
日産の看板車種
「スカイライン」の生みの親である桜井眞一郎氏が17日、逝去されました。
桜井氏が手掛けたスカイラインは初代~6代目までで、現行モデルは桜井氏の手を離れたスカイラインと言えます。
いわば、
「桜井氏からスカイラインが卒業した」と言えるのですが、(桜井氏が)亡くなられた事で本当に卒業したとも言えるでしょう。
そもそも
「スカイライン」のネーミングは、1955年(昭和30年)3月21日、桜井氏が休暇中にスキーに出かけた草津・芳ヶ平のヒュッテから美しい山並みを見て感動し、スカイラインという車名を考案したというのがその始まりでした。
初代では国産車として誇れる、豪華なものを目指していました。ですから当然「GT」なんていうグレードは無かったのです。
その証拠に「スカイラインスポーツ」なる高級車種も生み出されました。
そして「GT」の名が初めてスカイラインにつけられたのは2代目からでした。
これは高級すぎる初代の反省からかダウンサイジングを図ってファミリーカーとされたスカイラインに無理矢理6気筒のエンジンを載せて日本グランプリに出場したのが始まりでした。
その後、「GT」はスカイラインの代名詞となっていきました。
でも歴代スカイラインを見て思うのは、「我が道をゆく」というか、義理人情的な日本の演歌の世界みたいなものが存在していたという事です。
…ですから50年以上も同じブランドが存続してきたのかもしれません。
確かにマークⅡツアラーだとか、いわゆる「スカイライン・イーター」的な車種も他社から投入されました。
…ですが、販売面でスカイラインを抜いたとしても、その「スカイライン」というものの存在自体が揺らぐ事はありませんでした。
しかし、R34まではそんな世界を貫いてきたスカイラインも、直6エンジンを廃止して、「プレミアムスポーツ」を名乗る様になったV35からは一変しました。
アメリカを始めとした海外へも目を向けたからです。
現行のV36でもそうですが、スカイラインは「もはや日本だけのクルマでは無くなった」気がします。
これは大型化したシビックでもそうかもしれませんね。
スカイラインもこうして海外も見る様になった事で、どんどんと桜井氏の手を離れる様になったんでしょう。
でも、現在のスカイラインがあるのは、桜井氏の存在あってこそのものです。
歴史に「IF」は禁物とは言いますが、もしも桜井氏が草津にスキーに出かけなかったらどうなっていたでしょうか?ここまでカリスマ性を持ったクルマは出てこなかったかもしれません。
桜井氏のご冥福を祈ると共に、スカイラインのこれからの存続と進化を願ってやみません。
Posted at 2011/01/21 22:16:47 | |
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スカイライン | 日記