九五式戦闘機 1934年には試作していて1935~1938年まで製造 *途中改良型に切り替わるで、川崎航空機何を血迷ったかこんな試作もしてる1937年末に作られた試作機。この時点でBMW VIの国産化型ハ9-Ⅱを使用して440km/hでとんだそうな。この次にDB601Aのせて試作を計画したが、とっくに日本軍は複葉機に見切りを付けていたので試作されず、川崎は三式戦闘機飛燕を作ることになる。まこれはこれでDB601の国産化が資源不足で上手くいかず、エンジンを替えて五式になるわけだが。で、2年後の制式採用されている九七式は・・・・主脚が固定な以外、すでに日本機の標準フォルムしとるこれ1936年に飛んでるのよね。中島機なんで川崎との格差が・・・まぁ三菱には鬼神の船越二郎がいるんで。