• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

ノイマイヤーのブログ一覧

2024年05月02日 イイね!

ヤマザキマザック工作機械博物館

ヤマザキマザック工作機械博物館先日、ヤマザキマザックが運営する「工作機械博物館」へ行ってきました。

実は一度、子連れで見に行ったのですが余りのクオリティの高さに感銘を受け、
会社を休んで妻と見てきました。(妻もじっくり見たかったらしい)

デミオで行ったのですが、普段の運転だと4人乗車する事が多く、珍しく2名乗車で身軽なデミオの走りを堪能しました。1名乗車だとあのハイギアードで充分事足りますね。

ヤマザキマザックについて私は余り詳しくなかったものの、工作機械メーカーとしては有名らしく、創業はあのワイマール憲法と同じ1919年。名古屋で畳の製造機械を作る会社としてスタートし、1928年には旋盤を商品化(1号機)し工作機械メーカーとなったのだそうです。

現在では「オークマ、DMG森精機、ジェイテクトと共に日系四大工作機械メーカーの一角を占める。」(Wikipediaより)
と言うことですが、同社製品を余り見かけたことはありませんでした。


↑商品化1号機(旋盤)

知人のベアリング部品メーカーの同級生に聞いてみたところ、社内には何台かMAZAK製の設備が稼働しているとのことでした。私の会社では精密な部品を扱っておらず、そもそも職場にも精密加工機はありません。せいぜいボール盤くらいのもので見かけないのも無理は無いですね。

しかしながら、あらゆる製品は工作機械によって産まれており、マザーマシーン(母なる機械)という呼び方も納得が行きます。私が最終製品の機械を学ぶ上では工作機械を知る事も必要なのです。「私は専門家ではありません」が、と言い訳しつつも機械加工を分類を試みました。

鉄を加工して何かの形状(例えば歯車など)を生み出す方法は大まかに3つあります。

①溶けた鉄を砂型に流し込んで固めて形状を作る→鋳造

②柔らかくなるまで熱した鉄を叩いて形状を作る→鍛造

③常温の鉄を刃物で削って形状を作る→機械加工

番外 粉末の鉄を型に入れて焼き固める→焼結

現代では色んな方法があるのですが、最も精度が高い方法は③の機械工であり、①や②で作った部品も最終的には精度を要する箇所は③を経て完成する例が非常に多いです。

工作機械博物館では③を行う工作機械の歴史を紹介してくれる博物館です。しかも展示されているコレクションはレストアされて実働なのです。

そして特徴的なのは各時代の代表的な機械と、それらを製造するために活躍したであろう工作機械が近くに展示している事です。工作機械だけを展示したとしても硬派すぎて一般の人にはついて行けなくなるところを、蒸気機関車を始めとする各時代の乗り物を一緒に展示することで工作機械の寄与をイメージしやすくした点は素晴らしい工夫だと思いました。

これまでは名古屋市のトヨタ産業技術記念館にしかこう言った展示はありませんでしたが、もっと工作機械にフォーカスした歴史を紹介するという意味では工作機械博物館こそが真打ちであるとも言えます。

機械系の学生は是非訪れて欲しいですし、カーマニア達も意外とこういうものには興味がそそられるのではないかと思われます。

例によって全ての写真はフォトアルバムに残し、ここでは幾つかに厳選して紹介します。

原始時代は石を割って歯を形作ったり、削って作られた打製石器や磨製石器の時代がありましたが、加工しやすい銅を使った時代や隕石に含まれていた純鉄を使った道具などが知られていました。古代から金属の加工というのは行われてきました。

ただ、人々の加工の中心は木材が多く、初期の加工機は人力で動く木材用として発展したようです。刃具を手などで固定し、工作物に紐を結びつけてを回転させて加工する旋盤は古代エジプトでは既に存在し、それが2000年以上も使われていたようですが、中世ヨーロッパになると木の枝の反力を回転力に換えたポール旋盤が発明されました。このポール旋盤は昔の教科書で学んだことはありましたが、実物が見られるのはさすがと言わざるを得ません。



人力による往復運動を回転運動に変換するクランク機構を考案したのはレオナルド・ダ・ビンチだと言われています。

この発明が実用化されたのは更に時間を要したようですが、それにより連続的に回転させる工作機械が発展しました。



もう一つ、蒸気機関の効率を飛躍的に向上させたのがウィルキンソンが産みだしたシリンダの加工法です。



彼は従来片持ちで加工していたために精度が悪かったものを、両持ち支持にして送りも自動化したことで蒸気の圧縮漏れを減らし、産業革命を後押ししました。

そんな蒸気機関を象徴する機械が蒸気機関車です。



この蒸気機関車は、比較的しっかりとレストアされている様に見受けられます。
なんと運転操作の簡単なレクチャーと汽笛を鳴らす体験も出来て私などは写真には映せませんが満面の笑みを見せてしまいました。



(D51型よりも昔ですが)蒸気機関車が出始めた時代には水力や蒸気が使われていましたが、大量の水が必要な水力では川の近くにしか工場が作れないなどの問題もありましたが、それらを解決したのは電気モーターでした。

蒸気機関などを用いて発電機を回し、天井の梁に取付けられたモーターを使って天井のシャフトからベルトで動力を取り出す工作機械が産まれました。確かにトヨタグループの祖業の織機でもベルト駆動で運転される様子を見たことがありましたが、工作機械もそうなんですね。





下に示すターレット旋盤は、ハンドル操作で回転する刃物台を使って異なる加工を段替えせずに連続的に行えました。



拳銃の部品などに威力を発揮したと言いますが徐々に高精度な大量生産によって機械部品の互換性を持たせてあらゆる機械が低価格化や信頼性が向上していく時代に入ります。

そして忘れてはならないのが、20世紀初頭のアメリカで自動車が大衆化されました。象徴的な機械としてT型フォードが展示されています。




修理も容易で扱いやすいシンプルな構造と、大量生産による低価格化。ヘンリーフォードは食肉加工場をヒントにT型の生産ラインを考案したとされていますが、マザーマシーンの進化もそこには貢献しているようです。

ここに紹介されているのはグリーソンの歯切盤です。文字通り歯車を加工するための加工機ですが、当時としては驚異的な速さでギアの加工が行えたそうです。



そのため、グリーソン社製歯切盤の保有台数が自動車の生産能力を示すと言わしめるほどの圧倒的な力を持った時代があったようです。同型の設備はトヨタ産業技術記念館でも展示されています。

このころ、工作機械は次のフェーズに移行します。ベルト掛けでは工場内のレイアウトが一度決めたら変更しにくく、フレキシビリティが足りなくなりました。

効果だったモーター一機で複数の機械を駆動するのではなく、工作機械にモーターが直接取り付けられる「直結式工作機械」が産まれました。私が高専生時代に工作実習で慣れ親しんだ工作機械は、まさにこの時代の技術なのだとこの時気づきました。





昭和初期にはこれら工作機械が国産化され始め、瓦斯電の工作機械が展示されていました。



この時代の象徴的な機械は航空機です。これがまた、私の高専時代に学校に飾られていたテキサン練習機なので胸が熱くなりました。



なんと操縦桿を触らせてもらいました。私自身にとっては機械加工=高専時代の実習なのでここでも懐かしい気持ちに浸ることができましたが、当時は触れなかった実機の操縦桿も触ることができるとは長生きしてみるものですね。

次のエリアに向かう途中、昔の機械も紹介されていました。大がかりな機械以外の生活に即した機会という事で機械式時計、鉛筆削りから電子レンジ、ビデオデッキ、テレビゲーム、PCが展示されていました。







展示の後半戦となってきましたが、ライセンス生産による国産(三菱エリコン)旋盤が展示されています。



そして、ここから徐々にMAZAKの製品が並び始めます。



ちなみにMAZAKというブランド名は「YAMAZAKI」が英語圏で発音しにくいので、現地代理店が「MAZAK(メイザック)」と呼称したことが発端とされています。

ここにはMAZAKの製品を作るためのマザーマシーンのマザーマシーンも展示されています。



このフランスのリネー社の平削り盤は旋盤のヘッドを6台一気に加工できるほど大きな設備で実際に稼働していたといいます。

MAZAKの製品は対米輸出も行われ、実績を積んでいきますが1960年代になるとNC(数値制御)が出現します。それまでオペレーターのスキル差、個人差によって製品の出来栄えが左右されてきましたが、数値制御を使えば早く・均一に量産ができるようになります。MAZAKはこのNC技術を早期に織り込んで有名になったようです。

このプログラムはGコードと呼ばれていますが、テレビ番組を録画するためのアレとは異なり、切削する際の座標位置を指示したり早送りさせる、工具交換させる、などのコマンドを手入力で入れていくためのコードです。これらも学校で習いましたが、それさえ間違えなければ誰でも同じものを作ることができる点でオートマチック車の様に敷居が下がります。

これらのプログラムをどうやって記憶させるか?という疑問湧きますが昔ながらの紙テープに穴を開けて覚えさせる方法が紹介されていました。



写真のfriden社は米国のメーカーで初期のコンピューターを作っていたが1970年代には消滅したようです。

その後のMAZAK製品では市場で入手しやすいカセットテープを使ったNC工作機械を開発していました。(私が高専生だった25年くらい前は、まだフロッピーディスクが主流でした)



その後、数値制御に加え、複数の工具を工作機械自身で交換し複雑な形状を切削できるMC(マシニングセンタ)が出現しました。



この様な加工機によって生み出されていたのは三次元的な形状が必要なヘリコプターです。ネット調べだとヒューズ社からライセンス提供を受けた川崎重工製とのこと。



1950~60年代から宇宙開発時代が到来し、複雑な加工が可能なNCフライスやCNC旋盤、MCは一気に発展しています。一般的な企業でもこの時代の機種が今でも稼働しているのを見たことがあります。



そして展示は遂に現代に至ります。

MAZAK製の最新機種が展示され、しかも稼働しています。
外観はケン・オクヤマによるエクステリアデザインがなされ、
のぞき窓から中を見ると、驚くべき速さで金属板をレーザーカットしていました。



原理が分かり易かった過去の工作機械と較べると、細心のMCは動作中の姿がブラックボックス化しているから若干ワクワク感が減ってしまっているなぁ、なんてと言うのは昭和生まれの老害の考え方なんでしょうね。

ただ、これらマザーマシンによって生活に寄り添った便利な機械が作られ、私達を幸せにしてくれているという事実は数百年前から変わっていません。

ここをご存じない方には産業技術記念館の工作機械版と考えていただければイメージしやすいかと思います。MAZAKのエキスパート思われる博識なおじいちゃんが色々と寄り添って教えて下さります。私は2時間以上一緒にアテンドしていただき、解説をして頂きました。その後1時間ほど最初からおさらい見学をして、飲まず食わずで3時間一気に見学してしまいました。こういうところで興味の湧くままに展示に夢中になれるのは有意義な有休の使い方と言えます。

こう言ったマザーマシンの展示は、過去には熊本大学の構内?や明治村で見たことがありますが、東海地方でこれほどまでの規模は貴重な存在です。

高速道路からも近いので県外からでも訪問しやすい場所だなと思いますが、工業高校や高専の学生が遠足や自己研鑽のために行くことも良いと思います。機械加工関係の研究室の大学生が行くとテンションが上がります。

案外、文系の妻も喜んでみていたので博物館好きな大人なら充分楽しめるかなと思います。一度訪れてみて頂きたいお薦めスポットです。

お土産は鉛筆削りです。



鉛筆をMC型の鉛筆削りに入れると削られて(切削されて)出てくるという、それだけのことですがここにはピッタリですね。
Posted at 2024/05/02 22:26:05 | コメント(2) | トラックバック(0) | 一般ブログ | クルマ

プロフィール

「@マルオちゃん さん ご名答。ここまで走れて内装も作り込んであるプロトタイプすごいですね。」
何シテル?   05/26 17:41
ノイマイヤーと申します。 車に乗せると機嫌が良いと言われる赤ちゃんでした。 親と買い物に行く度にゲーセンでSEGAのアウトランをやらせろと駄々をこねる幼...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2024/5 >>

   1 234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 

リンク・クリップ

ところ変わって品、変える。 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2024/05/07 06:41:42
高密度ダイナミックセダン 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2024/04/30 09:01:47
わたしの好きな場所へ。 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2024/04/23 09:07:50

愛車一覧

トヨタ カローラ トヨタ カローラ
1989年式(マイナーチェンジ直前) カローラGT。 ヤフオクで発見し、 不人気車ゆえに ...
トヨタ RAV4 L トヨタ RAV4 L
1996年式 標準グレード。 私が小学生だった1994年、RAV4が颯爽と登場した。私 ...
トヨタ プログレ トヨタ プログレ
2000年式 NC250。 長年、趣味の先輩達と車談義を重ねる中で定期的に「プログレは ...
シトロエン DS3 シトロエン DS3
2011年式 スポーツシック・エディションノアールII。 ラテン系ホットハッチ(プレミア ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation