自動車メーカを語る時に、そのメーカの歴史、製品、レースなどの足跡など、いろいろ考察する着眼点はあるのですが、その中心にある風土、志向を知ることは、生み出された車の素性を推考するとても貴重な道しるべとなります。
私の場合、生産技術を通じて一部を知る機会が有りましたが、それらはやはりメーカの流儀があり、考え方は代々引き継がれた「文化」となって良くも悪くも受け継がれています。非常に大くくりでは「営業、製造、開発」そのいずれが一番強いか?、これは社長への出世ルートが何処の出身ルートが多いか、などで大方窺い知ることが出来ます。
良くあるのは、開発出身の技術系の社長が続くと、会社は傾くと。本田宗一郎氏の暴走を止める藤沢さんのような女房役が必要など。けれどもそれ以上に大事なのは末端の技術者がどこまで理想を持っているかだと思っています。
所詮企業は組織ですから、たった一人の天才が居てもどうにもなりません。けれども大半はあと一歩理想を貫く気骨が有るか、それを鍛える風土が有るかは、やはり企業文化と呼べる伝統でしょう。その結果として製品が世に出て行きますから、製品を通して見る目を持って見れば、物理的な出来栄えを通して、ハンドルを通じて、いろんな部分から感じ取れます。今はネットでリコール情報も見れますから、どんな不具合か(ま、大半は製造上ですが、中にはどう見ても設計上のミスと思われるものも有ります)それらの対策を見てもちょっと体質が透けて見えたりします。
前置きが長くなりましたが、最後はシトロエンです。ところがこれまで述べた中でも、最も縁が有りません。というのは、自動車に限らずフランスの工場を知らないからです。フランスには出張途中でよって観光したか、展示会に調査に行った経験しかありません。従って、働いている人の形態というか、文化を知らないからです。基本めっちゃ遊び好き、ドイツとイタリアの中間ぐらいいい加減。てな感触しかありませんし、フランス人のエンジニアと話した事が無いので実体が良くわかりません。ただ、アンチドイツな考えである事は、知っていますw。それは歴史的感情もあるかもしれませんが、もとより民族的価値観がゲルマンとは異なる事が大きいでしょう。ゆえにシトロエンは、極めてフランス文化的な自動車であり、ゲルマン自動車とはある意味、対極に位置する価値観の車と言えます。
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シトロエン http://www.citroen.jp/#/philosophy/
シトロエンで有名な車と言えば2CVでしょうか?。2CVとは2馬力を意味する言葉だそうで、この4人乗りの車は2馬力で成立していますし、FF車のなんたるかを体現した教科書です。まぁ、この車に全てを語らせるつもりはありませんが、シトロエンの車づくりには、パフォーマンスを表す尺度に、パワーウエイトレシオだの、0-400m加速、最高速度と言った物差しでヒエラルキーを構築する概念は全く無かったと言う気がします
民族的に、「力」より「愛」なんでしょうか?、「主人公が車ではない」というライフスタイルは感じ取れます。ルノーもRRの初期の車からFFに転向して以来FF車ですし、プジョーもだいぶ前からFFだけになってますから、フランス人の価値観はスペース効率(コストと室内広さ)に優先順位を置いていますね。
シトロエン自体は、エンブレムの山歯歯車がモチーフになっているように、技術に依って立つ志向の会社で、その代名詞に「ハイドロ」があります。それは俗に言う「魔法のじゅうたん」と評せられる乗り心地に費やされたのですが、ヨーロッパの古い町に行くとわかりますが石畳が多く、アスファルト舗装技術以前には、平滑度やうねりが多く、速度を出して巡航するには「馬力」よりも道路をいなす「足回り」が必要だったからです。
シトロエンの車の構造的特徴は
「FF車のCDセグメント攻略の方程式はあるか?」で、述べたのでそちらを参考にしていただくとして、近年では、そのハイドロも特定の車種のオプション扱いとなりつつあります。それは道路が良くなり、同時にコイルばねと懸架装置の性能が上がって来た事で、決定的な差をその、コストと整備性の差に置いて、見出しにくくなって来たのだと思います。実際には田舎の財政事情が許さな有料ワインディングロードや、峠の県道などで、幾らでも差が出るステージは残されているのですが、一度も体験していない人には、体験している車に特に不満は抱いていない(知らない)からでしょう。
FF車の利点として、パワープラントが駆動系と一体となり、トラクションを稼ぐ意味からも前方配置となり、荷重移動を防ぐ意味からも、ロングホイルベースが有効ですが、以前は等速ジョイントの遥動角が稼げず、なかなかうまく両立できませんでしたが、近年はそん色のない舵角が切れロングホイルベースで凹凸でのピッチング角も小さくでき、室内空間、乗り心地、軽量化とそのメリットを生かせるようになりました。
なので、先のデトロイトショーで発表されたベンツのエントリーセダン「CLA」を見て、「なるほど」と思ったのですが、それはまた別の機会に・・・・で、加えて今や十分なパワーが手軽に得られ、低公害、省燃費、と言った方向性からも、力のヒエラルキーから、エコやクリーンのヒエラルキーに移行しつつあります。ただ、この新しい秩序は同時に、「自動車」自体に見出していた家庭の裕福さを表すヒエラルキー自体が希薄化し、今やスーパーカーを見ても、1980年代のスーパーカー世代が見た「自動車に対するあこがれ」とは全く別な視線が注がれています。
このように、自動車そのものの価値観を「独車的パフォーマンス」に並べた車達を、コストパフォーマンスと快適性、省エネ、クリーンで並べ直した場合には、購入者自身のライフスタイルに合わせた(趣味やそこへのパッションを除いた)選択性が強まり、私のような偏屈車好きの求める層は、少数派へと分断されるか、あるいは2台体制へ移行するか、はたまた、2台二役的なチューニングで「系列車」で吸収するか、となって来ています。
今のコモディティ化して来たとみなされている自動車観で見回すと、「駆動方式」よりも「ATか、MTか」の方が重要であり、今やMTはほとんど無いので、もはやクルマ選びは横軸のコストと縦軸の乗員数、これに並べた車で、体積とドアの開き方、数、内装の質感、などなど、車の運動性能とは関係ない部分で選択されているでしょう。
こうなって来ると、実はベンツ、BMWとシトロエンの差は、ブランド知名度の差とコストの差だけではないでしょうか。シトロエンも先に揚げた道路事情やコストからラインナップは大転換され、コンパクトでおしゃれなDS系列と一般向けC系列の2本化となり、ライフスタイルに訴える近年のDSシリーズは当然ながら好調のようです。
(足回りや動力伝達系の車本来の運動の質には、シトロエン独自性を感じるものは無くなったように思います。けれど「新しいお客様」にはもとより、そんな概念は存在しないでしょうからね。
このように、全ての自動車メーカが、その車作りに置いて明確な個性を喪失しつつあるご時世ですが、それでもやはり「核」となる「らしさ」を歴史から伝えているメーカには他では味わえない「車の魅力」がきちんと残されているように思います。それは非常に難しい、浮気なユーザを膨らませつつ、コアとなるファンを離さない車づくりによって、「自動車メーカ」としての存在意義も守っているように思います。なので、儲かるから、と膨らませた層の客層に頼ると、あっという間に浮気され、衰退すると思います。
私自身はそもそもマイノリティファンなのですが、気がつけば、長年車と付き合って、志向の変化に驚く自分を見つける事が有ります。常に革新的な現状打破に魅力を感じてクルマ選びをして来たけれど、今知ることは本当の革新とは、熟成された確かな技術の上にしか実らず「○○機構により、○○を実現」というような技術が10年以上継続して使われる、きちんとした基礎を形成する物は、そうそう無いと言うことです(それがあると、それがメーカの個性として差別化出来る)。けれども同時に「獲得しようとした本質」を読み解き、それにチャレンジした車には多いに惹かれます。
なので、めざした「本質」がほんとにそうなの?、とメーカ技術者の哲学に??が点く場合も多くなって来たことは、軽薄な技術者が増えたから?。ミッドシップだから、とか、マルチリンクだから、、とか、そう言った「形」ではなく、ではそれで、何が獲得できたのか?、結果にシビアになる事は当然として、「この車はこんな走り方、使い方が楽しいよ」というエンジニア自身の提示する「世界観」にこそ興味を持ちます。すると残念ながら国産車では非常に希薄且つ方向性が私とは違うものが多くなっています。個性的な(アンバランスな)場所に居ないメーカが多いのは当然ですけどね。
下の図は、私のメーカ観をテキトーな評価軸に置いて見たものです。大きさや位置は、優劣を示すものではなくあくまでも「志向」や優先している価値観のポジションを示したものです。
結局、そうは言っても自分自身に課せられた制約も多く、足踏みしている状態ですが、そうまで思索を巡らし時間をつぶせる「自動車」の世界は、実に楽しいものだな、とまだまだ興味は失せていない自分で有ります。
さて、うっかりシリーズ化してしまったために偉い目に遭いましたが、案の定まとまりなく終わりましたね。(爆)。
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私的なミニ哲学の泉 | 日記
Posted at
2013/01/19 17:47:50