2013年11月29日

量産中~
Posted at 2013/11/29 23:33:46 | |
自家製造 | 日記
2013年11月29日
スズキの会長について一番はジムニーについてだろうな。
ジムニーは元々スズキの物ではない。
今は遊具作ってるホープが最後に設計試作した物が原型。
これを買い付けたのが今のスズキの会長。
んでこの会長は技術屋ではない、銀行マンやっていた人物。
実用車として使えると直感し購入決めたものだ。
売り出しも商用車扱いで売り出してるし。
まーこの買い入れは当時のスズキ内部の反発を相当買ったもので、
相当いわれまくってるんだけど。
この当時からこの調子な訳で。
出身からして商売自体は堅実に出来るだろうが、夢は理解できない罠。
で、話は変わり中島飛行機に遡る。
現スバル(富士重工業)の前身である中島飛行機は現存する国産メーカーに
様々な人材を送り出している。
ホンダのF1中村監督もそうだからねぇ中島飛行機→東急くろがね→本田技研だったわけだし。
プリンスは日産と合併。
で、その富士重は中島飛行機がGHQの命令で分割された後、一部は日産に(プリンスね)
なったもののもう一度空へと再結集したわけだ。
現実、三菱と並び航空関係やってるわけだし・・あんまり表に出てこないけど。
元々の技術力は大戦前から受け継がれてる物だろうけど、今の変態的な電子技術はどっから
来たのか謎だがラリー用の車両開発で無茶苦茶なハードル上げて開発やっていただけは
あるんだと思う。
決してメカ部分だけじゃ済まないから。
元が最先端の航空機の開発製造やっていた会社が祖だからこそ、そういう無茶なハードル
越えてなんぼなんじゃないかと。
まぁ機体開発は三菱の鬼技術者には負けたりはしてるけど。
>エンジンは中島だった零戦
当時に世界水準のエンジン自体はどうにか作れた>誉
もっとも資源不足・精度の低下でまともに回せる物がなかった不遇のエンジンだったが。
戦後アメリカが接収していってまともに回せる状態にして、まともなOILとハイオクタン価の
ガソリンで回したら当時のどのエンジンよりも小型で小排気量で高出力だった。
35.8Lで1800HP 同じ18発空冷星形ホイットニーR-2800が45.9L 2000HP
だったりする。
んで遅れた名機とアメリカに言われた。
これだけの物大戦中に開発してるんだから。
これがスバルの元なわけだ。
対して日本軍陸上兵器メタメタなの有名な話だが・・・
実はパンターくらいのモンは大戦前時点でも作れた。
・・が、なぜか作らなかった。
終戦間際に作られた五式チリがそう。
外征軍だったこともあるだろうが・・・・
戦車に対する認識がまるっきり時代遅れだったのが主原因だろう。
そんなこんなだから戦後のモータリゼーションは主に航空業界からの移行組に占拠されてんじゃねぇの?
・・という。
まー色々な繋がりがあるわけだ。
Posted at 2013/11/29 01:17:06 | |
駄文 | 日記