今日は終戦から72年になりますね…
いや、むしろ日本にとっては「敗戦」なんですが、「粉砕」された事を「玉砕」などと呼び変えた様に、「終戦」とは国としてのプライドを保った呼び方という感じがします。
丁度10年前、長野県の松代にある、「松代大本営」という所に行ってきました。
「松代」といえば、新世紀エヴァンゲリオンで東京がセカンドインパクトによって壊滅した為、「第2新東京市」として遷都されるという事でも有名ではありますが…(しかし結局は松本を選んだという設定)
ここは1944年7月のサイパン陥落後、本土爆撃と本土決戦が現実のものとなり、果たしてどこに東京の中枢機能を移転させるかという事で、出来るだけ海岸から離れた場所が良いという事で設置されたものです。
この場所が選ばれたのは、他にも理由があって…
1 本州の陸地の最も幅の広いところにあり、近くに飛行場(長野飛行場)がある。
2 固い岩盤で掘削に適し、10t爆弾にも耐える。
3 山に囲まれていて、地下工事をするのに十分な面積を持ち、広い平野がある。
4 長野県は労働力が豊か。
5 長野県の人は心が純朴で秘密が守られる。
6 信州は「神州」に通じ、品格もある。
いわゆる「防空壕」としての役割を持たせたんですが、洞窟と同じく内部はひんやりとしており、全長10kmと言われるうちの数百mが公開されています。
また、この内部にはそれぞれの省庁を移設する計画もあり、その為に広くされているそうです。
更に奥に進むと、千羽鶴が飾られているんですが、これは朝鮮人の強制連行期に朝鮮人労務者を中心に掘らせたんですけども、その時の犠牲者を悼んだものだそうです。
それから、この大本営からクルマで5分ほどの所に舞鶴山という山があり、そちらには天皇御座所、皇后御座所、宮内省(現宮内庁)として予定されていた建物が造られ現在も残っています。
この建物の中には天皇・皇后の寝室、居間、書斎、応接室、皇族御休息所、食堂、洗面所、侍従室、女官室、風呂、トイレなどがあったり、更に映写ホール、ピアノ、玉突き台などもあったそうです。
また、屋根は1トン爆弾に耐えるよう、コンクリート1mの上に砂1m、さらにその上にコンクリート1mを重ねた計3mの厚さとなっています。
ここが当時の昭和天皇の部屋とされる予定であった部屋で、ヒノキ造りの豪華なものとなっています。
現在この建物の地下には地震計が設置されており、地震観測所としての機能が与えられました。
…という事で、松代大本営を訪ねた時の事をご紹介しました。実際に足を運んでみて、戦争を経験してなくても、当時の事を想像し、テロや内戦、そしてあの国のミサイル発射など、現在の世界情勢について考えてみるのもいいかもしれません。
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Posted at
2017/08/15 10:51:46