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2024年04月12日 イイね!

富士モータースポーツミュージアム見学

富士モータースポーツミュージアム見学かねてから行きたかった富士モータースポーツミュージアムへ行ってきた。


概要や設立の経緯はWikipediaをご参照いただくとして、トヨタ博物館で展示されてきたモータースポーツに関連する車両や国内外のメーカーの協力を得て富士スピードウェイそばのホテルの1-3Fが博物館になっているのが富士モータースポーツミュージアム(以下FMMとする)である。

前々から気になっていたものの、諸々の条件が整ってきたので、オープンからおよそ1年4ヶ月遅れでやっと見学にこぎ着けた。

朝、子供達を起こし着替えさせ、デミオに突っ込み出発。化粧は車内で行ってもらい、後席の子供達には朝食の菓子パンを渡して高速道路に流入した。

道路は意外と空いていたのでデミオのGT性能を遺憾なく発揮し、快調そのもので新東名を降りる前に早めの昼食をとり、新御殿場ICで降りると驚いた。路側には雪が降った後があったのだ。完全夏タイヤで来てしまったので失敗したなぁと思いながら慎重に現地へ向かった。

車を降りると気が引き締まる様な気温。駐車場にはロードスターやスイスポ、スープラなどそれっぽい車が並んでいた。

自動車部品のオブジェやトヨタ7を目の当たりにして感動に包まれたが、QRコードで入場すると、昔のトヨタ博物館を知る人には懐かしい車両達がお出迎えしてくれた。




全部を紹介することはできないので、私が撮ってきたスポーツカー・レーシングカーたちはフォトアルバムを見ていただくとして、軽く抜粋した車を紹介する。

まず目に入るのは「パナール・エ・ルバッソール」である。フロントエンジンリア駆動という自動車の基本的要素を備えレースで活躍したという偉大なモデルである。



そのあと、からはトヨタ博物館で昔飾られていた私にとっては懐かしい車たちと再会した。







カーグラTVのオープニングでおなじみの1926年式ブガッティはトヨタ博物館でも
お馴染みだったのだが、今回の展示でパワーアップしており、なんとブガッティ純正?万力が展示されていたのは笑った。どこから見つけてきたのか・・・・。



ちょっと面白いのは、量産車で有名な4人の自動車メーカー創業者が携わったレース車が取り上げられている事だ。

●ヘンリーフォード


ヘンリーフォードは資金集めのために「フォード999」を作り、自らもレースカーを駆って参戦し、出資者を集めたという。

その資金でフォードT型につながるフォードモーターカンパニーを設立したというから、レースへの参戦は人々への絶好のアピールの機会だったと言える。



FMMに展示されているのは1966年に作られたレプリカである。



速く走らせるために排気量を18000ccとし、デフさえも与えられない粗暴さは自動車を大衆化するという目的の為に、高度な材料を使って強度を持たせつつ軽量化し、流れ作業を導入し、黒一色に絞って種類を減らしてまで低廉な自動車を普及させようとしたヘンリーフォードの一途さにも通じていると思う。






●フェルディナントポルシェ
フォルクスワーゲンやポルシェを産んだポルシェ博士は高級スポーツカーやグランプリカーを手がけてきたが、ここで取上げられているのはローナーポルシェの模型である。



ローナーポルシェは1900年に作られた前輪ハブリダクションモーターのBEVで
世界初の変速機や差動装置を持たない自動車となった。更に後には航続距離を稼ぐためにガソリンE/Gで発電してモーターで走らせるシリーズハイブリッドを実用化してたというから、その先見性には畏敬の念を感じる。

ポルシェ博士は後にレーシングカーに改造して90km/hまで発揮できる様にしたという。

展示されているのは模型であるが、事実としてEVから発展し、自宅で充電出来るPHEV車を最初に作ったという事実は素晴らしい偉業である。

●豊田喜一郎
トヨタ自動車が運営する博物館ゆえに意外な人物が登場する。我が国で純国産自動車を生産し、自動車をみんなのものにしようと情熱を傾けた豊田喜一郎だが、公営ギャンブルの一つとして4輪オートレースに対し、販売店のサービス部門によって製作されたレースカーを送り出した。自動車技術の発展を願いつつ、会社の経営状態を考えたとき、莫大な開発費をかけられずレースの賞金を開発費に充てられるからだった。



展示されているのは愛知トヨタが手がけた2号車で当時タクシーとしてよく使われたSD型セダンをベースにしている。前後重量配分を最適化するためにE/Gが後に置かれ、変速機は4速仕様でありながら、悪路走行や過積載発進に配慮したローギアードな1速、2速は使用せず、3速と4速だけで走らせたとのこと。

実物は現存していないので展示されているのはトヨタ社内で復元されたレプリカであるが、当時モノのS型E/Gをレストア、ボデーは手たたき板金で製作した。決して素晴らしい戦績を残したり高度なメカニズムで見る人から羨望を集めたモデルでもない。

それでも、何とかして日本国内のモータースポーツを通じて国産自動車のために
なることをしようとした喜一郎氏が唯一関与したレースカーである。



●本田宗一郎
日本でモータースポーツに力を入れたメーカー創業者と言えば、真っ先に名前が挙がりそうなのが本田宗一郎である。

ホンダは2輪も4輪も世界一になった経験がある貴重なメーカーである。FMMに展示されているのは1961年に250ccクラスでライダーズ&マニュファクチャラーズタイトルを獲得したRC162と1967年F1グランプリ4位入賞のRA273である。



RA273は空力付加物がなく、すっきりしたアルミ合金製の車体はリベットで止められ、V型12気筒エンジンからは生き物の様に有機的なMg製エキパイが後方に伸びている。




ゴツいドライブシャフトやクロームメッキされたサスリンク(強度が上がると信じられていたらしい)、スタビライザーバーなど見ればうっとりする様な妖艶さがある。




実際はパワーはあれども。内製シャシーは車重が重く、レギュレーション変更で混乱した状況ゆえに優勝こそ実現しなかったが善戦した。

その経験は、ローラ製のシャシーを使った次期作RA300にて活かされた。


1Fの残りのフロアは戦後の日本メーカーによるモータースポーツへの挑戦が紹介されていく。日本グランプリ、鈴鹿サーキット、富士スピードウェイを走ったマシンが展示されている。







エレベーターで2Fへ上がる。

レースで鍛えられた技術が市販車に活かされる時代を紹介する。

地元連携モータースポーツのパイオニアであるタルガ・フローリオ、
ミッレミリアを走ったスポーツカー達。

アルファロメオは、トヨタ博物館に展示されていた時代に「ブランド」を強く感じさせられた思い出のあるモデルである。

若い頃、どんなクラシックカーを見ても同じように見えてのだが、このアルファロメオをみて、「速く走れる様に背が低い」「横から見たプロポーションが美しい」「この赤は、現行型アルファと同じ赤だ」1930年代でも2000年代でもアルファロメオなんだなと気づかされた思い出のある車だ。






世界最高峰レースであるラリーカーでは複数の日本メーカーの車が行き危機と展示されている。

速すぎて無くなったグループB車両、国産ラリー車の改造箇所やオリジナル箇所を確認しながら、痛車文化が強くなる前は、ラリー仕様風のスポーツモデルをよく見かけたなぁと懐かしかった。











そして24時間耐久レースが取上げられていくが、マツダ787BとトヨタTS020GT-oneは一等地に並んでいる。ルマン24時間レースは地上波で中継で放映されたいた子供時代はリビングで夜更かしできるワクワクイベントだった。











トヨタはその後欧州でのプレゼンス拡大を狙ってF1にも参戦していた。優勝は叶わず、ホンダの様な伝説的なニュースは無かったがこの時期はF1参戦以外にも欧州をメインに挑戦したアヴェンシスや初代ヤリス・ファンカーゴなど自動車発祥の地に対して真摯なアプローチを行っていた。



ここから先は富士スピードウェイの象徴的なマシンが並ぶ。





展示されているフットワーク・ムーンクラフトスペシャル・7はヤマハ製5バルブE/G(2LのV6で330ps)が560kgの車体を引っ張る。特筆したいのはこのE/Gには吸気量の確保、高回転化の追求のために5バルブが採用されていることだ。



ヤマハはこのレース用E/Gを1984年に発表し、1985年にモーターサイクル用に5バルブE/Gを実用化した。1989年には三菱がミニカのために5バルブE/Gを量産車で初めて搭載し、1991年にはトヨタが4A-GEにVVTと一緒に目玉技術として5バルブを盛り込んだ。その後もVW/AUDIがスポーツモデル用に5バルブを採用していたが、それっきり5バルブの採用は途切れてしまったが、レースの技術が量産車にも展開されていった実例の一つだと言えるだろう。

これ以降も、富士を彩ったマシンが続く。





後にフォーミュラニッポン、スーパーフォーミュラに続く、F1に次ぐカテゴリーF3000、そして市販車ベースで改造範囲の少ないグループAになると車種が一気に身近になる。

壁には富士スピードウェイのレースシーンの写真が飾られている。めざとい私はふと小さな車が気になった。





AE92やん!と嬉しくなった。

レビンなので私のセダンとは全然違う見た目なのだがそれでも嬉しく感じる。宿敵EFシビックとの死闘の末にクラス優勝を果たした事もあった。いつか実車が展示されるときには再び訪れたいと思う。

そして展示のクライマックスに近づくと、世界記録に挑戦した車として
トヨタ2000GTのタイムトライアル車(レプリカ)とNSXタイプRが展示されている。

どちらも世界記録を持っているスポーツカーでいわゆる羨望の的である。





NSXを考える上で最も素晴らしいのは、長く乗りたいオーナーのためのリフレッシュプログラムが存在したことだ。

調べてみると休止している様だが、地道な活動がNSXの価値を高いまま残し続けているはずで、今後クラシックカーとして残るためにもこのプログラムの再開は強く希望したい。



マツダが近年、NA型ロードスターのレストア事業を開始したが、その脳裏にはNSXの存在が必ずや存在したはずだ。

例えば隣に並ぶトヨタ2000GTは、内外装の美しさやクラフトマンシップ、世界記録に挑んだ高性能に加えて希少性も相まって長きに亘り国際級のプレミアを維持し続けてきたが、近年は補給部品の供給がほぼ途絶えたために、クラシックカーとしての市場価値が損なわれてきているという。投機目的のオーナーも存在するが、サービス体制が一定量維持されていることもクラシックカーの価値を左右している。
そんなこともあり、ドライブトレーン部品の再生産が2020年に始まった。こうした動きは今後の自動車文化の発展の為には必要であろう。

第二次世界大戦後に自動車産業が急速に発展した日本だが、その日本が生んだモータースポーツ文化を象徴するドリフト仕様のGRスープラが飾られていた。確かに速さよりもドリフト時の並びや芸術性を競う競技は今まであまりなかったのでは無いだろうか。遂に日本から一つの競技のカテゴリーが産まれたのかと思うと、自分はドリフトをしないが、喜ばしいものだ。



最後は自動車大国の北米のモータースポーツに対して挑戦したレースカー達が並ぶ。

一番最初に目を引くのはNASCAR仕様のカムリだ。古き良きアメリカのV8後輪駆動を、北米でFF直4でスタートしたカムリを名乗る面白いレースカーだ。V8、OHVであることがレギュレーションのため、カムリと言えども初代センチュリーの様にOHVなのである。カムリの長い歴史ではFRカリーナベースの初代は12T-Uや13T-Uを積んでいたが。







ここに展示されているものの全てを語ることは、
モータースポーツに殆ど親しんでこなかった私には難しく、
同じものを見てもモータースポーツファン程の気づきが得られたのかは自信がない。
とはいえ、実物は見る人に対して雄弁に語りかけてくるもので
モータースポーツに挑んだ車両達の繊細さ、逞しさ、楽しさが伝わってきた。

他メーカーからの借用車両だったりすることもあり、展示車両が入れ替わることは鮮度保持の面では有効だと思われるが、
各ゾーンのテーマ性を維持するための努力も相当なものがあるのだろうと推測している。

何だかんだで一般向け量産車を好む私でも楽しめる2時間だった。
展示を見すぎて子供達からブーブー怒られたのと雪が心配だったので
早々に退散。

その後は三島市立公園でケープハイラックス(かわいい)を見たり、
子供機関車に乗ったりしながら、富士宮やきそばに舌鼓を打った。








静岡市のスーパー銭湯で風呂に入り、子供を寝かせながら新東名をひた走り、
日付が変わった後に帰宅した。(子供達は布団にそのまま差し込んで終了)

燃費が良く、高速で力のあるデミオはありがたい。

そう言えばFMMにはバイオ燃料を使ってレースに参戦するマツダ2の勇姿が写真で紹介されていた。



少しだけ、妻の車に対して誇らしい気持ちになった。
まだ訪れていない方は是非尋ねてみてほしい。

Posted at 2024/04/12 22:23:38 | コメント(1) | トラックバック(0) | イベント | クルマ
2024年01月13日 イイね!

トヨタ博物館企画展「トランスポーターズ 日本の輸送を支え続けているモビリティ」

トヨタ博物館企画展「トランスポーターズ 日本の輸送を支え続けているモビリティ」









もう開催は終わっていますが、見学してきたので記録として残したいと思います。
結論から書くと相当濃い展示だと思いました。早くもPart2にも期待したいです。


公式紹介文です。
日本の自動車業界には549万人の人たちが従事し、利用部門の方々は約半分の271万人になります。

物流という概念が登場した戦後から、マイカーブーム前のモビリティとして日本を支えたのはトラックやバンであり、

以来現在にいたるまで自動車メーカーは耐久性や乗り心地などの改善を車両に施し続け、運び手が安心・安全に荷物を送り届け、

お客様の笑顔につなげたいという想いに応えようとしてきました。

そして輸送業界では今、環境対応や雇用対策など様々な課題を抱えながらも私たちの生活に欠かすことのできない

「お客様に確実に荷物を届ける」というサービスに日々尽力してくださっています。

本企画展では輸送車両にかけた自動車メーカーの想いと、いつも私たちの生活を支えてくださる輸送に関わる皆さまに”感謝”をお伝えします。



…というわけで生活の中では自家用車以上にお世話になってきた存在が物流のための車、貨物車にスポットを当てている。世界初の自動車には諸説あるのですが、私は重い大砲を引くために作られたフロントヘビーなあいつ…キュニョーの砲車(蒸気機関)が思い浮かびました。

動力を積んで自ら動き、運転手の意のままの方向に向かう自動車は貨物用途が先行していたという事ですね。しかし、私自身は物心ついたころから乗用車に興味があったので、貨物車に対しては同じ車でありながら電車や昆虫と同じくらい興味が無かったのです。

そんな私の人生で思い出のトラックと言えば祖母が農作物を運ぶのに使っていた初代ライトエース、伯父が乗っていたハイラックスSSR、同級生の白変が乗ってたハイゼットトラック(まゆげ)です。特にハイラックスはRVブームの中、都庁勤務の伯父は私を連れて利根川河川敷の道なき道を走破したり、ボートを引っ張ってアウトドア的な楽しみを私に教えてくれました。現在私がフルタイム4WD+モノコックながらクロカンスタイルのRAV4に乗っているのも恐らく伯父の影響が大きいのだと思います。

前置きが長くなりましたが、企画展会場に入ります。



まず目に入るのは貨物車達の雄姿と耳なし芳一のような当時の宣伝コピー達です。
一般的に貨物車は経費で購入される設備みたいなものなので酷使されて企業の利益に貢献し、減価償却が済んで壊れれば廃却されて代替される為、販売台数のわりに残存数が少ないのが普通です。だからこそ限定生産の希少なクラシックカーと比べて生産台数に対する生存率は低くなり、今となっては貴重な存在になっていると私は感じます。

そんなカタログを彩る宣伝コピーはイメージ先行だったり、来るべき訴訟を視野に入れたワードマネジメントで棘が抜かれたソフトな文言では無く、当時の右肩上がりの期待感・わくわく感をもダイレクトに感じさせてくれます。

私は商用車に何かを語れるほど詳しいわけでもないので、撮ってきた写真を並べてみます。トラックは荷台の鳥居根元、ロープフックは定点観察してみました。観察したものの、専門家じゃいないので何も語れないので是非コメントで私に色々教えてください。個人的な趣味ですがこの手の展示はどこか一カ所に着目してその変遷を楽しむのが好きです。

*何車種かは常設展示場・スズキ歴史館で撮影した車種も含みます。
*特別展と関係の無い車種が含まれることをご容赦ください。


①水野式自動三輪車(1937年)
農機具メーカー水野鉄工所が作った内燃機を前輪に搭載したFFの自動三輪車。展示車は昭和12年頃のピーク時に生産されたモデルとのこと。

荷台が広く確保できて機構部分が前輪にコンパクトにまとめられているが、自動車として見た場合、操舵が非常に重くなる点や後部に荷物を積んだ際のトラクションのかかり方には課題がありそうだ。

鳥居はZ軸方向にボルト平面締め。栓抜き方向の荷重の入り方を緩和するために後方に締結追加し、まるで入の字の如く。ロープフックは錆に強く豪華なクロームメッキ処理。側面方向からボルト締め。






番外編 ダイハツオート三輪 SA-6(1937年)
ダイハツ号はオート三輪という点で上記の水野式自動三輪車と同じだが、後輪駆動を採用して自動車らしい機構を取り入れた。前輪が軽くなることでオート3輪の魅力である機動性に磨きがかかっている。鳥居は正面4点締め。根元で折れそうな嫌な感じだなぁという感覚だ。ロープフックは水野式同様にクロームメッキされたフックをボルトで締結している。







番外編トヨタ トラック KC型 (1950年)
戦時中の極度の資材不足の中で作られたトラック。末期にはヘッドライトが一つになりボディが木製になるなど極限状態の節約意識が窺える。トヨタが初めて作ったG1型トラックは般若のお面をモチーフに日本的な意匠開発が実施されていたのだがKC型は、戦時モデルとあって意匠よりも節約に主眼が置かれている。それでもドア後ろや室内に日本的な要素が織り込まれている点は面白い。アオリのヒンジも何となく日本風。2枚の階段状のベタ合わせは「担ぐ」ので御法度だと思うが現物合わせと熟練の手作りで対応しているのだろう。まだまだ量産とは相反するクラフトマンシップがあるようだ。ロープフックはアーク溶接で止められているが、オリジナル溶接かどうかは不明。失礼ながら、かなり雑というか拙いビード跡なので強度的に弱いかもしれない。







②トヨタ トラック BM型 (代用燃料改造車) (1950年)
戦中戦後の燃料事情の悪さから木炭ガスをつかった乗用車が創られた時代があった。薪や木炭を不完全燃焼させて水素や一酸化炭素を燃焼させるメカニズムで
バスやトラック、大型乗用車で改造例が多い。戦後、特に労働争議でストライキがあったトヨタ自動車も創業者の喜一郎氏が退任するなど新型車開発に充分な余力が無く、基本的には前述のKC型を改良した戦後型となっている。KC型の名残が残る和風モチーフも残された。ロープフックはリベット接合でアオリも量産を意識した形状にリファイン。






番外編 マツダ三輪トラック CTA型(1953年)
戦後、オート三輪には車両寸法規定がない事を逆手にとって大型化。展示車は2t積みというクラスを超えた積載量を半球型燃焼室を持ったV型2気筒エンジンで引っ張った。カラーリングを3輪トラック同士で統一しているのはまるで現在のファミリーフェイスのマツダのようである。スターターモーターや安全合わせガラスの採用など技術的チャレンジも多い。シフトゲートは一瞬70年代のフェラーリを連想してしまった(笑)ロープフックはボルト一本締め(ボルト上部に回り止め付き)






③トヨペット トラック SG型 (1953年)
トヨペットSAで開発されたコンパクトな1.0Lエンジンを利用した小型トラック。岐阜車体製造の銘板が取付けられている。この会社は現在もコースターの製造を行っている。鳥居は厚板鋼板を折曲げて側面締め+平面視リベット留め。ロープフック前後2点リベット留め。ボルトよりも緩みに対するリスクが減るので信頼性向上のために有利。






④トヨペット マスターライン ライトバン RR17型 (1956年)
トヨタが本格的乗用車を志して開発したクラウンの危機管理的モデルがマスターである。クラウンはタクシー用途にも耐えうる乗用車として開発され、特徴的な前輪ニーアクションサスペンション、摩擦を減らして乗り心地をよくした3枚リーフ式サスペンションなど挑戦的要素が多く、クラウンに拒否反応を示す顧客向けに作られたのが、ヨーロピアンスタイルと保守的なリーフサス(前後5枚リーフ)を採用したトヨペットマスターであった。マスターは役割を終えて1年10ヶ月で生産中止になり、ボディ部品の金型の減価償却のために仕立てられたのがマスターラインである。ピックアップトラックもあるが展示車はライトバン。関東自動車工業で製造され、後にトヨペットコロナにもマスターの部品が使い回されていた。




⑤スズキ スズライト SL型 (1957年)
スズキ初の軽自動車であるスズライトSSと共に発売されたファストバックスタイルの貨客兼用を意識した軽自動車であった。15%の物品税を免除させるために折りたたみ式の補助席を引き起こせば3人乗りとなりながらも200kg積みの荷台を持つ。アルト発売の22年前に既にこの様なコンセプトの車を出しているという点は驚異的である。2年後には大ヒットするスバル360が発売されるが、スズライトはバックボーンフレーム構造を採用し、FFを採用などキャビンを最大化するために攻めた技術を使用した。






番外編ダイハツ ミゼット DKA型 (1959年)
トヨタ博物館開館当時から常設展に置いてあるミゼットである。戦後の間に合わせ的なオート3輪ではなく、機動力のある小口輸送の担い手として街のヘリコプターというコピーがついた。当時のスターを使ったTVコマーシャルもウケてヒット。

全くの余談だが、2005年ごろ働いていたアルバイト先ではもうすぐ定年というおばちゃんと話してて「ミゼット」といって両手をくるりと回したあのCMのモノマネをされていたのを思い出す。車に全く興味の無かったであろう大阪のおばちゃんが、当時で45年以上も昔のCMをサラッとやってのけるのはそれだけCMの効果が絶大だったと言うことなのだろう。

荷台はボディと一体構造でE/Gは前にあるので、生鮮食品を積んでも荷傷みリスクが小さいことがアピールポイントだった。鳥居は丸パイプにアーク溶接されたBRKTにボルト平面締め。BRKTは角を丸く落としたり、駄肉をカットしながらもフランジを丸く成型し強度と安全性に配慮。ロープフックはフック部を丸棒を平板に丁寧に溶接したフックASSYを2打点でスポット溶接。






⑥トヨペット スタウト RK35型 (1959年)
スタウトはマスターラインピックアップよりも積載量をアップし、強い、頑丈なという意味のスタウトに名称変更された。荷台は独立して各種架装が可能でキャブはマスターラインと変わらず、マスターセダン用金型の減価償却に貢献している。荷台には補助席がある。法律的には荷物の監視目的で荷台に人を乗せて走ることが出来るがこんなに見張りが必要なのだろか(笑)荷台は幌がかけられるようにU字型フレームが複数セットされ、アオリにも穴が開けられている。

ロープフックはスポット溶接でアオリに取付けられているが写真を見る限り平面視方向には打点がハッキリ確認できるが、側面視方向の接合はどうしているのだろうか。板厚も平面視方向と側面視方向では異なるような写真映りになっており謎が残る。展示車は岐阜県の車だったようだ










番外編 トヨエースSKB(1959年)
トラックの国民車トヨエースはオート3輪からの代替需要を意識した廉価な1tクラスのトラックを目指して開発された。3輪トラックは走行安定性が低かったものの、荷台が長い点でボンネットトラックよりも秀でていた。トヨエースは(セミ)キャブオーバレイアウトにより荷台を拡大。簡素な内外装でデビュー。当初62.5万円だった価格では目的を達成できなかったが、トヨエース拡販のためにトヨペット店を開業し、政策的な値下げを行い、最後は46万円で販売。悲願の3輪トラックから4輪トラックへ誘導することに成功した。ハンモックのようなシートはシトロエン2CVに影響を受けているようにも見える。鳥居の部分だけ別体で荷台から出ているL字チャンネルと正面+側面締め。ロープフックはレストアによって打痕が隠されている。構造がよく分からなかった。







⑦ダットサン 1000トラック G222型 (1960年)
乗用車とフレームや基本構造を共有する1t積みピックアップトラックである。日産初のOHVエンジンであるC型E/Gを搭載。ストーンE/Gという別名もあるが、ストーンとは日産が招聘していたドナルド・ストーン氏を指す。当時生産していた1.5L E/Gのストロークを減らして1000ccとしたもので小型タクシー企画上限を意識したショートストロークE/Gとなった。乗用車のメッキ装飾部は廉価なカラーペイントとなるも、油圧クラッチや吊り下げペダルを採用し機能面は乗用車同様に進化していた。このモデルから日産は本格的に(苦労はしたが)対米輸出に打って出ることとなった。フェンダーの1tonnerのエンブレムが誇らしい。レストアで交換されたとみられる新し過ぎるタイヤが少し残念。アオリはミゼットのように丸パイプとBRKTをアーク溶接し、BRKTを側面締めしているが、アオリの見えない面から締結しているのでスッキリしている。作業性が悪いが、アオリ形状と干渉するので締められなかったのだろう。ロープフックはアオリにアーク溶接。フックはカール形状部と厚板部をアーク溶接し、フックASSYをちょん付アークしている。結構手間がかかっていそう。その分、カール形状のフックが丸棒よりも量産性が良さそうではある。








番外編スズライトキャリィ FB型 (1961年)
現在も販売されているキャリィの初代モデル。スズキは比較的後発で3輪トラックを販売していなかったので軽トラックも4輪からスタートしている。この車を生産するために豊川市に車両組み立て工場を建設した。鳥居は無くキャビンを守るガードが直接キャビンに取付けられている。ロープフックは荷台の穴からちょこんと出ているだけ。裏から覗くと、鍛造製と思われるフックは、パイプ形状のカラーと
アオリにちょん付けアーク溶接を駆使して取付けられている。






番外編スズライトキャリィ L20型 (1965年)
4年でフルモデルチェンジされたキャリィは吊り下げ式ペダルによって荷台を拡大するなど地道な改良を実施した。ロープフックもあの複雑な構造をやめてプレス板金製のフックをスポット溶接で留めている。




⑧ホンダ T360H AK250型 (1965年)
ホンダが初めて生産した軽トラック。冬にバイクの代わりに売れるものと言うことで作られたのだが、軽トラックなのに水冷直列4気筒DOHC(2バルブ)を積むという暴挙は「エーじゃないか、ヨタヨタしないトラックができるぞ!!」社長の一言で決まったという。

ただ、個人的にはこのトラックが大好きで、可愛らしい見た目と精密な機構をコンパクトに詰め込んだ感じがたまらないく惹かれるものがある。白いH字型の部分は剛性ビードを兼ねているらしいがデザイン上のアイコンにもなっているし、昔から、漫画に出てきそうないたずらっ子の鼻の絆創膏にも見えていた。

あまりに可愛らしいので荷台チェックを忘れた訳では無く、この荷台にはロープフックも鳥居も無かった。

旧車イベントで見かけると必ずじっくり見てしまうモデル。(子供の頃本気で欲しいと思ったことがあるが、いまは同系統のドリーム50に憧れている)



⑨マツダ T1500 TUB81型 (1965年)
オート3輪はトラックの実用性とオートバイの手軽さ・機動性を併せ持つ存在だが、1960年代になると4輪トラックに置き換わりつつあった。3輪陣営は林業など小回りが利く業種で選ばれてきたが軽自動車と大型化で乗り切ろうとした。wikipediaに拠れば、4輪トラックと較べて3輪は車体幅や車体長、排気量に関する制約が無く、更に戦後、4輪トラックの1t~2tクラスが4t~5t積みなど大型化したことで、最大積載量750kg以下のオート三輪から2tクラスまでのトラック市場が空白化したところに食い込もうとしたのである。4輪とは異なる特徴で活路を見いだしたものの、展示車と同じ1965年に3輪免許が廃止され、道路網の発達に伴ってトラックと言えども操縦安定性への要求が高まり、内外装のデラックス化によって4輪トラックとの価格差も縮んだことから3輪トラックの衰退期を迎えることになる。ロープフックは鍛造製フックをアーク溶接。フックのモーメントが最大になる点に
アークが設定してあり応力を圧縮で受けている。1974年まで受注生産で対応されていたというのは驚きである。3輪免許しか保有していないドライバーや3輪のメリットが生きる特殊な用途に向けて残されたのだろう。






⑩トヨタ ダイナ RK170型 (1967年)
ダイナはスタウトのフレームをベースにキャブオーバー化した2トンクラスのモデルだったが、展示車は専用フレームに1900ccエンジンを積んだ2代目。乗用車的な4灯式ヘッドランプも特徴。先代の2.88m(9.5尺)から3.1m(10.2尺)に拡大した。ラジオやホーンリングなどちょっとデラックスなイメージが感じられる。4灯式ヘッドランプで質実剛健と言うより、ちょっと乗用車的なムードも大切にしている。キャブと一体イメージの荷台。スッキリしている。トヨタ車体のマッドガードダイナのマッドガードと言えば私が子供の頃は劇画調のおっさんの絵が描いてあって怖かった記憶があるのだが、最近見かけない・・・・何処へ行ったのか。鳥居根元は鳥居とアオリにボルトにて側面締め三角BRKTがプレス成形品で生産性が良さそう。平面に座面をつけたり、切れやすい斜辺のフランジを曲げるなど板金加工のノウハウがこのBRKTに惜しみなく発揮されている。ロープフックはプレス加工品をスポット溶接(4点)でアオリに接合。フックは一枚の鉄板のプレス成型だけで形状が出来ているので従来の鍛造品やプレス品のアーク溶接、リベット接合より生産性が良い。








⑪トヨタ ブリスカ GY10型 (1968年)
ブリスカは日野自動車と業務提携し、トヨタが販売権を取得した1tクラスの小型トラックだ。トヨタで販売するにあたり過剰品質を改め、54項目370カ所の変更が加えられたとされる。E/Gはコンテッサと同じ1300ccE/Gを搭載、5ベアリング・ハイカムシャフト・クロスフロー吸排気など小型トラックとしては進んだ高級メカニズムが採用されていた。このブリスカは1967年にトヨタブランドとなり、1968年にはフルモデルチェンジに際してハイラックスに改称されたが、現在も続くハイラックスの基礎となる。トヨタブリスカはたった2年しか売られていなかったので非常にレアなモデルでよく見つけたな、と言うのヤレ感も「レストア済車両派」の私も感心する。鳥居根元は三角パッチの設定あり。パイプとはアーク溶接、アオリとは側面ボルト締め。斜辺は他社と同じようにヘミングしてある。同じ斜辺でも下部は完全にフランジを潰し、上部のパイプとの合わせはフランジを折曲げずにアーク溶接している。これを見ただけで高コストがうかがい知れる。







⑫トヨタ BUV タマラオ KF10型 (1977年)
1960年代から新興国向で現地生産を行うため、国情に即した簡便な実用車(BUV:Basic Utility Vehicle)がシトロエンやVWなどから平面で出来た多目的車として生み出されていた。展示車はトヨタがフィリピンとインドネシアの現地合弁先のエンジニアと共に開発し、作りやすい単純な造形かつ、強靱なフレーム構造、タフで信頼性の高いトヨタの流用コンポーネントを駆使したのがフィリピン名「タマラオ」である。インドネシアでは「キジャン」と呼ばれている。展示車は乗り合いバス仕様になっているが、フレーム構造ゆえにトラックにも変幻自在で後にはワゴンボディ、ミニバンにも進化した。今もインドネシアやフィリピンではトヨタの自動車工場があり、タイも重要な拠点になっている。これら車種は後にハイラックスファミリーに加わり「IMV」と呼ばれている。昨年11月末にはこのタマラオの精神を復活させた「ハイラックス・チャンプ」がデビューした。シンプルな構造、架装しやすく拡張性の高いフレーム構造を採用している。平板や単純曲げ成型だけで構成されているが、クラムシェル形状のフードやVWゴルフやアルファロメオジュリアの様に四角いグリルからはみ出した丸形2灯式ヘッドライトは可愛らしい表情を生みだしている。ピープルキャリアー仕様だが、マッドガードの旧ロゴがトヨタ車であることを示している以外は見るからに堅牢な作り。インパネは板金製。内装らしい無い層が無い質実剛健な空間だ。ボディの当て板も全て歩留まりの良い矩形の鉄板をスポット溶接している。(ちょっと散っているのがご愛敬)各部の継ぎ目はこの通り。シーラーも塗られていない。恐らく錆びると思われるが、板厚で勝負している可能性もある。ドアは無く、アームレスト代わりのパイプがあるだけ。その背後にはフィラーキャップとインレットホースが見える。燃料タンクは座席の下である。当然シートベルトなんて無い。









⑬トヨタ デリボーイ KXC10V型 (1991年)
1989年に発売したデリボーイは多様化する小口輸送ニーズに対応したボンネットを持ったウォークスルーバンである。このタイプは既にヤマト運輸からの要望で商品化された集配用のクイックデリバリーがあった。キャビンと荷室を立ったまま行き来でき、荷物を持ったまま乗り降りしやすいスライドドアを備えているという特徴を下方展開したのがデリボーイである。クイックデリバリーが1.25t~2tクラスだったところ、デリボーイは500~750kgというライトエースバン級の積載量に留まる代わりに4ナンバー枠に入る様なコンパクトなサイズであるところがデリボーイの新しさであった。ヤマト運輸が開発費の一部を負担し、完成させたウォークスルーバンの精神を更なる小口輸送ニーズに向けて提案した点では挑戦的な商用車であるとも言えたし、バブルらしい攻めた企画とも言えた。明確なニーズが存在したクイックデリバリーはヤマト運輸が運用を辞めるまで長きに亘り存在したが、デリボーイは1代限りでモデルライフを終えた。商用車としては指示されなかったが、ファッション性のある車、或いは遊び車として魅力に感じる人は一定数居た様で商用では無く自家用車としてデリボーイを所有していた人はたまに見かけた。免許取ったらデリボーイが欲しいと言っていた同級生(非カーマニア)がいたなと展示車を見て思い出した。個人的にはカタログに出てくる夢に出てきそうな「強烈なイラストの人物」が何者なのかが気になっている。





番外編 日産バネット(2005年)
日産名義ながらマツダから供給されるOEMモデルであり、実質的にはボンゴである。長らく、小型キャブオーバートラック/バンの名門として君臨してきたが1999年にデビューした本モデルは衝突安全規制に適合するため、フレームを新設計しつつ、既存コンポーネントを可能な限り1983年発売の先代モデルのものを流用し、対応している。噂によるとスカイアクティブE/Gの搭載計画があったらしいが、実現していたらホンダT360のようなオーバースペックなトラックになっていたかも知れない。面白いのは、競合としてしのぎを削ったバネットやデリカに対してもOEM供給を実施して絶大なシェアを誇っていた点である。この勢いに対抗していたのはトヨタのライトエース/タウンエース位であった。ロープフックはプレス成型のフックをスポット溶接していながら、アオリの下端部でアーク溶接も施されている。形状的にフックと近接しているので溶接を打たずにいるとバラツキで干渉したり栓抜き荷重がスポット部に入ることが考えられる。





番外編 トヨタライトエース(2015年)
ボンゴと共に1tクラスの小型トラックとして長らく市場に残ったライトエース/タウンエースだったが、2008年にフルモデルチェンジを受けてダイハツのインドネシア生産車「グランマックス」のOEMとなった。1966年の初代カローラ以来、長きに亘り存在したK型エンジンの末裔である7K-E型E/Gに代わり可変バルブタイミング、DOHC16バルブなど現代的なメカニズムを持つ1500ccE/Gが搭載された。積載量は800kgであり、1tが積めなくなってしまった。鳥居はキャビンにインテグレートされて荷台との接続はされていない。ロープフックはミゼットから続く鍛造製フックをプレス成型されたベース部と部分組立してアオリと2カ所でスポット溶接している。60年を超える実績のある構造となっている。





●あとがき
本特別展は既に会期が終わっているのですが、非常に興味深い展示だったので会期中は複数回足を運びました。それどころか、他の博物館や日常生活で見かけたトラックが気になる事この上なかったです。結局、ブログにする際には企画展以のトラックも載せてしまいました。

こうやってたくさんトラックを見て改めて私の子供時代を思い出すと、酒屋さんのポーターキャブやサニートラック(角目)、お米屋さんのライトエース、マンションによくやってきた移動青果店のチェリーバネットや、農協の黒煙だらけのエルフなどなど。あるいは母の友人の家具職人さんはボロボロの30系ハイラックス使ってたな・・・。など、伯父の赤いハイラックス以外にもたくさん居たんだよなと後から気づかされました。高専時代の同級生の祖父が7K-Eのライトエーストラックに乗ってて何回か運転さて貰ったっけ。(1→5シフトが出来ました)

最近だと、主治医が遊び様にキャリィを購入されたり、私も案外トラックに囲まれて生きてきてるんだなと。

先日、子供らと録画してたトトロ見てたら、「まつごう!?」もトラックでしたね。



次の企画展も楽しみです。
Posted at 2024/01/13 22:59:12 | コメント(3) | トラックバック(0) | イベント | クルマ
2023年07月29日 イイね!

20230617 よっこいオフ参加

20230617 よっこいオフ参加









2023年12月 リンク修正


さる2023年6月17日に関東から、よっこいさんが退院したR32で岡崎市まで遊びに来て下さいました。愛知側幹事のWAGON GLさんによる素晴らしいチョイスにより某公園の駐車場が会場に。

前日まで私は業務負荷が高く苦しい日々を過ごしていたのですが息抜きできるこの日を目指して耐え忍んできました。

当日は良い天気で暑い位でしたのでカローラのA/Cをフルに効かせて東海環状道豊田東ICを降りました。会場は普通の公園の駐車場ですが、いかにもミーティングしてますみたいな場所じゃ無いのは私たちのように徒党を組まない者には好ましいです。





会場ではお初にお目にかかる方、久しぶりにお会いできた方、いつもの気の置けないお友達などが一堂に会す楽しい場でした。(写真撮り忘れちゃった車もありまして申し訳ありません・・・)


しばらく待っていたら、主賓がお友達のC34ローレルとともにR32で登場!







テロッテロのワインレッドのボディ(内装ほとんど無し)を堪能させて貰いました。





オフ会とかイベントっていっても結局、みんなとマニア話に花が咲き、クルマをニチャーっとねっとり見せて貰い、時には運転させて頂くという私の癒やしになる時間が楽しめました。主に3台の技術的特徴のある車に乗せていただきましたが、理解されたかは別として作り手が真面目に開発した技術的提案を行ったクルマばかりでしたね。

私のカローラも皆さんに乗っていただけたし、さらにはよっこいさんが持参のカメラでカローラを撮影して下さりました。ノウハウのある方が撮った写真は美しい・・・・。これは超嬉しい・・・・。会社のPCの壁紙にしているので、Teams会議の画面共有では毎回カローラが大々的に表示されます。

他にモデラーN氏のアコードのラゲージルームの雨漏り修理箇所(しっかり直っててよかった)を見せていただいたり、ドアバイザー要らない派と要る派の深刻な宗教対立(武力衝突無し)などいつまでも話題には一切事欠かないという感じでアッという間に夜になってしまいました。

独身時代はそのまま深夜までファミレスのドリンクバーで過ごすような生き様でしたが、みんな良いオトナなので夕食は焼き肉屋さんへ。久しぶりにMX83を運転させていただきました。



これまたゆったりとしたオトナの世界こう言う気分に浸れるトヨタ車が最近だとSUVに限られてしまうのが残念です。普段、子連れなので早めに帰宅していたのですが、珍しく単独で参加できたので焼き肉屋さんでは皆さんと楽しくお話が出来てとても良い心の栄養補給になりました。一人で趣味に向き合うことと同じくらい、誰かと、或いはみんなで趣味を楽しむ時間が楽しめると良いですよね。

皆さん、ありがとうございました。


以下は大切な愛車に乗せていただいた試乗感想文

●1992年式 ミラ PIT 4WD


この個体を初めて見せていただいたのは、オーナー宅の私設博物館見学会において日本家屋に突き刺して保管されていた姿だった。「こんなところに軽自動車って入るんだ・・・」というところからのスタートだったので走っている姿を見たのはこれが初めてだ。



試乗車は平成4年式の後期型で貨物登録のPitなのだが、珍しいパートタイム4WDモデルである。これまでもL200系ミラは友人のTR-XX、イカさんのJターボ主治医の暴力装置(笑)などターボ車に縁があるが今回初めてNAモデルに試乗する機会を得た。



この試乗車が特に珍しいのはパートタイム4WDと言う点だ。ボディサイズは3295mm×1295mm×1438mmという軽自動車の枠内に納めた横並びなのだが、衝突安全のためのボディ拡大、という規格改正の趣旨に配慮しつつも、衝突安全性確保のため、日本で初めてのサイドインパクトビームが装備された。これは板厚1.2mmの鋼板をガードレール状に成型してドアに溶接されている。側面衝突時にドアの折れ曲がりを防いで相手物のキャビン侵入を防ぐための装備であることは言うまでも無い。このインパクトビームは当時初めて開発された装備では無く、古くは1970年代の先進安全実験車にも織り込まれていた技術である。

海外への輸出仕様車には採用されていたが日本市場では安全に対するニーズが低く、日本仕様車は車格として許される最低限の安全性を確保するのが通例だった。すなわち高級車は比較的充実しており、大衆車はそれなり・・・・なのだ。いくつかの安全デバイスはオプションで安全装備を追加できると言えども、当時は使うか使わないか分からない装備に10万円以上するオプション代を払いたくない人の方が普通であった。

きっとミラも輸出仕様車には元々サイドインパクトビームの設定があり、それを日本仕様車にも引き当てただけだろう。それでもNHKスペシャルによる安全格差の告発などによって1990年ごろから安全性に対するニーズが浸透し始めて各社の新型車にはドアの中に黄色く塗られたサイドインパクトビームがでかでかとアピールされる時代になった。その先鞭をつけたのが3代目となるL200系ミラなのである。

余談になるがミラというブランドはクオーレのボンバン仕様(死語)だったのだが、3代目ではミラにセダン(常用登録車の通称)が設定されてクオーレは廃止された。消費税導入のために物品税が廃止されて軽自動車の貨物仕様と乗用仕様の税金の差が小さくなった。こうなると、ボンバンのメリットがほぼ無くなった為の措置だろう。軒を貸して母屋を取られる的な大転換が行われるくらい当時のボンバンは勢いがあったのでクオーレでは無くミラが残った。

バブル期の恩恵をたっぷり受けたミラは12バルブEFIエンジンや過激な64psターボEFIモデル(バン用にキャブターボもあり)、4WDや4WSモデル、4速ATやイージーなベンコラ仕様、アジャスタブルシフトレバーなど新機軸満載の軽自動車に進化した。今の「何でもあり」の軽自動車達のバイタリティが放つ光を虫眼鏡で集めたような密度の濃さを感じる。(下の写真は2013年に目撃したえげつないL200)



このエネルギーは全方位に向けられており、3気筒エンジンを搭載するサブフレームに現代も上級車が採用するような防振サブフレーム(井形)を採用し、E/Gを確実に位置決めし、防振ゴムでアイドル振動に対して真面目に対処し、E/Gの動きをガッチリした井形サブフレームで位置決めしようとした。更にFF車の弱点であるトルクステアに対してはドライブシャフトのインボード側ジョイント角の左右差を均等化できる等長ドライブシャフトも採用されている。採用に当たっては中間ベアリングが必要になるなどコストがかかるため1990年当時でもアンダー1.5Lの大衆車クラスへの採用はごく稀でFF車の中では上位の2.0Lクラスに採用されるような機構が軽自動車に奢られているのは驚いてよい。



また車幅は拡大されていないのにFF小型車の泣き所たるペダルレイアウトの改善も行われている。更に防錆鋼板(亜鉛メッキ鋼板)を採用してサビ保証をつけるなどかなり生真面目な部分にも手が入っているのはバブル時期の開発で開発費やコストが潤沢にあったのか、或いはまだ顧客層がもっと良い軽自動車を求めているという確証があったのだろう。いずれにしても、当時の民衆のゲタ代わりのミラはより一歩便利なゲタになったのだ。

今回試乗したミラは希少な4WD、いわば民衆の「かんじき」である。改めて試乗車を紹介すると平成4年式のPit(バン)5速MTである。価格は79.7万円でFFの13万円高であった。



現代のスタンバイ4WDや私のRAV4の様なフルタイム4WDではなく簡素なパートタイム4WDである点がポイントである。パートタイム4WDは現代でもジムニーやランクルも採用する原始的かつ本格的な機構である。古くは三菱Jeep、レオーネバンやスプリンターカリブもパートタイム4WDを採用していたが、これは4WDへの切り替えが手動でドライバーの操作によって切り替わるためパートタイム(part-time:部分的な、短時間)4WDと名付けられている。

オーナーが快くキーを貸して下さり運転席に乗り込んだ。シートとステアリングは立派なTR-XX仕様になっている。



一発で始動したのはEF-CL型E/G。40ps/6500rpm 5.3kgm/3500rpmというミラのベーシックエンジンである。運転席からの眺めは見慣れたL200だが、オーナーの趣味全開でアナログクロック、間欠時間調整式ワイパー、インパネアッパートレーなどのアクセサリーが追加されている。

パートタイム4WD車は普段は(2駆)FFで走るものなので、市街地をゆっくり目のペースで走らせていた。パワステは現代では常識と言えるEPSが採用されるも、
上級グレードの贅沢装備としての立ち位置のため、簡素なPitはノンパワステである。FFと言えどもタイヤが転がっていればきちんと回せる重さのパワステなので少しでも駐車場でも半クラでタイヤを回しながら据え切りにならないように操作を行った。



市街地から山間部へ向かう試乗コースだが、軽トラのようにローギアードなミラPit4WDはすぐに吹け上がって5速に入ってしまう。最終減速比はFFの3.538から5.909に低められているから、純正サイズ(145R12:外径φ554mm)で簡易計算すれば4速(0.971)で30km/hで1683rpm、5速(0.794)なら1376rpm。車速を上げていくと50km/hで2294rpm、80km/hで3670rpmと求められる。(FF車用ギア比の場合、80km/hで2197rpmと低回転である)

こうしたことからもミラPitは高速道路は騒音はさておき失速せず普通に走れるようにしておくが、軸足は市街地走行や雪道悪路走行時にゆっくり走りやすく、駆動力が発揮できるギア比にしてあると分かる。摩擦係数が小さい悪路で発進できるかどうかという性能はギア比が低く、ゆっくりかつ高い駆動力でタイヤを回せる方が有利だ。

大型オフローダーなら副変速機でローギア化が容易にできるがミラのような横置きE/Gの軽自動車には嵩張る副変速機を載せることが出来ないので5速化しておき、全体的にローギアード化することが最適解なのだ。車重は690kg。現代目線だと十分軽いがFFモデルと比べるとかなり重い。(そもそも人が一人乗るだけで)

なので発進させてせわしくなくシフトアップした後は4速か5速に入れっぱなしで延々と走ることになる。

ただ、運転支援デバイスが皆無で全てが機械仕掛けの運転行為は楽しい。人間の感性に寄り添った制御がたくさん入っているはずの現代の車の方が楽に運転できるが、不思議と喜びの濃度が濃いのがこう言うプリミティブ(原始的)な軽自動車なのだ。

河川のカーブに沿った道路は狭く曲がりくねっているが、Frにサスタワーバーが着いており、ステアリング操作に対して鼻先からグイグイ巻き込むような挙動が見られた。ノーマル状態だともう少しFrのロール剛性が落ちてマイルドな挙動になるだろう。



少し慣れてきたところで路側帯に停車してシフトノブのスイッチを操作すると、待望の4WD状態に移行する。発進させると後輪を使って加速できるので不思議と後ろから押してくれる感じがする。(プラシーボ効果?)




FF走行時のデフやプロペラシャフトは回っているが駆動反力は入らない。4WDになると駆動反力がかかって若干発進時の振動が増えるような・・・(プラシーボ効果?)



速さを求めるハイパワーカーは4WDなのが当たり前の感覚で期待するほど実際のミラは速くない。扱いやすさを重視したEF-CL型ゆえに高回転の伸びは鈍い。その分低速域の扱いやすさが確保されていてギクシャクすることは無い。直結4WDの良いところで常に出力が綺麗に分配されて挙動が安定している。悪路走行で1輪だけが空転しても他の3輪に駆動力が伝わるので脱出性も高いのが特徴だ。ミラPit4WDは雪国や山間部で1~2名乗車で近所への買い物の足として使うために性能がフォーカスされている。こうした地方では年に数回の高速道路での速さよりも、家の前の坂道を毎日確実に発進できることが求められている。

しばらく走行して転回するために脇道に入って展開しようと試みたところ、ステアリングが劇的に重くなって車が引っかかるような挙動になって走りも鈍くなった。

これはパートタイム4WDで乾燥した舗装路を走った際に問題になるタイトコーナーブレーキング現象である。オーナーからも「是非一回体験してみてね」と言って下さっていたので体験した。直結4WDの最大の欠点だと思われるのが同現象である。走行安定性が高いからと言っても、前後輪が直結しているので路面の摩擦係数が高いために回転差が吸収できずブレーキがかかってしまうのである。4WDが真価を発揮する雪道や未舗装悪路なら路面が滑って走り続けることが出来る。
雪国のミラは積雪時だけ4WDボタンを押して走らせていたのだろう。



4WDの安定性を舗装路でも使えないのはもったいと考えて生まれた前後の回転差を吸収するセンターデフを追加したフルタイム4WDである。一方で、1輪だけが凍結路で空転するようなシーンではフルタイム4WDはスタックしてしまう。このため、フルタイム4WDにはデフロック装置やビスカスカップリングによる差動制限装置が必須となる。ミラの場合はもっと割切って簡便に4WDの操作性を付与してある。

ポイントはレオーネやカリブのように特殊なRVイメージのモデルでそれをやるのでは無く、ミラのようなミニマムトランスポーターでそれをやったところに先見の明がある。実はミラの4WDは1983年から存在している。事実、スターレットに4WDが追加されたのは1990年、カローラでは1987年、サニーでは1986年にようやく追加されている。ミラと競合する軽自動車はアルト (1983年)、レックス(1983年)、ミニカ(1985年)など普通乗用車よりも4WD追加が早かったのも面白い。大衆車クラスは、取り扱いの簡単さなど商品としての一定の完成度を造り込むのに時間をかけ、軽自動車クラスはセカンドカー的なフットワークの軽さが求められており商品化の障壁が小さかったのかも知れない。

今回、貴重なL200ミラに乗せていただいたが、今まで経験したL200(全てターボ)のイメージであった「死の薫り」というものと比べると正反対なほど安定志向だったことは面白い。全開加速させたのにインパネトレイがガタガタ言わないミラはこれが初めてだった。

軽自動車というのは時々、一過性のブームで類似商品を乱発したり、大事な部分をコストのために無視するなど苦々しく思うことも少なくないのだが、こう言う試乗経験をすると陰ながら市井の人たちの役に立つ民具だなと理解させられる。

その年一発目の積雪があった朝、シフトレバーのスイッチを操作して軽快に雪の残る登坂路を駆け上がって職場への通勤をこなす―きっとミラ4WD達はたくさんの人たちの役に立ってきたんだろうなと思うとレベルの高い技術を実現する事と同じくらい、良い技術を水平展開し、世の中に拡散していくことの意義が再認識された。(現代ならジムニーがあるから、ハードな積雪地帯はジムニーの独壇場だと思うが)







●2002年式ミニキャブ タウンボックスLX



私の25年来の友人「白い変人」が足車としてアンダー10万円購入したタウンボックスに乗せて貰った。思えば軽ワンボックスは生涯を通じて色々とちょい乗りさせて貰ってきたが、スギレンさんが所有する1990年式ミニキャブ・ブラボーLXはよく乗せて頂いた。今回試乗したのはその子孫とも言える2002年式のタウンボックスLX(!)である。



(次はランクルベースのLXかグレイスLXを是非。もっと相応しい車があれば教えて下さいw)

1999年のデビュー当時はエグイデザインだなと思った。中の人も「そうかな?」と思ったのか試乗車の様に三菱っぽく精悍な顔つきに改良されたことは喜ばしい。

車名からもハッキリと箱を主張しながらも、Aピラーを黒く塗ったり、Cピラーを黒く塗って後席とラゲージを繋げて広く見せるなど競合セミキャブ組のエブリィやアトレーとは趣の違う三菱の独自路線であった。



Rrコンビネーションランプは異例とも言える複数部品で構成されてコストを何よりも優先するこの手の車両では考えられないユーモラスなリアビューを実現している。エンジンラインナップもフラッグシップのRXグレードには4気筒20バルブエンジンが採用されるなど三菱らしいハイテク技術の残り香を感じることが出来る。試乗車のLXはタコメーターなど上級装備がついた自然吸気エンジン搭載グレードで白変としては意外な選択(SXを選ぶと思っていた…。)だった。

1998年の新規格移行でフルモデルチェンジされたタウンボックスは衝突安全改善のためにセミキャブ化されドライバーを後方にずらして座らせている。パッケージング的にはセミキャブ化によるペダルオフセットは個人的に気になるレベルで、運転姿勢としては敢えてフルキャブを押し通したサンバーの頑固さを指示したいところだが、ステアリングポストが立ち気味のフルキャブと、少しは寝かせられるセミキャブでどちらが良いのかは両社ともに歯がゆい部分だろう。

白変のご子息(もう中学生ですって!)同乗で試乗スタート。走り始めてすぐに分かるのがコクコク決まるシフト操作と淀みなく回るMVVエンジンである。シフトフィールはオーナーである白変が入念に修復したもので恐らく中の樹脂部品がバラバラだったのだろう。

ヘタしたら私のRAV4の方がシフトフィールが悪いんじゃ無いかと言うほどの小気味よさで、ガタ詰めしたリフトリンケージの修復とそもそものショートストロークが効いている。



また、商用ベース故にすぐにE/Gが吹けきってシフトアップを繰り返し、50km/hで3000rpm程度で巡航できる。高速道路を80km/hで走ると4800rpm、100km/hだと6000rpm、117km/hで7000rpmを迎える計算になる。



普通車に乗っている感覚からするとえげつない数値だが、48psという非力なE/Gである程度の積載条件までカバーすると、持てる性能全てを使って走っている事になる。高速道路を常用するなら伝説の20バルブターボを選べば良い。

スギレンさんのミニキャブブラボーも同じ3G83を積んでおり、ギア比も実は5速3000rpm(推定)。ただ、タコメーターがあるため精神衛生的には好ましくないかも知れないが、逆に言えば市街地を走っているときでもスポーツ走行並の高回転を楽しめる。ミニキャブはトルク特性がフラットなので早めにシフトアップしても十分走れるのだが、特にアピールしたいのは軽自動車離れしたE/Gのスムースさと静粛性である。

私はこのクラスの軽自動車は複数試乗しているが、意外なことに?ターボだったアトレーより快適に感じた。非力なE/Gのゆったりしたリズムと乗用ワゴンとしての静粛性が相まって快適性が高いのが印象的だった。どうせ非力なのだから変に目を三角にして走る必要も無く、それが気持ちよさのループになっているのだ。

静かなだけならBEVの方が静かじゃないか、という反論もありそうだが以外とそうではない。

ミニキャブMiEVにも試乗したことがあるが、商用ユースであることに加えて軽量化と低コスト防音材が一切省かれたキャビンはモーターの高周波ノイズもそれ以外のノイズもダイレクトに伝えてくる。それと比べればサイレントシャフト付きの3G83に防音材を奢ってやった方がまともな自動車になれるというのが面白い事実なのである。(だから巷の静かなBEVは相当に頑張ってお金をかけているのだ)



今の軽自動車の売れ筋であるスーパーハイト軽ワゴンも広大なキャビンと後席を畳んだ際の荷室が自慢だが、タウンボックスの様な軽箱バンの魅力は4人乗車した上で荷室がしっかり確保されているところである。E/Gの上に運転席があるレイアウトのため、ウォークスルーが出来ない、操縦性が腰高などの弱点に加えて後席の乗員が脚を伸ばそうとしてもE/Gコンパートメントの縦壁が邪魔で脚が伸ばせない。普通に作るとRrシート座面位置は荷室の要件で決まり、E/Gレイアウト上縦壁が当たる。E/Gをできるだけ前に搭載すれば快適だが、今度は運転席の快適性が損なわれる。優先される運転席の配置関係から関係が決まってしまうので、普通車の場合は後席を後に引くだけでいいが、三菱は軽らしからぬ奇策に出た。



なんと縦壁を凹ませてつま先のスペースを確保したのだ。しょせん凹ませただけじゃないかと馬鹿に出来る事ではない。コスト第一になりがちな軽自動車のボディ設計で普通なら1枚で済んでいたプレス部品を2枚分分割構成にするか、高級な金型を奢って寄せ曲げを追加するか、プレス方向を変えて(=量産効果の期待できないタンデムプレス必須)打つしかないのである。



つま先スペースが出来た分、足元の広さをアピールするもよし、後席を前に動かして4人乗車時の荷室の広さをアピールすることも出来る。



当時も三菱はこの構造によるそのメリットをターゲット層に訴えかけたが、ついに業界スタンダードになる訳でも、足元の広さで売り上げを伸ばしたわけではなかった。そもそも補助席的扱いで畳むことも多い商用車の後席は狭くても不満が来ない場所であり、後席をより重視する場合は荷室の要件がない乗用登録があるので、後席にスライド機構を設けることで足元の広さを確保した。


コストだけならシートスライドよりボディシェルのコストアップが安いはずだが、販売上のアピール度はRrシートスライドに軍配が上がり、大きな武器にはならなかった。

真面目な改善で不便な部分を技術で解消しようとしたのだが、それが顧客の求めるものではなければ販売競争で優位に立てず、金をかけた割に儲からないと判断される。自動車ビジネスというのは目に見えない「空気」に左右されたりする難しいものだと実感させられる。




Posted at 2023/07/29 01:14:43 | コメント(2) | トラックバック(0) | イベント | クルマ
2023年06月11日 イイね!

2023年5月度 新舞子サンデー参加

暑くなる前の最後の新舞子サンデーへ参加しました。前日に補機バッテリーの元気が無く、ホームセンターで買ったバッテリーチャージャーで充電してみました。初めて使う機械なのでちょっとドキドキしましたけど、操作は簡単で朝は軽やかにセルが回りました。



久しぶりに磨いたカローラで会場を目指します。最近はちょっとした用事でも天気さえ良ければカローラに乗れるのでちょこちょこと乗ることが出来ていました。気持ちよく私の幼少期のテーマであるREBECCAを聞きながら会場へ向かったところ、渋滞がエグい・・・・。入り口で大渋滞。30分くらい並んだんですがアホらしくなってきて隣の駐車場に駐車しました。せっかくのイベントなので
並べたかったですが、駐車しないことにはギャラリーとして他の面白い車が楽しめない。がらがらのお隣にカローラを駐車してみました。普段だと駐められない一等地です。



歩道橋を渡って会場へ行くと、ものすごい熱気でした。こう言う熱気って久々だなと思います。コロナ前の活気ってこんなだったなと。ちょっと違うのは暑い中マスクをしていること。(ソーシャルディスタンスが取れるところはマスクを外して居ました)

いつもここで合う人たちをお互いの近況を確認、車趣味人である前に社会人・地域人なので急に忙しくなったりするわけで、そんな中で何とか都合をつけてこう言う場で車の話が出来るって精神衛生上非常に良いことだなと思います。










スギレンさん車検を取ったTA63(ST-EFI)で登場。



朝早く来られていたようでメイン会場に駐めるのは8時前に来てないと厳しい模様・・・(家事済まして来る私には絶対無理)



カリーナの後席に乗せて貰い向かった先は・・・スギレンさんが過去に乗ってたのと同じ後期型のAA63カリーナGT-R。パッケージトレイの毛ばたきの雰囲気も良いですね。



スギレンさんも久しぶりにじっくり見学してました。オーナーの方は見た感じ若そうな方でノーマル然としたテイストで乗られているのは純正好きの私には嬉しいですね。錆びやすいボディの状態も良さそうですし、大切に乗って頂きたいです。



何だかんだ言って私はこのカリーナのデザインが全ての車の中で5本の指に入る格好良さだと思っています。スギレンさんと知り合わず、カローラとも出会っていなかったらAA63に乗っていたかも知れません。それくらいこの代のカリーナには引き寄せられるものがあります。

3時間程度の限られた時間でもう帰ってしまった車も多かったようですが、私が気になった車の写真をどんどん貼っていきたいと思います。


▲流面形セリカ後期型(で合ってますよね?) おぼろげながらCM映像を覚えている車


▲カローラII、伯父が乗ってたので超惹かれました


▲リアビューの面が意外と複雑で70年代末期コンセプトカー的な見所があると思います


▲写真では分かりにくいけどバックドアに空力の為のキック形状あり


▲コークボトルラインの2代目カローラバン


▲セダンの雰囲気を残しつつ見事にバン化。最大積載量ステッカーの書体がお洒落


▲コニーでお馴染みの愛知機械作。現行セレナの最上位はラルゴ名義でも良いのに


▲ベリーベリー、グリルだけSSSのブルーバード


▲70年代的過装飾も味わい。


▲えら


▲スバルは人を惹き付ける魅力あり


▲大衆車だけじゃ無く原付バイクも歴史に埋もれそうな身近な機械


▲1970年にデビューしたと思えないほど未来的なGS


▲驚きの余りブレたが、これってクランク棒の穴?


▲コーダトロンカ的潔さ。HBではなく、ラゲージドアを持つ。ある意味最先端SDN?


▲かっこいい。アルフェッタGT


▲ドアノブだけでも格好いい


▲正面に速時計、中央に回転計、独特の計器類


▲後席居住性に配慮した長めのルーフ


▲バックドア×ルーフの合わせが独特


▲エンブレム格好いい


▲独立したコンビランプ、繊細なバックドア、いいなぁ。


・・・というわけで厳選したんですが刺さり車を紹介しました。最後にみん友さんのすごいメッセージのある自作ステッカーに気づいた後、お昼になったので新舞子を後にしました。



久しぶりにミーティング日和の気持ちいい(ちょっと暑い位)日曜でした。いつもの道を焦ることなくA/Cをきかせたカローラで自宅に帰り、カローラを片付けました。



次は海水浴シーズン後になると思いますが、それまで常連の皆さんはお体に気を付けてお過ごしください。
Posted at 2023/06/11 01:58:24 | コメント(1) | トラックバック(0) | イベント | 日記
2023年02月25日 イイね!

2023年2月度 新舞子サンデー参加+α

2023年2月度 新舞子サンデー参加+α公私ともに多忙を極めており、数ヶ月ぶりの参加です。下手したら半年以上???です。

息子の希望通りRAV4で会場へ向かいます。黄砂なのか酷く汚れており雨天でしたが洗車機で泥を落としておきました。本来はつや出しを行うはずの素地部品はある意味で当時風のまだら色ですが、仕方ない。

到着が遅く、既に散会しかけていたものの、いつものメンバーとは会うことが出来て短時間ながら盛り上がりました。結構変わった趣味の話なのに気兼ねなく盛り上がってくれる人たちが居て私は幸せです。写真は私のRAV4のご近所さん達です。

















せっかくなので軽ーく散歩してきました。
気になった車はこんな感じです。

●ゴルフ

ゴルフIIのGTIです。ジロジロと見てしまいました。



ウインドシールドガラスのモールがルーフドリップモールと繋がっていて
ランバック(ワイパーが掻いた水がサイドドアガラスに流れて視界を悪化させる現象)が起きにくい。



ウインドシールドガラス取付け方法は90年代には見かけなくなってくるガスケットタイプが選択されていますが、ルーフモールは今でも通用する高機能タイプです。



●ランサーEXとスタリオン
カクカクで私が好きな時代の三菱車です。そう言えばどっちもトミカがありましたね。スタリオンは新型セレステという企画だったのだとか。



●デボネア

たまたま見つけたサイトでデボネアは小型車枠とRrドア付近のキックアップしたところの処理のせめぎ合いが難所だったと知りました。今の日本車は良くも悪くもサイズの制約から解き放たれて自由ですね。





●~おまけ ホンダのドライブシミュレータ~

新舞子の1週間前、子供がゴーカートに乗りたいというので豊田市の某施設へ行ってきました。交通安全を学習する施設で大人向けなんですがホンダの交通安全用シミュレータが体感できるのです。



豊田市の施設なのにホンダの・・・・。大人の事情というか納税者(社)への忖度が働いたのかステアリングのエンブレムが外されている辺りがいじらしいですが、紛れもなくホンダのシミュレータです。



さっそく体験するのですが、ドラポジを決めてスタートするとダクトから送風され、ちょっとしたピッチングやロール方向の挙動が再現されるようになっています。



様々なレースゲームを楽しんで来ましたが、私が経験した中でで最もリアルなシミュレータでした。市街地を交通安全に注意しながら走るのですが、ステアリングを切った感覚や加減速の感覚も、速度を出さなければかなりリアルです。

サンキュー事故や巻き込み事故などミラーや目視確認をしっかりすれば防げる危険がほとんどでしたが、スポーツカー系は急発進したり指示器を出さずに無理な車線変更するなど交通事故のあるあるネタが満載でした。



利用者が居なかったので2回目も挑戦したのですが、走っている敵キャラ?達が現代の目で見ると「相手にされない」系年式の味わい深いホンダ車なのがマニア目線で素晴らしいです。「モデラーN氏」が多数出現されていました(笑)。




我が家が愛用していたRG系ステップWGNも懐かしいです。





なかなか出現しないCR-Vを見つけたときはおおお!ってなりましたがピラーに隠れて全体を写せず(笑)。



家族からは「何しとんねん」という冷ややかな目で見られていたので早々に退散しました。

#リアルワールドで運転中に車の写真撮ってたらダメですよ。
Posted at 2023/02/25 00:36:16 | コメント(2) | トラックバック(0) | イベント | 日記

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何シテル?   04/28 10:04
ノイマイヤーと申します。 車に乗せると機嫌が良いと言われる赤ちゃんでした。 親と買い物に行く度にゲーセンでSEGAのアウトランをやらせろと駄々をこねる幼...
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