
とある質問サイトに
「日産のスカイラインはどういった経緯で人気を獲得したのでしょうか?歴代の各モデルと共にご教授いただけないでしょうか?」という質問がありました。
しかしスカイラインは1957年からという歴史あるモデルなので、なかなかスカイラインについて語るのは大変です。一冊は本が書けるでしょうw
…ですが、私もそれについて答えてみましたが…
・初代(1957~1963)
そもそも、富士精密工業(のちのプリンス自動車)から発売されたのがスカイラインのはじまりで、当時はまだスポーティな要素は無く、どちらかというとクラウンと並ぶプレミアムな存在でした。もっとも当時は庶民はクルマなんか買えませんでしたから…
スポーティな要素を盛り込んだのは1962年発売の「スカイラインスポーツ」からとなりますが、ボディのほとんどがイタリアの職人の指導によるハンドメイド(ジョバンニ・ミケロッティとアレマーノ社の手により製作)で高コスト・高価となった為、スカイラインのスポーツイメージを普及させるまでには至りませんでした。
・2代目(1963~1968)
このモデルは初代の反省を生かし、ダウンサイジング・大衆化されたモデルとなりました。しかし、それは普通の1500ccモデルだけであり、実は日本グランプリ出場を睨み、グロリア用の直列6気筒2000ccエンジンをボディをストレッチする事で無理矢理搭載した「2000GT」が用意されたのです。これが「スカイライン=GT」イメージの始まりとなりました。
また、このモデルの中盤からはプリンス自動車が日産自動車に吸収合併された為、「日産スカイライン」となりました。
・3代目(1968~1972)
いわゆる「ハコスカ」と呼ばれるモデルです。このモデルでも2000GTは用意されたものの、どちらかというとレース出場ではなく、グランドツーリング性能を持たせたモデルでした。
しかし、実はレースマシンのR380の直6・2000ccDOHCエンジンを載せた「GT-R」がスタンバイしていたのです。
GT-Rはレースで活躍、これが現在のGT-Rとスカイラインのスポーツイメージを築き上げたと言えるでしょう。
・4代目(1972~1977)
このモデルでもGT-Rは用意され、レースに出場させるつもりでしたが、排ガス規制とオイルショックがそれに待ったをかけました。その為、GT-Rは197台しか生産されなかったのです。
しかし「ケンとメリーのスカイライン」というキャッチコピーで人気となった為、実際には販売台数が伸びたと言えます。
・5代目(1977~1981)
「スカイライン・ジャパン」として人気のモデルですが、実は当初、GT-Rの様な高性能モデルはなく、暫くは冬の時代と言えました。
しかし、BMWなどでも採用していたターボを途中から追加、それが「スカイライン=ターボ」となる始まりでした。
・6代目(1981~1985)
このモデルでは先代までのガマンの世代ではなく、当初からターボはあったし、4気筒ではありましたがDOHCエンジンを積んだ「RS」がラインナップしていて、恵まれた世代となりました(途中からRSにターボも組み合わせて、高性能競争を生んだ事も印象的ですね)。
また、これまでの4ドアや2ドアばかりでなく、5ドアハッチバックも存在しており、フルラインナップとなりました。
・7代目(1985~1989)
いわゆる「セブンス・スカイライン」と呼ばれたモデルですが、実は当初は2ドアが無く、4ドアのセダン、それからスカイラインとしては初めての4ドアハードトップしか無かったのです。
これは当時のマークⅡ三姉妹による「ハイソカーブーム」の影響を大いに受けていた為です。それが今までのスカイラインファンからはブーイングを受け、途中から2ドアクーペも追加、そしてレースに新型投入が遅れていたのですが、新設計の「RB20」エンジンをベースにパワーアップさせた「RB20DET-R」を搭載した2ドア「GTS-R」を当時のグループA規定に合わせた800台限定で市販し、再びスカイラインのスポーツイメージを持たせる事となりました。
・8代目(1989~1993 GT-Rは1994年まで)
このモデルでは7代目よりもラインナップを縮小、そして7代目途中から追加した「GTS」シリーズを中心に据え、極力「1エンジン・1グレード」としていました。
また、17年ぶりに「GT-R」が復活したのも大きなニュースでした。このGT-Rは7代目までの開発責任者・櫻井眞一郎氏が温めていた4WDシステム「アテーサE-TS」を採用、レースでも大活躍したモデルとなりました。
・9代目(1993~1998)
8代目でスカイラインのスポーツイメージが完全復活したのですが、しかし「セダンのクセに室内が狭い」などの意見で大型化されたモデルとなりました。
また、8代目の途中から追加された2500ccエンジンを中心とし、直列4気筒エンジンは廃止、ボディを3ナンバー化してローレルとシャシー等を完全に共通化されるなど、大型化されました。
それからGT-Rはこの世代でも途中で追加、しかし4代目のGT-Rの二の足を踏まない様に先代よりもサーキットでのラップタイムを縮めるなど、大型化した割りには更なる努力を施したモデルでした。
・10代目(1998~2001 GT-Rは2002年まで)
このモデルでも3ナンバーではあったのですが、徹底的にボディを高剛性化、ターボエンジンを280馬力までパワーアップさせるなどして、体育会系なモデルとなりました。しかし、世界的な直6エンジン廃止の流れには逆らえず、最後の直6エンジンモデルとなっています。その為、「スカイラインはこのモデルで終わり」とするファンも多いのです。
・11代目(2001~2006 GT-Rは2007年にスカイラインから独立)
この11代目はそれまでのスカイラインとは異なり、当初は「XVL」としてローレルの後継となるハズの新しいFRセダンとして開発されていました。しかし、途中で「新型スカイライン」とした為にスカイラインファンからはブーイングの集まるモデルとなりました。また、歴代スカイラインのアイコンであった直列6気筒エンジンがV型6気筒エンジンとなったのもそれに輪をかけました。
それから、スカイラインとしては本格的に輸出されるモデルとなり、特に北米ではインフィニティのブランドで売られました。
また、GT-Rを「日産GT-R」として独立させたのは「GT-Rをグローバル展開したかったから」、「クオリティの高いセダンと、スーパースポーツのパフォーマンスを両立できなくなってきたから」といった所なのでしょうが、スカイラインはR34までは基本的に国内専用車種で輸出はされていなかったので、世界戦略を考えると、ローカルネームの「スカイライン」ではなく、日産のフラッグシップとして、その名もずばり「日産GT-R」にしたかったという事なんでしょうね。
・12代目(2006~2014)
11代目でファンからは見切られたモデルとなってしまいましたが、それを断ち切りがたい為に11代目をベースにしながらもスポーティなモデルに振ったのがこのモデルです。
先代同様にクーペも用意されたのですが、その次の13代目では日本ではクーペが発売されていないので、今のところ最後のクーペモデルとなっています。
それから、SUVの「スカイラインクロスオーバー」も追加されましたが(但し型式はスカイラインのそれではない)、当時は今ほどのSUVブームでは無かった為、早すぎたモデルと言えるでしょう。
・13代目(2014~)
現行モデルである13代目は当初、V6・3500㏄ハイブリッドのみとなり、その為か高価格化、それから後日追加された直列4気筒2000㏄ターボエンジンも提携先であるメルセデスベンツ製だった為、スカイラインの影を更に薄くさせるモデルとなっていました。
しかし途中、日産お得意の自動運転装置「プロパイロット」をハイブリッドに採用、それだけではなく、メルセデスのターボエンジンを廃止、代わりにV6・3000㏄ツインターボエンジンを搭載、そして405馬力を発生させる「400R」を追加した為、再びスカイラインのスポーツイメージは上がりました。
…ですが、「e-POWER」など日産の電動化推進と合理化の為、ハイブリッドは廃止、それから同じパワートレーンを持つフーガやシーマを廃止した為、3000㏄ツインターボのスカイラインが現在の日産の唯一のセダンとなっています。
…という感じで歴代モデルについて説明してみましたが、如何だったでしょうか?
