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後輩K。
数年前に海外赴任となって昨年帰国した彼である。
海外赴任の間に街はちょうど区画整理、再開発の時期と重なり戻ってきたときは浦島太郎状態。
彼に昨年開通した中部横断自動車道六郷インターチェンジの話をした。
「もうそこまで来たんですか!」と驚きを隠せない。
今現在、自分が利用する中部横断自動車道は開通している六郷―双葉JCT(中央自動車道)である。
2019年度には新清水JCT(新東名高速道)まで全面開通予定。
いよいよそういう時代が目の前にやってきている。
若かりし頃、清水から韮崎までの区間は国道52号線を利用。
特に信州あたりのゲレンデに行くときはご用達。
中部横断自動車道はまだ計画段階だった。
山道を行く国道52号線は時間がかかるのが難点といえば難点だった。
今現在、一部開通とはいえ中部横断自動車道を利用すればかなりの時間短縮。
開通前時代の「お出かけスケジュール」と今の「お出かけスケジュール」の違いは明らか。
そんなワケで個人的にも中部自動車道全面開通の期待は大きい。
ただ…
便利になれば、同時に失うモノも発生するのは必然的。
鉄道でいえば新幹線開通は一般的には盛り上がり便利になる反面、同時に廃止になる旧路線や車両にファンが寂しさを感じるように。
若い頃、スキー帰りに友人と国道52号線沿いの食堂に立ち寄った。
古い集落の大衆食堂なのだが、サイフにやさしく結構美味しい食事ができた。
友人は常連で当時、若女将さんに「静岡からスキー帰りに寄ってくれるお客さん」と顔を覚えられていた。
その後、オイラも個人的に何度かその食堂を利用したことがある。
「知る人ぞ知る」みたいな感じで結構好きだった。
実は女房殿も結婚前に連れて行ったこともあり彼女も記憶にあるらしい。
ところが、中部横断自動車道の一部開通が始まるとお出かけスケジュールが変化してくる。
その食堂を利用する機会が無くなってしまった。
しかし、横を通るたびに健在を確認するようになっている。
「いつかまた利用しよう。女将さん元気かな?」と思いつつ、結局そのまま…
先にも述べたように六郷まで開通した中部横断自動車道。
同時にその食堂の横を通ることもなくなってしまった。
別に行けばいいだけなのだが、そのような機会もなかなか無いし…
そんな事を後輩Kに話した。
「かつて通った裏道とか、かつての街並みは今どうなっているのかなぁ?」
「ホント、どうなってんだろ?」
「そういえば若い頃一緒に岐阜のゲレンデ行った事あるじゃん。」
「結構時間かかりましたよね。」
「今じゃ、東海北陸自動車道の高速1本で行けるようになったらしいぞ。あの頃工事中でサ。」
「あれ、いつでしたっけ?」
「長野オリンピックの混雑を回避したくてそっちに行ったんだよね。」
「そうそう。」
「ってことは98年、20年前の話だ。」
「オレ達もオッサンになるワケだ。」
「そうですねぇ。」
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Posted at
2018/03/18 06:38:41