から数万年も以前、このあたりが海岸であった時に上流から赤土や砂利といっしょに流れてきて埋まったものです。
またこの付近からたくさんの石地蔵が出てきましたので、この新しくできた池を地蔵池と呼ぶようになりました。
(現地説明板などより)
地蔵池
地蔵池 posted by (C)pismo

津田城(国見山城)は、延徳2(1490)年、河内国交野郡の国見山に津田周防守正信が築城しました。
津田氏は、約100年にわたり、戦国の世にこの地で勢力をふるいました。
2代備後守正忠は天文年間(1532~55)、蓮如の子、蓮淳が招堤にて敬応寺を創建したとき、娘を側室におくり本願寺勢力と通じました。
3代周防守正明に至り津田氏の勢力は最も強大となり、飯盛山城に拠って畿内に号令した三好長慶と結び、交野、茨田両郡で一万石を領しました。
天正3(1575)年4月、織田信長の河内平定のため、藤阪、津田などは洞ヶ峠から攻められ津田城(国見山城)も焼き払われました。このとき城主は4代目主水守正時でした。正時は天正10(1582)年、山崎合戦に明智光秀に味方するため招堤寺内衆とともに出陣しましたが、秀吉方に敗れ、津田、尊延寺などの領地は没収されました。津田城(国見山城)は、緊急時に使用する砦としての役割をはたしていました。
傾斜面を切り拓いて建物を建てた跡が数ヶ所あり、南方の狭い尾根からの攻撃に備えるため、東西に土塁が築かれています。昭和31(1956)年には数回の発掘調査が行われ、山頂東側において地表下30センチから焼土層が確認され、天正3(1575)年の織田信長による焼打ちによる火災の跡、当時の陶磁器の破片も出土しています。
国見山は標高およそ300m、南東は大和に続く山並みであり、その東に広がる南山城平野を貫いて木津川が北流するのが見られます。
山並みの向こうにも笠置の山に続く鷲峰山がみられます。木津川・宇治川・桂川の合流点をへだて、京都の市街が広がり、比良、比叡のひときわ高い山容を望むことがでます。岩清水鳩ヶ峰と天王山の狭間から淀川が南流して、摂津と河内を二分しています。下流の方向には六甲山や、大阪湾が白く光るのも見えます。
(現地説明板などより)
津田城(国見山) (2)
津田城(国見山) (2) posted by (C)pismo

津田城(国見山) (3)
津田城(国見山) (3) posted by (C)pismo

津田城(国見山) (4)
津田城(国見山) (4) posted by (C)pismo

津田城(国見山) (5)
津田城(国見山) (5) posted by (C)pismo

津田城(国見山) (6)
津田城(国見山) (6) posted by (C)pismo

津田城(国見山) (7)
津田城(国見山) (7) posted by (C)pismo

交野山(こうのさん)は、標高341m、交野市を代表する山です。
頂上には観音岩と呼ばれる巨岩があり、巨岩の上からは大阪から京都までを一望できます。
交野山
交野山 posted by (C)pismo

交野山 (1)
交野山 (1) posted by (C)pismo

交野山 (2)
交野山 (2) posted by (C)pismo

交野山 (3)
交野山 (3) posted by (C)pismo

交野山 (4)
交野山 (4) posted by (C)pismo

私市の古老は月の輪滝(つきのわのたき)を金剛滝と言っていました。ここは土地の神を祭るところで、滝石は神聖視されていたそうです。
月の輪の流水をさかのぼると、府民の森から奈良県のくろんど池に通じています。かつては大和との文化の道であったと思われます。
昭和45(1970)年、滝の西よりを宅地造成中に弥陀三尊の塼仏、土師の骨つぼ、古銭(富寿神宝818鋳造)が出土し、地下約1mの地層からは土器片などが採集されました。
尺治と呼ばれるこの谷には、まだまだ私市の古い文化が秘められていることでしょう。
このあたり一帯は獅子窟寺の寺域であったそうです。
(現地説明板などより)
月の輪滝 (2)
月の輪滝 (2) posted by (C)pismo

月の輪滝 (3)
月の輪滝 (3) posted by (C)pismo
Posted at 2017/02/16 00:09:52 | コメント(0) | トラックバック(0) | トレッキング | 日記

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ドライブで史跡巡りをやっています。 戦国時代の城・幕末がメインですが、史跡は全般的に好きです。 あとMacやデジタル製品など「新しいもの」も大好きです。
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