KPGC110。
ご存知、通称ケンメリ(「ケンとメリー」のキャッチコピーの略称)のスカイライン GT-Rである。
何度も書くけれど、少年時代にケンメリに夢中になったことによりクルマ好きになってしまった。
以後、スカイラインに夢中となるワケだけど、このレーシングを見た時の衝撃ったらありゃしない。
1972年、東京モーターショーで展示されたのはこの「スカイライン レーシング」。
GT-Rとは名乗っていなかった。
市販モデルもまだGT-Rは登場していなかった。
※京商 KPGC110 スカイライン GT-R レーシング
しかし、ポスターには高橋国光氏とのショット。
GT-Rの登場と誰もが思ったという。
何せ、当時マツダのサバンナ、カペラというロータリークーペにを苦汁を飲まされ続けられてきたのだから。
ところがこの個体はあくまでも展示用。
市販パーツが色濃く残っている程。
やがて市販のGT-Rもデビューするが、このレーシングを含めた生産台数197台を持って生産終了。
石油ショックの煽りを受けてしまった。
当然、レーシングも夢と消えてしまった。
このレーシング、エンジンはS20型が載っている。
だからGT-Rだったことは明白。
しかし、市販車と同じ仕様のエンジンだった(現在は手を加えられているが)。
cd値は先代のC10型(ハコスカ)より優れていたようだけど、重量増により戦闘力は劣るという見解だった。
しかし、想像するのは楽しい。
本当はS20型ではなくて、ボアアップしたS24型としたエンジンが載っていたのかもしれない。
それとも当時から試していたターボチャージャーか…
高橋国光、黒沢元治、北野元、都平健二、長谷見昌弘、星野一義、歳森康師(敬称略)の新ニッサンワークス七人の侍、久保田洋史、杉崎直司(敬称略)のプライベーターがマツダのロータリー勢に挑んでいただろうし。後の富士1000kmでセリカLBターボの優勝を阻んでいたのかもしれない。
お蔵入りだったケンメリ レーシング。
初めて実車を目にした時、佇むだけの自分がいた。
二十年くらい前、ニスモの関係者さんにジョークのつもりで言った事がある。
「ケンメリレーシング走らせちゃうってどう?」
それがまさかねぇ…
まぁ、オイラの一言が引き金になった訳じゃない事くらいわかるけどサ。
アパート生活時代だった頃、隣の住人は女房殿の同級生の男子。
今はオイラと同じように一番の愛車はガレージ保管。
因みにKGC10型、ハコスカのGTX改である。
L28改、3.1を心臓に持つ。
彼は今でもクラブにだけは登録していると聞く。
オイラと同じように復活を夢見ているのである。
その彼が、当時、オイラにプレゼントを。
「Nジャンさん、ケンメリ大好きでしたよね。ホンモノのエンブレム持ってますよ。プレゼントします。」
描いた青いレーシングGT-Rへの夢。
それが現実のモノとなった。
しかも憧れである、我が静岡のドライバーが駆ることになろうとは。
Posted at 2019/07/31 22:02:11 | |
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スカイライン GT-R | 日記