
今日、夕方、NHKでこういった番組を放送していました。
中島飛行機といえば、群馬県太田市に存在した、
現在のスバルの前身となる飛行機メーカーです。
「パールハーバー」、すなわち真珠湾攻撃によって優勢だった日本軍により日本軍より中島飛行機にも戦闘機の注文が殺到、
「中島飛行機に入社するのが誇り」と言われた頃もありました。
しかしそれを境に
日本軍は劣勢になり、中島飛行機からも熟練工がどんどんと兵役に招集され、労働力不足に陥りました。
それを補う為に政府が制定したのが昭和19年の
「学徒勤労令」、すなわち学徒動員という出来事でした。
熟練工と違って慣れない作業をする中学生たちは、原料となるジュラルミンの削りカスを吸って肺結核になる人が多かったそうです。
そのうちB29が日本各地に出没、基地や兵器工場を狙い始めました。
中島飛行機の太田工場もついに
昭和20年2月に標的とされ、焼夷弾を次々と投下されました。
これによって163人が死亡、工場も20棟が破壊されました。
また工場には
「特設防護隊員」という、爆弾投下の際に消火の役割を持たされた為、逃げる事を許されなかった人たちもいました。
そうしてかなりの被害を負った中島飛行機も、原料不足の為、こんな飛行機を開発しなくてはならなくなりました。
それが画像の「キ-115」型でした。
キ-115型戦闘機はそれまでのジュラルミンをブリキに、それから燃料はガソリンからアルコールとして品質を落とし、しかも座席はベニヤ板で作られ、挙句の果てには燃料節約の為に燃料タンクを小さくして一度出て行ったら帰って来れず、離陸後に車輪を落とすという、いわゆる「特攻機」とされていたのです。
このキ-115型は終戦までに105機が生産されました。
その半年後には終戦を迎えた訳ですが、現在年間8万台クルマを生産しているスバルの源流となった中島飛行機がこういった戦闘機を作っていた事を思い起こすと、涙が溢れるとともに、戦争とは空しいものである事を感じさせずにはいられないですね。
Posted at 2011/03/06 21:27:51 | |
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