
この記事は、
「マツダ失速」の報道に想う(1)および(2)について書いています。
マツダとスバルを比較すると一見似たような印象を持っておられるかもしれませんが、それは錯覚ですw。
あんまり遡っても仕方ないですが、少なくとも大手だった車が柱のマツダと、そもそも重工の枝葉弱小からミリミリと育ってきたスバルは、おそらく社風として「夢」の大きさが違うと思います。
マツダは立地上、トヨタ、日産のように恵まれずホンダに抜かれ、技術優位を訴求して成長して来ました。道を大きく狂わせたのはロータリーの性でしょう。一人だけ異なる技術の袋小路でシナジーも出せず停滞の危機を経て、今日が有ります。
しかしそれを負の遺産としか見ないならそれは大きな間違いです。それを財産と見抜いた誰かがいて、そこで育った技術屋魂がうまくかみ合って、SKYとして結実したことが復活のバックボーンにあります。これは言うなれば車ブランドとしての「基礎商品力」なるものでしょう。ルマンの遺産を見れば、その実力はメディア誘導もあって、日本人が適正評価できていないだけです。
「低燃費で、運転が楽しい」
一方で、目に見える訴求力として「マツダデザイン」に心血注いできました。そして今や唯一日本ブランドで、世界に通用するデザインを打ち出せているのがマツダではないでしょうか。
技術とデザインを両輪とした車づくりですね。
そしてこれが問題でもあるのでは、と私は考えています(今の日本においては)。
マツダが打ち出すデザインは、その力感故に高級な、プレミアム路線を志向します。ところがロードスターに見られるように、ありがたいことに「手が届く、大衆向け」を外れない。しかし、これはもろ刃の剣になります。マツダ流統一デザインは、上級のアテンザのさらなるプレミアムを阻害し、一方で、デミオクラスのコスト、使い勝手、汎用性といった日常感と対立します。そのねじれをまともに受けるのがアクセラとなります。
デミオはやはり、お安く道具性が高い、、ところを目指さないとなかなか難しい。メルセデスのAクラスを志向するなら別だがそうではないでしょう。もっと欧州コンパクトの秘めたる利便性と華やかさの両立を学ぶ必要があります。
アテンザ以上のクラスは、今度はデザインに負けないパワープラントや動力性能、ある種「贅沢な作り」までもが求められます。FR回帰の検討はマツダ自身が良くわかって居る証拠でしょう。そして苦戦しているアクセラ。
そして、最もスバルと接近する商品レンジとなるのもこのクラスです。正直デミオクラスはスバルは持ちませんし、アテンザの方向も異なります。が、「身近な実用車」を満たしつつ、プラスアルファの魅力が必要・・・なのがこのクラスです。エコと世間体のような目立たないのが一番、、みたいな層はプリウス、アクア、ノートといった固定層がいますので、あくまでマツダやスバルの顧客が取り込むのはもともとのコア層だったのですが、逆にこだわりが無いなら浮気もするわけで、実はスバルが躍進している大きな変化は、この「ぶつからない車、安全な車」頂戴、、な財布持ってる層なのです。
アクセラはこの層に対する訴求力が大幅に負けています。そして勝っている、商品力を訴求できる部分が「マツダデザイン」であります。
CX-3が作ろうとしている層ですね。そしてそれはある程度答えが見えてきました。エクステリアのかっこよさと日々の使い勝手の評価がそのまま販売シェアに反映していると私は見てます。鼓動デザインは生物的美しさ、そして人間に寄り添いやすい(親近感)を得やすい美しさが魅力です。故に内部空間が狭い。世界基準の車格はデザインの自由度を得た代わりに、日本では狭い駐車場と感じさせ、中も狭いと感じさせる。
いや、おしゃれなファッションとは「やせ我慢」ですからw。
一方、スバルは「ダイナミック&ソリッド」をデザインとし、その寄って立つ核は「金属であり道具」です。人間との同質的親和性を拒否し、しかし道具として寄り添う。故に「視界、車格」が非常に重視され、最後に見た目も。。。wと言ったミリタリー的機能美に近い方向性です。
故に、インプレッサの車格は「奥様に愛され、運転しやすく、ちょっとおしゃれ感は薄いけど、そこをSUV的非日常感でカバーしつつ、アイサイト、衝突安全ボディが包み込む」と言った、やはりデフレ脱却できないどちらかと言うと質実剛健な思考に社会ムードが味方していることがあると思います。
これが、株価2万越えのイケイケムードになっていたならば、それこそマツダの次期ロータリークーペの登場でもあろうものなら、初代7の再来になるでしょう。ところがそうはならない雲行きです。もっとも、端から対日市場はおまけ、、ということなら話は別です。
ちょっと話が逸れましたw、アクセラには、美しいマツダデザインのエッセンスは有っても、やはり限られたボディで贅沢なまでの優越性はありません。にもかかわらず、鼓動を表す体積をそこかしこに食われて、内部空間、ガラスエリア、開放感といった買い物のお伴感は希薄です。そこに非日常感と安らぎを得たいパーソナルカーの相棒を見出す顧客なら満足度は高いでしょう。ところが、主婦目線ではどちらかと言うと「スポーティな贅沢」方向にとられるようです。(BMWなら日本では、お高いのがプラスの商品力だったりしますが、日本ではこのセグメントは、「お買い得感のある(ヴェゼルのようなw)」ことが主婦層には大事です。
スバルがインプレッサを走りオタクの巣窟としての縛りから解放させ、WRXとして切り離し、大きく普段使いの「カローラ化」に舵を切ったのとは異なり、アクセラはマツダの統一ラインに沿わせるのは難しかった、、ゆえに発散したなとおもう。私はマツダの将来像にとって、実はアクセラのポジショニングをどうするか、このポジションのシェアが大きくならないと、売り上げの波風に大きく影響します。しかし一方でマツダが成功しているレンジをさらに伸ばすなら、デミオとアクセラはブランドを分けないまでも戦術的デザインは変えることも有りだと思います。(ブランドデザインという群れで見せる統一性など、マツダはデザインがカロッツェリアのように強く出てきて、日本メーカとしては稀有であり、もっとやれーとエールを送りたいところではありますが、一方企業としての商品群の立ち位置からは、?が付く点もあり、バランスをどうとるのか、今はまだ試行錯誤の点もあるのでしょう)
ガソリンでの超低燃費、人馬一体の楽しいハンドリング、さて訴求ユーザ層にふさわしいエクステリアはどう有るべきか。

スバルだって、わかっちゃいるが、デザインオリエンテッドにはならない。夢をあきらめて、日常に寄り添う・・・すこしわびしいがw。
一方で、スバルの難しさはもっと違う種類のものです。が、スバルは気が付いているようです。なぜならスバルのアイデンティテイたる「AWDと水平対向」が逆に足を引っ張る・・・つまり、それが強味とはならない時代がすぐそこだと真剣に激論したと思われるからです。
次のスバルをスバルたらしめる「何か」その模索がもう形にならないと間に合わない。なかなかどこも悩ましいですね。
ちょっと見つけたなかなかな記事を紹介しておきます。
「二輪車産業の歴史、発展、日系企業の行方」
二輪のマーケットの話ですが実は2輪の世界は車で言えば、スポーツカーのカテゴリーにおいては、未来の写し鏡的な部分を多く感じます。スピード、加速と言った性能が「絶対的魅力」では無くなった。誰も公道で使えないパワーを電子制御と乗りやすさのテクノロジーで包み込む。結果誰でも乗れるスーパースポーツが出来上がったが、これらは新たなライダーを育てない。ロートルが酒の肴に「スゲーな」と楽しむにはいいバイクですが、免許取って長い人生の伴侶と出来る「面白さ、深さ」を初心者に教えてはくれない。
工作機械の世界でも、ざまざまな世界で「優れた性能を、誰でも簡単に」のスローガンが実って「アウトプット」の均一化が実現した。結果、オペレータのやりがいや探求心は失われてゆく。そこには、短い時間、短い投資で、最大の収益を、、、という資本主義の原理が、趣味の世界にまで侵食しているのではないかと思わさせる。(日本のモノづくり第一主義が、戦略にたけた欧米に利益をかっさらわれる側面もチラリとのぞく)
趣味の成熟した商品力としての2輪の世界は、ようやくそこに気がついてきた。一見「レトロデザイン」な回顧主義と矮小化されそうだが、そうではない。「速く走ること」=機械の性能を引き出すために・・が主役でなく、ライダーが気持ちよく・・の為にバイクがデザインされだして来たのだと。
この流れは車にも必ず起きると思う。
エコや自動運転ではない、相棒となる車とは・・・・さて。
Posted at 2016/08/12 19:23:25 | |
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