
七月に連休があったので、オールペンが終わったら一泊程度でキャンプに行こうと思ってたんだけど、二回目の梅雨が来たかのように雨ばかり。
予定の初日が完全に悪天候だったので、急遽予定変更。
ちょっと日をズラして、日帰りで何かしようって事になったんだ。
今回も、昔からの旅の相棒コウヘイに任せてしまった。
暑い夏はやはり高原がいい。
北八ヶ岳にある、標高2000メートルを超える国道・麦草峠。
ここから少し分けいったところに、白駒池という美しい湖があり、
ここを3時間程度で周回できるハイキングコースがあるというのだ。
普通の森とは違う、特殊な趣があるらしい。

いよいよ山に入っていきます。
クルマを降りた途端に、ヒンヤリとした空気だった。
動いていないならウインドブレーカーがないと寒い。

意外に急な登攀が続く。
ハイキングというよりは立派なトレッキングコースだね。
ま、僕が勝手にハイキングだと思っていただけで、れっきとした登山のコースだと思う。
最初の登りは、去年登った瑞牆山(みずがきやま)に近い感じだ。
ただ、違うなと思ったのは・・・身体がやたらと軽い。
そりゃそうだ、自分の標準体重より5キロも減らしてしまっているのだから。。。
全く息が上がらないし、軽いからかトルクを掛けるような踏み込みが必要ない。
軽さに勝るチューニングはないとは、よく言ったもんだ。
身をもって知るのであった。

もう一つ違うな、と思ったことがある。
この森は・・・苔だらけだということだ。

苔、こけ、コケ・・・兎にも角にも苔だらけなんだ。
非常に濃密なシラビソの緑色、若草色の新芽、そして、森を征服するかのように蔓延る様々な種類の苔たち。
これには、何度も立ち止まって呆然と見渡してしまう。
もののけ姫や、ナウシカの世界に入り込んでしまったかのような美しく鮮やかな下生えの世界。
ここは苔の森なんだ。

(こんな森があるといいな)
そんな風に頭に思い描く理想の森。
いや、それ以上かもしれないような深淵で緑豊かな森のイメージが具現化されたようなんだ。
こんな風景に出会うために、これまでも沢山の旅をしてきた。
それは、僕の中にある理想の世界・美しすぎる自然環境との邂逅を求めるが故だ。
最初にイメージがあるんだ。
そして、それと同等かそれ以上のものを目的としている。

何故ひとは自然に惹かれ、美しいと感じるのか。
あまりきちんと説明はできない。
空が青くてきれい、とか、夕日が赤くて凄い、とか、
誰もが感じる単純な感覚の延長線ではあると思うけれど、
何故それを求めるのであろうか。

それを求め、目の当たりにすることで、身体や精神の隅々まで満たされていくような感覚がある。
途方もなく広く、美しい世界と一体になるような感覚。
深い安堵。
原初的欲求という言葉を使ってもいいだろうか。

少し登ると、昼下がりでも気温は19度。
北八ヶ岳には、趣のある山小屋が多く存在する。
「山小屋銀座」と呼ばれているそうだ。
お洒落なカフェのようなところもある。

少し酸っぱいコケモモジュース。
アセロラとも違う不思議な味が心地よい疲労感に染み込んでゆく。
ゴールデンウィークには藤井フミヤも来たそうな。

ゴツゴツした頂からは、目指す白駒池が見える。
何て清々しい見晴らしだろう。
気持ちのいいコースだな。
コウヘイもよくこういう所を見つけてくるな・・・。
最近は劇団の連中なんかを連れて山登りに行くようになったらしいけど、
今年は八ヶ岳を狙っているらしく、色々リサーチをしていたらしい。
みんながみんな、それに挑めるモチベーションがあるんだろうか・・・
仲間内の楽しいイベント感覚で舐めてると、山は危険だからね。
自分も、走る連中と少し山をやるようになったけれど、
誰でもおいでよ、とは言えないのが登山。
目の当たりに出来る美しさと引き換えに、とてもストイックな世界だもの。
それらを苦にせず、逆に楽しめる精神がないと厳しい趣味だよね。

みんなはこういう山奥を歩きながら、木々やコケ、吹き抜ける風の音を、
美しいと感じるんだろうか。

清冽な水をたたえる白駒池。
一周1キロあるかないかのきれいな山上湖です。
ここまで来るだけなら、逆回りで国道からすぐなので、軽装のオバちゃんなんかもカメラ片手にやってきている。
でもね、こういうのは2、3時間歩いて来るからいいんだよね。
バーナーとコッヘルを引っ張り出して、ラーメンやらコーヒーの準備。
涼しい高原で、自分で淹れるコーヒーは別格なんだ。

雑誌や新聞などでも、「苔の森」として紹介される北八ヶ岳山麓。
ふかふかしていて栄養価の高い土壌はたっぷりと水分を含んでいる。
涼しく、湿潤な気候も手伝って、コケが育つのに非常に適しているという、とても特殊な環境のようだった。
苔ってこんなにも綺麗なんだね。
ひとえに、これ以上があるだろうかというような満足。
経済的な価値も、名誉や見栄もない。
いいクルマもいい時計も、ここでは無粋なものになってしまうだけだ。
ここでの緑が、吹き抜ける風が、飛び跳ねる木漏れ陽が、
幼い子供が高いブランド品を喜ばないことと同じ理由で、そこに輝いている。
ここに持ってくるべきなのは、それらを素直に受け止められるこころだけ。
本当の贅沢とはこういうものなんだ。
美しさとは、そのものの価値のことではなく、人の心を揺さぶる感動のことだと思う。
森の中で輝く苔たちが、人の原初的欲求を揺さぶる感動ならばそれは美しく感じるんだろう。
人間の本質的なところに響く何か理由があるんだろう。
理由は判らない。
判らないが、それはとても自然な事のように思えた。
うん、やっぱいいな・・・こういうの。
みんなも森へおいでよ。