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ピズモのブログ一覧

2016年08月27日 イイね!

伊予・土佐(2日目その3・竜串)

竜串は土佐清水市にある奇勝です。
一帯は砂岩と泥岩の層が互いになっており、その層が波や風の侵食を受け形成されたものです。中でも一直線上に、丸みを帯びた節理が見られる大竹小竹は竜串を象徴する代表的なもので、他にはしぼり幕、欄間石、蛙の千匹連れ、千畳敷などの名所があります。
海には増礁サンゴや熱帯魚が生息し、昭和45(1970)年、足摺宇和海国立公園の海中公園(平成22〔2010〕年からは海域公園)に指定されています。

「竜串」という地名の由来には諸説あり、竜串海岸の背後にある「臥竜山」の竜臥(たつふし)が転訛したという説や、アイヌ語、景観由来説など様々な説があります。東側にある見残し海岸は「見残し」の由来は、かの弘法大師が四国での修行の折、余りの険しさに「見残した」ので「見残し海岸」という名がつけられたという説が広く知られています。
竜串 (2)
竜串 (2) posted by (C)pismo

竜串 (3)
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竜串 (4)
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竜串 (5)
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竜串 (6)
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竜串 (7)
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竜串 (8)
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竜串 (9)
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竜串 (10)
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竜串 (11)
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竜串 (12)
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竜串 (13)
竜串 (13) posted by (C)pismo

竜串 (14)
竜串 (14) posted by (C)pismo

足摺宇和海国立公園・竜串にある足摺海洋館は、「土佐の海と黒潮の魚たち」をメインテーマに土佐清水市および大月町の黒潮が迫る沿岸海域を泳ぐ魚類から、磯の潮だまりに棲む無脊椎動物まで大小多種多様な海の生物200種約3,000匹の飼育展示をしています。
海洋水槽(大水槽)は、シノノメサカタザメ、スギ、ロウニンアジ、ヤイトハタなどの大きな魚をはじめ、群遊するイサキ・ギンガメアジ・フエダイの仲間等約50種類の魚を展示しています。
足摺海洋館 (2)
足摺海洋館 (2) posted by (C)pismo

足摺海洋館 (3)
足摺海洋館 (3) posted by (C)pismo

足摺海洋館 (4)
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足摺海洋館 (5)
足摺海洋館 (5) posted by (C)pismo

足摺海洋館 (6)
足摺海洋館 (6) posted by (C)pismo

足摺海底館は竜串海岸の西側、国有数の透視度を誇る海域に建つ赤と白の建物の高さ24mの塔で、内部は海上展望室と海面下7mの海底に集う製帯魚や四季折々の魚群を見学できる海中展望室があります。
昭和47(1972)年1月1日にオープンしました。
海底館まではレスト竜串の駐車場から約500mの歩道橋を渡り、54mの歩道橋を渡って、館内は64段の階段を降りていくことになります。
グレ、ハリセンボン、チョウチョウウオなどを見ることができます。
足摺海底館
足摺海底館 posted by (C)pismo

足摺海底館 (1)
足摺海底館 (1) posted by (C)pismo

足摺海底館 (2)
足摺海底館 (2) posted by (C)pismo
Posted at 2016/10/31 23:22:38 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2016年08月27日 イイね!

伊予・土佐(2日目その2・中浜万次郎のふるさと)

中浜万次郎の生誕の里中浜に建てられた贈正五位中濱萬次郞翁記念碑です。中浜万次郎は、文政10(1827)年に、中ノ浜谷前の猟師悦助の二男として生まれました。
幼少の頃より土地の老役今津家の下働きに出て母を助け、14歳の時に宇佐浦(土佐市)の漁船に乗り組み、足摺岬沖の初漁中に遭難し、九死に一生を得て仲間と共に南海の孤島(現在の鳥島)に漂着しました。
143日もの無人島におけるサバイバル生活の後、米国捕鯨船ジョン・ハウランド号に救助され、船長補一途フィールドとの出会いにより、以来10年間、ジョン・マンと呼ばれて、米国本土での初等・中等教育を受け、英語、数学、航海、造船等高度な学問を習得し、また、捕鯨船の一等航海士副船長として、七つの海を奔走し大活躍しました。
嘉永4(1851)年に、母国日本に帰りたい一念から、大冒険を敢行して、厳しい鎖国令下の琉球に上陸し、那覇、薩摩、長崎、土佐藩で、1年10ヶ月もの執拗な取り調べの後、やっとの思いで中ノ浜で待つ母、汐との束の間の再会がかないました。
定小者という土佐藩の下級武士から、風雲急を告げる江戸城下の直参旗本に抜擢された万次郎は、その時生まれ故郷の地名を名字として、中浜万次郎と名乗り、時あたかも大船建造禁止令の解除や、日米修好通商条約調印のための使節団の一員として、通弁主務は勿論、咸臨丸の事実上の艦長として、その大役を見事に遂行しました。
明治2(1869)年開成学校(現東京大学)の教授に任ぜられ、中博士の称号で最高学府の教壇に立つなど、維新前後の激動期に、日米交流の架け橋として、国際的、文化的に果たした功績は誠に偉大です。明治31(1898)年11月12日、東京京橋弓町において、長男東一郎(医博)に看取られながら、波瀾万丈の71年の生涯を終えました。
昭和3(1928)年11月特旨を以て正五位を贈られました。昭和4(1929)年5月、郷土の有志により翁の生地に一代の勲業を伝えるべく書は公爵徳川家達、碑文は寺石正路撰、畔柳完道書の石碑が建てられました。
「冒険とは、夢を形に変える行動力である」平成3(1991)年の万次郎漂流150周年を機に、郷土の偉大なる先人、中浜万次郎の限りない人間愛と、不撓不屈の精神(ジョン・マンスピリッツ)を顕彰し、その遺徳を長く後世に伝えたいものです。
(現地説明板などより)

中浜万次郎生誕地
中浜万次郎生誕地 posted by (C)pismo

中浜万次郎生誕地 (1)
中浜万次郎生誕地 (1) posted by (C)pismo

贈正五位中濱萬次郎翁記念碑
贈正五位中濱萬次郎翁記念碑 posted by (C)pismo

贈正五位中濱萬次郎翁記念碑(1)
贈正五位中濱萬次郎翁記念碑(1) posted by (C)pismo

贈正五位中濱萬次郎翁記念碑 (2)
贈正五位中濱萬次郎翁記念碑 (2) posted by (C)pismo




生誕の地である土佐清水市中浜に建てられた中浜万次郎帰郷150周年記念の碑です。
母国日本へ帰りたい、中浜の母に会いたいの一念が叶い、中浜万次郎が故郷中浜に帰着したのは、漂流から11年余の嘉永5(1852)年11月16日のことです。
母汐と束の間の再会。彼は土佐藩の士分から風雲急を告げる江戸幕府の直参旗本として登用され、近代日本の夜明けの為に大活躍をしたのです。
平成14(2002)年10月13日、帰郷150周年を機に、郷土の偉大なる先人、中浜万次郎の人間愛と不屈の精神(ジョンマン・スピリット)を顕彰しこの碑を建立しました。
(現地説明板などより)
中浜万次郎帰郷150周年記念の碑
中浜万次郎帰郷150周年記念の碑 posted by (C)pismo

中浜万次郎帰郷150周年記念の碑 (1)
中浜万次郎帰郷150周年記念の碑 (1) posted by (C)pismo

中浜万次郎の生家は「万次郎の生家」として残る写真を基に設計した茅葺きの木造平屋。
市内の有志が募金活動で集めた浄財を中心に、ジョン万次郎の地元中浜に建設しました。
平成22(2010)年10月31日に落成され、11月1日より無料で公開されています。
中浜万次郎の生家
中浜万次郎の生家 posted by (C)pismo

中浜万次郎の生家 (1)
中浜万次郎の生家 (1) posted by (C)pismo

萬次郞と仲間達の群像は、天保12年1月5日(1841年1月27日)早朝、宇佐浦(現在の土佐市宇佐町)を船出した5人の漁師の群像です。
船頭  筆之烝38歳(後にハワイで伝蔵と改名)
漁撈係 重助 25歳(5年後ハワイで病死)
櫓係  五右衛門16歳(以上3人は兄弟で筆之烝、萬次郞とともに日本に帰還)
櫓係  寅右衛門26歳
炊係  萬次郎14歳(中浜出身で、ただ一人アメリカ本土に渡る)
船は足摺岬の南東15kmの沖合で操業中に、突然強風が吹き荒れ「辰巳の方に押し流され、其疾きこと箭の如し」(漂巽記略)とあり、なんら成す術もなく漂流5日目にして、南海の孤島(鳥島)に漂着します。
九死に一生を得て島に上陸した5人は、143日の無人島での厳しい生活に耐え抜き、5月9日(1841年6月27日)米国捕鯨船ジョン・ハウランド号(船長ホイットフィールド)に発見され、無事に救助されます。この出会いから少年萬次郎(ジョン・マン)の波瀾万丈のドラマが始まるのです。
そして後に日米親善の橋渡しと文化の発展に大きく貢献した萬次郎と仲間達の漂流時の群像です。
濱田浩造氏の作で、平成8(1996)年3月28日に建立されました。
萬次郎と仲間達の群像
萬次郎と仲間達の群像 posted by (C)pismo

萬次郎と仲間達の群像 (1)
萬次郎と仲間達の群像 (1) posted by (C)pismo

ジョン万次郎資料館は、ジョン万次郎の関係資料などを展示する資料館です。
かつては、ジョン万ハウスといい、平成元(1989)年足摺岬にオープンしましたが、平成18(2006)年4月に「海の駅あしずり」に移転しました。
展示コーナーではジョン万次郎の生涯の軌跡を見ることができます。万次郎直筆の英文字や万次郎とホイットフィールド船長の絵など様々な万次郎の資料等を展示しています。
ジョン万次郎資料館
ジョン万次郎資料館 posted by (C)pismo
Posted at 2016/10/27 23:13:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2016年08月27日 イイね!

伊予・土佐(2日目その1・渡川古戦場と足摺岬)

四国統一を目指す長宗我部元親の圧力が迫る中で、土佐一条氏第4代、一条兼定は一条氏内部の対立から母の弟であり妻の父である、豊後の大友宗麟のもとに31歳の若さで追放されました。
しかし、幡多郡を長宗我部氏から奪回しようと兼定は、天正3(1575)年秋、伊予西南郡の将兵を主体とし、大友氏の軍船の援助のもと幡多西郡に上陸し、渡川(四万十川)右岸の栗本城に進出しました。一方、長宗我部元親は渡川左岸に陣を構え、一戦を交えましたが多勢に無勢、遂に敗れて伊予の戸島に退きました。これが世にいう渡川合戦です。
(現地説明板などより)
渡川古戦場(四万十川古戦場) (2)
渡川古戦場(四万十川古戦場) (2) posted by (C)pismo

渡川古戦場(四万十川古戦場) (3)
渡川古戦場(四万十川古戦場) (3) posted by (C)pismo

金剛福寺は、山号は蹉跎山、院号は補陀洛院、真言宗豊山派の寺院です。
四国八十八箇所霊場の第三十八番札所です。
弘仁13(822)年に、嵯峨天皇から「補陀洛東門」の勅額を受けた空海(弘法大師)が、三面千手観世音菩薩を刻んで堂宇を建てて安置し開創したといわれています。空海が唐から帰国の前に有縁の地を求めて東に向かって投げたといわれる五鈷杵は足摺岬に飛来したといわれていています。
歴代天皇の祈願所とされたほか、源氏の信仰が篤く、源満仲は多宝塔を寄進、その子頼光は諸堂を整備しました。平安時代後期には観音霊場として信仰され、後深草天皇の女御の使者や和泉式部なども参詣しています。
鎌倉時代後期(建長から弘安期)には南仏上人が院主となって再興したと伝えられ、また阿闍梨慶全が勧進を行ったとも伝えられています。南仏を「南仏房」と記す史料もあり、南仏(房)は慶全の別名であったとみられています。
室町時代には尊海法親王が住職を勤め、幡多荘を支配していた一条家の庇護を受けました。戦国期に一時荒廃したが江戸時代に入っても土佐藩2代藩主山内忠義が再興しました。
(現地説明板などより)
金剛福寺 (2)
金剛福寺 (2) posted by (C)pismo

金剛福寺 (3)
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金剛福寺 (4)
金剛福寺 (4) posted by (C)pismo

金剛福寺 (5)
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金剛福寺 (6)
金剛福寺 (6) posted by (C)pismo

金剛福寺 (7)
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足摺岬にある中浜万次郎像〔ジョン万次郎の銅像〕です。
中浜万次郎は、鎖国から開国にゆらぐ激動期の日本歴史のかげで大きな役割を果たし、ついで興った明治文化の開花に著しい貢献をした一人でした。
万次郎は、この足摺岬にほど近い中ノ浜の貧しい漁夫の次男に生まれました。14歳の時出漁中、嵐に遭い遙か南方の無人島、鳥島に吹き流されましたが、半年ののち運良く通りかかったアメリカの捕鯨船John Howland号に救助されました。船長William H.Whitfieldは、万次郎少年の人柄を深く愛して本国につれかえり、3年間正規の学校教育をさずけました。万次郎は期せずしてアメリカにおける日本人留学生第1号となりました。彼は10年におよぶ国外生活中John Mungと呼ばれ英語、航海術、測量術、捕鯨術等を習得し、二度にわたって七つの海を周航しました。
しかし万次郎は既に24歳の青年となっており、祖国とそこに残してきた母親を忘れがたく、意を決して鎖国令下の日本に帰ってきました。
嘉永4(1851)年2月、かの黒船の来航に先立つこと2年でした。このような時機も幸いして、彼は罪の問われなかったばかりか、苗字帯刀を赦され幕府の直参にとりたてられました。
これより中浜万次郎は外国事情の講話やアメリカ航海術書とか公文書の翻訳、英語教授等で多忙な日を送ることになりました。洋式船の操縦や捕鯨にも長じていたので、実地の指導にもあたりました。日本人による初の太平洋横断、咸臨丸の成功のかげには彼のすぐれた航海術が大きな力となっていました。帰国に際して書籍、写真機、ミシン等を持ち帰りましたが、江戸で初めて写真の撮影を行ったのは万次郎だといわれています。
明治2(1869)年には東京大学の前身である開成学校の教授に任ぜられた。44歳の時、すこしく健康をそこねて公的な活動からしりぞき、数奇な運命の生涯を71歳で閉じています。
昭和43(1968)年7月11日、足摺岬に銅像が建立されました。
(現地説明板などより)
中浜万次郎像 (1)
中浜万次郎像 (1) posted by (C)pismo

中浜万次郎像 (2)
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中浜万次郎像 (3)
中浜万次郎像 (3) posted by (C)pismo

足摺岬は、東の室戸岬と向かい合う四国最南端の岬です。岬端はm0の海食断崖がそびえ、その西の白山神社の下にある白山洞門は花崗岩の海食洞門としては日本一といわれています。岬の先端には青い空に映える白亜の灯台がそびえています。灯台は大正3(1914)年4月1日に点灯を開始、昭和35(1960)年に画期的なデザインのロケット形灯台に改築され、灯器も強力な物に変更され現在に至っています。
そして、足摺七不思議として穴に銭を落とすと音がして落ちていき金剛福寺の本堂に続いていると云われている地獄の穴、岩肌に弘法大師が爪で「南無阿弥陀仏」の六字の名号を彫ったといわれる大師の爪書き石、弘法大師が一夜で華表(とりい)を造らせようとしたとき、天邪鬼が鳥の鳴きまねをしたため、夜が明けたと勘違いして造るのをやめたと伝わる大師一夜建立ならずの華表、弘法大師が亀を呼び、眼下の不動岩に渡り身体安全、海上安全の祈祷を行い、この場所から亀を呼ぶと、その亀が浮かび上がったといわれる亀寄場、弘法大師が金剛福寺を建立した時発見した石で乗り揺るがすと、その動揺の程度によって孝心をためすといわれているゆるぎ石、賀登上人と弟子日円上人が補陀落に渡海せんとしたとき、日円上人が先に渡海していったので非常に悲しみ、落ちる涙が不増不滅の水になったといわれている不増不滅の手水鉢、弘法大師が亀の背中に乗って燈台の前の海中にある不動岩に渡った亀呼場の方向に向かっている亀石、岩の上に小さなくぼみがあり、汐が満ちているときは水がたまり、引いているときは水がなくなるといわれる汐の満干手水鉢、この地に生えている笹はこれ以上大きくならない笹だといわれている根笹があります。
また、岬には代表的な亜熱帯植物であるビロー樹が自生するほか、2月には早くも赤い花が咲きほころぶ椿林のトンネル、四国霊場38番札所、金剛福寺など自然と歴史文化が今なお豊かに息づいています。
(現地説明板などより)
足摺岬 (2)
足摺岬 (2) posted by (C)pismo

足摺岬 (3)
足摺岬 (3) posted by (C)pismo

足摺岬 (4)
足摺岬 (4) posted by (C)pismo

足摺岬 (5)
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足摺岬 (6)
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足摺岬 (7)
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足摺岬 (8)
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足摺岬 (9)
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足摺岬 (10)
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足摺岬 (11)
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足摺岬 (12)
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足摺岬 (13)
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足摺岬 (14)
足摺岬 (14) posted by (C)pismo

足摺岬 (15)
足摺岬 (15) posted by (C)pismo

足摺岬 (16)
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足摺岬 (17)
足摺岬 (17) posted by (C)pismo
Posted at 2016/10/15 00:02:24 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2016年08月26日 イイね!

伊予・土佐(1日目その2・武田勝頼の伝説が残るひょうたん桜と鳴玉神社)

ひょうたん桜の名で親しまれている大藪の彼岸桜は、樹齢約500年、樹高21m、根元廻り8mのウバヒガンの古木です。つぼみの形がひょうたんに似ていることからいつしか「ひょうたん桜」と呼ばれるようになりました。また「ひょうたん桜」のあるこの地区は元々「大藪」という字名でしたが、この桜にちなんで昭和33(1958)年に「桜」と改称されました。
天正10(1585)年、土地の始祖大崎玄蕃がここに住居したとき、この樹下に大山鎮めとして大山祓神を祭祀したと言い伝えられています。また、武田勝頼が土佐に落ち延びて大崎玄蕃に名を変えたという伝説が残っています。
今も樹幹に小祠があります。
「大藪のひがん桜」の名称で昭和28(1953)年3月に県指定天然記念物に認定されています。
ひょうたん桜(大藪の彼岸桜)
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ひょうたん桜(大藪の彼岸桜) (1)
ひょうたん桜(大藪の彼岸桜) (1) posted by (C)pismo

ひょうたん桜(大藪の彼岸桜) (2)
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甲斐武田家、第二十代当主である武田勝頼(変名大崎玄蕃)と三枝夫人(変名美津岐夫人)夫婦の埋葬された墓の前に建立される鳴玉神社です。
勝頼は慶長14(1609)年8月25日に64歳で亡くなります。三枝夫人は元和2(1616)年10月19日に亡くなって共に祀られています。三枝夫人は歴史上出てこない夫人で、実子の正晴と共に落ち延びた事が系図に書かれていて歴史の大きな謎です。
大崎川井土居屋敷の柿木元に葬られた事が系図に記されております。400年以上の時を経た現在、この柿の木は赤い実を稔らせます。
勝頼の戒名 成福院殿榮秋道勝大居士   
夫人の戒名 恵照院殿清月宗光大姉
これらは系図に記されており、また長宗我部地検帳からも土居屋敷の場所が確認でき、土佐へ来た武田勝頼の伝承を物語る上でも重要な史跡です。
毎年、大崎八幡宮の秋祭り(11月15日)と玄蕃祭り(旧暦8月28日)には御神幸が行われ、ご神体が御輿に運ばれてきて祭祀が行われます。
(現地説明板などより)
鳴玉神社〔武田勝頼・三枝夫人の墓所〕
鳴玉神社〔武田勝頼・三枝夫人の墓所〕 posted by (C)pismo

鳴玉神社〔武田勝頼・三枝夫人の墓所〕 (1)
鳴玉神社〔武田勝頼・三枝夫人の墓所〕 (1) posted by (C)pismo

鳴玉神社〔武田勝頼・三枝夫人の墓所〕 (2)
鳴玉神社〔武田勝頼・三枝夫人の墓所〕 (2) posted by (C)pismo

鳴玉神社〔武田勝頼・三枝夫人の墓所〕 (3)
鳴玉神社〔武田勝頼・三枝夫人の墓所〕 (3) posted by (C)pismo
Posted at 2016/10/11 21:04:15 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2016年08月26日 イイね!

伊予・土佐(1日目その1・UFOラインと笹倉湿原)

UFOラインは、高知県吾川郡いの町にある林道で正式には町道瓶ヶ森線といい、瓶ヶ森林道とも呼ばれています。
旧寒風山トンネル高知県側出口より、石鎚スカイライン終点まで延長27キロメートルの舗装林道で瓶ヶ森沿いの尾根を走る道です。
瓶ケ森、伊予富士、東黒森、西黒森の山頂が見られ、最短でそれらの頂上に至る登山口があります。また、吉野川源流の碑や加茂川源流地点があります。
天空へとつながっていそうなな絶景を楽しめるドライブコースとして人気があります。
冬季は通行不可で11月30日から4月中~下旬頃まではゲートが閉鎖されています。
UFOライン(町道瓶ヶ森線) (2)
UFOライン(町道瓶ヶ森線) (2) posted by (C)pismo

UFOライン(町道瓶ヶ森線) (3)
UFOライン(町道瓶ヶ森線) (3) posted by (C)pismo

UFOライン(町道瓶ヶ森線) (4)
UFOライン(町道瓶ヶ森線) (4) posted by (C)pismo

UFOライン(町道瓶ヶ森線) (5)
UFOライン(町道瓶ヶ森線) (5) posted by (C)pismo

UFOライン(町道瓶ヶ森線) (6)
UFOライン(町道瓶ヶ森線) (6) posted by (C)pismo

UFOライン(町道瓶ヶ森線) (7)
UFOライン(町道瓶ヶ森線) (7) posted by (C)pismo

UFOライン(町道瓶ヶ森線) (8)
UFOライン(町道瓶ヶ森線) (8) posted by (C)pismo

UFOライン(町道瓶ヶ森線) (9)
UFOライン(町道瓶ヶ森線) (9) posted by (C)pismo

UFOライン(町道瓶ヶ森線) (10)
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UFOライン(町道瓶ヶ森線) (11)
UFOライン(町道瓶ヶ森線) (11) posted by (C)pismo

笹倉湿原(さぞうしつげん)は、石鎚山系の 「神の庭」と呼ばれている標高1390mの高所湿原です。 
金山林道から砂防ダムを越え、1時間40分程度山を登っていくとモコモコした苔「ウマスギゴケ」の湿原があります。
笹倉湿原 (2)
笹倉湿原 (2) posted by (C)pismo

笹倉湿原 (3)
笹倉湿原 (3) posted by (C)pismo

笹倉湿原 (4)
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笹倉湿原 (5)
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笹倉湿原 (6)
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笹倉湿原 (7)
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笹倉湿原 (8)
笹倉湿原 (8) posted by (C)pismo

笹倉湿原 (9)
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笹倉湿原 (10)
笹倉湿原 (10) posted by (C)pismo

笹倉湿原 (11)
笹倉湿原 (11) posted by (C)pismo

笹倉湿原 (12)
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笹倉湿原 (13)
笹倉湿原 (13) posted by (C)pismo

笹倉湿原 (14)
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笹倉湿原 (15)
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笹倉湿原 (16)
笹倉湿原 (16) posted by (C)pismo

笹倉湿原 (17)
笹倉湿原 (17) posted by (C)pismo
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「[整備] #レヴォーグ レヴォーグBピラー静音化 https://minkara.carview.co.jp/userid/157690/car/1902122/8170099/note.aspx
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H27.3レガシィBPより乗り換え
ホンダ PCX ホンダ PCX
H26.3購入しました。
スバル レガシィツーリングワゴン スバル レガシィツーリングワゴン
H18.3アコードワゴンから乗り換えました。
ホンダ スペイシー100 ホンダ スペイシー100
2ストのリード100から乗り換え。 少しパワー不足でした。
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