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ピズモのブログ一覧

2011年12月30日 イイね!

平成23年の日本100名城スタンプ帳 成果

平成23年から、遅ればせながら日本100名城スタンプラリーにチャレンジしています。
惜しいのは、ほとんどが制覇してしまっている城を再度訪問しなければならないということ。
東北や九州などはなかなか訪れることができないので、少し悔しい思いをしています。
でも、2回目、3回目に訪れると、最近では櫓が復元されていたり、遺構が調査され、その成果を知ることができたりとかで、新たな発見があったりするのが楽しみです。
スタンプ帳、雨の中持ち歩いたり、扱いが荒っぽいのでぼろぼろですが・・・

平成23年の100名城スタンプラリー 制覇結果

08 仙台城  H23/10/25
23 小田原城 H23/12/29
24 武田氏館 H23/12/30
30 高遠城  H23/12/30
34 七尾城  H23/7/23
36 丸岡城  H23/6/18
39 岐阜城  H23/4/16
40 山中城  H23/12/29
41 駿府城  H23/12/28 
42 掛川城  H23/12/28
49 小谷城  H23/12/23
51 安土城  H23/4/9
53 二条城  H23/11/3
54 大阪城  H23/11/19
55 千早城  H23/12/10
56 竹田城  H23/11/16
57 篠山城  H23/11/26
58 明石城  H23/12/24
64 松江城  H23/6/27
72 郡山城  H23/3/18
73 広島城  H23/3/17
91 島原城  H23/9/17
92 熊本城  H23/9/18
93 人吉城  H23/9/15

H23/12/30現在 24/100城

 
残念なのが10/8に訪れた大洲城でスタンプを忘れたこと。年末12/30に訪れた甲府城、管理事務所と稲荷櫓が閉まっていてスタンプを押せませんでした。
Posted at 2012/01/15 18:35:48 | コメント(4) | トラックバック(0) | 歴史・城 | 日記
2011年12月30日 イイね!

静岡・箱根・小田原・山梨・伊那ドライブ(3日目その3・高遠城と春日城)

久し振りに高遠城へやってまいりました。
高遠城 - 01
高遠城 - 01 posted by (C)pismo

高遠城 - 02
高遠城 - 02 posted by (C)pismo

高遠城 - 03
高遠城 - 03 posted by (C)pismo

高遠城 - 04
高遠城 - 04 posted by (C)pismo

高遠城 - 05
高遠城 - 05 posted by (C)pismo

桜の季節以外に訪れるのは初めてです。
人がほとんどいませんでした。ただ、桜という装飾がないため、城郭遺構として見るにはこの時期が一番かも知れません。
ちなみに桜の咲いている状態はこちらへ。
毎年恒例の高遠城址公園の桜
高遠城周辺にも満開の桜が・・・高遠散歩

今年も満開の高遠城址公園へ

そして、高遠城の支城ともいえる春日城です。春日城は、戦国時代、伊奈の豪族伊那部大和守重慶の居城でした。
重慶の子重親・重国兄弟は、武田信玄に背いたため、春日昌吉が城主になりました。
天正10(1582)年、高遠城落城後に春日城は廃城になりました。
現在、春日城はアルプスを背景に伊那市街が一望できる眺めのよい春日公園として整備され、桜の名所として知られています。

春日城 - 01
春日城 - 01 posted by (C)pismo

春日城 - 02
春日城 - 02 posted by (C)pismo

春日城 - 03
春日城 - 03 posted by (C)pismo

春日城 - 04
春日城 - 04 posted by (C)pismo

春日城 - 05
春日城 - 05 posted by (C)pismo

春日城 - 06
春日城 - 06 posted by (C)pismo

春日城 - 07
春日城 - 07 posted by (C)pismo

今回の史跡めぐり紀行はここまでです。
Posted at 2012/01/15 17:35:38 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2011年12月30日 イイね!

静岡・箱根・小田原・山梨・伊那ドライブ(3日目その2・光明寺〜新府城〜信玄公旗掛け松碑)

光明寺は、山号は金龍山、曹洞宗の寺院です。
この寺院には、木曽氏の墓があります。
天正10(1582)年3月、武田信玄と姻戚関係にあった木曽福島の城主木曽義昌は、織田・徳川の連合軍と手を結んだため離叛者となり、これを知った勝頼は未完成の新府城には防戦が不可能であることを察し、城に火を放って郡内岩殿城主小山田信茂を頼り再挙を図りました。
その当時人質として預かっていた木曽義昌の嫡子千太郎(光明寺殿木曽淨髙大居士)13才、娘(寶光院殿玉輪妙関大姉)17才、祖母(六観院殿幻屋法如大姉)70才を上野豊後守宅より連れ戻し躍躑が原において土屋惣蔵の介錯によって自決せしめました。勝頼は後事を上野家に託したので後年光明寺に墓碑を建て開基として霊を慰めました。
(石碑の説明板より)
光明寺 - 01
光明寺 - 01 posted by (C)pismo

光明寺 - 02
光明寺 - 02 posted by (C)pismo

光明寺 - 03
光明寺 - 03 posted by (C)pismo

光明寺 - 04
光明寺 - 04 posted by (C)pismo

光明寺 - 05
光明寺 - 05 posted by (C)pismo

光明寺 - 06
光明寺 - 06 posted by (C)pismo

新府城は、正式には新府中韮崎城といい、天正9(1581)年春、武田勝頼が甲斐府中として、城地を七里岩南端韮崎の要害に真田昌幸に命じて築かせた平山城です。
織田信長の甲斐侵攻に備え、韮崎に広大な新式の城郭を構えて府中を移し、退勢の挽回を期すべく工事は昼夜兼行で行われ、着工後8ヶ月余りで竣工しました。
ついで城下町も整ったので、新府韮崎城と名付け、同年12月、甲府からここに移りましたが、翌年の天正10(1582)年3月、勝頼は織田軍の侵入を待たず、みずからこの城に火を放って退去するのやむなきに至り、天目山田野の里に滅亡の日を迎えることになりました。
武田氏滅亡後6月に本能寺の変で織田信長が亡んだ後、天正壬午の乱で徳川・北条両氏が甲州の覇権を争うこととなり、家康はこの城跡を修築して本陣とし、5倍する兵を率いて若神子に布陣する北条氏直を翻弄して有利に導きました。
昭和48(1973)年、国の史跡に指定されました。本丸には「勝頼公霊社」や長篠役陣没将士の墓があります。

新府城 - 01
新府城 - 01 posted by (C)pismo

新府城 - 02
新府城 - 02 posted by (C)pismo

新府城 - 03
新府城 - 03 posted by (C)pismo

新府城 - 04
新府城 - 04 posted by (C)pismo

新府城 - 05
新府城 - 05 posted by (C)pismo

新府城 - 06
新府城 - 06 posted by (C)pismo

新府城 - 07
新府城 - 07 posted by (C)pismo

新府城 - 08
新府城 - 08 posted by (C)pismo

信玄公旗掛松碑は、日野春駅の東南端にあります。
武田信玄がここを通った時に目標の旗を掛けた松がかつてありました。
明治36(1902)年国鉄中央本線が開通しましたが、汽車の煤煙と震動により、「信玄公旗掛松」が大正9(1916)年に枯死しました。
そのため、所有者が鉄道院にたいして損害賠償を求めて裁判となりました。
この碑は原告の勝訴を記念して建立されました。
信玄公旗掛松碑 - 1
信玄公旗掛松碑 - 1 posted by (C)pismo

次は高遠・伊那へ向かいます。
Posted at 2012/01/11 21:48:33 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2011年12月30日 イイね!

静岡・箱根・小田原・山梨・伊那ドライブ(3日目その1・産屋ヶ崎〜小山城〜甲府市)

3日目は山梨県です。
産屋ヶ崎は河口湖の東岸にある逆さ富士や桜の撮影スポットとして知られており、新富岳百景にも選ばれている富士山の眺望スポットです。
産屋ヶ崎の地名の由来はこの岬で彦火火出見尊(木花開耶姫命の御子で俗に山彦の神)と皇后豊玉姫命(海の国の神様で俗に乙姫様)産屋を造られ、鵜茅草葺不合命が生まれたことによります。
岬には産屋ヶ崎神社があり、彦火火出見尊と豊玉姫命をお祀りしています。
産屋ヶ崎 - 01
産屋ヶ崎 - 01 posted by (C)pismo

産屋ヶ崎 - 02
産屋ヶ崎 - 02 posted by (C)pismo

産屋ヶ崎 - 03
産屋ヶ崎 - 03 posted by (C)pismo

産屋ヶ崎 - 04
産屋ヶ崎 - 04 posted by (C)pismo

小山城です。ここは、2年前も訪れました。

甲州武田氏史跡、富士五湖、松本(1日目その1・甲府市・笛吹市・山梨市)

小山城 - 01
小山城 - 01 posted by (C)pismo

小山城 - 02
小山城 - 02 posted by (C)pismo

小山城 - 03
小山城 - 03 posted by (C)pismo

小山城 - 04
小山城 - 04 posted by (C)pismo

甲斐善光寺は、正式には定額山浄智院善光寺といいます。
武田信玄公が永禄元(1558)年、川中島の合戦の折、信濃善光寺が兵火にかかるのを恐れ、本尊阿弥陀如来を甲斐に招来し、大本願第37世鏡空上人を開山に迎え創建した寺院です。
その後、江戸時代にも歴代国主の帰依と保護を受け、浄土宗甲州触頭として、金堂、山門、三重塔、鐘楼をはじめ本坊三院十五庵の大伽藍を有し、荘厳を極めるに至りました。
ところが、宝暦4(1754)年2月、門前の農家の失火により類焼し、堂塔ことごとく焼失してしまいました。興癡誉上人、性誉霊海上人が再興勧進に奔走し、実に30有余年の歳月を費やして寛政8(1796)年8月に金堂が竣工しました。
これが現在の伽藍で、昭和30(1955)年6月、金堂、山門共に重要文化財に指定され、同32(1957)年より5年間に渡り大修理が行われました。

甲斐善光寺 - 1
甲斐善光寺 - 1 posted by (C)pismo

甲斐善光寺 - 2
甲斐善光寺 - 2 posted by (C)pismo

武田氏館〔躑躅ヶ崎館〕です。
ここも2年前に訪れています。

甲州武田氏史跡、富士五湖、松本(2日目その1・甲府市内、武田二十四将の屋敷跡めぐりと武田氏館〔躑躅ヶ崎館〕など)
武田神社・躑躅ヶ崎館 - 01
武田神社・躑躅ヶ崎館 - 01 posted by (C)pismo

武田神社・躑躅ヶ崎館 - 02
武田神社・躑躅ヶ崎館 - 02 posted by (C)pismo

武田神社・躑躅ヶ崎館 - 03
武田神社・躑躅ヶ崎館 - 03 posted by (C)pismo

武田神社・躑躅ヶ崎館 - 04
武田神社・躑躅ヶ崎館 - 04 posted by (C)pismo

武田神社・躑躅ヶ崎館 - 05
武田神社・躑躅ヶ崎館 - 05 posted by (C)pismo

武田信玄公銅像は、甲府駅南口にあります。昭和44(1969)年4月12日(信玄公の命日)に甲府駅前に武田信玄公銅像建立奉賛会から寄附により設置されました。
昭和60(1985)年に甲府駅ビル西側の現在地に移転しました。
武田信玄公像
武田信玄公像 posted by (C)pismo

甲府城です。
ここも2年前に訪れています。
甲州武田氏史跡、富士五湖、松本(1日目その6・甲府でほうとうを食した後に甲府城ライトアップ見学)
甲府城 - 01
甲府城 - 01 posted by (C)pismo

甲府城 - 02
甲府城 - 02 posted by (C)pismo

甲府城 - 03
甲府城 - 03 posted by (C)pismo

甲府城 - 04
甲府城 - 04 posted by (C)pismo

甲府城 - 05
甲府城 - 05 posted by (C)pismo

甲府城 - 06
甲府城 - 06 posted by (C)pismo

甲府城 - 07
甲府城 - 07 posted by (C)pismo

清運寺は山号は妙清山、日蓮宗の寺院です。
応長元(1311)年、加賀美遠光の曾孫、秋山与市郎隆晴が屋敷内に堂宇を建立し立像釈迦を安置することに始まります。
時を経て隆晴の末孫、秋山孫四郎晴朝が深く法華経を信仰し、時の身延山第十一世日朝上人に師事し出家し、明応9(1500)年に清運寺を創立しました。
境内には千葉さな子の墓があることで知られています。
千葉さな子(千葉佐那子)は、北辰一刀流剣術開祖千葉周作の弟・千葉定吉の長女で、「千葉の鬼小町」と呼ばれました。千葉門下にあった坂本龍馬と許婚の仲であったといわれています。維新後は学習院女子部の舎監を勤め、その後、千住にて家伝の針灸を生業として、千葉灸治院を開きました。
灸を通して山梨県の自由民権運動家、小田切謙明と生前から交友があったといわれており、東京で谷中で土葬され、無縁となるところを謙明の妻豊次が哀れみ、小田切家の墓地がある清運寺に墓碑が建立されました。
清運寺 - 1
清運寺 - 1 posted by (C)pismo

清運寺 - 2
清運寺 - 2 posted by (C)pismo
Posted at 2012/01/10 21:08:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記

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ドライブで史跡巡りをやっています。 戦国時代の城・幕末がメインですが、史跡は全般的に好きです。 あとMacやデジタル製品など「新しいもの」も大好きです。
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