「今年から来年にかけては、大きな災害が起きる」(謎)と、うちの奥さまが言っておりましたが、当たらなくてもいいことに限って、当たってしまうようです。被害を受けられた皆さまには、心からお見舞い申し上げます。
うちの
残姉号も、デフを外して、自動車屋さんの屋外の駐車場に置きっぱなしになっているものと思われますので、颱風の被害が心配といえば心配なのですが、お任せした以上口は出せません。
ベレットがなくて退屈なので、ここのところ「怪談・奇談」話を書くのが、マイブームになっております。二話投下していきます。
蛙のいる光景
大学の卒論研究は、東海道線の北垂井駅の北側の、東西に連なる山を越えた、
山間にある小さな谷を中心とした
地域で、その場所を中心とした地質を調べていました。たいていは南の垂井側から山を越えるのですが、時には調査の為に大きく迂回して、北西の揖斐川町の側から研究地に入ることもあります。
一度だけ(以前友人とテントを張った)粕川の支流の更に支流にあたる、研究地に水源を発する名前も分からない川を遡ったことがあります。沢より広いとはいえ、途中砂防堰堤があり、堰を迂回して急勾配の谷の斜面を両手で木の枝に捕まりながら必死に登っていると、靴には蛭が取り付いて這い上がってくるなど、上流へと進むのはかなり大変な行程でした。
堰の向こう側には少し開けた川原があり、川原からは1m以上の高さのある灰色の岩塊が、幾つも川原から突き出しています。岩に目をやると表面に、岩と全く同じ灰色をした大きな蛙が何匹も張り付いているのに気づき、思わずぎょっとさせられました。
体の色は多分保護色です。大きさは蟇蛙くらいでしょうか。大きさとは裏腹に、妙に薄く平べったい異形の姿で、まるで岩と一体化しているかのように、ぴったりと張り付いたまま動きません。
蛙の貼り付いた岩が取り囲む光景は流石に薄気味悪く、その蛙が目覚めて一斉に動き出したらと想像すると俄に怖気づいて、その場から逃げるように立ち去りました。
帰りはよく判った径を垂井側に抜け、その後この川原は訪れておりません。
山で化かされたこと
卒論研究で北垂井駅から研究地に向かうときは、林業作業用の山径を使うこともありますが、途中の地質調査を兼ねて、その付近のあらゆる沢や尾根の径なき径を走破しました。水は高いところから低いところに流れるので、沢を登っていけば、必ず研究地手前の東西に延びる山の稜線に辿り着きます。
帰り径も同じなのですが、ある日初めての沢を遡って、稜線越えを目指しました。しかしなぜか思った以上に時間がかかり、なかなか稜線に辿り着けません。ようやく立木の天蓋を抜けて、山の上を吹き抜ける心地よい風を頬に感じ、もう少しで稜線に着こうという眺めの良い場所で振り返った時、眼に入ったのはそれまでいたはずの研究地の谷間ではなくて、山の向こう側にあるはずの垂井駅付近の町並みでした。
知らないうちに稜線を越えてしまったということがないのは、断言できます。引き返しても、稜線を越えて進んでも、また元の場所へと戻ってしまいそうです。知らず知らず迷宮に足を踏み入れてしまったような不可解な出来事に、全身を悪寒がはしり抜けました。
その後の記憶はあまりはっきりしません。どうしたら背後に見える町に帰れるのか分からないので途方に暮れ、一番高い場所まで登って、そこから稜線沿いに別の場所に移動し、そこから戸惑いつつもなんとか垂井側と思われる方向に下りたのだと思います。
大学で地形図を検討して、この怪現象の謎を解くことができました。東西の稜線の連なりとは別に、研究地のある北側に稜線から別れた、主稜線よりも高く
天を突く山があり、その時歩いた沢はその山から発していたので、最初南に向かって登り続けているはずが、その山の東側から知らないうちにその山の頂に向かって180度近く方角が変わり、振り返った時は東西の稜線の連なりより、更に高い位置まで到達していたようです。
稜線の連なり部分が一番高いと思い込んでいたことからきた錯覚でした。分かればどうということはないのですが、子どもの頃の遊び唄が頭の中を流れます。いきはよいよい、かえりは怖い。怖いはずだよ、キツネがとおる。多分それまで歩んだ人生の中で、一番怖かった出来事です。
こういう容易に理解できないような体験を、昔の人は、「狐や狸に化かされた」と言ったのかもしれません。
追伸: 最初一話だけ投下したのですが、もう一話追加しました。
Posted at 2018/09/07 17:57:25 | |
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