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ピズモのブログ一覧

2017年04月22日 イイね!

南信州の桜(その1・阿智村)

駒つなぎの桜は「義経駒繋ぎの桜」ともいわれ、吉次に導かれ源義経が奧州に下向するとき、この木に馬を繋いだといわれています。
エドヒガン桜で目通り4m、高さ約20mあるそうです。
老木は朽ち果て、現在のはひこばえであるともいわれています。
多くのカメラマンが訪れていましたが、まだ咲いていませんでした・・・
駒つなぎの桜
駒つなぎの桜 posted by (C)pismo

駒つなぎの桜 (1)
駒つなぎの桜 (1) posted by (C)pismo

阿智神社奥宮は、磐座のある小山にあり昔から村人は「山王さま」と親しみをこめて呼び、小丘を阿智族の祖天表春命の墳墓「河合の陵」と名づけて信仰を集めてきました。
丘の頂、玉垣に囲まれた巨石は磐座であると云われてきました。
このころこの巨石を囲む遺構が発見され、いよいよ磐座であることが確かになりました。
磐座とは古代の祭祀場において神霊が降りてきて鎮座したところです。この地が阿智神社の祭神、八意思兼命(天思兼命)・天表春命の鎮座地であるとともに、全国の総本社であることがうかがえます。
この二神は信濃国に天降って阿智の祝の祖となったことが平安時代初期に編された「先代旧事本紀」に記されておりますし、天思兼命は「古事記」「日本書紀」に高天原随一の知恵の神として登場しています。
磐座は東西南北を指し、冬至の日の太陽は磐座の東側先端の延長線、南より下りる網掛山と北から流れる清内路山の稜線との接点より静かに昇っていくのを拝することができます。
(現地説明板などより)
駒場ダム
駒場ダム posted by (C)pismo

阿智神社奥宮 (2)
阿智神社奥宮 (2) posted by (C)pismo

阿智神社奥宮 (3)
阿智神社奥宮 (3) posted by (C)pismo

阿智神社奥宮 (4)
阿智神社奥宮 (4) posted by (C)pismo

阿智神社奥宮 (5)
阿智神社奥宮 (5) posted by (C)pismo

駒場ダム (1)
駒場ダム (1) posted by (C)pismo

駒場ダム (2)
駒場ダム (2) posted by (C)pismo

黒船桜は、ペリーが来航した嘉永6(1853)年に植えられたとされる古木です。
ペリー来航時であったことから、誰言うとなく黒船桜と名づけられました。阿智村天然記念物に指定されています。
清内路小学校の対岸にあります。
黒船桜
黒船桜 posted by (C)pismo

黒船桜 (1)
黒船桜 (1) posted by (C)pismo


昼神温泉は、昭和48(1973)年に国鉄中津川線建設工事のトンネル掘削のボーリング中に発見された新しい温泉地です。
伊那谷と木曽谷を結ぶ国道256号線は「はなもも街道」と呼ばれ、街道沿いに5000本の春、赤白ピンクの三色に咲き分ける花桃が植えられています。昼神温泉郷も花桃の見どころスポットです。
川沿いには桜も植栽されています。
昼神温泉 (2)
昼神温泉 (2) posted by (C)pismo

昼神温泉 (3)
昼神温泉 (3) posted by (C)pismo

昼神温泉 (4)
昼神温泉 (4) posted by (C)pismo

昼神温泉 (5)
昼神温泉 (5) posted by (C)pismo

昼神温泉 (6)
昼神温泉 (6) posted by (C)pismo

昼神温泉 (7)
昼神温泉 (7) posted by (C)pismo

昼神温泉 (8)
昼神温泉 (8) posted by (C)pismo

昼神温泉 (9)
昼神温泉 (9) posted by (C)pismo

昼神温泉 (10)
昼神温泉 (10) posted by (C)pismo


長岳寺は弘仁年間に伝教大師により創建されたとされています。また、武田信玄公を火葬にした寺と伝えられています。
武田信玄公は三河野田城攻めの時に病が重くなり、三河から信州伊那を経て甲州への帰途、元亀4(1573)年4月12日駒場(現阿智村)にて53歳で亡くなりました。
信玄公の遺体は長岳寺で火葬にされました。境内には火葬塚より灰を移し供養塔とした武田信玄公灰塚供養塔や馬場美濃守の供養五輪塔があります。
長岳寺 (8)
長岳寺 (8) posted by (C)pismo

長岳寺 (9)
長岳寺 (9) posted by (C)pismo

長岳寺 (10)
長岳寺 (10) posted by (C)pismo

長岳寺 (11)
長岳寺 (11) posted by (C)pismo

長岳寺 (12)
長岳寺 (12) posted by (C)pismo

長岳寺 (13)
長岳寺 (13) posted by (C)pismo

Posted at 2017/05/17 23:18:28 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2017年04月15日 イイね!

彦根城の桜ライトアップ

福井県からの帰り際に彦根城のライトアップを見に行きました。
堀の花筏が美しい感じです。
彦根城
彦根城 posted by (C)pismo

彦根城 (1)
彦根城 (1) posted by (C)pismo

彦根城 (2)
彦根城 (2) posted by (C)pismo

彦根城 (3)
彦根城 (3) posted by (C)pismo

彦根城 (4)
彦根城 (4) posted by (C)pismo

彦根城 (5)
彦根城 (5) posted by (C)pismo

彦根城 (6)
彦根城 (6) posted by (C)pismo

彦根城 (7)
彦根城 (7) posted by (C)pismo

彦根城 (8)
彦根城 (8) posted by (C)pismo

彦根城 (9)
彦根城 (9) posted by (C)pismo

彦根城 (10)
彦根城 (10) posted by (C)pismo

彦根城 (11)
彦根城 (11) posted by (C)pismo

彦根城 (12)
彦根城 (12) posted by (C)pismo

彦根城 (13)
彦根城 (13) posted by (C)pismo

彦根城 (14)
彦根城 (14) posted by (C)pismo

彦根城 (15)
彦根城 (15) posted by (C)pismo
Posted at 2017/05/05 19:13:16 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2017年04月15日 イイね!

越前桜紀行(丸岡城・福井城)

さくら名所100選、丸岡城の桜です。
丸岡城 (1)
丸岡城 (1) posted by (C)pismo

丸岡城 (2)
丸岡城 (2) posted by (C)pismo

丸岡城
丸岡城 posted by (C)pismo

丸岡城 (3)
丸岡城 (3) posted by (C)pismo

丸岡城 (4)
丸岡城 (4) posted by (C)pismo

丸岡城 (5)
丸岡城 (5) posted by (C)pismo

丸岡城 (6)
丸岡城 (6) posted by (C)pismo

丸岡城 (7)
丸岡城 (7) posted by (C)pismo

丸岡城 (8)
丸岡城 (8) posted by (C)pismo

徳川家康の功臣で鬼作左の勇名をとどろかせた本多作左衛門重次が陣中から妻にあてた「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」という手紙は、家を守り、家族を愛し、忠義を尽くす思いが短い文の中に簡潔に籠められています。
文中に出てくる「お仙」が初代丸岡藩主本多成重であったことから、この手紙をモチーフに「一筆啓上賞」が誕生しました。
一筆啓上賞は、活字やメールでは伝わらない本物の手紙文化の復権を目指し、全国初の手紙のコンクールとして、平成5(1993)年にスタートし、第1回の「日本一短い『母』への手紙」には海外18ヶ国を含む世界各地から32,236通の応募が寄せられました。
「一筆啓上 日本一短い手紙の館」は、「一筆啓上賞」の歴史と入賞作品を紹介する、手紙文化の発信拠点として平成27(2015)年8月23日に開館しました。これまでに一筆啓上賞に寄せられた130万通を越える手紙をただ展示するだけではなく、心に響かせ、心に沁みいるよう趣向を凝らした展示でをしています。また、愛媛県西予市のかまぼこ板の絵とのコラボ作品や普通では見ることのできない上空からの丸岡城、坂井市内の四季折々の美しい映像も見ることができます。
一筆啓上日本一短い手紙の館
一筆啓上日本一短い手紙の館 posted by (C)pismo

福井城の桜です。
福井城
福井城 posted by (C)pismo

福井城 (1)
福井城 (1) posted by (C)pismo

福井城 (2)
福井城 (2) posted by (C)pismo

福井城 (3)
福井城 (3) posted by (C)pismo

福井城 (4)
福井城 (4) posted by (C)pismo

福井城 (5)
福井城 (5) posted by (C)pismo

福井城 (6)
福井城 (6) posted by (C)pismo

福井城 (7)
福井城 (7) posted by (C)pismo

福井城 (8)
福井城 (8) posted by (C)pismo

福井城 (9)
福井城 (9) posted by (C)pismo

福井城 (10)
福井城 (10) posted by (C)pismo

福井城 (11)
福井城 (11) posted by (C)pismo

福井城 (12)
福井城 (12) posted by (C)pismo

福井城 (13)
福井城 (13) posted by (C)pismo

福井城 (14)
福井城 (14) posted by (C)pismo

福井城 (15)
福井城 (15) posted by (C)pismo

福井城 (16)
福井城 (16) posted by (C)pismo

福井城 (17)
福井城 (17) posted by (C)pismo

福井城 (18)
福井城 (18) posted by (C)pismo

福井城 (19)
福井城 (19) posted by (C)pismo

福井城 (20)
福井城 (20) posted by (C)pismo

福井城 (21)
福井城 (21) posted by (C)pismo

福井城 (22)
福井城 (22) posted by (C)pismo
Posted at 2017/05/05 19:12:28 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2017年04月15日 イイね!

越前桜紀行(越前市・越前町・鯖江市編)

味真野のサクラ(味真野小学校の桜)は、明治38(1905)年、当時の清雅小学校(味真野小学校の前身の一つで毫摂寺の南端にあった。)の校庭に記念として植樹され、その後、昭和4(1929)年、学校統合により、現在地に味真野小学校が増改築された際に、移植されたものです。古老の言によると、清雅小学校に植樹されたとき、すでに直径が30cm以上であったとのことです。これらを総合すると樹齢は百年以上と推定されています。
樹種はエドヒガンと思われ、当地方にあるサクラとしてはまれに見る大木です。昭和53(1978)年10月1日に市指定文化財として指定されました。
(現地説明板などより)
味真野小学校 (1)
味真野小学校 (1) posted by (C)pismo

味真野小学校 (2)
味真野小学校 (2) posted by (C)pismo

味真野小学校
味真野小学校 posted by (C)pismo

越前市万葉の里味真野苑は、平城の都からこの地に流された中臣宅守と都で宅守を思う狭野弟上娘子の悲しい恋の歌の舞台として知られている味真野にある公園です。
この二人の間で詠まれた情熱的な歌は万葉集に63首も残されており、万葉集を代表する歌人・大伴家持と大伴池主との間で交わされた歌にも、越前市・武生がその舞台となっているものもあります。苑内では、四季折々咲く花とともに万葉の植物を鑑賞できます。
苑内にこれまで郷土資料館として活用されていた建物を「万葉のロマンと恋の歌」をコンセプトに「万葉館」としてリニューアルオープンしました。
また、園内には旧谷口家住宅があります。旧谷口家住宅は、元越前市内横市町に所在したもので昭和52(1977)年に重要文化財に指定されました。同年所有者であった谷口氏から市が寄贈を受け、2年をかけて味真野苑の一角に解体・移築・復元修理したものです。
味真野苑
味真野苑 posted by (C)pismo

味真野苑 (1)
味真野苑 (1) posted by (C)pismo

味真野苑 (2)
味真野苑 (2) posted by (C)pismo

味真野苑 (3)
味真野苑 (3) posted by (C)pismo

味真野苑 (4)
味真野苑 (4) posted by (C)pismo

味真野苑万葉館
味真野苑万葉館 posted by (C)pismo

城福寺は山号は真柄山、真宗出雲路派の寺院です。。
創建は鎌倉時代の承久元(1219)年親鸞の法弟如成が平家一門の菩提を弔う為に開基したのが始まりと伝えられています。
如成は平頼盛(平忠盛の五男)の嫡男平保盛とされる人物で、頼盛の母、池禅尼が平治の乱の際、後の源頼朝の命乞いをして命を助けた事で壇ノ浦の合戦後、平家一門が断罪される中、頼盛一族の極刑が免れたと伝えられています。頼盛は寿永3(1184)年5月鎌倉へ招かれ、頼朝のはからいによりもとの官職に復し、文治元(1185)年剃髪して法名を重蓮と称しました。一方、保盛は父頼盛の荘園が越前にあったことと、保盛自信も越前守になったこともあり、文治年中(1185-1198)平家没落の際、宮畠(現在の武生市真柄町)に住んでいた乳母を頼って来越し、建久年中(1190-1198)釈門に入り西海に亡んだ平家一門の菩提を弔う中、承元元(1207)年親鸞聖人北国御流罪にあたり教化を受けて弟子となり、如成という法名を受けて一寺を建立し、これを城福寺と名付けたのです。
それから真宗の宗風を伝えてきましたが、一向一揆と織田信長の関係で、永正元(1504)年第八世住職浄融は五分市町に、更に寛永元(1624)年に第十一世浄祐が現在地に寺域を移したのです。
庫裏の南側には元禄年間(1688~1704年)に作庭された庭園があります。
庭園は借景築山式蓬莱枯山水の苔庭で、日野山を借景に、天然記念物であるヒイラギの大木を近くの山に見立て、庭一面に覆う苔は大海を表しています。左方奥部に小築山があり高さ116㎝の本尊石が据えられています。藩主松平氏も度々訪れたと伝わる名園で国指定名勝に指定されています。
庭園のヒイラギは推定樹齢300年、樹高12.6m、幹周2.2m、越前市指定天然記念物に指定されています。
(現地説明板などより)
城福寺
城福寺 posted by (C)pismo

城福寺 (1)
城福寺 (1) posted by (C)pismo

城福寺 (2)
城福寺 (2) posted by (C)pismo

城福寺 (3)
城福寺 (3) posted by (C)pismo

城福寺 (4)
城福寺 (4) posted by (C)pismo

城福寺 (5)
城福寺 (5) posted by (C)pismo

城福寺 (6)
城福寺 (6) posted by (C)pismo

城福寺 (7)
城福寺 (7) posted by (C)pismo

城福寺 (8)
城福寺 (8) posted by (C)pismo

城福寺 (9)
城福寺 (9) posted by (C)pismo


佐々成政の居城だった小丸城の桜です。
小丸城 (1)
小丸城 (1) posted by (C)pismo

小丸城
小丸城 posted by (C)pismo

小丸城 (2)
小丸城 (2) posted by (C)pismo

小丸城 (3)
小丸城 (3) posted by (C)pismo

花筐公園(かきょうこうえん)は、能楽の祖観阿弥の子、世阿弥作の謡曲「花筐」のゆかりの地として名づけられました。
継体天皇と照日の前との恋物語を著した「花筐(はながたみ)」は粟田部の歴史の象徴でもあります。
弘化元(1844)年、粟田部の関甚兵衛が、大和国吉野より数十本の桜を現在地に移植し、桜ヶ丘と呼んだのが花筐公園の始まりといわれています。
明治28(1895)年岡太神社本殿の背後が山崩れに遭い復興の際に桜を植えて現在の上段が完成し、初期の花筐公園の姿となりました。
その後数度の改良工事を経て昭和初期には県内屈指の桜の名所となりました。
昭和37(1962)年には都市公園整備計画の指定を受け、昭和49(1974)年には第2次5ヶ年整備計画事業により、風致公園としての指定をうけました。
平成19(2007)年には国の登録記念物の指定を受けました。
(現地説明板などより)
花筐公園
花筐公園 posted by (C)pismo

花筐公園 (1)
花筐公園 (1) posted by (C)pismo

花筐公園 (2)
花筐公園 (2) posted by (C)pismo

越前市の吉野瀬川の桜並木は、上太田町の方が個人的に植えたのがきっかけでその後、上太田町壮友会でさらに植樹し、徐々に今の桜並木になっていきました。太田橋と野上橋の2つの橋の間の堤防が見どころです。
吉野瀬川の桜
吉野瀬川の桜 posted by (C)pismo

吉野瀬川の桜 (1)
吉野瀬川の桜 (1) posted by (C)pismo

吉野瀬川の桜 (2)
吉野瀬川の桜 (2) posted by (C)pismo

吉野瀬川の桜 (3)
吉野瀬川の桜 (3) posted by (C)pismo

吉野瀬川の桜 (4)
吉野瀬川の桜 (4) posted by (C)pismo

吉野瀬川の桜 (5)
吉野瀬川の桜 (5) posted by (C)pismo

吉野瀬川の桜 (6)
吉野瀬川の桜 (6) posted by (C)pismo

吉野瀬川の桜 (7)
吉野瀬川の桜 (7) posted by (C)pismo


法華寺は、山号は妙光山、日蓮宗の寺院です。
嘉吉元(1441)年日鎮が開山しました。
法華寺の石段の横に樹齢100年余りになろうかという大きな桜の木があります。
枝垂れ桜で、日蓮宗の本山身延山あたりの枝垂れ桜の種子を拾ってきてまいたのだろうといわれています。
(現地説明板などより)
法華寺
法華寺 posted by (C)pismo

法華寺 (1)
法華寺 (1) posted by (C)pismo

法華寺 (2)
法華寺 (2) posted by (C)pismo



琵琶の名人、蝉丸は諸国を流浪の果て越前に来て宮崎村にたどり着きました。
蝉丸の美しい琵琶の音はこの静かな村の野や山に鳴りひびきました。やがて病気になり村人に「私が死んだら七尾七谷の真中に埋めてくれ」と遺言して死にました。
その場所は、本村陶の谷の郷で、現在三基の五輪の塔が並んでいて、その中の一基が蝉丸の墓と伝えられています。
(現地説明板などより)
蝉丸の墓
蝉丸の墓 posted by (C)pismo


鯖江に来ましたが、誠照寺の桜ももう散ってしまっていました・・・
誠照寺 (1)
誠照寺 (1) posted by (C)pismo

誠照寺 (2)
誠照寺 (2) posted by (C)pismo

誠照寺 (3)
誠照寺 (3) posted by (C)pismo

誠照寺
誠照寺 posted by (C)pismo

西山公園は、日本の歴史公園100選に選ばれている鯖江市を代表する公園です。
長泉寺山の麓に安政3(1856)年、7代鯖江藩藩主の間部詮勝が領民共々の憩いの場となるよう願いを込めて開いた「嚮陽渓(きょうようけい)」が現在の西山公園の基礎となりました。
「嚮陽渓」は陽(ひ)に嚮(むか)って常に明るくとの願いを込めて命名されました。
明治22(1889)年「町立嚮陽公園」として、鯖江町により管理されることに鳴り、大正3(1914)年西山公園に改称されました。
春には、約5万株のつつじが咲き乱れる日本海側随一のつつじの名所として知られ、桜、つつじ、もみじ、雪吊り風景と四季を通じて多くの人で賑わいます。
また、園内には、レッサーパンダやリスザルなどがいる西山動物園、芝生広場、冒険の森、鯖江藩主間部詮勝ゆかりの庭園を再現した嚮陽庭園などがあります。
西山公園南側には平成26(2014)年4月5日に道の駅西山公園が開設されました。

西山公園
西山公園 posted by (C)pismo

西山公園 (1)
西山公園 (1) posted by (C)pismo

西山公園 (2)
西山公園 (2) posted by (C)pismo

西山公園 (3)
西山公園 (3) posted by (C)pismo

西山公園 (4)
西山公園 (4) posted by (C)pismo

西山公園 (5)
西山公園 (5) posted by (C)pismo

西山公園 (6)
西山公園 (6) posted by (C)pismo

西山公園 (7)
西山公園 (7) posted by (C)pismo

西山公園 (8)
西山公園 (8) posted by (C)pismo


Posted at 2017/05/05 19:11:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2017年04月09日 イイね!

三井寺と琵琶湖疎水の桜

長等神社は、天智天皇6年(667年)に天智天皇が近江大津宮へ遷都された際に都の鎮護のため、長等山岩倉に須佐之男神をお祀りされたのが起源とされています。
その後、円珍(智証大師)が貞観2(860)年に園城寺の守り神として大山昨命を合祀し、新たに建立しました。
天喜2(1054)年に現在の地に遷座しました。
大津市指定文化財である豪華な朱塗りの楼門、全国的にも類例の少ない五間社流造の本殿、 それを取り囲む回廊などがあり、境内の左奥には樹齢300年といわれる巨大のカツラの木があり、御神木となっています。
長等神社 (1)
長等神社 (1) posted by (C)pismo

長等神社
長等神社 posted by (C)pismo

長等神社 (2)
長等神社 (2) posted by (C)pismo

三井寺〔園城寺〕は、山号は長等山、天台寺門宗の総本山です。
大友皇子の皇子の大友与多王は父の霊を弔うために 「田園城邑(じょうゆう)」を寄進して寺を創建しました。
天武天皇から「園城」をという勅額を賜わったことから「長等山園城寺」が正式名称です。天智・天武・持統天皇の三帝の誕生の際に 御産湯に用いられたという霊泉があり「御井の寺」とよばれていたことから「三井寺」と一般的に呼ばれています。
近江八景の一つ「三井の晩鐘」でも知られています。
貞観年間(859〜877)、智証大師円珍が天台宗別院として再興しました。東大寺・興福寺・延暦寺と共に「本朝四箇大寺(しかたいじ)」の一つに数えられ、 南都北嶺の一翼を担ってきました。
円珍の死後、円珍門流と慈覚大師円仁門流の対立が激化し、 正暦4(993)年、円珍門下は比叡山を下り一斉に三井寺に入ります。 この時から延暦寺を山門、三井寺を寺門と称し天台宗は二分されました。
両派の対立や源平の争乱、南北朝の争乱等による焼き討ちなど幾多の法難に遭遇しましたが、文禄4(1595)年には豊臣秀吉は、三井寺に闕所の命を下し、堂塔を破壊、寺領を没収し、金堂は延暦寺に移築されて西塔釈迦堂となりました。
慶長4(1599)年、豊臣秀吉正室・北政所により金堂再建。この頃より諸堂が復興され、慶長6(1601)年には、徳川家康が伏見城内の楼門(旧常楽寺楼門)、三重塔(旧比蘇寺三重塔)を移して寄進し、慶長7(1602)年には毛利輝元により一切経蔵が寄進されました。
三井寺(園城寺)
三井寺(園城寺) posted by (C)pismo

三井寺(園城寺) (1)
三井寺(園城寺) (1) posted by (C)pismo

三井寺(園城寺) (2)
三井寺(園城寺) (2) posted by (C)pismo

三井寺(園城寺) (3)
三井寺(園城寺) (3) posted by (C)pismo

三井寺(園城寺) (4)
三井寺(園城寺) (4) posted by (C)pismo

三井寺(園城寺) (5)
三井寺(園城寺) (5) posted by (C)pismo

三井寺(園城寺) (6)
三井寺(園城寺) (6) posted by (C)pismo

三井寺(園城寺) (7)
三井寺(園城寺) (7) posted by (C)pismo

三井寺(園城寺) (8)
三井寺(園城寺) (8) posted by (C)pismo

三井寺(園城寺) (9)
三井寺(園城寺) (9) posted by (C)pismo

琵琶湖疎水は、大津市三保が関で取水し、三井寺の山下を通り、京都市蹴上と流れる人工の水路です。
延長約9キロメートル。京都市の飲料水、発電、物資輸送、農業用水など多目的利用のために立案されました。
第1疏水は明治18(1885)年、青年技師田邊朔郎の指導のもとに着工、明治23(1890)年に開通し、第2疏水は明治45(1912)年に完成しました。工事が国家的レベルの事業であったことを示すように、隧道の各洞門には伊藤博文を始めとする著名人が揮毫した扁額が掲げられています。
「第1トンネル」入り口付近では、三井寺の桜と共に桜の名所として知られ、水と桜による美しい風景が評判です。毎年ライトアップもされています。
琵琶湖疎水 (1)
琵琶湖疎水 (1) posted by (C)pismo

琵琶湖疎水
琵琶湖疎水 posted by (C)pismo
Posted at 2017/04/26 22:43:16 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記

プロフィール

「[整備] #レヴォーグ レヴォーグBピラー静音化 https://minkara.carview.co.jp/userid/157690/car/1902122/8170099/note.aspx
何シテル?   04/01 22:18
ドライブで史跡巡りをやっています。 戦国時代の城・幕末がメインですが、史跡は全般的に好きです。 あとMacやデジタル製品など「新しいもの」も大好きです。
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スバル レヴォーグ スバル レヴォーグ
H27.3レガシィBPより乗り換え
ホンダ PCX ホンダ PCX
H26.3購入しました。
スバル レガシィツーリングワゴン スバル レガシィツーリングワゴン
H18.3アコードワゴンから乗り換えました。
ホンダ スペイシー100 ホンダ スペイシー100
2ストのリード100から乗り換え。 少しパワー不足でした。
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