
数年間、追っている陰謀論者については以前のエントリーでお話ししたかと思います。
彼女の動機はビジネスパートナーに唆され、ビジネス上でトラブった人達を次々「中国のスパイ」とSNSで「告発」し、一部でカルト的人気がありましたがかつて自民党から選挙に出馬するのを模索した時に、袖にされて以来、自民党攻撃を開始、それが昨今の政治不信にハマりバズったため、これまでの経緯を知らない視聴者からは「愛国者」「ジャンヌ・ダルク」などと持てはやされチャンネル登録者が50万人のモンスターになってしまいました。
こうなるともう好き放題で、自分に疑いを抱いた自民党議員の選挙区で誹謗中傷のビラをまき「売国議員の落選運動」を展開したり、自分が被告の裁判でも東京地裁の前で「裁判所は中国に乗っ取られています」「私は内乱罪で捕まるそうです」と街宣したりとやりたい放題。
彼女がSNSで呼びかければ「支持者」が相手に抗議の電話やメール、中には事務所や企業の玄関前に集合して抗議活動をする有様で早晩、社会問題になるでしょう。
「活動にはお金が必要です」「相手から妨害されています」と涙ながらにうったえれば支持者は高額な講演会チケットを買ったりして「応援」したり街宣のボランティアを買って出たりしながら彼女自身はあざ笑うかのように数十万のハイブランドの服やバッグを身に着けており、SNSで彼女のウソを暴く活動をしている有志らとその「支持者」と対話することがあるのですが、陰謀論にハマる人達に共通のパターンが見えてきました。
まず、陰謀論支持者は認知プロセスの歪みがあり、物事をきちんと捉えられていない事があります。
人名や物事の名称がうろ覚えだったり、因果関係や時系列に頓着せず、勝手なこじ付けに執着して論理的な指摘を寄せ付けないという特徴があり、さらにSNSの好みに関連した情報を与え続けるフィルターバブルなどで情報がタコツボ化して自分が知りたい情報、同調者ばかりの心地よい居場所が正義、理解せず批判してくる世間が間違っていると確信するようになっていきます。
陰謀論的科学否定、反知性主義は保守系に多いとされていますが、これは右派の専売特許ではなく、左派でも同じような事があります。
以前、某大手新聞社の記者が「エビデンス(証拠)?ねぇよそんなもん」とぶっちゃけ、これぞリベラルの正体とばかりにバカにされた事がありました。
つまりイデオロギーの左右に問わず、自分の考えを補強するなら事実確認よりもデマでも陰謀論でも優先してしまうという認知の歪みを起こしてしまうのです。
そんな人々をどうやったら説得できるのか。
このテーマに興味を持って色々本を読み漁っていますが、今読んでいる本で考えさせられる記述がありました。
エビデンスを嫌う人たち: 科学否定論者は何を考え、どう説得できるのか?
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日本ではマイナーですが、アメリカでは地球は球体と言うのはウソで地球は平面という真実が隠蔽されているという地球平面説を信じる「フラットアーサー」と言う人が少なくない割合おり、そこから多くの科学否定や陰謀論に傾倒しているのです。
これはキリスト教福音派というバックボーンがあり聖書的価値観、またヨーロッパの科学万能主義に反発する人々で大きな影響力を持ちつつあり、今のトランプ政権でワクチン否定派のロバート・ケネディー・ジュニアが合衆国保健福祉長官になったり、先日もトランプ大統領が妊娠中にアセトアミノフェンを飲むと胎児の自閉症リスクが高まるという十数年前に否定された論文を持ち出したりと国の行く末を変えようとしており、陰謀論を信じる心理と言うのは本当に問題だという思いを強くしているところです。
陰謀論にハマる人は、病気や失業など人生の重大な岐路に立たされた時に陰謀論に出会い「目覚めた」人が意外にも多いそうです。
日々の仕事で忙しければ余計な事を考えている暇がないとも言えますが、自分のアイデンティティが脅かされると確かなものにすがりたくなり、そこで自分の人生が行き詰っている事に「答え」を用意してくれる陰謀論が魅力的に見えてしまうというのは想像に難くありません。
しかし世の中には高学歴で科学的な検証方法を習得し実践している人の中にも陰謀論や科学懐疑論に傾倒している人がいます。
もちろん、上記のような個人的な体験もあるのかもしれませんが、論理的な思考トレーニングが出来ているのになぜなのでしょうか。
以前に
「The Intelligence Trap なぜ、賢い人ほど愚かな決断を下すのか」と言う本も紹介しましたが、今回読んでいる本では単に認知が歪んでいておろかだから、というばかりではない側面も見えてきました。
著者は科学否定論者に興味を持ち、対話を通じて彼らの心理を探り出し、出来れば考えを改めさせようとしています。
地球温暖化否定論者ばかりと思っていた炭鉱労働者らとの対話では彼らも地球環境が変化している事は実感しているが生活を変えられない(命を削ってゆっくり死んでいく、と表現)という事が分かったり、また遺伝子組み換え作物(GMO)は伝統的な品種改良と同程度の安全性とされ、危険な証拠は見つかっていないのに頑なに否定する人と対話してみたりといった一風変わったアプローチが興味を引きます。
著者の知り合いでGMO否定論者である生物学者との対話では著者が「遺伝子組み換えで収量が増し、自然にはないビタミンも生成する種類の稲が貧しい人を救うだろう」と指摘すると「地球のキャパシティは限界だ。これ以上人口が増えたら取り返しがつかない事になる。一時しのぎのGMOでは根本的な解決にならない」と返します。
つまり見ている時間軸が違うという事で、これはなかなかの発見となりました。
昨今、日本や先進国で問題となっている移民も時間軸の問題かもしれません。
例えば日本では農業や漁業、工場労働者などの担い手が不足しており外国人労働者に頼らざるを得ません。
しかし移民政策を取らない日本は「技能実習生」という制度で外国人労働者を入れています。
文化や宗教の違い、そして日本人の半分程度の低賃金から脱走者が相次ぐとされ、食い詰めた彼らが犯罪に手を染めるという連想が働きます。
統計的には技能実習生の脱走者は全体の数パーセントで外国人犯罪も日本人と比較して突出する訳ではありませんが、これも年齢構成など統計の取り方次第とも言え、また外国人が不法行為で警察に捕まっても不起訴となるケースが報じられ、その決定プロセスが非公開な事から「外国人特権」といったような疑念、そして外国人労働者を入れたがっているように見える政府に対する批判の高まりが前回選挙での自民党惨敗となった表れといえるでしょう。
つまり短期的には外国人を締め出せば工場や家族経営規模の農業などが続けられなくなり産業に打撃となりますが、多くの外国人を入れた時、中長期的には日本の文化や安全、高い生活水準が損なわれるかもしれないという疑念が違う時間軸として対立することになります。
これはどちらが正しいとか間違っているとか簡単に言える問題ではないのですが、いずれにせよ政治家が責任もって決断をしなければならない問題です。
今の自民党政権は決断すれば批判されるという事から、それを先延ばしにしているだけのように見え、これは国民から大いに不審がられている所かもしれません。
こういった背景からか、退陣を表明した石破首相の後継を決める自民党総裁選で候補者が名乗りを上げましたが、全ての候補者に「親中派」「タカ派」「無能」などのレッテルが貼られ、過去の発言などを切り取って人格を貶める切り抜き動画などが拡散されている事を受け、自民党も誹謗中傷対策に乗り出すとしています。
しかし、これも遅きに失した感があり、過激に取り締まればアメリカが政府が承認したもの以外を報じれば資格を取り消すと言い出した、およそ21世紀とは思えない「言論封殺」と同じように取られかねません。
政権批判のレッテル貼りはかつては左派のお家芸でしたが、今や保守側からも「●●は親中派」などと過去の中国渡航歴を引き合いに出せばあっという間に「真実」として定着してしまうようになりました。
政治不信は政策論争が意味をなさなくなり、党派性のみの政局のみで判断するように仕向けられてしまいまた。
こうなってしまうともはや巻き戻すことは不可能な段階ではないかと思われます。
アメリカは内戦でもならないと正気に戻らないと予感させるとともに、日本も右か左かにおもいっきり振り切れてとんでもない「やらかし」を経験しなければ冷静な判断が出来ない段階になってきているのかもしれません。
その時にきちんとした「反証」が用意されていなければならず、クソデマ陰謀論をどうやったら防げるのかと言う事がライフワーク化してきな、と思う次第です。
カール・ポバーは「開かれた社会とその敵」の中で、「寛容な社会は不寛容すらも許容せねばならず、いずれ全体が不寛容な社会になる。寛容な社会を守るためには不寛容には不寛容でなければならない」という寛容のパラドクスを示しました。
言論の自由に相応の責任が伴う社会こそが今後は求められるのかもしれません。