
こんばんは。
カレンダー通りの出勤しているI・DA・TENです。
テレワーク? 何それ美味しいんですか?? 状態です。
コロナの感染者数の増加は少し鈍りましたが、これからの連休でどれだけ抑えられるかが大変なようですね。
しかし、報道を見てると沖縄への飛行機の予約(どうしても行かねばならない事情の人は除く)だの、要請を無視して営業しているパチンコ屋へ群がるだの、無神経な輩は相変わらずいるようですね。
そいつらがコロナに感染したら、また医療従事者の方が疲弊するだけなのに。
「自己責任」とか言ってますが、だったら感染したらどっかの無人島へ行って自己隔離してくれと言いたい。そういうやつらが感染したら一番大騒ぎするくせに。
そもそもこういう状況でパチンコ止められない人は明らかに中毒です。
営業停止させられるように強制力持った法律にさっさと改正すればよいのに。
それともそういうパチンコ屋から献金されている議員は後ろめたいのかな??
さて、本日の戯言は『総選挙』
ちなみにアイドルの総選挙は全く興味ありません。
その1 おにぎり🍙
1か月くらい前だったかセブンイレブンのおにぎり総選挙の結果が発表されてました。
ツイッターの投票だったらしいんですが、24万4032票も集まったとか。
結果は
5位 北海道産昆布 (2万9557票)
4位 たたき梅肉 紀州南高梅 (3万6395票)
3位 あごだし仕立て 辛子明太子(5万909票)
2位 旨味熟成 紅しゃけ (6万2660票)
1位 具たっぷり!ツナマヨネーズ(6万4511票)
I・DA・TENは基本コンビニはファミマです。
ガソリンとともにT-POINT使ってるので。
あまりセブンは行きません。
しかし、地域によってはセブンしかなかったりするところもあります。
よってたまに利用しますが、1~2位は得票数も抜きんでていて安定の結果なんだなと思いました。
個人的には、1位明太子、2位昆布ですが。
他には高菜が好きでございます。
あとは「いぶりがっこ」があったら最高。
最近、国産海苔の収穫量が激減してるそうで、その結果、韓国産が増えてきたのと、海苔なしおにぎりが増えてきたんだそうです。
まあ、おにぎり買ってるということは、外食しなくなったということですね。
これもコロナの影響だったりします。(-_-;)
その2 戦国武将
月曜日に戦国武将の総選挙がTVでやってまして、偶然観てたらとうとう最後まで観ちゃいました。
だいたい人気の戦国大名はほぼ予想通りの順位でした。
伊達政宗が3位というのは、ちょっと嬉しかったかな。
ただ個人的には入っていて欲しかった戦国大名がランクインしてなかったのが、残念。
その大名とは、立花宗茂、最上義光、毛利勝永・・・。
これらの方々は以前ブログにも取り上げたので今回は割愛します。
あと二人。
まずは
鳥居元忠
関ケ原の合戦で西軍で最も悲劇的な最期を遂げたのが、
大谷吉継
小早川秀秋の裏切りを予見して、3000の兵力のうち側面に精鋭の500人を配置して正面は東軍の主力とガチンコで戦っていた。
案の定小早川が裏切り、10000人以上が山を駆け下り襲ってきた。
その時、簡単に負けたように書かれているものも多いですが、なんとわずか500人でなんと3回撃退したとか、その後他の4人の武将も裏切り、袋叩きにあってついに壊滅。
西軍の悲劇をまとも受けた武将。
それに対して鳥居元忠は東軍の悲劇を一身に受けました。
徳川家康が会津征伐に向かうときに拠点の伏見城に残しておいたのが鳥居元忠。
天正壬午の乱では北条氏10000の兵をわずか2000の兵で撃退する武闘派でしたが、この時すでに61歳。
家康にとっては家臣でしたが、幼馴染の間柄。
家康は鳥居に3000の兵を残そうとしたが、「どうせ討ち死にするからそんなにいらない」と言って断った。家康は泣いて分かれたそうな。
家康が去った後、西軍が蜂起して伏見城は40000の兵に囲まれてわずか1800の兵で13日間も持ちこたそうです。
最期は自ら刀を振るい一騎打ちで果てたそうな。
この伏見城と大津城の攻略にてこずった西軍は進軍スケジュールが大いに狂ってしまったとか。
まさか、61歳の爺さん(当時の感覚)がたった1800で守る城を40000で攻撃して2週間近くも落とせなくなるとは思わなかったでしょう。
※通常、城攻めは守る数の3倍で攻めるのが常識でしたが、この時はなんと22倍強。
更に、鳥居家の子孫は2度不祥事を起こして、そのたびに改易の恐れがありましたが、元忠の功績で免除されたそうです。元忠は子孫まで救ったんですね。
そしてもう1人は鬼島津こと
島津義弘
トップの写真はその騎馬像ですが、なかなかカッコエエ!!
最上義光の騎馬像↓とともに個人的には、好きな日本の騎馬像の双璧です♪
この方は関ケ原の合戦に西軍として参加してます。
本当は東軍に参加するつもりでしたが・・・。
手勢はわずか1000人。
島津の正規軍というよりは島津義弘を慕って集まった義勇兵です。
関ヶ原の戦いでは、ほとんど動かず待機してました。
わずか1000人ではある面仕方なかったでしょう。
しかし、西軍の負けがほぼ確定したタイミングで、300人に減っていた島津勢。
さあ、どうする??
周りは敵だらけ。(約80000人)
その時、義弘は「敵は何処方が猛勢か」(敵の勢いが最も強いのは何処だ?)
家臣「東寄の敵、以ての外猛勢」(東側の敵勢の勢いが尋常でなく強いです)
義弘「その猛勢の中にあいかけよ(突っ込め)」
と言って、東軍の大将 家康の本陣に突撃。
前衛を突破して本陣の前で方向転換して、家康の本陣の横をすり抜けて撤退しました。
義弘の兵は「捨て奸」といって、何名かずつ身をもって追手を足止めする役割を受け持ってどんどん数を減らして、鹿児島に戻った時はわずか数十名になっていたそうです。
しかし、この「捨て奸」で徳川四天王の1人井伊直正が負傷(のちに亡くなる)、
徳川家康の四男松平忠吉が負傷する等、手痛い損害を被ってしまいました。
わずか300で徳川を痛い目に合わせた島津義弘。
その後、徳川は島津を攻めるのを躊躇して、結局敵方なのに本領安堵で済ませてしまいました。
サラっと書きましたが、記憶違いがあったならごめんなさい。
歴史的には有名な話なんで、興味のある方はググれば詳しく出てきますよ。
この2人はとこかにランクインしてほしかったぞ。
というどうでも良い戯言でした。
おやすみなさい。