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2012年12月15日 イイね!

龍王山城・鹿背山城

この日は、奈良県天理市の龍王山城と、京都府木津川市の鹿背山城を訪れました。
歴史的に見れば、有名な城ではないのかもしれませんが、大和最大級(高取城は中世山城時代の規模が不明)、南山城最大の冠がつく、規模の大きな中世の山城です。

龍王山城は、奈良盆地の東にそびえる龍王山頂上(標高585m)に築かれた山城です。
城は、南・北二つの峰に別れていて、北の方が60mほど低いですが、北城の方が大規模です。
南北両城を合わせると、大和随一の中世城郭です。
二ヶ所に別れてながら、互いに呼応しあって、一つの城を形づくっているのを別城一郭の構えといいます。
北城(城台)は、標高521.7mの郭を中心に、太鼓ノ丸、辰巳ノ櫓、時ノ丸、五人衆の郭、茶屋ノ屋敷、西ノ大手ノ丸など郭が幾重にも重なり、土居や掘割、井戸、それに「馬ヒヤシ」と称する水溜などもあって、中世城郭として原形をよく留めています。
城郭の特徴から南城が古い形態を保ち、北城が後に築かれたものと考えられています。
南北朝の頃、小さな砦をつくられたのがはじめてで、天文年間(16世紀)十市遠忠が小さな砦をもとに一大城郭を築きました。
遠忠は大和武士として知られたのみならず歌人として、とくにすぐれていました。
その子遠勝の時、永禄11(1568)年7月末ほとんど抵抗することもできずに、龍王山城を明け渡して十市平城(橿原市十市)へ退いてしまい、華々しい籠城も行わず、秋山氏の手に渡してしまったようです。
天正6(1578)年に破却され、廃城になったようです。
(説明看板などより)
龍王山城 - 01
龍王山城 - 01 posted by (C)pismo

龍王山城 - 02
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龍王山城 - 03
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龍王山城 - 04
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龍王山城 - 05
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龍王山城 - 06
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龍王山城 - 07
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龍王山城 - 08
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龍王山城 - 09
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龍王山城 - 10
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龍王山城 - 11
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龍王山城 - 12
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龍王山城 - 13
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龍王山城 - 14
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龍王山城 - 15
龍王山城 - 15 posted by (C)pismo

鹿背山城は、南山城最大の山城であるだけでなく、戦国末期の特徴をよく残す点で城郭史上注目される城郭です。
鹿背山城は、中世に地元の領主であった木津氏が築いたのが始まりでした。
15世紀に南都興福寺の北方防御の拠点として史料上に登場し、古市氏以下興福寺傘下の武将がしばしば入城しました。
その後、永禄5(1562)年〜永禄11(1568)年にかけて大和北半部を支配した松永久秀は多聞山・信貴山・龍王山とともに拠点として重視し、改修を加えました。
木津の町には当時松永久秀と争っていた三好政康も城を築き、両勢力の境目にありました。
城域の西北・東南の二か所に畝状空堀群を採用して防御上の弱点を補い、主郭北斜面の水の手をカバーする竪堀・竪土塁で北面防御を完結させたほか、主郭東南隅の櫓台の切岸直下の隘路に通路を導いて城虎口(出入り口)とするなど、織豊城郭登場前夜の築城技術の水準を示す貴重な遺構を残しています。
(説明看板などより)
城跡は西念寺から登ります。周囲に駐車場がないのがネックですが、遺構はよく残っています。
鹿背山城 - 01
鹿背山城 - 01 posted by (C)pismo

鹿背山城 - 02
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鹿背山城 - 03
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鹿背山城 - 04
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鹿背山城 - 05
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鹿背山城 - 06
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鹿背山城 - 07
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鹿背山城 - 08
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鹿背山城 - 09
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鹿背山城 - 10
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鹿背山城 - 11
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鹿背山城 - 12
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Posted at 2012/12/25 22:47:49 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2012年12月06日 イイね!

西山三山・湖南三山・教林坊(その7・教林坊ライトアップ)

この日の最後に、教林坊のライトアップを見に訪れました。
教林坊は、推古13(605)年に聖徳太子によって創建されました。
寺名の「教林」とは太子が林の中で教えを説かれたことに由来し、境内には「太子の説法岩」と呼ばれる大きな岩と、ご本尊を祀る霊窟が残され、「石の寺」と呼ばれています。
本尊は太子自作の石仏で、子宝を授かった村娘の難産を帝王切開によって助けたという安産守護の言い伝えがあります。その時、傍らの小川が安産の血で赤く染まったことから赤川観音と呼ばれ、二度参りによる心願成就のほか、良縁成就、子授け、安産の観音さんとしても信仰されています。
江戸時代前期のヨシ葺き書院は、里坊建築の古様式を伝える貴重な建物です。
また書院西面の名勝庭園は小堀遠州作と伝えられ、枯れ滝・鶴島・亀島など巨石を用いて豪快に表現された桃山時代を象徴する池泉回遊式庭園です。書院南面にも室町時代と考えられる庭園があり、普陀落山を表現した観音浄土の庭となっています。
白洲正子は、昭和44(1969)年1月に来坊し、「芸術新潮」に連載の「かくれ里」で教林坊を紹介しました。

教林坊 - 01
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教林坊 - 02
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教林坊 - 25
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教林坊 - 26
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Posted at 2012/12/24 22:35:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2012年12月06日 イイね!

西山三山・湖南三山・教林坊(その6・善水寺)

善水寺は、山号は岩根山、院号は医王院、天台宗の寺院です。
常楽寺、長寿寺とともに湖南三山の1つに数えられます。
奈良時代、和銅年間(708~715)、元明天皇の勅命により鎮護国家の道場として草創され、和銅寺と号しました。
延暦年間、伝教大師最澄上人は比叡山を開創され、堂舎建立の用材を甲賀の地に求められました。
材木を切り出そうとしましたが、日照り続きの為、河水少なく思うように材を流すことができず、請雨祈祷の為、浄地を探されたところ、岩根山中腹より一筋の光が目に射し込み、その光りに誘われるまま当地に登られました。
請雨の祈祷を修すること7日間、満願の日に当たって大雨一昼夜降り続き、流の勢いのまま、材は川を下り琵琶湖の対岸比叡の麓に着岸したといわれます。
後に、桓武天皇ば病気になられた際、伝教大師は霊水を天皇に献上されたところ、平癒されたためこの縁に依って岩根山善水寺の寺号を賜わったといわれます。
本堂は、南北朝時代の貞治5(1366)年の建立で、国宝に指定されています。

善水寺 - 01
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Posted at 2012/12/24 22:34:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2012年12月06日 イイね!

西山三山・湖南三山・教林坊(その5・長寿寺)

長寿寺は、山号は阿星山、天台宗の寺院です。
常楽寺、善水寺とともに湖南三山の1つに数えられます。
聖武天皇の勅願により、良弁が紫香楽宮の鬼門を封じるために創建し、聖武天皇の皇女誕生に七堂伽藍、廿四坊の寺を建立しました。
生誕にちなんで子安地蔵尊を行基菩薩に刻ませて本尊とし、皇女の長寿を願い長寿寺という寺号を贈りました。
貞観(859年-877年)年中に焼失し、同年間復元され現在に至ります。
中世には源頼朝、室町時代には足利将軍家が祈願所となっていましたが、天正年中に織田信長によって三重塔は安土城山中の摠見寺に移築され、楼門は蓮台寺(栗東市)に移築されてしまい、主要な建物を失いました。
現在は国宝の本堂、重文の弁天堂、そして重文の丈六阿弥陀如来坐像、釈迦如来坐像、阿弥陀如来坐像、十六羅漢図等が残されています。
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Posted at 2012/12/24 22:32:58 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2012年12月06日 イイね!

西山三山・湖南三山・教林坊(その4・常楽寺)

次は、滋賀県へ行き、湖南三山の寺院巡りです。

常楽寺は、山号は阿星山、天台宗の寺院です。
長寿寺、善水寺とともに湖南三山の1つに数えられます。
阿星山の北麓にあり、和銅年間(708~715)元明天皇の勅命により、良弁が開基した阿星寺五千坊の中心寺院として、また紫香楽宮(742~745)の鬼門鎮護として栄えました。
平安~鎌倉時代には、皇室の帰依を受けて寺運は隆盛しました。
延暦年間(782~805)天台宗に改められたといわれます。
延文5(1360)年、火災で全焼しましたが。同年、観慶らによって再興されました。
三重塔は、3間本瓦葺の塔で、応永7(1400)年に建立されました。
裄行7間、梁間6間、向拝3間、入母屋造、桧皮葺、明治31(1898)年国宝(旧法)に指定され、明治35(1902)年~36(1903)年改修工事が行われました。
昭和16(1941)年には大規模修理の解体工事が行われました。
そして、昭和28(1953)年には、文化財保護法による国宝に再指定されました。
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Posted at 2012/12/22 23:51:30 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記

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ドライブで史跡巡りをやっています。 戦国時代の城・幕末がメインですが、史跡は全般的に好きです。 あとMacやデジタル製品など「新しいもの」も大好きです。
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