2022年12月08日
終戦の詔書とは一般的に昭和天皇が昭和20年8月15日正午に所謂「玉音放送」で述べた天皇の御言(みこと)を宣る(のる)という意味で「命令」に近い「通達」の意味でもあります。文書を手がけた人なら分かると思いますが、現代文書関連で「命令」はありません。「通達」に分類されます。
その「玉音放送」ですが、戦前からの言葉なので今は意味がイマイチ分からない文語や言い回しもあるので、玉音放送と言えば「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」しか聞いた事がないと思います。では、その全文を現代語に直すとこうなります。
「私は、世界の情勢と日本の現状を深く考え、緊急の方法でこの事態を収拾しようとし、忠実なるあなた方臣民に告げる。
私は政府に対し、「アメリカ、イギリス、中国、ソ連の4カ国に、共同宣言(ポツダム宣言)を受け入れる旨を伝えよ」と指示した。
そもそも日本臣民が平穏に暮らし、世界が栄え、その喜びを共有することは、歴代天皇の遺した教えで、私も常にその考えを持ち続けてきた。アメリカとイギリスに宣戦布告した理由も、日本の自立と東アジアの安定平和を願うからであり、他国の主権を排して、領土を侵すようなことは、もとより私の意志ではない。だが、戦争はすでに4年も続き、我が陸海軍の将兵は勇敢に戦い、多くの役人たちも職務に励み、一億臣民も努力し、それぞれが最善を尽くしたが、戦局は必ずしも好転せず、世界情勢もまた日本に不利である。それだけでなく、敵は新たに残虐な爆弾を使用して、罪のない人々を殺傷し、その惨害が及ぶ範囲は測り知れない。なおも戦争を続ければ、我が民族の滅亡を招くだけでなく、ひいては人類の文明をも破壊してしまうだろう。そのようなことになれば、私はどうして我が子のような臣民を守り、歴代天皇の霊に謝罪できようか。これが、共同宣言に応じるよう政府に指示した理由だ。
私は、アジアの解放のため日本に協力した友好諸国に対し、遺憾の意を表明せざるをえない。日本臣民も、戦死したり、職場で殉職したり、不幸な運命で命を落とした人、またその遺族のことを考えると、悲しみで身も心も引き裂かれる思いだ。また、戦争で傷を負い、戦禍を被り、家や仕事を失った者の生活も、とても心を痛めている。これから日本はとてつもない苦難を受けるだろう。臣民みなの気持ちも、私はよくわかっている。けれども私は、時の運命に導かれるまま、耐え難いことにも耐え、我慢ならないことも我慢して、未来のために平和を実現するため、道を開いていきたい。
私はここに国体を護ることができ、忠実な臣民の真心に信じ、常に臣民とともにある。もし、感情のままに争いごとや問題を起こしたり、仲間同士が互いを陥れたり、時局を混乱させたりして、道を誤り、世界の信用を失うようなことになれば、それは私が最も戒めたいことだ。国を挙げて家族のように一致団結し、この国を子孫に受け継ぎ、神国(日本)の不滅を固く信じ、国の再生と繁栄の責任は重く、その道のりは遠いことを心に留め、持てる総ての力を将来の建設に傾け、道義心を大切にし、志を固く守り、国の真価を発揮し、世界の流れから遅れないよう努力しなければならない。あなた方臣民は、これが私の意志だとよく理解して行動してほしい。」
と言う事になります。この玉音放送に関しては、当時の陸軍皇道派と思わしき軍人が妨害工作に出た事も事実でもあり、当時の鈴木貫太郎首相や昭和天皇従事だったと思われる、甘露寺受長氏が命をかけての放送だったと聞きます。因みに、鈴木貫太郎首相は「二・二六事件」で陸軍皇道派決起部隊が襲撃しピストルで撃たれ重体を負った人でもあり、昭和天皇と貞子上皇(昭和天皇の実母)から絶大なる信頼を置かれた人でもあります。
この詔勅の文書は絶対でもあり、かつ、天皇の命令でもあるので、こうして日本は終戦を迎え今に至ります。昭和天皇に関しては異議等はあると思いますが、明治天皇に勝ると劣らない先見の目が長けた人でもあり、日本国民と家族思いの方でもありました。やはり、幼少期に教育をされた「足立タカ」さんの教えが良かったのだと思います。最後に昭和天皇は「満州国の実態」「太平洋戦争の開戦」は存じていませんでした、と言うより「知らされなかった」と言った方が良いかと思います。
Posted at 2022/12/08 14:50:35 | |
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