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2013年02月15日 イイね!

MTとATの違いを考察する。(番外編)

番外編として書こうと思ったのは、そもそも、MT車を次期候補としたい、、と思ったきっかけを書いておこうと考えたからです。


それが、この車のインパクトである。とうとう発売された三菱のPHEV「アウトランダー」。


電気自動車の普及は、そのインフラとコストからしてまだ相当普及には掛る。けれどもこのハイブリッドは私の考えるEVの本命である。急速にプリウス型のハイブリッドを食って、普及して行くように思います。


私が電気自動車の可能性に興味を持ったのは、1991年頃だから、もう20年以上前になる。この時の結論は確かにやがてEVの時代が来る。けれどもそれはエンジンが発電機として登載されたシリーズハイブリッドになるだろう、というものでした。実はマツダが開発中の次世代ロータリーエンジンの16Xがピンと来ないのも、これがある。私は発電機としての得意回転数で回し、倍速ジェネレータで発電することで、発電のためのコスト、重量をミニマム化し、その分バッテリーを減らすことでEVとしての普及は相当早まると考えていました。だから、この小型発電機に向くロータリーを作っておくべきだと思った経緯があります。

さて、三菱から発売されたこの【アウトランダー】デザインはもうちょっとなんとかならんのか!、というおよそ最先端のSUVとは思えないインパクト。レンジローバのイボーグのようなデザインだったらどれだけ素敵だったか(笑)。で、外観上インパクトの無いこの車は、おそらく現在の市販車で最高の車両運動制御システムを搭載していると思われる。但し、ソフト開発に十分な時間があったのか、ソフトの完成度は?ですが。


基本は「電動ランエボ」である。動力源として前後車軸に独立したモータを持ち、これを連動制御している。クラッチ制御による電制メカでは、150ms程度の応答性だが、このモータなら1/10以下の応答性が得られる。左右デフはブレーキ制御のようですが、そのあたりの詳細は不明だが、AWDとしての運動性は相当高いと思われる。

そして、MTとATの違いで述べたように、電気自動車のこの車にはとうとう変速機が無い。エンジンも高速道路では直接駆動モードがあるが、アトキンソンサイクルにより限定された回転域で、1速ギアで連結されたままである。試乗記にもあるように高速道路を除く通常の走行では、常にEV走行である。エンジンは充電用に回ることはあるが、駆動制御は全てモータで賄われる。これこそ究極のAT車である。ドライバーは何をするのか、と思いきやパドルシフトによる回生ブレーキの効きを制御することで、一種のパワーリタードとして車速制御を行うことで、省エネとなめらかな運転の「知的労働」が得られそうだ。

本題に戻るが、ヨーロッパでもDCTが普及し、これまで述べて来た「ATモード」運転が増えている。恐らく量産効果も有って、一部商用用途でもMT車は急速に消えて行くだろう。ATモード運転に慣らされたドライバーは次なるEVにも違和感なく溶け込めるだろう。ホンダも三菱同様のPHEVアコードの発売を控えている。長距離移動が必要なヨーロッパでもこのPHEVは普及して行くだろう【日本のEVはプラグインにシフトしていくのではないか】
MT王国でさえ、もはや「クラッチのついたMT車」は消えて行こうとしている。

私が次期候補と考えているBOXER diesel車では、また運転を楽しみたいと思っている。もちろん現在のBLEも癒される運転を味わえるのだが、代わりが居ない。そこにスバルでは例のCVTである。ディーゼルでは回転数のバンドが広くないので、CVT的には腕の見せ所であり、トルクに乗せてギア比を上げて行ける車速制御がお得意となるはず。ところがそれは、例のエンジン反応とリンクしない非常に違和感のある走りとなる。PHEVのような電気自動車に乗っている、、と割り切ればそれは良いのだろうが、「運転を楽しみたい」という人間には向かないだろう。なので、必然的にMT車を選ぼうとなる。幸いなことにガソリンでは消えたMTだが、ディーゼルではチョイス可能だ。

そういうわけで、実は三菱アウトランダーも非常に気になる車であり、機会があればぜひ、真打EVの世界を味わってみたいと思う。そこにはまた机上の計算では出てこない、新たな喜びがあるかもしれないし、いよいよ最後のMTを買っておかなければ、、、となるかも知れない。


スマートフォンが携帯を僅か数年で塗り替えたように、MTの絶滅速度は恐らく急速に上がる。もちろん中古車としてしばらくは存在するわけだが、新車で10年以上乗れる 基本車両はここ数年(5年程度?)しか、買うチャンスは無い、と感じているからだ。そして、これまで述べたMTの考察でわかったように、エンジンとの接続をドライバーにゆだねられる方式の「自動車」が新型として作られる事は100%無い。なので、次の車は何としてもMT車を買って、ゴロゴロとエンジンを楽しみながらあちらこちらに出かけたいと思っているのである。


補足)
MT車の運転だが、私の奥さんの場合「回転数を制御して走る」という意識転換が起きずに「クラッチのエンゲージ」にことのほか、緊張を強いられ、エンジン回転数とギアをシンクロさせられないストレス、にうんざりしながら「車を動かす」、、という事が分かりました。これはMTで運転を習熟する際に「エンジン」を感じなかったからでしょう、エンジンの回転数とパワーの出方を主体とした運転を一度でも習得したならば、クラッチはただの合いの手であり「エンジンとの対話」が成立するはずだからです。

MTは結局、エンジンを楽しんで走りを楽しむことに長所がある。そう、エンジンをコントロールして、結果として車が走ると言う機械。これがATだと、「何んでもいいが、アクセルペダルを踏んで、速度を変えて走る」つまり、既に電気自動車と同じなんですね。

私たちは、ATの普及期を通じて、「エンジンを感じる」文化圏からその記憶を抹殺され「MTなんてもういらないね」と世論の賛同を得て、「AT文化圏」の住人となり、次なる人類の自動車である「電気自動車」に違和感なくバトンタッチされ、アイサイトをはじめとした安全監視システムの便利さに少しずつ「自立した危機意識」をはく奪されて行き、やがてトヨタが標榜する全自動運転移動システムというインフラに組み込まれた自動車に違和感なくシフトし、気がつけば自動車とは 「呼べば来るスキー場のリフトの様なもの」になり、行き先をスマホから送信すれば、あとはひたすらパソコンで仕事をしなければならない、、、なんて社会が、生きている間に来てしまうのではないか!!!?。

という郷愁も感じた次第である。原始的なクラッチを持つ自動車が「生き物」のように思える今日この頃である。(完)
Posted at 2013/02/15 21:59:13 | コメント(5) | トラックバック(0) | 私的なミニ哲学の泉 | クルマ
2013年02月15日 イイね!

MTとATの違いを考察する。(その5)

前回で、MTとATで「全く異なるドライブになる」と言いましたが、ここにも重要なポイントが有りました。例えば、「仕事としての移動」運転と「車でのドライブを楽しむ」という具合に、運転にも違いがある、と言うことです。前者なら間違いなくATです。なぜなら使いたい神経は運転ではなく、結果の何か、、だからです。後者では、どうでしょう?。

ここが大事なクルマ選びのポイントにもなっているようですね。もちろん、ATではドライブを楽しめないと言うことではありません。MTがいざなう車の運転モードは、ATとは違う「人と車のコミュニケーションの世界」を提供してくれているのかも、ということです。


4、ボケ老人のためのMT?

私がMTにこだわる理由。それは、

①アクセルとタイヤのトラクションレスポンスがATでは得られないから。
これについては、現状DCTであれば、否定する理由にならない事が分かりました。また他のATにおいても、スポーツモードのソフト、ハード面での改良が進めば、ダイレクト感を高めてくることは期待できます。

ところが、
②走りを組み立てる「運転」を楽しみたい。
という、車を動かす、、ではなく、車を気持ちよく走らせるでもなく、「気持ちよく運転を楽しみたい」、そう、「車が主人公」ではなく「ドライバーが主人公」の走り、というドライブを求めるなら、実はMTという「クラッチを入り切りして」「シフトレバーを最適な速度段に入れる」という行為が、車と対等な対話をしている事になる。つまりコンピュータが自動で変えてくれる、、に置き換えられる、と思ったその自動化は、実はドライバーと車(エンジン)の対話を損なうことになってしまう。

ATでは運転が従動的、という点「ハンドル=位置、アクセル=加速、ブレーキ=減速」というスイッチャブルな操作に置き換わり「自動車の運転」を簡単にはしてくれた。けれども、運転を楽しむ=「エンジンの気持ち良いところを選ぶ」=最適なギアを選択する=という行為がやらされ感の段階を通り過ぎて、「回転数を選んで走る=エンジンを楽しむ、という領域まで来ると、それは苦ではない。
しかも、選んだギアでのエンジン回転があるところまで来ると、ドライバーの役割が回ってくる。「次はあなたの番」、、、と言うことでクラッチを切り、ギアを変えて、またクラッチを繋ぎ、アクセルを踏んで加速、、、また回転が吹け切ると「はい、あなたの番」というように、いちいち車とドライバーとが対話せざるを得ない。意識しようがしまいが、実はそうやって車に乗っている事に他ならない。 ところが、それだけなら、最初に戻るけれどDCTでギアを選んで走る行為となんら変わらないではないか?、という疑問がまた沸き上がる。この意識の違いは何だろう?。

ATとMTの違いは「自動変速」という違いだけれど、実は注目すべきは「変速」ではなく「動力の断・続」だったというところに辿りつきました。

トルコンやCVTのATの場合、感覚としては「1速のアイドリングから、例えば5速のレッドゾーンまでがあたかも1つの連続した広範囲なエンジン」となっており、意識は「速度」であって「回転数」ではない。

DCTの場合(2ペダルATも)、変速操作は人間が行うのではあるが、ギアを変える事は、上記ATと大差なく、例えば1速の回転が上まで行ったら、2速に入れて続けるわけだが、意識するのは「速度」半分、「回転数」半分という奇妙な感覚である。けれど突き詰めれば「速度」が主体で、それに合わせてギアを変えて行く、つまりギアは「変えさせられる」感が強い。なので、「じゃ、あんたやれば」とATモードにしてしまう(笑)。

これがMTの場合、意識するのは「回転数」であって速度ではない。エンジンの回転数を狙いの範疇に入れようとしている。そして、トップギアまで入れなくちゃ!、と思っている。ところが前が詰まっていると、望む回転数では、もうシフトアップ出来なくなるため、4速でホールド、、となったりする。

つまり、MTを運転する事は「エンジン回転数」を制御することで、結果として法定速度だったり、流れの速度に乗せている、、と言うことに過ぎないのではないか。なので、CVTがエンジン回転数をアクセルでコントロールできず、車速を「変速比」で変えられてしまうことに、非常----に違和感がある。あたかも別な意思を持った車に「燃費のいいとこ、俺が操ってやっから」とダメだしをされたかに思えてしまう。面白いエンジンの回転域に「回す」事を楽しもうとしているのに、それを奪うのがCVTである。なので、なんとスバルのDITのCVTには8速ステップモードが付いた。「それって、あんたはなぜCVTやってんですか?」とその「無段変速」というアイデンティティをどぶに捨てたような技術である。ところが、そうまでしたには意味があって、やはりそれだと「エンジンの回転数制御」をドライバーの役割として与えてくれるのである。こっちのほうが気持ちいい!(笑)。。

そういうわけで、自動変速、という技術は、「クラッチレス」になることで 人間の意識化から「エンジン回転数制御」という運転モードを奪ってしまうのである。2ペダルとは言え、DCTがMTと同じダイレクト感を持ち、安楽ATモードも備え、しかし峠ではマニュアルモードを提供してくれる理想のシステムであるはずなのに、マニュアルモードの場合は今度は「エンジン回転数制御」という運転モードを突き抜けてしまい、「絶対速度」「限界走り」追及モードに行ってしまう。もちろんそれはそれでMT以上の走りを得られるのだが、「運転の楽しみ、ドライブの楽しみ」という趣味モードではなく、「走り職人モード、仕事モード」世知辛い無駄削り運転になってしまう。そうなるから「あんた、やって!」とATモードに戻してしまうのである。

すると、違いは何か?。

結局「クラッチ」の存在に戻ってしまう。手だけで変速出来ると、走りの組み立てはMTに近い。何が違うのか?。やはり「左足」でクラッチを切り、一旦リセットする行為が不可欠なのだ。それは「指差し呼称」の様なものかも知れない。いきなりワンアクションで目的が終わる動作と、準備行為と動作、そして完了行為という 切る、入れる、繋ぐ、一連の動作は、人間の生理的な覚醒機能に影響を与えているとしか考えられない。でなければ、良く出来たDCTで、タコメータを見ながら、ここぞというところで電光石火でシフトダウンやシフトアップして走る満足感も持続するはずだが、、、残念ながら長続きしない。「あんた、やって」となるし、また実際任せて何の不都合もない。

もう一度、運転を振り返って見よう。

ATの場合。
⇒シートにすわり、キーを差し込む。ブレーキを踏んで、セルを回す。「キュ、ボッーブォン!」とエンジンが目覚める。DレンジにATレバーを入れて、駐車ブレーキを外してブレーキを緩め、アクセルを踏む。

そう!、エンジンを掛けた瞬間からもう、車は走れる状態。

MTの場合。
⇒シートにすわり、キーを差し込む。クラッチを切って、セルを回す。「キュ、ボッーブォン!」とエンジンが目覚める。ギアをローに入れて、駐車ブレーキを外す。そして「エンジンという心臓を、車に繋ぐ」緊張の一瞬。そう、車とエンジンが別なモノなのだ。エンジンが鼓動を始めた事。車を動かす事。この2つが分離していること。そしてその「クラッチ接続作業」という結構機械的に原始的な、そしてデリケートな、無意識だったとしてもちょっと緊張を要求する儀式を経て、車は動きだす。

「エンジン」を、常に意識して車に「動力を注入する」 という感覚が勝手にドライバーに流れるのだ。


なので、結局結論は、
①エンジンとドライバーの「あんたの番よ、私の番ね」というキャッチボールがしたい。
②ダイレクトな操作・制御性がほしい。
そのことによって、エンジン回転数制御型運転がしたい。

その為には、変速手段ではなく、「エンジンと車が切り離されている車が必要」ということだ。


機械が生き物だった時代のに運転を覚えた奴は、そう言った対話が濃厚な古い車との対話が、やっぱり「楽しい」のである。

ここで、ふと思った。「では、クラッチ有り、無しモード切換えDCTがあったらどうだろう?」と考えて見たが、頭の中のシミュレーションでは、やはりクラッチ無しATモードにしちゃうだろうな、と言うことだった。なぜか?。人間はものぐさだから、ボタンひとつで楽が出来るなら楽したい。逆に、うまく手動モードが生きるためには
(1)人間がやった方が、はるかに上手、、という結果が得られる時
(2)エンジンが官能的で、無駄にシフトして回転を楽しみたい時
という場合だけかな?。


さて、車好きには、「幅広い運転行為」の中で、自己満足(達成感)を得る事が出来る「ドライブ」が私のような50代後半は、必要になるのではないだろうかwww。筋力の衰えを補うには運動が必要なように、運転の楽しみには5感を生かして「身体を制御し、脳を考えさせ、」る 一定の負荷 を与える事が人間には必要な気がしている(ATでは勘違いで一度バックしているし(苦笑)。なんとなく本能的な欲求も感じているのです。


少々自虐ネタに終わりましたが、そういうわけで、BOXER-DieselのAWDに、せめてDCTがあれば。。。と思いつつ、無理だろうし、恐らくCVTでは「回転数制御モード」にならない。=仕事モードにしかならない気がしています。そういうわけで次期愛車は、何より好きな内燃機関が楽しめる、MT車になるのかなと。

「MT車は待っているのである。誰かがエンジンを掛けて、そしてクラッチを繋いでくれるその人を」

これで、とりあえずMTとATの違いを考察する」は完結。(でも、番外編を準備している(笑))
Posted at 2013/02/15 00:14:38 | コメント(5) | トラックバック(2) | 私的なミニ哲学の泉 | クルマ

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