
今年(私のアンテナレベルで引っかかった)世に出た技術やトレンドを振り返ってみたいと思います。
人が求めるくるまの変化が少々大きな流れとして見え出した年であったように思います。
個人的な視点で、1:安全、2:環境、3:移動、4:エンタメ の分野に分けてざっと眺めて見ます。
それぞれ、装置レベルの技術や背景のニーズをピックアップして見ると、まず安全からですが、
1.安全
ひとつのトピックだと思ったのが 「灯火技術」
光源としては、電球→ハロゲン→HID→LEDが普通になって来ました。
より遠くまで明るく、、と光量が大きくなり、次はファッション性も有って色温度
の高い青白いのが流行り、そして省エネと高い輝度でなんとなく未来チックなLEDがいよいよ本格普及に。
ところが光源がいくら強力になっても、今日の交通量では対向車のためにいつもロービームで宝の持ち腐れ。一方郊外の街灯も無い山道ではカーブの先を照らすうまい方法がフォグランプから、ドライビングランプとして舵角に合わせて動的志向性を持つようになりました。
これらの集大成と言える技術がアダプティブビーム式?といったLEDの複数光源のON-OFFで照射範囲を切り替える方式(アウディやマツダが採用)。もう一つは少々アナログチックですが、
スバルの単眼ライトを左右可動式、かつシェード可動式で遮光範囲も可動としたもの。この技術自体はレクサスや高級車にはすでに登場していたものですが、やはりネックは対向車、街灯などの正確な認知でした。
これの白眉な点は、オートライトの欠点でもある環境認知にアイサイトの認知情報を得て、制御する点と、高価で長寿命なLEDライトを単眼で常時使うことです。このためもはやロー・ハイ切り替えは境界が無くなり、車間に応じて設定されます。左右の照射範囲も舵角だけでなく、速度、アイサイトの道路認知まで含め未来予測点を照らすところまで来てます。今後一気に普及しそう。
目の衰えてきた老眼の身には、特に有り難いw。
衝突安全、後方の追従車両、追い越し車両など自車との相対監視のルールが整い、ドライバー支援としては、ほぼ万全になった感が有ります。さらに次のステージとして自動運転がフォーカスされて来ていますが、これはつぎの「移動」の所で述べたいと思います。
2.環境
省エネと排ガスに対する進化…と思いきや今年は世界を揺るがすVWの不正発覚と言う年でした。クリーンディーゼルが実は規制をすり抜けた不正技術だった、、、、しかしながら、問題の本質をメーカコストと技術の所詮、資本主義の問題、、と言う方向から眺めて見れば、私が気にするのは、技術的にホントにダメなのか、、と思いきや、真面目にやればちゃんとクリアしていると言うこと。その一方で、これはCO2燃費含め、車両の運転次第で変動する値をどこで線引きするかという、買う側と売る側、間の行政との問題をクローズアップさせました。
オリンピック同様、基準を作ったもん勝ち、日本が有利になればまた変える・・みたいな、点も無きにしも非ず。現実には一方でドライバビリティという「車の品質評価」で評論家の先生が「ドイツ車はいい!!」と連呼するし、かたや税金という維持費におけるインセンティブになるわけですから、あまりいい加減に済ませてほしくは有りません。正直者がバカを見ないように。今は空燃比を見ながら燃料制御しており、優秀なO2センサーが仕込んであるわけです。
ならば、NOxセンサーを開発し、あるいは他のセンサーから推測し、瞬間燃費計同様にNoxの排出を表示させればよかろうに。さすれば、ドライバビリティに優れ、ガンガン走れるパフォーマンス車が、ガンガンNOXを出していることが丸わかりになるだろう。車よりはその監視技術と言うものがクローズアップされるかもしれませんね。
お役所も走りの実態の最大公約数が指標になるのはごもっともだが、一方で何G加速時、、とかアイドルストップ後の発進条件とか、いくつか場面設定した個別値も示せば、その車個体の特性が知れるだろう。(当方は燃費モードを知るのに、特定速度での平たん路、定速走行、微加速を維持をした時の瞬間燃費で大体その車の実力値を図っています)。これには悪乗りしたメーカのモード切り替え機能があり、デフォルトで設定される走行モードは省エネのドライバビリティ無視で、使えるモードがスポーティだの、パワーだのになって、大手を振って逃げている節も有ります。なので、カタログ値と低燃費モードはそういう点でセットで評価。あまり実用性の無いモードは評価しても意味がない=カタログ燃費は評価できない、、と言うことになります。
こちらは、今回の騒動を機に大いに見直し機運が高まるでしょうが、スバルには減税対象になるクルマが少なく、セールス氏も「うちを狙い撃ちですかね?」と嘆いていたほど。けれどもそれに引っ張られて使えない「インテリジェントモード」にならないよう、お願いしたいな。
3.移動
はて、移動とはどういう意味?となるでしょうが、ここで言いたいのは若者が汗水たらして稼ぐ金をスマホにつぎ込むようになって久しいですが、人々にとっての自動車の意味が大きく再構築される流れが来てるんでは???という思いからです。
クローズアップされる自動運転
これはドライバーを運転という「仕事」から解放してくれる夢の技術ですが、同時に「運転」というスポーツ、レジャー行為を奪う技術でもあります。もちろん、マニュアル選択があれば関係ないわけですが、行政と安全の観点からは特定道路における運行を考えた場合、混合交通は難しい。本気で自動運転を考えるなら、特定レーンは自動運転のみとか制限される可能性は高い。
個人的には周囲の状況把握(アイサイトやレーザセンサ)が出来、車両制御のうち、車速を制御して縦の安全(車間)をお任せ出来れば、もうそれで80%の利便性は獲得出来ていると考えています。残るは横(車線)の操舵制御ですが、これは個人的にはどこまで行ってもドライバーが操るべきだと考えています。産学官でガイドラインの研究は進んでいるようですが、
記事の方向性には賛同します、が例えばハンドルを条件が揃えば自動で、まずくなればドライバーに返す、、といったちょっと前のクルーズコントロールのような状況は極めて危険だと思うからです。
クルコンはアイサイトのようにもはや高速道路での車間制御はお任せで安心。方向制御だけ人間がやればよい。この場合でも、運転の意識連続性はハンドルを握る=方向をリアルタイムに制御し続けていることで保たれています。ところがハンドルで車線逸脱しなければ、ずっと自動だ、、と一旦ドライバーの制御が切れてしまえば、人間は他の仕事に脳を取られます。その断続する意識で突然鹿が飛び出したり、落下物や事故が起きそうになったからと言って、「You have control !」となっても、人間は対応不可能です。そして一度でもこれでヒヤリ体験をすれば、2度と使わないでしょう。
You have controlな操舵自動運転は無いと考えてます。
このように、「移動」という結果を私なんかは自動車と多分にイコールと考える田舎都市に居るわけです。都心では移動イコール電車、地下鉄でしょう。そのような移動手段のいちカテゴリーとしての「自動車」が大きく電車化すれば、加速や横Gを楽しむ、極めてパーソナルは視覚、体感する「移動」の「道具としての自動車」の形は変わって行くだろうな、と言う感慨。
そして最後はそれにつながるエンタメ。
4.エンタメ
>若者が汗水たらして・・・
という欲求の見返りを「パーソナルな移動空間」に求めなくなった?。
少し突飛かもしれませんが、私は自動車と家族はとても重要な関係だと考えています。
モータリゼーションの幕開け、、高度成長期におとーさんがなんとか、マイカーを手に入れたことによって得られた世界。私の個人的体験では、実は家族旅行のほとんどがマイカー移動です。 次に彼女とのデートや、またまた結婚後の家族旅行。これまた自動車(バイクも有り)。
それが今はどうか?。何言ってんの、このミニバン全盛のご時世に・・?と言われるでしょう。
ホンダを見てください。ミニバンに邁進したファミリーカーなホンダ。私には車好きな子供があのミニバンから育つのか??、はなはだ疑問です。
我が家も、子供が小さい時RVRで、ステップワゴンであちこち移動しました。渋滞の思いで一杯ですが、まあ車好きの家族ではあります。
ところが、恐らく子供たちが車やバイク好きになったのはこのミニバンのせいではありません。その前の911であり、その後のB4であります。またハヤブサであり、SDRであります。
大の大人がにやけながら、格闘している。わざわざ渋滞しない人気に無い山を駆け抜ける、隠れ家的なお店で一服・・、そんな行為に疑問を持って、「何が面白いんだろう?」という好奇心、刺激を与えたからだと私は思っています。 ミニバンは「移動」という車の大役を、最大便利に果たしてくれました、感謝です。けれども車を楽しいパーソナルな「心のよりどころだ」と思わせたのは、スポーツカー的な車なのです。
子供のために、、、という我慢はやめましょう。一時的に、あるいは2台持ちになって、大人がちょい悪空気を背負込みつつも、にんまりしながら出かける「本音」に子供は敏感です。
とかなんとか言いつつも、家族の在り方、心の繋がりは家族の数だけ、理由が有るでしょうし、こんな単純なことではないのでしょう。けれども「趣味で繋がる」は「本音で繋がる」です。
車のエンタメ性、これが今後の家族と車をどう関係づけるか、結果によっては大いに暗い社会になるかも。話が逸れましたが、技術的にはナビとスマホとドライバー(情報通信)が初期の自立航法から、ネットリンク航法へ移行し、車のパーソナル性と公共性というか、全体の構成員であるという有る種のジレンマ的なモノも抱えつつ、人とつながる究極便利な携帯電話。
ところがそれが逆に昔よりも心の孤立感を深めているのが現代社会なのかも。それは「何時でも繋がる」という甘え、相手への思いやりが欠落して行く電話文化の弊害だろうか?。 昔は待ち合わせひとつもほんとに慎重にやったものだ。いつでも話せる、いつも一緒、そんな当たり前がたくさんの気遣いを「便利」という効率で吹き飛ばしているのではなかろうか・・・・なんて思う今日この頃。
そんなわけで、今回は特に話題の「自動運転」について考えたのですが、そのような技術が「車」という文明を、「それはほんとにみんなが望んでいる技術なのか?。」
と少々難しいけど、俯瞰して見ておかなければならんなぁと思った社会と自動車の関係。
今年はそんな心配を打ち消すようなスポーツカーやファンカーがデビューしたこともあり、まだまだ期待は出来そうかな。
そんなあれこれを思わさせた今年。モータショーのにぎわいとは別に展示内容のカオスがそんな空気を私に感じさせたのかもしれません。
それでは、今年も駄文にお付き合いありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。(サンダーバードからみずほ乗り換えで熊本に帰省です)