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2014年03月25日

姫路黒田官兵衛ゆかりの地めぐり(その4・英賀)

次は英賀です。
平成26(2014)年の大河ドラマ「軍師官兵衛」の第10話「毛利襲来」の「官兵衛紀行」で紹介されました。
英賀城の堀跡
英賀城の堀跡 posted by (C)pismo

英賀薬師の境内は英賀城井ノ上口の跡といわれ、今でも土塁の一部が残っています。法寿寺は英賀城が落城した天正8(1580)年の約100年後、英賀城主三木氏の後裔古今が延宝年間に中興造立しました。
当時は、浄土宗鎮西派(総本山)知恩院幡念寺末寺でした。堂内正面に阿弥陀如来像、向かって左の脇侍に法然上人、右に善導大師が、左の厨子に薬師如来像等が安置されています。古くから霊験あらたかな「英賀薬師さん」と親しまれ、信仰されています。
境内にひときわ目を引く五輪塔は、英賀城主三木家のものです。
(現地説明板などより)
英賀薬師(旧法寿寺跡) - 1
英賀薬師(旧法寿寺跡) - 1 posted by (C)pismo

英賀神社は国史見在社(六国史に記載のある神社)です。
播磨国風土記によれば、和銅6(713)年に伊和大神の後子英賀彦神・英賀姫神が、祖神の命によりこの地を本拠として播磨灘沿岸地域を開拓創始しました。
よって英賀国主大神として祀り、元慶5(881)年、神位従五位下に昇叙され、創業開発の神、縁結びの神として尊崇されました。
三木通近が英賀城主となり、領内発展の興隆にあたり、嘉吉3(1443)年、天満神社・八幡大神・春日大神を勧請し、領内の総氏神とあがめました。
(1580)以来歴代の城主の尊崇を集め、社殿は荘厳華麗を極めました。天正8(1580)年2月、羽柴秀吉は英賀城攻略に際し、特に当社に除火の令を出しました。
明治4(1871)年社格制定に当たり郷社に列せられ、明治13(1880)年県社に昇格しました。
境内には寛文7(1667)年銘の手水鉢や寛政6(1794)年の狛犬が、拝殿には江戸期の絵馬が多く残っています。また、明治時代の算学もあり、和算が盛んだったことを物語っています。本殿裏には英賀城跡の土塁が残っています。また、拝殿東側には「播磨灘物語」「司馬遼太郎」と刻まれた司馬遼太郎文学碑があります。
司馬遼太郎のルーツは祖父の代までこの地で、自らも愛情を込めて播州門徒の末裔と名乗っていました。
英賀神社 - 01
英賀神社 - 01 posted by (C)pismo

英賀神社 - 02
英賀神社 - 02 posted by (C)pismo

英賀神社 - 03
英賀神社 - 03 posted by (C)pismo

英賀神社 - 04
英賀神社 - 04 posted by (C)pismo

英賀神社 - 05
英賀神社 - 05 posted by (C)pismo

英賀神社 - 06
英賀神社 - 06 posted by (C)pismo

英賀神社 - 07
英賀神社 - 07 posted by (C)pismo

英賀神社 - 08
英賀神社 - 08 posted by (C)pismo

英賀神社 - 09
英賀神社 - 09 posted by (C)pismo

英賀神社 - 10
英賀神社 - 10 posted by (C)pismo

英賀神社 - 11
英賀神社 - 11 posted by (C)pismo

英賀神社 - 12
英賀神社 - 12 posted by (C)pismo

英賀城は、岩繋城(いわつなぎじょう)ともいいます。
三木城、御着城、英賀城が播磨三大名城といわれています。
南は海、西は夢前川、東は水尾川に面し、北は湿地帯という要害でした。
鎌倉時代には、砦が造られていましたが、室町時代になると播磨の守護大名であった赤松氏の一族が守りました。
しかし、嘉吉元(1441)年の嘉吉の乱によって勢力を失った後、三木氏が城主となって城をさらに整えました。
天正8(1580)年、羽柴秀吉に滅ぼされるまで約140年間三木氏は、的形から室津の間を中心にその周辺を支配し一大勢力を誇っていました。
城内には本丸・二の丸をはじめ、一族が、それぞれ大きな屋敷を構えていました。
また、英賀御坊をはじめ多くの真宗寺院、商家や住宅が建てられ、交易の盛んな港のある城下町(四十九町・約九百軒)として大いに賑わっていました。
昭和13(1938)年頃まではあちこちに土塁が残っていましたが、今では英賀神社と英賀薬師(城主の墓所・法寿寺跡)の北側だけに残っています。また英賀御坊跡は昭和13(1938)年頃の夢前川の付替工事により消滅しました。その時、瓦、礎石や日常使用していた器などが出土しました。
本丸跡は中浜橋近くにあり、英賀神社には土塁が残っていますが、神社隣にこの英賀城跡公園があります。
公園には謎の石垣があり、城跡の雰囲気を出そうとしているのが窺えます。
英賀城・英賀城跡公園 - 1
英賀城・英賀城跡公園 - 1 posted by (C)pismo

英賀城・英賀城跡公園 - 2
英賀城・英賀城跡公園 - 2 posted by (C)pismo

廣畑天満宮の源祀は、社伝によると、霊亀年間(715~716)には奉祀されていた廣辻神社に始まるといい、昌泰4(901)年、菅原道真が九州下向の途中、広畑の高浜の汀に上陸した際、当地の人々は、道真公の人徳を深く仰いだといわれています。
道真公太宰府で帰幽後、廣辻神社に併せ祀り、おのずから天満宮・廣畑天満宮と称するにいたったと伝えられ、その後文久3(1863)年より境内整備並びに社殿の改修を行い、明治2(1869)年に完成し、同時に鎮座していた蛭子大神・春日大神を合祀して現在の廣畑天満宮の社頭を整えたといわれています。
現在、参集殿の北側には姫路藩の藩校「好古堂」の酒井家時代の教授亀山雲平による石碑が建っています。
そして、南側の鳥居を通って右側には平成15(2003)年に建てられた司馬遼太郎氏文学碑があります。御祭神菅原道真公御神忌千百年記念事業として、社務所を建築した際に、先祖の出身者との由縁により、著書の一筋を文学碑として建立しました。
「祖父惣八は、播州人である。
 兵庫県姫路市の浜寄りの郊外の広という村の出身で、そこに江戸時代のあいだずっと百姓をしていた家系に生れた。
 戦国のころは播州三木城にその先祖が籠城したという事であるが、身分はわからない。」
 「歴史と小説」より
と刻まれています。
司馬遼太郎の祖父、福田惣八氏は幕末に旧来の小祠を改め、現本殿の改築を行った際に、篤志を受けたことにより境内にその名が刻まれた玉垣があります。玉垣は本殿の裏にあり向かって左から二十二本目にあります。
昭和60(1985)年、社務所(現齋館)を改築した際、父福田是定氏の名前で篤志を受けたため、文学碑の右側にその名が刻まれた玉垣があります。
(現地説明板などより)
廣畑天満宮 - 01
廣畑天満宮 - 01 posted by (C)pismo

廣畑天満宮 - 02
廣畑天満宮 - 02 posted by (C)pismo

廣畑天満宮 - 03
廣畑天満宮 - 03 posted by (C)pismo

廣畑天満宮 - 04
廣畑天満宮 - 04 posted by (C)pismo

廣畑天満宮 - 05
廣畑天満宮 - 05 posted by (C)pismo

廣畑天満宮 - 06
廣畑天満宮 - 06 posted by (C)pismo

廣畑天満宮 - 07
廣畑天満宮 - 07 posted by (C)pismo

廣畑天満宮 - 08
廣畑天満宮 - 08 posted by (C)pismo

廣畑天満宮 - 09
廣畑天満宮 - 09 posted by (C)pismo

廣畑天満宮 - 10
廣畑天満宮 - 10 posted by (C)pismo

明蓮寺は、山号は消雲山、真宗大谷派の寺院です。
英賀本徳寺が建立された直後の永正14(1517)年、英賀六代城主三木通規の家臣神出左衛門の母妙蓮尼によって建立されました。
本尊は阿弥陀如来です。当時、英賀は浄土真宗に帰依した三木一族を中心に運営される自治都市「寺内町」で、織田信長と戦う大阪の石山本願寺と深い繋がりをもっていました。
天正8(1580)年、信長の命を受けた羽柴(豊臣)秀吉によって「寺内町」は解体されました。その時、英賀本徳寺は亀山へ、英賀門徒の多くが龍野町、飾磨田町(玉地)などへ移されましたが、明蓮寺は唯一英賀の地へ残りました。
英賀本徳寺は、現在の歌野橋上流にありました。昭和12(1937)年、日本製鐵廣畑製鉄所の誘致に伴う夢前川の改修付け替え工事によって遺跡は河床となりました。
明蓮寺の境内には昭和13(1938)年に移された「英賀本徳寺跡碑」が建っています。
(現地説明板などより)
明蓮寺・英賀本徳寺跡石碑 - 1
明蓮寺・英賀本徳寺跡石碑 - 1 posted by (C)pismo

明蓮寺・英賀本徳寺跡石碑 - 2
明蓮寺・英賀本徳寺跡石碑 - 2 posted by (C)pismo

明蓮寺・英賀本徳寺跡石碑 - 3
明蓮寺・英賀本徳寺跡石碑 - 3 posted by (C)pismo

英賀城の港、田井ヶ浜跡に建立された巽地蔵です。英賀港は古代からの港で寛和2(986)年、花山法皇が書写山円教寺に御幸し、帰りは当港から国史の船で出港なされた。
室町期は、英賀城下の市場町で天正8(1580)年の英賀落城まで三木氏一族と英賀衆が活躍した交易の港町として繁栄しました。
このあたりは田井ヶ浜といわれていました。天正4(1576)年、黒田官兵衛の進言により、御着城主小寺政職が織田家に味方することを決めると、毛利水軍5千人がこの田井ヶ浜に上陸しました。官兵衛は500人の手勢で毛利軍を追い返し、一躍その名を高めました。
祖先が英賀出身の司馬遼太郎作「播磨灘物語・英賀の浦」で毛利水軍と御着城黒田官兵衛軍の「町の坪合戦」が名文で語られています。
田井ヶ浜は、英賀落城後は荒れ果てていましたが、熊谷家がこの地を清め地蔵尊を祀りました。
英賀神社南東方向で、「巽の地蔵」と名付けられました。境内には田井ヶ浜跡碑が建立されています。
(現地説明板などより)
田井ヶ浜趾・巽地蔵 - 1
田井ヶ浜趾・巽地蔵 - 1 posted by (C)pismo

田井ヶ浜趾・巽地蔵 - 2
田井ヶ浜趾・巽地蔵 - 2 posted by (C)pismo

田井ヶ浜趾・巽地蔵 - 3
田井ヶ浜趾・巽地蔵 - 3 posted by (C)pismo

田井ヶ浜趾・巽地蔵 - 4
田井ヶ浜趾・巽地蔵 - 4 posted by (C)pismo

英賀城の本丸跡です。
中浜橋近くに本丸跡の石碑があります。
英賀城本丸跡 - 1
英賀城本丸跡 - 1 posted by (C)pismo

英賀城本丸跡 - 2
英賀城本丸跡 - 2 posted by (C)pismo

英賀城本丸跡 - 3
英賀城本丸跡 - 3 posted by (C)pismo
ブログ一覧 | 自転車 | 日記
Posted at 2014/03/31 22:58:53

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この記事へのコメント

2014年3月31日 23:49
こんばんは♪

いつもながら精力的に“軍師官兵衛”に因んだ史跡を廻られていますね^^
司馬遼太郎のご先祖はこのあたりの出だったんですね。
司馬先生の歴史小説は空海・・・を除いて全て読破しましたが、知りませんでした。
といっても、随分前なので忘れていたというのが適当かもしれません。

話は変わりますが、私の友人で姫路出身の“酒井”という男性がいます。
彼のやはり何代目か前の御爺さんは、姫路城主の酒井という殿さまから苗字を拝領したそうです。
身分は低かったそうなのですが、当時貴重だった算術(そろばんとか)ができたことから、城主酒井氏から認められ、見事苗字を名乗ることが許されたそうです。

播州、私も何年かぶりにいずれ訪れてみたい土地です。
コメントへの返答
2014年4月1日 22:14
こんばんは。
司馬さんのご先祖、英賀というより広という所の出身のようですね。
司馬さんが訪れた時は、夜で、懐中電灯でおじいさんの名が刻まれた玉垣を見つけたそうです。
酒井氏は幕末の約100年間姫路の地を治めましたが、河合道臣(寸翁)の改革が有名ですね。玉椿というお菓子も寸翁が命名したとか。
友人の酒井さん、なかなか藩主から苗字を名乗るというケースは珍しいのではないでしょうか。相当の功績があったのでしょうね。
2014年4月1日 9:43
 いつも楽しく拝見させていただいております。

 僕も 『軍師官兵衛』 は久々に見る大河ドラマです。
 しかしその英賀城址にある石垣(櫓台?)は何でしょうね?
 そごく興味が沸きます。
コメントへの返答
2014年4月1日 22:15
ありがとうございます。
あの櫓台?なんなのでしょうね。由緒は???です。どうも見たところコンクリートで固めた石垣のように見えました。
英賀神社の土塁はなかなかいい感じなのですが。

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