土日は母親の入院している病院の支払いもあるので気仙沼に行っていました。
来週、大叔母の一周忌もあるのでどうしても外せない感じでした。
ただ、普段なら土曜の早朝に東京を出発するのですが、今回は一周忌の時の予行演習を兼ねて平日金曜の晩、仕事上がりにそのまま気仙沼に向けて出発します。
夜に出発するのはネコを同伴していた時は、クーラーのないジュリアクーペで暑さを避けるために日没後に出発していた事はありましたが、それはいずれも休日の事で仕事した後の疲労度がどうなのかという点もみておきたい感じでした。
18時に帰宅し18時50分頃出発しましたが、首都高外環に乗ると、外回りはもう渋滞しています。
これが悪名高い美女木JCT渋滞か、と思ったのですが、まだ美女木JCTのはるか手前です。
どうも合流して来る車で本車線もアオリを食らっているようで美女木JCTは混雑していましたが、完全停車する事もなく流れていました。
30分くらい時間をロスしましたが、土曜深夜2時前には到着できそうです。
いつものように川口JCTから東北道に乗ると、こちらは思いのほか空いていました。
これなら後れを挽回できるかも、という事で平均速度を95~100km/hで北上します。
普段や深夜は物流のトラックが多いのですが、この時間はあまりトラックを見かけませんでした。
その代わり?夜行バスみたいなのは多かったようです。
快調に飛ばしていると宇都宮を過ぎて福島県も見えてきたころ、雨が降り始めました。
それもかなり大粒の雨。
台風の影響で道中降られるだろうな、とは思っていましたが事前に塗布してあった撥水剤のおかげでこの速度ならワイパー要らずでしばらく走っていましたが、雨が止む気配がないばかりかどんどん激しくなってきます。
しまいには暴風雨の中のような降り方になってきて、こんな早いワイパーなんていつつかうんだよ、と思っていた三段階目に切り替えても前が見えません。
道路も白線が見えないくらい冠水してきて、速度規制はまだおいついていないのか80キロ規制のままですが、とてもそんな速度じゃ走れないので皆、自主的に50キロくらいになってしまっています。
フロントタイヤの接地感が乏しく、修正舵をあてても反応が芳しくありません。
50mくらい先行する前の車のテールランプもはっきり見えないのでなるべく車間を広げていたら、後続車がやはり前が見えなくて前走車を見失わないようになのか、異常に急接近してきました。
これは危ないわ、という事で付近の黒磯PAに避難して雨のピークをやり過ごすことにします。
持参したおにぎりを食べながらスマホの降雨情報をみているとちょうと東北道を覆い隠すように強い雨を示す赤い塊があって、ちょっと流れてくれれば走れそうです。
同じように非難した車を見ると内側から曇ったのをタオルで拭いたりしています。
塗ってて良かったクリンビュー(みたいなヤツ)
予定外の足止めになりましたが、ついでにトイレも済ませて出発します。
雨雲の影響で延々と80キロ規制が続き、周囲の流れも70km./hくらい。
もう予定到着時刻には着けないので焦って飛ばして事故っても意味無いのでタイヤの感触を確かめつつなるべく安全運転に徹します。
それでもなんとか2時10分には気仙沼の仮設住宅に到着しました。
高速道路区間の燃費もこれまでで最低の20.0km/L。
今回、交換したエンジンオイルのフィーリングや燃費を確かめたかったのですが、それは帰りにします。
翌朝はいつもと違って午前中から動けます。
持ち帰った仕事の書類をやったり洗車してから昼飯時間をやり過ごすようにお墓掃除をしてから病院に行きます。
今回は事前に親戚から母親が体調を崩して看護婦の詰め所の前の病室に移された事や、病院から胃カメラの検査をしたいから同意書を書いてほしいという連絡があったのですが、着いてみるとかなり落ち着いているようで、多少話もするようになっていました。
で、午後は大叔母の一周忌の打ち合わせに耳が遠くて電話で伝わっていない親戚の所に向かいます。
「本家」には車を停めさせてもらっているので挨拶に行くと、晩御飯の外食に誘われました。
地元の海の幸やら天ぷらやら。
普段はそうならないように昼飯や夕食時は避けていたんですが、話の長い事長い事。
まぁ普段にもまして母親の事とか話す話題はいくらでもあるという事で。
夜は仮設住宅にて就寝します。何時ころ寝たのかは覚えていませんでしたが、朝四時頃には雨音で目が覚めてしまい、それから法要の段取りとか考えている間に夜が明けてしまいました。
東京に戻るこの日も到着する時間を逆算して病院で時間を過ごします。
午前中、看護助手の人らとずいぶん話したようで、自分が行くと疲れている様子でした。
一応、こちらで法要の事とか話しておきますが、疲れて眠いようなので少し早いですが出発します。
しかし、せっかく早く出たのに下道で50キロ制限のところを40キロで走って大名行列を作っている車に信号一つ目から引っかかります。
まぁ高速に乗ってしまえばこっちのものだから、と思ったら仙台あたりで事故により「通行止め」になっているようです。
それでも数十キロ先、数十分経てば解除されるだろうという事でそのまま走っていきます。
しかしいつまで走っても通行止めが解除になりません。
後で調べて分かりましたが、ミニバン2台が横転して子供が一人亡くなった事故だったようで解除になったのは夕方4時半過ぎだったようです。
常磐道どうしようかな、と思いながら走っていると分岐点の手前から始まっている渋滞で分岐し損ねてしまったので、行けるところまで行ってみようという事で南下していくと仙台で東北道を降ろされました。
まぁ仙台市内は何度か走ったり歩いたりして全く知らない訳ではないのでなんとか常磐道に乗れるところに行こうと考えていたら、国道四号がいきなり渋滞しています。
車線変更したくても車線の流れる速さが違いすぎてなかなかうまくいきません。
どうも泉地区というベッドタウンに出ようという右折や左折の渋滞が直進の方にも干渉して信号が青でも動かないようです。
交差点一つ抜けるのに早くても2分から4分、信号サイクル2、3回掛かります。
結局1時間近くかけて常磐道に乗りましたが、またしても雨が降り始めます。
しかも高速道路といってもここらへんでは都市間高規格道路のようにほとんのど区間が一車線対面通行でなかなかいいペースでは走りません。
時々嫌がらせのように数キロだけ二車線化して追い越せるようになると後続車がバンパーをこすらんばかりに接近して抜いていきます。
まぁ頑張ってもすぐ一車線化して詰まってしまうんだからと先に行かせていましたが、さっきからピッタリ煽って来るトラックが前に出ようとしてきたので、ついカッとなってアクセルを踏み込んでやります。
するとこれまでは追い越すのに難儀していたものがクォーーーンと5000rpmまでストレスなく回ってトラックを引き離しました。
さすが高級オイルといったところでしょうか。
そうやって常磐道を南下していくと、路肩に放射線量の掲示が目に付くようになります。
最初は0.1マイクロシーベルトだったのが次は0.5マイクロシーベルト、1.0マイクロシーベルトと上がっていきます。
カーナビの画面にも南相馬とか並江町、双葉町なんてよく聞いた地名が表示されています。
時々民家や牧場の牛舎のようなものが見えてきて、ぱっと見にはどこにでもある田舎の風景ですが、どの家の窓にも明かりが灯っていません。
夕げの時間ですからまだ寝てしまう時間ではありません。
よく見ればブルーシートが掛けてある家や破れたビニールハウスがあります。東京では「終わった事」になっている原発事故がまだ続いている事を嫌でも思い知らされます。
この道を進んでいくとやがていつもいっているツクバサーキットの最寄りの谷和原ICにたどり着きます。
もちろん知識としては分かっていたのですが、こうやって現実を突きつけられるとなんともいえない気分になります。
今回はなかなか思いどおりになりませんでしたが、なんとかなる事が分かっただけでも収穫です。
仙台市内の渋滞で一時19km/L代になった燃費も最終的には23.2km/L。
次回はトラブルなくいきたいものです。