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quadrifogliospaのブログ一覧

2021年12月31日 イイね!

皆さん良いお年を

皆さん良いお年を今年も残すところあと数時間となりました。

個人的には仕事の部署が異動になってリモートワークもあってなかなか軌道に乗らず苦闘が続いており、納車待ちの型式認定が通らずに何度もやり直しになったり、またレストアから戻って来た愛車もまた工場に戻されてエンジン全バラし中と思ったようにいかない事が多かったのですが、心理的にはそれほどプレッシャーを感じずに過ごす事が出来ました。

世間的には、というか世界的に未だコロナ禍に翻弄されて停滞したような雰囲気が支配的ですがワクチン接種や弱毒化で目に見えて重症化が減るなど明るい兆しも見えてきました。

自由に移動できる雰囲気になったらすこしあちこち出かけたいところです。

事態が好転する事を祈念し、来年が皆様にとってより良い一年になりますよう。
Posted at 2021/12/31 19:26:17 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2021年12月31日 イイね!

ブリジストンの事業再編

今月19日、ブリジストンが免振ゴム事業などを中国企業に売却する事業再編案を発表しました。

ブリジストンにとって「防振ゴム事業」は創業に関わる中心事業で、それを手放すという事でまた日本の技術が中国に渡ってしまうといったように内外に衝撃が走りました。

ただ、これはジリ貧になって追い込まれの切り売りというよりは中期計画の一環としての事業再編であった点に注目すると、資源集中の側面が強いと見られています。

ブリジストンは自動車用タイヤなどでブランドの信頼性などから世界的にも高いシェアを獲得しており不採算部門の損失を吸収して余りある利益を上げています。

しかし収益率を上げる必要性があると判断した背景には海外勢の追い上げがあります。
製品のエア漏洩防止技術や真円性を高める製法など定評がありましたが、近年は中国、韓国、台湾などアジア圏を中心とした新興メーカーが品質を高めてきています。

これらの新興勢力は品質管理はまだ日本勢には一歩及ばないようで、最近ではめっきり見なくなっていた走行中のタイヤバーストやトレッド剥離など問題が時々報告されていますが、こういった問題も日本勢と遜色なくなるのは時間の問題でしょう。

こうした事もあってかブリヂストンは2030年までに販売する自動車用タイヤの9割をEV専用タイヤに切り替えると発表し差別化を図る狙いのようです。

EV自体がまだなじみが無いのでEV用タイヤの要件がはっきりしませんが、まず思いつくのが走行用バッテリーによる重量増加対応。それと静寂性に伴うノイズ低減技術、低燃費性能であろうと思われます。


戦後日本はモノ作り大国を自認してきました。

欧米に追い付け追い越せの時は高品質、低価格を売りにして躍進しました。

しかし時代時代の花形産業であった造船、鉄鋼、家電エレクトロニクス、半導体など国際競争に晒されると競争力を失い、ジリ貧になり事業切り売りという「撤退戦」を強いられてきました。

これは日本型企業の限界を示すものでもあり、先の大戦からもそうですが、とにかく「損切り」ができないで判断を先送りしているうちにどうにも立ち行かなくなる「日本病」ともいうべきものであったと思います。

トップに上り詰めた日本企業が今度は守勢に回る時、事業再編するとたちまちバッシングが巻き起こりますが、そういった「世論」も日本企業が国際競争に負ける要因になり得ます。

日本産業が中韓勢に追い上げられる背景には、日本からの技術流出が止められなかった事が大きく影響しているように思います。

国の方針もあってワンマン経営者が将来のライバルになる彼らを甘く見て技術指導してやったりした事も事業立ち上げ時には見られましたが、成熟期には収益率が下がり、研究開発費が削られる中で技術者らは海外で働く方が高い収入を得られるとなればそちらに人が流れる事を止める事は出来ません。

技術流出を防ぐと同時に人材流出を防ぐことが事業継続に何より大切であると言えるでしょう。

従って熾烈な国際競争下で企業が事業を継続するために資源集中を迫られるのは致し方ない部分かと思われます。

真に問題になるべきは資源集中で競争力を高められたかの「検証」ではないでしょうか。

ブリヂストン「中国企業への事業売却」を叩くムードが、日本の衰退につながったワケ
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2112/21/news051.html
Posted at 2021/12/31 11:21:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2021年12月30日 イイね!

民主主義について

今の日本は基本的人権の尊重、国民主権、法の支配、権力分立といった民主主義の恩恵を享受しています。

この思想は古代ギリシャの都市国家ポリスで行われていた直接民主制に遡れますが、戦後日本の民主主義はアメリカ型民主主義と言ってよいでしょう。

従って日本の民主主義を考える時、アメリカについて考える必要があります。

アメリカはよく「実験国家」と言われたりしますが、それはネイティブインディアンの土地に入植して、やがて英仏から独立宣言して作られた「国家」です。

それ以外の地域では王侯貴族や豪族といった地域を治める権力者が居て民衆は所有物とみなされてきましたがアメリカはその足枷が無かったため「実験国家」と言われる由縁でしょう。

これが近代国家の一つの形となり、この規模の変革は人類史上他になく、人類の政治システムが根底から覆される事でもなければ二度と起こらないと言われています。

というかそれ以前には国家という概念が確定しておらず曖昧なものでした。

アメリカの独立と時を同じくしてフランスでは圧政に対抗する形で「革命」が起き、それ以前の王政から共和制に移行することになります。

こちらはアメリカよりもステークホルダーが内外に多かったため大変な混乱が起きましたが、圧倒的多数の市民革命軍が王族の私兵を次々打ち負かしてその圧力を受けるようにしてヨーロッパから世界中に「近代国家」が打ち建てられるようになります。

この過程で国家と国民の関係が意識されました。

王は神から使命を授かった事が権威の根拠でしたが、近代国家はそれに代わる根拠が必要でした。

そこで国民は国家に所属し、国家は国民のものであるという事になりました。

為政者は選挙に依って選ばれる国民の代表として権力を付与する事で権威付けられました。

アメリカは少し特殊で、移民で成り立つ国家なのでまず国民は国家に対する忠誠を誓います。つまりアメリカ憲法に集う人達の国家となります。
従ってアメリカ人の「愛国心」というのは他の国の土着的な愛国心とは少々性質が異なっている、他民族を束ねる根拠になっています。

ヨーロッパで広がった民主主義は、専制君主制に対する者でしたから「法の下での平等」が何よりも重要であるものとして意識されました。

日本の場合は国境線が海岸線であった事で異民族との癒合が少なかった事や、古来より続く皇室という拠り所があった事が幸いしてか、封建体制から民主制に移行する際も天皇という依り何処を大きく変更する事が無かったため、心理的にはあっさり近代化を受け入れる事が得出来ました。

日本の封建制でも家臣団による合議制での統治でしたから、そもそも日本には民主化をうけいれるだけの素地があったといえるとかと思います。

このようにして近代化とセットで「国家」が造られましたが、一方でマルクス主義、共産主義といったものが現れました。

これは「二段階革命論」などのように君主制を革命で排除した後に社会主義革命で達成される理想の社会体制といったように、人類の歴史の上位に位置する崇高な物、今の民主主義は中途半端で堕落したものでありかならず打破されるものとしています。

つまりこれまで何千年、何万年と続いてきた人類の営みを全否定するところから出発しており、伝統や文化も捨て去るべきものと位置づけられています。

こういった全ての問題を解決してくれるものとして歓迎される向きもあるように見える理想は、しかし所詮は現地つにそぐわない理想でしかない事はあちこちに歪を生んでいる事を見れば無理があるのは明らかであり、結局は特権階級が入れ替わっただけの圧政を布かなければ維持できないものであることがそれを証明しているように思います。

こうしてみると民主主義は最も優れた人類史の頂点と思っているのも実は共産主義革命の思想に浸かっているという事にもなります。

民主主義というのは民衆の政治参加が無ければ成り立ちません。

最近の日本を見ていると、政治とかそういうのは別世界でやっている事から自分には関係ない、関心すらないという風潮が支配的であるように思います。

それであれば優れた為政者による専制政治の方がマシなのでは?と思ってしまいます。

専制政治や革命政権もですが仮に優れた為政者が登場したとしても、権力にはろくでもない取り巻きが集まって来て構造的に腐敗し、また次の代にはその優れた性質が引き継がれる保証もないし、暴君だからといって簡単には排除する事は出来ません。
つまり改革には多大な犠牲が必要になります。

一方の民主主義は出鱈目をやった政治家は次の選挙で審判を受けることになります。愚衆政治に陥る可能性もありますが、それでも他の政治体制に比べれば、改革に要する犠牲ははるかに少なく平和的であります。

これを考えれば、日本に民主主義が根付いたという事は極めて幸運な事であると思わなくてはならないもかもしれません。

あらためてそんな事を考える年末であります。
Posted at 2021/12/30 09:42:59 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2021年12月26日 イイね!

歴史とはなにか 岡田英弘

クリスマスを境に世間は一気に新年モードに突入しますが、仏教的には元日は一年の煩悩を浄化する日だそうで、そのために寺では「除夜の鐘」を突いていたりするのですが、近年はこの除夜の鐘も騒音苦情の対象で日付が変わった直後の数分だけだったりそもそも鐘を突かないなんとも味気ない年末年始になっています。

という事で少し早いですが一年を振り返ると今年はずいぶん本を読んだなぁ、という印象です。
仕事から定期購読している雑誌や専門書もありますが、それを除けばやはりけっこうな分量の本を買い込み、枕元には後で読み返そうという本の塔が二つほど出来上がりました。

まぁ読書家の人に比べたら読む速度も遅いので月平均にすると二冊くらいかと思いますが、どれも惰性ではなく興味があって手に取った本ばかりなので印象深く手放す気にならず置き場に困っています。
(これまでの本も積みあがっているから大地震が来たら本に埋もれてしまう)

今回のタイトルにした本は、年末年始に読もうと買い込んだ本の一冊で「面白い」と評判でした。

まず「歴史」の定義について書かれていますが、確かに事件を時系列に並べたもの、くらいの認識でしたが、「人間の住む世界を時間と空間の両方の軸に沿って個人が体験できる範囲を超えた尺度で把握し、解釈し、理解し、説明し、叙述する営み」

としています。

この手の本はとかくイデオロギーの押しつけだったりするのですが、どの文明圏においても公平に扱っているように見受けられます。
中国史、モンゴル史、古代日本史を専攻して教えて来た立場から「歴史」を持っていたのは中国文明と地中海文明しかない、とする立場には「日本には脈々と続く皇統という中国よりも古い歴史があるではないか」とハレーションを起こす人も居るとは思いますが、日本の歴史は常に中国に対抗するものとして編まれて来た事を考えると、大きく間違った事は言っていないように思います。

ただ、読み手の知識レベルにも依るので、万人が高校までに読むべき、とは言い切れず、むしろ社会に出てから学び直している人が、点と点の知識だった歴史や世界情勢の根底にある物を理解する一助として面白いのだろうと思います。

今日でこそ歴史を持たない国や民族は少数ですが、それは19世紀に「国家国民」という概念が定着してからで多くが中国の歴史か地中海文明の歴史の影響下にあるとしています。

たとえば歴史を持たない国としてインドを挙げています。
インドの歴史はイギリスの統治下に入った「イギリス領インド帝国」からであり、それ以前は支配を受けていたイスラム文化圏的歴史観しか持たなかった。なんだやっぱり歴史があるじゃないか、となりますがそのイスラム文明圏の歴史も体系だった西洋との衝突で必要に迫られたものであり、イスラム圏では約束が守られなくても「神の御心」に背かないならそれは問題ないとするものであり、日本人だけでなく西洋人からしてもイスラム圏の歴史や文化が理解しにくい一因となっています。

アメリカもそれまでに西洋との歴史を断ち切って現在と未来だけを見つめると言う歴史を持たない奇異な国になりました。
移民にアメリカへの忠誠を誓わせ、それ以前のルーツを捨て去ってアメリカに帰属する事を求める態度というのはそういう事かと思ったりもします。

また中国の歴史は紀元前100年頃に司馬遷によって仕えていた皇帝の正当性を示す目的で著された「史記」が始まりであり、それ以降中国の歴史書は基本的にこのスタイルから外れる事はなく、これが西洋人からすると中国は進歩がないずっと停滞した国とみなされる要因となっているとの事。

しかし中国人からすれば、もし違う事があるとすると、それは天命から逸れる事であり、正当性を失う事とされ忌避されてきました。
この為、中国の正史には変化を示す兆候は記述されないか、著者が断罪されない程度の表現に書き換えられ天帝の支配の及ぶ地域の事しか書かれてきませんでした。
しかし現実には異民族に支配される事もあり、こういったコンプレックスが「中華思想」、つまり皇帝は漢人出身ではないけど、漢人こそが偉大なのだという思想に繋がったとの事で、中国人が100年前の恨みであっても自分達で晴らそうと言うモチベーションとなっていそうです。

地中海文明で最初に歴史書を書いたのは紀元前5世紀のヘロドトスとされ、この認識が現代日本人の「歴史観」にも通じているとの事。
歴史書「ヒストリアイ」はヒストリーの語源ともいわれていますがヒストール(知っている)とヒストレオ(調べて知る)の名詞として「調べて分かった事、調査報告書」となるそうです。
(His storyでhistoryとするのは文学的ではありますが今の時代だとバッシングされそうではあります)
内容的には地中海国家間の攻めたの攻められたの、王が誘拐されただの誑かされただのといった係争ですが要約すると
「世界は変化するものであり変化を語るのが歴史である」
「世界の変化は政治対立、抗争によってもたらされる」
「ヨーロッパはアジアと永遠に対立する二つの勢力だ」
となり、前二つは現代日本人にもすんなり受け入れられるでしょう。

西洋史観を理解する上でキーとなるのが三つ目でヨーロッパ(善)とアジア(悪)が対峙し、なんだかんだあって最終的には善が勝利して神の祝福を受けられる、といったような印象をアジア軽視やアジア文明を理解しようとしない西洋人から感じられる事が度々ありますがそういうことなのかもしれません。

そのヘロドトスの記した勧善懲悪ストーリーはやがてユダヤ教徒の受難やゾロアスター教と溶け合ってキリスト教的価値観として西ヨーロッパにもたらされます。

日本の歴史書は「古事記」が有名ですが、実は「日本書紀」の方が先に編纂されたとしています。
これは韓半島情勢をめぐって対立していた日中間の対抗策として、日本の方が先に天命を受けた天皇が居る、中国の事は最近知ったという態度を貫く為に書かれたものとの事。

この「日中対立」から天皇が日清間で条約を結ぶまで、実質的に日本は政治的には鎖国状態を貫いてきたという事になり、明治になって近代化に迫られた時に、英独仏から招聘された講師と日本の中国に対するカウンターパートとしての歴史観をすり合わせる必要に迫られ数々の造語が作られた事で現代日本人の歴史認識はそれ以前とはすっかり変わってしまったという事です。

この後、話は日本の歴史の成り立ちやマルクス主義的歴史観に及びます。

もっとも個々の事象に関しては議論が分かれる事もあるでしょう。

著者の岡田英弘氏は2017年に逝去されていますが、文明や歴史を独特な視点から紐解いた自分の知っていると思っていた点の知識が次々結びつくようなとても面白い本です。
Posted at 2021/12/26 20:47:30 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2021年12月18日 イイね!

なぜ、賢い人ほど愚かな決断を下すのか

なぜ、賢い人ほど愚かな決断を下すのか暫く前から、ある人物を追っています。
勿論、当事者でも関係者でもないので野次馬根性でやっている部分もあります。

その人物は一部で「愛国者」と称されて盲信されているのですが、調べる程発言に信ぴょう性が無い事が分かります。

自分は以前、その人物の会社が「自動運転のための技術」を開発したと言っていた事で興味を持ち、何度かやり取りしたのですが、その時は曖昧な返答しか得られなかったのですが社外秘の事もあるからとさして気にしませんでした。


以降もその人物の記事やSNSを見ていたのですが、どうも執拗に反論している一団が居る事に気が付きました。
どうもその人物が裁判でどうのという事のようで、まぁ会社経営をやっていれば訴訟の一つ二つも抱えているだろうとその件については考慮しなかったのですが、やがて半導体や軍事など自分が元々興味があった分野についても言及している部分を見ているとどうも自分が知っている状況と食い違う事が散見されました。

特に気になったのが情報にはほとんどの場合、検証可能なソースというのが示されず「知り合いから聞いた話だが」といったような、どうもこれは怪しいなと思い自分でも裏を取るようになったら尽く反対している一団の主張が正しく、彼らの反証には検証可能な情報ソースが多く示されていました。

裁判もどうも投資詐欺案件なようでしたがこれを「相手はスパイだ」「メガバンクの暗殺部隊に狙われている」「弊社CTOが殺害されかけてFBIの証人保護プログラムに入った」といった事を言っていました。

その殆どが些細な事を誇張したり曲解したり、しかも裁判記録を見ると何度も裁判手続きや公判日を弁護士を解任したり海外に行ったりで延期を続けているのに「相手がスパイだから裁判に出て来なくて迷惑している」と言ったりスラップ訴訟に敗訴すると「裁判所は買収されていたからアメリカの裁判所に移管しろ」とか「〇〇首相は〇〇利権のために私の告発を潰したのです」と、これまた荒唐無稽な事を言う訳です。

おかげでこちらも裏を取るため最新の半導体技術や台湾の歴史について勉強したりとずいぶん視野が広がりました。

ところが彼女は事実を絡めつつ自説を展開するからその部分だけ聞くと説得力があるように感じられる事もあり腐敗した権力と戦う「愛国者」「国士」と認識している人もそれなりに多いようです。

観察してみると支持者の多くが自分で情報の裏を取ったりして調べるのではなく第一印象だけで応援している所謂「情弱」です。

そういう人達でもずっと観察していればやがて言葉の端々に論理破綻を感じたり、或いは「詳しい話は有料サロンで話します」「アメリカでの活動資金の寄付はこちらになります。別の会社ですが気にしないでください」といった具合に誘導されるのでおかしいと気が付く人も居て、SNSで知れ渡り抜けては新たに入って来る状況が続いています。

政治家に接近してはツーショット写真を上げたりしていますが、最近ではすっかり悪評が知れ渡っているようですぐにフェードアウトされると今度は「〇〇議員はスパイだ、落選させろ」「言論人の〇〇は工作員なので信じないでください」と街宣したりする始末で自身の裁判を引き受ける弁護士も殆ど現れず売名目的の新興宗教絡みのような怪しい弁護士しかつかない様子。

しかし熱心な支持者の中には所謂「専門家」という人も居て強硬に支持しているのです。
なぜ賢いハズの専門家が見抜けないのか不思議に思っていたのですが、そんな時に手に取ったのが「インテリジェンス・トラップ なぜ、賢い人ほど愚かな決断を下すのか」というそのものズバリな本でした。

IQ、知能指数は「賢さ」の客観的指標として近代化と共に定着してきました。

学校教育や受験もこのIQベースになっており、人生を決定する要素となっています。
しかし、このIQというのは元々は人種に優劣があるのではないか、というのが出発点になって考案された指標という事です。

その結果、確かに人種や地域によってIQスコアが偏っていたのですが、同時にこのIQは考案されてから100年間で上昇し続けている事が分かっています。

つまりIQは遺伝的形質よりも後天的な教育や社会システムによって獲得されるものであるといえ、人間の指標の内、ごく一部しか表していないと認識されるようになってきました。

それでも入試や就職試験では重要視されています。

それは知能の内の「実務処理能力」に直結する、つまり社会で使えるからという事のようです。

しかし、このIQには創造性などは計れないし合理的な判断とIQには相関関係がない、「賢い人であれば正しい判断が出来る」というのは幻想であるという事です。
IQ140以上の人はクレジットカードで破綻する確率がIQ100に比べると高くなる傾向がある事は知られています。

また「シャーロック・ホームズ」などの作者として知られるコナン・ドイルは神秘主義に傾倒し、妻の降霊会を毎日開催する程のめり込み、また妖精とコンタクトできるという少女達を支援したりしたことでも知られています。

また現代の科学に多大な影響を与えたアルバート・アインシュタインはしかし後年になると自説に固執するあまり、新たな理論が提唱されてもそれを否定しようと躍起になっては論破に失敗しすっかり「過去の人」となりました。

この「知の巨人」たちの矛盾する二面性はどこから来るのか。

この点に着目しIQでは測れないRQ(合理性指数)というものが研究されてきました。

高IQ者が陥りやすいとして
・確証バイアス(マイサイドバイアス)
  自分の意見を補強するあまり、他の見方を無視する
・非確証バイアス
  自分と違う意見を否定する
・システム1(反射的に判断する本能的思考)とシステム2(論理的思考)
  システム1で判断しシステム2を駆使して反論を試みる
・合理性障害
  合理性も発達障害のように個人差が大きい。キース・スタノビッチが提唱
・合理性は人類の生活集団の拡大により発達した生き残りのための概念だが、認知バイアスは、高度化した現代社会において孤立した個人のバイアスが集団の中で是正される機会が失われた事による。

また専門家が陥りやすいものとして
・専門家の自信過剰が認知の死角を生む
  例)FBIが先入観で無関係な被疑者の指紋を証拠物の指紋と「一致」させた。
・獲得されたドクマチズム
  専門知識があることで自信過剰となる
・認知的固定化
  専門性の持つライブラリのルーチン作業では変化に弱い
・専門家のRQ(合理性指数)は、課題をチャンク(塊)と見なすことで細部を見落とし低下する
・データが曖昧で乱雑なほど判断は動機付け意識に影響される
・専門家の自動チェックを防ぐため安全チェックリストを定期的に入れ換える発電所がある
  ⇔航空機の運行マニュアルにも導入すべき

といった事が挙げられています。

まだ途中までしか読めていませんが、非常に気付きが多い一冊となっています。

合理的精神は人類が近代化の過程で獲得してきた生き残り戦略でありながら教育などでは省みらる事が無く、環境による差異も大きくなるようです。

近年は情報過多な社会であり、読むのに時間が掛かる本が苦痛でマンガすらあのコマ割りの流れが理解できずに読めない歩いう人達が増えて来たとも聞きます。

これは最近の若者が劣化した、といよりもスマホを持ち歩き、常に検索で手軽に答えらしきものが手に入る環境に順応した変化かもしれません。

同時に自分は賢いのだ、物知りなのだ、だから自分の判断は正しいのだ、と思っている人はそこに論理の飛躍がある事を見出す事は出来ないのかもしれません。

このトラップに陥らないためには、常に自身が矛盾や飛躍をしていないかチェックし、研鑽を積む事が有効なのかもしれません。
Posted at 2021/12/18 08:53:34 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記

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