4月20日の「ロイヤルウイング」乗船
食事の後は、操舵室(ブリッジ見学)です。
過去にバックヤード見学ツアー等で見学させて頂いたことはありますが、航行中の見学は初めてです。
「くれない丸」時代には船長公室等があった場所に貴賓室(特別室)が設けられていて、その先に操舵室があります。
今一度、船の歴史を振り返ると、「ロイヤルウイング」(総トン数:2,876.87t)は、関西汽船の別府航路の客船「くれない丸」(総トン数:2,928t)として1960年に就航しました。
大阪(天保山)-神戸-松山-別府を姉妹船の「むらさき丸」と担当しました。
俊足の船で、当時の最新設備を兼ね備えており、豪華な船内・客室、瀬戸内海の風景を楽しみながらの航行は、新婚旅行客に大人気の船となり、瀬戸内海の女王と呼ばれていました。
関西汽船は、「くれない丸」「むらさき丸」に続き新造船を順次投入し、最盛期には6隻の客船が瀬戸内海航路に就役していました。
時代が流れ、長距離フェリーの時代を迎え、また、景色を楽しめる中間便から夜間便にシフトしたことで客離れも進み、瀬戸内海航路の定期船から引退
1981年まで予備船を務めたのち、佐世保重工業に売却され、係留保管を経て、1988年に日本シーラインが購入
レストラン船に改装後、1989年から「ロイヤルウイング」として、横浜港で活躍していました。
運航会社は、日本シーラインから吉本興業、サンリオを経て、現在は、横浜港を中心に港湾荷役事業・倉庫荷役事業を行っている藤木企業の子会社が運航しています。
武漢ウイルス騒動に加え、船齢63年
国内で稼働している客船としては最古の船(世界的に見ても稀有な船)で、維持管理のコスト、また、知床遊覧船事故後の安全基準対策等々の課題から5月14日の特別便を最後に引退することになりました。
船の大きさ、維持管理のコスト等から推察すると、客船としての次の活躍の場は難しいと感じますし、静態保存も今までの他の船の例から見ても難しいと感じていて、お別れの時が近づいているように思います。
世界的に見ても非常に貴重な設備が沢山あるので、可能であれば部品取りでなく、本体まるっと保存できると良いのですが…
「ロイヤルウイング」(くれない丸)のスタイルは、実に美人だと思います。
たまたまC・Dバースに接岸していた「ダイヤモンド・プリンセス」(総トン数:115,875t)を引き合いに出して申し訳ないのですが、ドカンと巨大マンションを乗せたようなデザイン、ズバッと切り立ったような絶壁のお尻、これに色気は感じないです。
それに比較して、「ロイヤルウイング」(くれない丸)は、船首から船尾にかけて流れるようなスマートなデザイン
いかにも高速客船を思わせるファンネル
丸みを帯びたキュートなお尻
客船って、こう言うデザインが美しいと思うんですよね♪
そして、この美しい彼女の若かりし頃(船齢20年の頃)、大阪(天保山)から別府まで、友人たちのグループ旅行で乗船したことがあります。
前述の通り、夜便になっていたので、夕方、大阪(天保山)を出発し、翌朝、別府に入港しました。
あまり天気の良い日ではなく明石海峡を通過した頃から少し荒れた感じになり、グループのメンバーが1人、2人と船酔いしてダウンする感じでした。
船室は、Eデッキ(喫水下)の二等船室
雑魚寝部屋でした。
私は、記憶が定かでない幼稚園前の頃、伊豆航路(多分、新島)で船酔いしたらしいんですが、物心がついた後では、船酔いしたことはありませんでした。
私ともう1人だけへっちゃらで、夜明け頃、豊後水道に入る手前で、いい気になって缶コーヒーを飲んだのが運のツキ
豊後水道の荒波で、酔ってしまいました(^^ゞ
後にも先にも、船酔いしたのは、この時だけです。
以降、船の大きさも違いますが、20度以上傾斜が続くような荒波の航行でもへっちゃらで血が騒ぐんですけどね(^^ゞ
ですので、彼女が唯一、私の乗船経験(官民合わせて)の汚点になっています(笑)
そんな想い出を想い出しながら操舵室を見学させて頂きました。
船長さんをはじめ、スタッフの皆様、ありがとうございました。
※画像の一部は、海人社発行「日本の客船②」掲載の「くれない丸」の記事、商船三井フェリーの広報記事を使用しております。
また、エンジンルームの写真は、以前のバックヤード見学の際、撮影した画像です。
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Posted at
2023/04/24 00:41:02