仙洞御所とは,皇位を退かれた天皇(上皇,院などといわれる)の御所です。後水尾上皇の御所として江戸時代初期の寛永7(1630)年に完成しました。それと同時にその北に接して東福門院(後水尾上皇の皇后,将軍徳川秀忠の娘和子)の女院御所も建てられました。
古くは内裏のように一定の場所にあったわけでもなく,また必ず置かれたわけでもありませんが,後水尾上皇以来現在の地すなわち京都御所の東南に定まりました。後水尾上皇が御存命の間に三度焼失し,その都度再建されてきましたが,以後,霊元,中御門,桜町,後桜町,光格の五代の上皇の仙洞御所として使用されました。
嘉永7(1854)年の大火で京都御所とともに焼失したのを最後に,ちょうどその時上皇も女院もおられなかったこともあり造営されないままとなりました。そのため,現在の仙洞御所には,醒花亭,又新亭の二つの茶室以外に御殿等の建物は全くなく,東側いっぱいに南北に展開する雄大な庭園が往時の面影を残しているだけです。
築地塀は安政2(1855)年、京都御所と共に建造されたものです。
大宮御所とは,皇太后の御所をいいます。現在,築地塀内北西隅にある大宮御所は,慶応3(1867)年に英照皇太后(孝明天皇の女御)のために女院御所の跡に造営されたものです。英照皇太后が東京に移られた後は,御常御殿のみを残して整理され,現在に伝えられています。
庭園は,仙洞御所の作事奉行であった小堀遠州が寛永7(1630)年の御所の完成に引き続いて作庭したもので,古図によれば仙洞・女院御所とも石積みの直線的な岸辺を有する斬新な感覚の広大な池をもっていたようです。
しかし,改修拡張等により遠州当時の遺構は南池東岸の一部にわずかに認められるにすぎません。延享3~4年(1746~1747年)にかけて女院御所の庭園(北池)と仙洞御所の庭園(南池)が掘割でつながれました。
北西の一隅にある大宮御所は、明治5(1872)年まで英照皇太后のお住まいでありましたが、現在は、天皇皇后両陛下や皇太子同妃両殿下が入洛された際の御宿舎として用いられております。その南は仙洞御所の殿舎が建ち並んでいた跡でありますが、現在は松林となっており、大正、昭和の即位の御大典にあたって大嘗宮がここに造営されました。
東側一帯は女院御所と仙洞御所の庭園が掘割によって結ばれて一体となって発展した回遊式大庭園です。
総面積9万1千㎡余りで、そのうち大宮御所の面積は約1万6千㎡、仙洞御所の面積は約7万5千㎡におよびます。
参観するための出入門は、大宮御所の正門が使用されております。
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京都霊山護国神社は、幕末、維新に殉じた志士と第二次世界大戦にいたる京都府出身の英霊7万3千3柱を奉祀する神社です。
幕末、各藩が東山三十六峰の中心であるここ霊山にそれぞれ殉難者を祀ったのが当神社の起源で、明治元(1868)年5月、太政官布告をもって我国初の官祭招魂社とすべきことが決められました。
この布告により各藩は社殿を建設し、同年7月には盛大な祭典が挙行されました。ついで明治10(1877)年には皇室より巨費が下賜せられて神域が整備され、全国招魂社のうち最も崇敬を集めました。
さらに昭和4(1929)年6月には、今上陛下御即位大礼の建物を下賜せられ、現社殿を整備し、昭和14(1939)年に護国神社と改称して現在に及んでいます。
霊山神域内には、坂本龍馬・中岡慎太郎・木戸孝允・平野国臣・宮部鼎蔵をはじめ蛤御門の変・天誅組の義挙等に加わった志士の墓300余基があり、1356柱が合祀されてあり、この地は明治維新をしのぶ大霊域・史跡です。(現地説明板などより)
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Posted at 2017/04/08 18:48:44 | |
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